2015年5月30日土曜日

初採れのブルーベリー

満を持して今年はじめてをブルーベリーを採った。
採ったと言ってもたったの14粒。
よそさまに笑われるような数である。
それでも丹精込めて育てた鉢植え、その1鉢からだから、
何物にも代え難い貴重品。


我が町が無料で配布する苗を、行列に並んで貰ってきたのが5年前。
2年目に数粒だけ実った。
3年目の夏に暑さで一番太い枝が枯れて収穫なし。脇から出ていた2本の枝を大事に生かした。
4年目に無事育って数個の実を収穫した。
そして5年目の今年、数10個の実を付けた。
その内の初物14個である。

 サザンハイブッシュ系のオニール。
実は大きく、大きいのは1円硬貨くらいもある。
酸味が少なく甘みが勝るので、味としてはややボケ気味といったところ。
家内と2人でしっかり味わった、
と言いたいところだ、しっかり味わうような数ではない。
小鳥に横取りされずに済んで満足、といったところか?

ブルーベリーはラビットアイ系とハイブッシュ系と合わせて6鉢ある。
追々収穫しては冷凍し、最後にジャムを作るわけだが、2瓶も出来るだろうか?
それが孫達へのプレゼントになるなら、それはそれでいい。
ジャムつくりは家内の仕事である。

2015年5月27日水曜日

チャレンジデー

今日は去年に続く第2回のわが町のチャレンジデー。対戦相手は栃木県上三川町。
15分以上の運動をした人の数を対人口比率で相手と競うもの。
負けた場合は、相手の町旗を我が町の役場のメインポールに1週間掲揚する。
勝てばその逆。極めて単純なルールでのお遊びである。

 昨日に続いて今日も真夏日で、最高気温34℃の予報が出ていたから、朝ドラ「まれ」を視たあとすぐにウォーキングに出た。
服装には気合を入れて、キャップ、長袖のポロシャツとトレーニングズボンは白で揃えた。何の事はない数年前までやっていたテニスの服装である。
スボンは35年ほど前に買った古強者。あまり着用しなかったこともあるが、それにしても呆れるほどに長持ちしている。

 県立N高校を巡るコースをとり、5000歩を50分ほど掛けて歩いた。
いつものことながら、歩き始めは、胸の中央部からみぞおちにかけて締め付けられる感じと、少しの鈍痛が襲ってくる。しかし、歩きながら腹式の深呼吸を繰り返すことで、やがて症状は収まる。どうやら運動はじめはに血中の溶存酸素不足が生じるらしい。
このことを自覚しだしてから2ヶ月くらいになるだろうか?
誰から教わったわけでもない、経験的に会得した技である。

 さりとて夏場のウォーキングはきつい。
昨今は夏日、真夏日が続くようになり、「今日はや~めた!」と云う日が多くなった。
でも、今日だけは頑張ったというところ。
5月の真夏日続きは、チト早すぎないか?
今年の夏は異常気象かな?

2015年5月18日月曜日

付き合い方が難しい隣人

住宅街の一角を占める場所に12軒が町内会で一つの班を成している。
その中で我が家は東側と南側が道路に接する角地にあって、尋ね人などの部外者が比較的近づき易い場所になっている。

昨日のこと、一組の老夫婦が屋外にいた家内に、先日亡くなったSさんのお宅はどこですか?と訊ねてきた。
Sさん宅は我が家の裏の方に位置して、且つ、道が狭くて駐車できない。
幸い日曜日だから近くの倉庫の前が空いていて駐車出来る。
家内は、老夫婦に車をその倉庫前に停めるように案内し、Sさん宅を教えた。

しばらくして老夫婦が戻ってきた。
どうでした?と家内が問うと、留守でしたと返事が返ってきた。
家内はSさんの奥さんも老齢で施設に入ったと聞いているから、そうだろうなぁ・・と思いながら、
折角いらっしゃったのに残念でしたね、どちらから?どんな関係で?と訊ねた。
すると老人は、八百津から来ました、Sさんとは昔八百津で隣同士だったんです、
先日、法事でお寺に行ったら住職からSさんが亡くなったと聞いたものですから、お悔やみに来たのです、と事情を話した。
八百津は木曾川の川向う。車で1時間位かかる。

そこで家内が、そういう理由でしたら隣が親戚筋に当たるのでその方を紹介しましょう、と言って、老夫婦をOさん宅へ案内した。Oさんの奥さんがSさんの親戚筋だということを家内は知っている。
Oさん宅は奥さんが不在で旦那が玄関に出てきた。
事情を聞いたOさんの反応は、
 「オレは知らん、ウチとは関係ない」とケンモホロロ。
だったとは、家内の話。

