2016年7月28日木曜日

キューリのお化けに追われる

写真の野菜類は庭先での今朝の収穫物。
キューリは大きいもので自分の肘から中指の付け根までの長さがある。
生い茂った葉の蔭に隠れているのを見逃した結果がこうだ。
「またお化けになった」と家内と笑い合う。
今年は野菜の出来が良くって、食べるほうが大変だ。
まるで野菜に追いまくられている感じがする。
だったら、ご近所さんにおすそ分けすればいいようなものだが、
どっこい田舎のこととて、自家菜園をやっているかあるいはその親戚筋のお宅ばかりだから、
「たべておくりゃせんか?」と言う人ばかり。
まさか、通りかかった人に「食べて下さい」と云う程のものでもなし。
結局、この3品は食べ飽きてもなお強制的に食べさせられることになった。
家内はネットで調べて、保存食に加工すべく奮闘している。

庭に植えたのはキューリとトマトと茄子を3本づつ。
例年、蒔かぬ種は生えぬとばかりに家内が安い苗を買ってきて適当に植えていたのだが、
今年は家内の入院と植えつけ時期が重なったので、ボクが植えつける羽目になった。
苗もそこそこの値段のモノを買ってきて、堆肥や化成肥料をふんだん土壌にすき込んだ。
出来のいいのにはそういう事情もある。

一昨日の雨で熟した多くのブルーベリーの実の皮が爆(は)ぜた。
これはいけないと、3本の木から急いで熟した実をもいだら、500グラムくらいの収穫になった。
家内がジャムに加工したら200グラムの小瓶が3本出来た。
小さい木の2本は既に収穫期を終わって、すべて生食している。
今年のブルーベリーは出来が良いほうだろう。
尤も、春先に狂い咲きした1本はわずかに実っただけだが・・・。

ゴーヤはプランターに植えた3本が生育不良。3年連続の現象。
いろいろ原因を考えてみたが、どうやらプランターの容量不足か?
ネットには20リットルくらいは欲しいと書いてある記事もある。我が家は10リットル。
地植えした1本は順調に育っているから、多分推定は当たりだろう。
実証は来年まで持ち越しになる。

狭い我が家だけれど土地付きの庭があればこその菜園。
キューリのお化けに追われるのもまた楽しである。


2016年7月26日火曜日

1週間ぶりの散歩

遊歩道のオニグルミの実のつきがやや少ない感じがする。
去年もそうだった。クルミ拾いを期待する者には気に掛かる。


歩道に覆いかぶさるように続くクルミ林、そのうちの一本にぶら下げられている手作りの木製プレートに書かれているのは、何故か?五輪真弓の「恋人よ」である。
誰が何を意図してこの歌を選んだのか知らねども、雰囲気的には悪く無い。
読んでから、口ずさんで歩きはじめるひとがいた。

別の箇所には、かの有名なレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の中から、「どれほど高度な文明を誇ろうと、生物に対して冷酷なふるまいをすれば、必ずや自らを損ない、文明国と呼ばれる権利を失う」という名言を書いたプレートもある。「沈黙の春」は池上彰が「世界を変えた10冊の本」という本の中に入れていることを、つい先日知った。このプレートを作った人のインテリジェンスの高さを想像させてくれる。

そうかと思えば、使い古した雨戸に「承久の乱」の解説を書いたものもある。その先の木曽川の浅瀬を渡る兵たちを思い浮かべるのも悪くない。

これらはすべて、地元のボランティアが作ったもの。官製にはない匂いを感じさせる良さがある。

ということで、昨日は、暑さで休んでいた散歩を1週間ぶりに楽しんだ。

明けて今日、久し振りに本格的な雨。短パンでは涼しすぎる。体が楽だ。

2016年7月23日土曜日

ヤマセという言葉

昨夜は窓を開けたまま寝たら風邪を引きそうな涼しさで、それまでの暑さから少し開放された。
一昨日の東京は最高気温が24℃だったとか、引き続いて昨日も涼しかったようで、
テレビの気象解説コーナーは、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)が関東地方の太平洋側に吹きつけたためであるとし、この風をヤマセと呼ぶと解説していたから、昨夜はそのおこぼれを頂戴したのだろう。

さて、そのヤマセという言葉についてである。
ボクはヤマセという言葉をごく普通名詞のようにテレビで解説していることに違和感を覚えた。
また、ヤマセに漢字の山背を当てていることにも抵抗を感じた。

