2011年4月10日日曜日

花見の最適日


今日は朝から風も無く、気温も上がって昼頃には日陰に入らないと暑いくらい。
五条川では花見の好適日が後にも先にもないというので、
今日という日を待ってましたとばかりに、人が繰り出した。
我が家もご多分にもれない部類である。家内と二人で散歩がてらお出かけだ。
五条川の桜は喧騒の区間は短いので、少し歩けば静かに花見も出来るのがよい。

ところどころでグループがバーベキューを楽しんではいるものの、大部分はそぞろ歩きの家族連れであり、木陰に入って弁当を開いている光景も、例年どおり。
満開を過ぎ、風に花びらが舞ってはいるが、落花しきりというには今少し早く、川面の花筏は未熟だった
気がつけば木々も芽吹きはじめて、淡黄緑が目立つようになった。
いよいよシーズン開始である。
学期年度を10月に変更したらという意見も有るようだが、
日本の年度始めは、やはり4月でなくっちゃ!

2011年4月7日木曜日

江南の春近し


花見をかねてあちらこちらと散歩のコースも日替わりである。
昨日は五条川、こちらは8分咲きくらいだった。
今日は木曽川の遊歩道へ。
龍泉寺のエドヒガンは満開を過ぎ、ピンク色があせて白くなってきた。
同じエドヒガンでも木曽川遊歩道脇の1本もの、通称「うすべに桜」が色良いピンクになって満開。

遊歩道沿いに植えられたシダレハナモモも満開。
この赤色は濃すぎて好みではないが、
ボランティアで手入れしている地域のフラワー愛好家グループの力作である。

歩道に落ちたヤブツバキの花を誰かが柵の杭の上に一つずつ置いていった。
誰も振り向かないヤブツバキも、こうして眺めると面白い。
遊び心に誰もが微笑んだであろう。
これでうぐいすの声でも聞けば、杜牧の江南の春の世界の趣だが、
それももうすぐそこまで来ている。

2011年4月6日水曜日

聚楽園大仏の紹介ページ

まさかと思ったけど、やっぱり有った。
聚楽園大仏でググると有る有る、いっぱい有るね。
その中からウィキペディアに続いて2番目にピットしたここが面白い。
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/syurakuen.html
小島独観 という人の「珍寺大道場」というホームページの中で紹介されている。
同名の本がAmazonでも売られているから、どうやらハンパ物ではなさそうだ。

上記URLで開くページの中で、聚楽園大仏の由緒来歴を紹介しているのだが、
軽妙洒脱な語り口のなかに本質がうまく述べられている。
聚楽園の開園当時の賑わいを、子供の頃に両親からよく聞かされたものだが、
この大仏が信仰目的でなく、観光目的でつくられたものだということは間違いない。
ただ、建立した山田才吉という実業家が守口漬の開発者でもあるということまで、
チョット書いて欲しかった。
と言うのも、こちらが今、守口大根の産地に居住しているからという理由に過ぎないのだが。

ともあれ、予想外に面白い紹介ページが見つかったので、ここに記しておく。

2011年4月5日火曜日

小学校同年会


昭和28年に中学校を卒業した同窓生のうち、ごく限られた複数の小学校当時の通学団地域で気のあった連中が毎年親睦会を開いていたことを仄聞していた。だが、声を掛けられたことはなかった。
遠方の者にわざわざ声をかける程のことではないと思われていたのだろう。
ところが、今年になって声が掛かった。
言い出しっぺの中心人物を含め、亡くなる者が年々出てきて、メンバー少なくなって来たためらしい。


今日、その会に出席した。
名簿には27名の名前が見える。出席したのは15名だから出席率は良い。
顔を見て誰が誰やら分からない人が多いのには困った。
すぐ判別出来た顔は4名。
残る10名は誰が誰やら全く分からなかった。
何しろ中学校卒業以来58年ぶりだし、クラスも違ったから印象も薄い。
特に女は姓が違っているから尚更だ。
それでも、さんざん説明をされてやっと思い出した女性が二人、
名乗られて分かった男性が三人。
残る男三人、女二人の5人は全く初見に等しかった。

