柔道男女、水泳女子、スケボー男女で金メダルを獲得する選手が出てくると、
今後の競技に興趣が増そうというもの。
オリンピック開催に反対の人達も、きっと日本選手を応援していることだろう。
オリンピックと言えばボクには唯一の思い出がある。
1964年(昭和39年)10月10日、独身寮の窓から見上げた空に飛行機が描いた5輪のマークの雲を見た。
大会入場券は一枚も入手していなかったから、競技を見られる機会は全く無かった。
ところが、突然、Bさんから電話があって、体操女子の入場券が1枚余ったという。
その日の夜、渋谷のガード下の焼き鳥屋で落ち合って入場券を貰った。
高校の同級生のBさんは地元の高校で体育の先生をしている関係で、
入場券の入手が容易だったらしい。
余り入場券だからタダでくれると言ったから、喜んで受け取った。
その前年か?前年々か?に、白馬岳の大雪渓で生徒を引率して登山中の彼に偶然出会った。
そんなことがあったから、ボクのことをすぐ思いついたようだ。
体操女子の競技見物は印象深い。
チェコのチャスラフスカが最後の演技である平均台で、決まれば総合優勝という直前、
館内に突然歓声が上がった。
ちょうどその時、別の競技場で行われていた女子バレーで大松監督が率いる東洋の魔女と言われた日本女子がソ連チームを破ったのだ。
おそらく、大勢の観客がラジオの実況を聴いていたのだろう。
チャスラフスカはその後無事演技を決めて優勝した。
以上、独身時代の思い出の1ページである。