ボクがヤマセという言葉を聞いたのは昭和60年に盛岡へ赴任した時が初めて。
ヤマセと聞いて、それ何?と訊ねた記憶があるから、その前に昭和41年から5年間福島県郡山に住んでいた時にも聞いたことがなかったことになる。
どんな字を書くの?とも訊いたら、漢字はない、カタカナでヤマセと書くと教えられた。

という訳で、ボクにはヤマセは三陸地方の方言であり、現地の人達は山背という当て字を使わないと信じていたのである。

ヤマセの語源について不審に思い、ネットで調べてこんなものを見つけた。
日本気象学会機関紙「天気」の2003年の記事に気象談話室 「ヤマセ」と宮沢賢治とその周辺
と題されている。

その中から興味のあるところを拾い出してみる。
 山背という当て字は「犬が西むきゃ尾は東」と同じような表現であり、屁理屈。
 明治39年の文部省の「凶作原因報告書」という官報に盛岡高等農林学校の教授である関豊太郎が「東風(こち)」と言う文字に「ヤマセ」とルビをつけたのが最初である。
 昭和7年に没した宮沢賢治は、関教授に学んで一緒に仕事をしたが、ヤマセという言葉を知っていたとしても理解していたとは思われない。
 昭和9年10年の2年続きの冷害の報告書に「やませ」の文字を使ったのは青森県だけで、他の東北5県はヤマセという文字を使っていない。昭和10年に国家レベルではヤマセという言葉が通用したらしい。
 昭和50年当時弘前大学農学部の学生で下北八戸などの太平洋側の学生はヤマセという言葉を知っていたが、津軽地方の学生は知っていなかった。
 昭和55年福島、宮城の農学関係者はヤマセという言葉を聞いたことがないと語った。
等など。

ざっと以上の如く、ボクが「ヤマセ」は三陸地方限定の呼び方に過ぎなかったという解釈は間違いなかったと思う。

方言に類する言葉が共通語として一般名称になるのはよくあることであり、避けられないことでもある。ヤマセの場合も共通語になったほうが理解されやすいかもしれない。
しかし、言葉のオリジナリティーは大事に後世へ伝えて貰いたいと思う。

だから、仮に関東地方が「東風」で冷害になっても、ヤマセのせいだ・・、なんてことは言わないで欲しい。

2016年7月19日火曜日

吉田博の絵


高校で同級だったNさんは自筆の水彩画の年賀状を毎年くれる。今年はどんな絵かな?と思いながら受け取る年賀状は元旦の楽しみの一つになっている。その彼から、Eテレ「日曜美術館ー吉田博展」は感激ものだったので、再放送をぜひご覧ください、というメールを貰った。
彼がこうした情報をくれるのは昨年の斎藤清の版画につづいて2度目である。
その斎藤清の版画は奥会津の原風景を描いたものが多く、ボクも奥会津に何度も足を踏み入れたこともあり、いたく感動した事があった。このことは既に書いた。
そういう彼からの情報だから再放送の期待は大きかった。

2日前の日曜日にその再放送を視た。郡山市立美術館で収録したもので、出演者の解説付き。
だから吉田博の作品群の素晴らしさがよく解った。
Nさんの言葉じゃないけれど、作品はどれも本当に感動モノ。
若いころの水彩画には霧であればその霧の湿度を感じさせる表現力に凄さがある。
版画に転じてからの作品はあたかもモネの印象画を連想させるような光に溢れている。
同じ版木を使って30回も摺りを重ねて描くという技法も初めて知った。そうした技法が生み出す表現力の凄さを視た。同じ版木から同じ構図の絵でありながら全く別の絵が作られることも知った。
吉田博は黒田清輝らの主流はから外れたところにあったから、日本ではあまり知られていなかったらしい。それがアメリカで先によく知られるようになった。
特に、水彩画は日本で知られた名だたる水彩画家の作品を凌駕している。そのことを日本人が知らなかったのだ。


水彩画を嗜むNさんが感激したのもよく分かった。
Nさんは郡山に飛んで行きたい気持ちに堪りかねて、せめて図鑑だけでもと考え、郡山市立美術館から図鑑を買い求めてたという。230点もの展示作品を収めた吉田博回顧展の図鑑に、彼は大満足だと言っている。
生誕140年吉田博展は千葉と郡山だけで終わるのは残念。
Nさんじゃないけど、当地に来れば絶対観に行くだろうものを。