名簿に名前が載っていない人もいるが、多分、亡くなったのだろう。
今日も二人の名前が挙がっていた。
連れ合いが亡くなった人の名前も聞いた。
これからもこの会は毎年開かれるようだが、いつまで続けられるだろうか?
出来るだけ出席しよう。

帰りは、当時の記憶をたどりながら、58年ぶりに小学生のころの通学地区の細い道をジグザグに抜けて、となり駅まで歩いた。未だ未だ、濃厚に当時の雰囲気を残しているところも多かった。古いものを残したまま町は外へ外へと膨張したのだ。
意外だったのは、子供の頃は随分遠い気がした隣の駅までの距離が、意外に近かったこと。
歩数は予想の7割くらいしかなかったのである。
子どもの足と大人の足の違いを自分ひとりで測ってみせた格好になったようだ。

ふるさとの大仏の顔は桜の花咲く頃が一番美しい。

2011年4月3日日曜日

ソメイヨシノ3分咲き


桜シーズン本命のソメイヨシノが概ね3分咲きになった。

木津用水(尾張北部の農業用水)も通水が始まって滔々と水が流れている。
その岸沿いでは丹羽高校の横のソメイヨシノの並木が平均して2分咲き。
堤防を数百㍍南に歩けば木津用水は五條川と交差する。
ここから五条川沿いに桜並木が岩倉まで延々10㌔メートルくらい続く、桜の名所。
並木の入り口当たりでは平均3分咲き。午後遅い時間だったせいもあるが、すれ違った花見の人は4人家族1組だけだった。
来週の週末には満開になって、落花しきりの花筏が見られることだろう。

帰り道で、兼房の独身寮の庭で満開のソメイヨシノの1本に出会った。
少し強めに吹いた風で散り始めていた。
同じソメイヨシノでも場所によって随分違いがあるようだ。

2011年4月2日土曜日

27年ぶりの納骨


今日、親父の27回忌の法事が実家であった。
集まったのは兄姉4人の他、実家の後嗣である次兄の嫁の兄弟姉妹、子供や孫達やその他などで総勢約25人と、賑やかだった。
見るからに温厚で人の良さそうなお坊さんが、延々とお経を上げ、さらにお説教を長々と垂れたのには閉口した。
それにしてもお坊さんをはじめとして唱和している連中は、息継ぎでお経がとぎれても、息継ぎをしている間に先に進んだお経の箇所に、さっと繋ぐことが出来る。
お経を上げられるというのはこういうことかと、変なところに感心した。

実家の宗旨は創価学会。ボクが社会人になってから、真宗からの宗旨替えしたものだから、菩提寺も替わってしまった。ボクはもともと宗教に無頓着だったのだが、さらに無信仰になった。信仰を押し付ける創価学会は嫌いだ。

次兄が仏壇から親父の遺骨を取り出した。
何故、26年間も納骨されずに残っていたのか?
おふくろの骨も親父の骨も、お墓に納骨したのは見ていたではないか?
何年か前に共同墓地の大改修をしたからその時に無くなったのかも知れないと、
次兄は言った。多分それしかないだろう。
だが、ともかくも親父の遺骨の一部が未だ残っていたのだ。

親父の遺骨は、坊さんの読経のもとに次兄がお墓に収めた。
ところで、納骨は骨壷のまま収めるものだと思っていたが、
壺から出して墓石の下に散骨するのが流儀だと言われて、そうなった。
宗派によって違うのか、それとも最近の流儀なのか?分からない。

没後27年目にして、親父はやっと収まるところに収まったようだ。

2011年4月1日金曜日

龍泉寺の桜


1週間前に開花直前だった龍泉寺のサクラが、今日が見頃になった。
ギックリ腰のあとの慣らし運転がてら見に行って来た。

木曽川河畔の1本もののエドヒガンはやっと開花したところだから、こちらのほうが早い。ひょっとして種類が違うのかも知れない。

ちょうど墓参りに来た老婆に声を掛けたら、
「今朝も一人写真を撮って行ったよ。この木が此処ら当たりでは一番早いからねぇ」と応えてくれた。
巨木で見事な桜の木だけれども、墓地という場所柄、見物する人は稀なようだ。

写真は、墓石が写らないように下の方をカットして巨木の感じを出してみた。