すごすごと老夫婦は帰って行った。
だが、しばらくすると老夫婦がまた現れて、通りかかった近くのコンビニで買ってきたと言いながら、裂きイカやチーズ鱈などの酒のつまみが5袋入ったレジ袋を差し出した。
家内の親切が嬉しかったとお礼を言いながら。
おくやみ出来なかった無念さが家内へのお礼で少しは癒やされたのかもしれない。

そして今日のこと。
Oさんの奥さんと顔を合わせた家内が、挨拶がてら昨日の尋ね人のことに触れた。
Oさんの奥さん曰く、
名前ぐらい訊いておかなきゃイカンわねぇ・・、
だと。

家内はプンプン怒りながら返ってきた。
名前くらい訊いておくべきはOさんの旦那のほうだろう!
にも拘らず弔問客と知りながら追い返したOさんの旦那といい、
取り次ぎ方が悪いと家内を非難したOさんの奥さんといい、
夫婦揃ってどういう感覚をしているんだ?とボク。

ことほどさように、この隣人とは付き合い方が難しい。
 

2015年5月16日土曜日

17年目に皐月咲く

庭に植えてある皐月が17年目に沢山の花を咲かせた。
この皐月、17年前に義父が亡くなった折、義父が大事に育ててきた菊や皐月の鉢植えを処分すると義兄が言うので、形見のつもりで1鉢だけ貰い、庭の片隅に植えて置いたものだ。
だが17年間咲かなかった。
何故咲かなかったかと云えば、手入れしなかったからと云うことに尽きる。
興味もなかったし、手入れの仕方も知らなかったから、植えたまま放置しておいたし、
花芽を付けないし樹勢にも勢いがないから、病気にでも罹っているのだろうと思っていた。
義父の遺作でもあることだし、生きているのを引っこ抜くのも偲びがたし。さて、どうしたものか?と思い悩んで来たと言っては少し大袈裟か?
 
その皐月が17年目に咲いたのには理由がある。
一つは、数年前に日当たりの良い場所に移植したこと。
ネズミモチを引っこ抜いた跡にスペースが出来たのだ。
移植した翌年、樹勢回復の兆しが見えた。
だが、花は咲かなかった。
更にその翌年、期待した花が数輪咲いた。一歩前進。
まだ、樹勢が回復してないのだろうか?と思いつつ。
二つ目の理由は、新芽を食い荒らす害虫を発見し、退治したこと。
去年の夏の終わり頃のある日、小さな幼虫が新芽を食いつくさんばかりの勢いで食い荒らしているのを発見したが、その勢いたるや凄まじく、そのまま放置したら1日で食い尽くされただろう。
早速、ピレスロイド系の殺虫剤を振り掛けた。

もしかしたら、17年間咲かなかったのはこの害虫のせいかもしれない。
ベニモンアオリンガというらしい。こやつは前年に出来た蕾を食い荒らすという。
これからは毎年義父の皐月は花を咲かせるだろう。

2015年5月11日月曜日

ゴーヤカーテンの準備

先日の土曜日、貰いに行こうか?行くまいか? 迷った挙句に貰いに行ったのがゴーヤの苗。
配布開始の10分前に夫婦で行列に加わって4本をゲット。
町が合計300本を配布するのに10分と掛からなかった。遅れて来て、貰えず残念がる人も。
居間の日除けに3本あればこと足りるし、買っても1本150円位だから500円で買える苗だが、
往復で徒歩10分の運動と少々の時間を費やすだけで無料になったのだから悪い気はしない。


苗代はレジ袋削減協力店すなわちスーパーからの寄付で賄われている。
6月の環境月間に合わせて、冷房を控えてCO2を削減しましょう、 緑のカーテンを作りましょう、
と町が旗振りをしているという訳だが、果たして苗を貰いに来た町民はそのことを知っているかどうか?配布されたチラシにはそのように書いてある。

我が家のゴーヤカーテンは今年で4年目になり、少しづつ栽培のコツも掴めてきた。
プランター1個に苗1本、忌地対策で土は毎年入れ替え、乾燥牛糞を多めに施肥、石灰で中和して植えつけた。あとは適宜化成肥料を追加し、水補給を絶やさないければいいだろう。
ゴーヤが穫れ出すと、捨てるのはもったいないとばかりに家内がこれでもかこれでもかと調理するので、いささか食傷気味に為る。そんな訳で、植えつけ作業をしながら、家内に、今年は捨ててもいいから調理はそこそこにしておいてくれ、と注文を出しておいた。

2015年5月7日木曜日

孫娘にイラつく

3の孫娘と保育園と小学校が同級だったブラジル人の女の子が、GWに我が家に1日だけホームステイしていった。

彼女の両親がブラジル料理のレストランを友達から引き継ぐために静岡県から愛知県に引越して来たのが1年前。その店は我が家から車で15分の距離。GWとあって、レストランはかき入れ時。子供の面倒などみていられない。
上の孫娘の方も、ジージ、バーバの家に来たのはいいけれど、友達がいないからちょっと淋しい。
そんな2人が我が家で合流した。
騒がしく遊ぶこと遊ぶこと!
3才の下の孫娘も加わって、キーキー、ぎゃーぎゃーと喧騒に包まれた。