(貼り付けた絵はネット閲覧画面をコピーしたもの)

2016年7月16日土曜日

シナノグルミ


近くのドラッグストアへバナナを買いに行くため、普段あまり通らない道を自転車で通ったら、
銀杏畑の道路脇に青い果実が沢山転がっているのを見つけた。すぐ脇の木を見上げると未だ果実が残っている。葉っぱはクルミっぽいが、仮果(カカ)(果実全体)の表面は梨地模様であり、先端は尖っていなくて丸みがあり、ゴルフボールより大きい。
オニグルミしか知らないから、これがクルミかどうか判断ができなかった。

一つ拾って家に持ち帰って、早速、チェック。
果肉を剥いたら大きなクルミっぽい核果(種の部分)が出てきた。
足で踏みつけたら簡単に半分に割れた。外見は間違いなくクルミだ。
仁(ニン、ジン)(可食部)をほじくり出して食してみたが、未熟だからクルミの食感はない。


カメラをもって現場に引き返した。
写真を撮っていたら、幸いなことに、地主の爺さんが銀杏の手入れに来ていて、ボクに気づいて声を掛けてきた。
「道路に枝がはみ出して覆いかぶさっていたから、枝打ちしたんだ」
「さっきもどこかの女性が通りかかって、落ちているのを貰って行っていいか?と言うもんだから、何するんだと訊いたら、油をとるんだ、と言っていたよ」、
「未だ熟してないから、そりゃダメだろうよ、と言ってやったが、油がそんなに採れるもんかね?」と訊いてきた。
「確かに油の含有量は高いけど、クルミが沢山いる話だね」と応えた。
話によれば、その女性は毎年木曽川遊歩道でオニグルミを拾っているらしいから、
クルミマニアなのだろう。
「ところでこれはなんという名前のクルミですか?」と訊ねたら、
「オレは名前は知らん」ときた。
何十年前に銀杏畑の片隅に植えた1本だけのクルミの木、名前なんて爺さんにはどうでもいいんだろう。

どんな名前か?気になったので、早速、ネットで検索。
我が国の栽培種としては西洋系のペルシャグルミと中国系のテウチグルミの自然交雑種だというシナノグルミが主力らしい。主産地は長野県東御市。
同市の道の駅・雷電くるみの里に、くるみの実物展示がしてあるという写真入りの紹介記事を見つけた。
どうやらシナノグルミに間違いなさそうだ。
あそこにあるあの木はシナノグルミの木。
散歩途中の観測ポイントがまた増えた。
思わぬ発見がボクにとっては大収穫。

2016年7月14日木曜日

津島さん詣り

毎年、7月に入ると津島さん詣りの提灯が届く。
津島さん詣りは自治会の伝統行事の一つである。
津島さんと云えば津島神社のこと。
地域の一角に津島神社の小さな祠がある。
言い伝えによれば、昔、疫病が萬延した時に厄除け、病気平癒を願った村人たちが尾張津島の津島神社から分祀して貰ったものらしい。
この時期になると、近くにある神社(これが氏神さんに相当する)から神主を呼んでご祈祷してもらったあと、名簿順に毎日1人づつ順番に、夕方提灯をぶら下げて祠までお詣りに行くのである。

世話役は自治会の氏子総代が務める。氏子総代も自治会の役員に列し、我々のような他所から入り込んだ人間には役は回ってこない。連綿と続く地元の伝統行事の一つだから、代々地元に住まうひとが務めるようになっている。
こうした宗教行事を自治会が行うのはおかしい、という声が無いわけではないが、何もそこまで目くじら立てる話じゃなし、伝統行事の一つと思えば済む話だ。田舎には色々な伝統が色濃く残っている。

郷に入っては郷に従えのたとえの通り、我が家も粛々とお務めを果たしている。
提灯に灯を入れ、2礼2拍手1礼。
提灯は家に持ち帰り、一晩泊めてから翌朝、お隣さんに順送りする習わし。

400近い世帯数の自治会に提灯が7個位あるだろうか。その数に合わせてグループ分けして同時進行。津島さん詣りが終わるのはお盆近くになる。

2016年7月13日水曜日

車検

車検のために、昨日10時にディーラーにマイカーを持込んだ。
走行距離32,415km。
気になるところはありますか?というから、
エンジンオイルは10ケ月前に交換してから2,300kmくらいしか乗ってないが、
交換するなら交換してくれてもいい、
エレメントは未だ交換時期ではないので交換しなくてもいいと思う、
その他には特に心当たりはない。
と言って、代車を借りて帰宅した。