ブラジルの女の子は体も大きいし、身体の能力も優れている。
リップスティック(スケボー)もスイスイと乗りこなす。
お釣りの計算も早くて正確。
彼女の一面をほんのすこし見ただけだが、孫娘と違って大人っぽい。
性格と言うより生活環境が彼女を育てたのだろう。
それに比べて我が孫はどうだ!鈍くて、遅くて、優柔不断だ。
遅生まれというハンディはあるとしても、心身ともに出遅れていると認めざるを得ない。
これは娘が甘やかせて育てた結果じゃないか?と思ったり・・・。
それを言うと、娘は反発する。
まあ・・・、イラつくことも多かったね。

そのGWも過ぎた。バーバが一番ホッとしたようだ。

2015年5月4日月曜日

船戸与一 満州国演義全9巻読了

船戸与一が先月22日に胸腺ガンで亡くなったと報じられて、慌てて図書館の蔵書検索で満州国演義第9巻を探した。8巻までは既に読了していて9巻の出版を待っていたのである。
図書館に9巻はあった。しかも貸出可とあった。直ぐ図書館に駆けつけて確保した。
発行日は今年の2月22日とあるから、図書館の蔵書になって間がない。
貸出可になっているのは読み手が少ないということなのだろう。
満州国を舞台にした小説を読みたいと思う年代は、我々から上の年代のひとに限られるのかもしれない。
作者は週刊新潮に連載を始めてから10年の歳月を掛けて完結させ、まもなく亡くなった。
9巻が遺作か?

彼の小説を読むきっかけになったのは、たまたま直木賞作家を検索していて目に止まったからに過ぎない。それまで名前さえ知らなかった。
直木賞の「虹の谷の5月」を読み、次いで「砂のクロニクル」と続いて、さて次はどんな本があるのかな?と思いながら探していたら、「満州国演義」の1~3巻が目に止まったのだ。これが2007年12月のこと。以来、今回まで読了に足掛け8年掛った。

 時間を掛けて本を読むと、大方は前に読んだ内容を失念する。
この本の場合もそうだった。だから決して楽しい読書だったとは言いづらい。
それでも最後まで読ませたのは満州国の歴史小説だからである。
歴史の詳細は別にして大筋を理解するには随分と役に立った。
主人公は男の4人兄弟、脇役に従兄弟を配し、夫々の生き様を書くことによって物語を進める。
主人公にはあたかも実在した人物のように錯覚するリアリティがあった。
モデルはいないと、別のところで作者は語っている。
9巻を一気に通読したらもっと面白く読めたかもしれない。

巻末に参考資料が掲載されている。
その量の膨大さに作者の注いだエネルギーを感じた。
どんな本なのかはこちらの書評が参考になるだろう。↓
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-3131.html

2015年5月2日土曜日

LEDシーリングライトが暗いと言われた理由

新しく取り付けたシーリングライトが思っていた以上に暗い、という感じがした。
その原因はこれ↓
購入したパナの製品に同梱の取説に記載の色温度と明るさの関係図。
昼白色の時に明るさが最高になり昼光色と電球色ではその半分になるよう設計されている。
今まで使い慣れてきた蛍光灯の色温度はどちらかと言えば昼光色、すなわち青白い光だから、それに近づけるよう調色すると明るさが謳い文句の3800lmに届かなくなってしまう、
という仕掛けになっているのだ。
購入前に読んだクチコミにこの製品は暗いというのがあったから、ある程度予想していたことなのだが、やっとその意味が解かった。

調色できるLEDシーリングライトはどこのメーカーも同じような設計になっているのか?
疑問に感じて少しネットで取説を調べた。
NECは昼白色が100%で昼光色になると70%、電球色になると30%になる製品がある。
アイリスオーヤマは昼白色100%で昼光色、電球色ともに60~70%になる製品がある。
東芝はパナと同じ昼光色電球色ともに50%だか、これを改良して明るくしたものもあるようだ。
日立は具体的数字を見つけられなかった。
ということで、メーカーにより程度の違いがあっても、昼白色から外れた色温度にすると光度が減るという設計は同じかも知れない。
こうしたことを知らなかったのはボクだけなんだろうか?

ボクなりの調色機能付きのLED照明の選び方。(昼光色など単色器具の場合を除く)
自分の好みの色温度で光量(明るさ)は満足できるかどうか、現物を見て、試すことは必須なり。
昼光色を好む場合は6畳用、8畳用、10畳用などの表示を目安にして1段上のものを選択肢に入れること。因みに、今回は実質6畳の食堂に8畳用を買ったが、ギリギリのところでセーフと判定した。