その3時間後、電話がかかった。
タイヤとバッテリーを交換した方がいい、
その費用を含めると20万4千円ですが、
それでよろしいですか?と。

ボクは内心で失笑した。
やっぱりプロの目は誤魔化せなかった。
タイヤが4本で5万5千円、バッテリーが7千円。
少しバッテリーを安くします、と言うから、
OKと即答した。

17時に受け取りに行った。
支払いは20万円丁度。4千円の値引きサービスが付いた。

11年間乗って、タイヤ交換は初めて。冬場をスタッドレスに履き替えて来たことを考えると、少々早めの交換のような気がするが、この先に乗る年数を数えると早く交換しておくのもいいかもしれない。何しろ、自分のほうが先に逝くことになるだろうから。
バッテリーは今度で4回目だ。直近の2回は3年毎に交換している。走行距離が少ないから長持ちしないのだろう。

車はどんどん進化しているから新しい車に乗りたい気持ちがないわけではないが、未だ十分乗れる車をただ同然で手放す気にはなれない。古い型式の車に平気で乗れるのは年寄りの特権だと考えればいいだけのこと。
斯くして、我が車は1ヶ月後に12年目に突入する。
車検は廃車になるまで2年毎。いつまで受けられるかな?

2016年7月6日水曜日

カタツムリ

国際自然保護連合(IUCN)がスッポンを新たに絶滅危惧種に加えた世界の絶滅危惧種(レッドリスト)の最新版を発表したと今日の新聞が報じた。
スッポンは天然モノが対象で養殖モノはいっぱいいるというから、天然と養殖とでスッポンに違いがあるのか?と不思議に思う。
この他には奄美大島のアマミスミレが絶滅危惧種、ニホンイタチがチョウセンイタチに駆逐されつつあるというので準絶滅危惧種。


今日の散歩で遊歩道の上をゆっくり這うカタツムリを発見!
生きたカタツムリを見たのは何年ぶりだろうか?

最近とんとお目にかからなくなったカタツムリ、ひょっとして減少しているのではないかと疑ったこともあるが、これは単に見逃しているにすぎないとか、あるいはカタツムリのいるような環境が身近にないためととか、ひとえに観察者側の勝手な都合で遭遇する機会が少なくなったにすぎないのだろう。

カタツムリは昨夜降った雨でしっとりと濡れた遊歩道が気持ちが良かったのだろう。
カタツムリを拾い上げてコンクリート柵の上に置いた。
 でんでんむしむし かたつむりおまえのあたまは どこにある
 つのだせやりだせ あたまだせ
しばし待って、這い出したところで はい、パチリ!

2016年7月5日火曜日

炎天下にネジバナを撮る

7月に入った途端に最高気温が連日34℃を記録していて、夕方からクーラーなしでは過ごせなくなった。幸い、今年は5月初めに新しく入れ替えたエアコンが0.5℃刻みで温度コントロールが出来るので、安い機種であっても使い勝手は良い。老い先短いのだから、電気代のことは気にせずに多少の贅沢はさせて貰おう。


ネジバナが天辺まで花が開いたら梅雨明けになるというので、5日前に散歩途中でネジバナを見つけて写真を撮ったが、これは残念ながらボケた。新しいカメラのMF(マニュアルフォーカス)に不慣れのためだった。
暑さのために休んでいた散歩を今日、5日ぶりに再開したので、ネジバナ撮りに再挑戦した。
4日間の間にネジバナもあらかた姿を消して、姿形の良いものが無くなった。
かろうじて見つけた1本はねじれ具合が不完全だった。
この1本は開花がまだ天辺まで至っていない。
しかし、多くのネジバナが姿を消したということを、天辺まで開花し終えたと考えれば、ネジバナは梅雨明け宣言をしたのかな?と思わないでもない。
ネジバナが梅雨明け予想をする訳でもなし、たまたま梅雨明けころまで咲く花だと云うことにすぎないのだろう。

炎天下の芝生の上の撮影に時間を掛けるのは避けたい。
その点、MF撮影が出来、且つ、地面すれすれのアングルで撮れるバリアングルモニターというのはありがたい。短時間で1枚撮って、ハイ終わり。
それでも、暑かった!