2011年6月17日金曜日

自分の白内障手術予定


家内の実家の葬式騒ぎで自分の白内障のことを書きそびれたので、
遅ればせながら書いておく

家内の白内障が進行して、来年1月に手術予定に決まったことは先に書いた。
いざという時の、夜間の車の運転を家内に任せるわけに行かないので、
自分が運転せざるを得ないのだが、その自分も夜間は心配なほど視力が落ちている。
そういう訳で、慌てて先週はじめに眼科の受診予約を入れた。
そして、やっと診てもらえたのが今週の月曜日のこと。

9時の予約前に眼科医院に着いて、受付が始まる前に番号札を取ったが、
受付担当のミスが有って、1時間以上待たされた。
受付に3回目の苦情を言ったところで、やっと受付のミスだと分かって、すぐ診てもらえた。
好き好んで苦情をいう訳ではない。こちらも嫌な思いをした。
それほどまでに患者で混み合う眼科医院である。
でも、女医先生には罪はない。
テキパキとして歯切れが良い。

メガネで矯正後、左が0.4、右1.0と出た。
1年以上前のデータでは左は0.7だった。
眼底はキレイなことが救いである。

何でもそうだが、使えるものはベストの状態で使いたい。
ましてや残り少なくなった我が人生だ。
そう思うから、即、左目の手術を希望した。
手術の予定日を4月10日と決めてくれた。
今から約10ヶ月後、家内の手術の丁度3ヶ月後である。
それまで、これ以上視力が落ちないことを願いたいものだ。

2011年6月15日水曜日

面白い通夜

義兄の嫁の通夜・告別式を終えた。
義母、義父の葬式と同じ曹洞宗の寺院により執り行なわれた。
総本山を福井の永平寺とする寺院の住職は代替わりして16代目になっていた。
お経は聴く者に分かりやすい。
どうやら、開祖道元禅師の説いた正法眼蔵の一部を抑揚を付けて読んでいるのではないのかな?と素人ながらに思った。

通夜で、読経を終えた住職はやおらマイクをもって参会者に説教を始めた。
戒名とはお釈迦様の弟子としての名前であり、通夜でその戒名を授け、
告別式の当日に弟子として剃髪するカミソリの義があり、弟子としての心得をさとして旅立たせるのである・・・・云々と、
通夜・告別式の意義を滔々と説明をしたのだ。
何が何だか訳の分からないお経を、早く終わってくれないかなぁ~と思って待つよりは、
こうした意義を知っていたほうが、退屈がしのげるでしょう・・・と言わぬばかりであった。
これにはびっくりした。
めったに無いことだがコンサートで奏者が演目を懇切に解説するが如きであった。
先代の住職の説教も長かったが、この住職もまたお説教好きらしい。
通夜を面白いと表現すると顰蹙を買うかも知れないが、こうしたカラッとした雰囲気を醸す演出も、現代風でいいのかも知れない。

2011年6月13日月曜日

延命治療

義兄の嫁さんが亡くなった。死因はリューマチによる多臓器不全。
幾度となく入退院を繰り返したが、なかでも腸に穴が開いて入院手術したときはICU(集中治療室)に約1ヶ月入っていた。
今回、血液の感染症のため約1ヶ月ICUに入ったまま、帰らぬ人となった。

今回、延命治療の現場を、はじめて、目の当たりにした。
気管支に穴をあけて人工呼吸器がつながり、
点滴の薬剤パックが枕元に、それこそ10数個はぶら下がり、
ベッド脇には透析装置が稼働し、患者の顔に生気はなく、感覚・意識は全くない。

これを外せば延命も終わるという透析装置を、家族同意の上で、医師が外した。
臨終はその2時間半後であった。

延命治療をしてもらうかどうかの選択は家族の判断による。
遺言があれば別だが、判断する側も辛かろう。
出来るだけ長く生きていてもらいたいし、
延命治療を受けさせなかったら人でなしと言われるかも知れないと思うと、
延命治療を受けさせるのが自然の流れかもしれない。

しかし、自分の場合は、延命治療はお断りだ。
延命の現場を垣間見て、改めて、その意を強くした。

2011年6月9日木曜日

畳ベッド


昨夜から畳ベッドに寝ることになった。
寝心地はまずまずである。

そもそも畳ベッドにしたのは腰痛対策のため。
ギックリ腰で痛めた腰はほぼ治ったと思うが、
脊椎狭窄症の症状である下半身の倦怠感は依然としてよくならない。
今まで使ってきた簡易ベッドの腰の当たる辺りが、重みで少し下がっているので、
あるいはこれが影響しているかも知れない?と考えた。

隣市の家具問屋まで行って、現物を見て、畳ベッドがどんなものなのか?確認した。
帰りがけに、女将さんが朝取りの野菜を呉れたが、ご好意に応えられなかった。ごめんなさい!

ネット店で探せば、選択に迷うほどいっぱい有る。
その中から、値段(送料込み)と寸法と評価レビューをチェックし、これはと云うものを選んだ。
特に、寸法は、家内のベッドと同じ高さになるものを選ばなければならない。
もし、低いものを選ぶと、寝ている間じゅう家内に見下されている状態になる。
冗談ながらも、これでは亭主の沽券にかかわるという訳だ。

注文の翌日には届いた。
プリセットされた大きなパーツは重くて、腰痛持ちがひとりで2階に上げるのに苦労したが、
組み立ては8本のビスで止めるだけで、至って、簡単。見栄えもよろしい。
期待通りの品質である。

だがしかし、肝心の畳材は予想外にも、インシュレーションボードなる代物。
う?こりゃ何だ?畳なら中身はワラだろうと・・・・思っていたのが大間違い。
断熱性と吸湿性があって、ダニが付かないから、今風の畳材はこれが主流だということが、調べてみて分かった。
同級生が勤めた会社である大手建材メーカーの製品だから、信頼性もある。
今時、ワラの畳なんて古いんだよね!じゃなくって、自分の頭が古かった!
評価レビューの投稿に際して、ワラを使っていないことで評価を少し下げようかと思っていたが、
書かなくてよかった。

2011年6月7日火曜日

美術館の展示ケースの構造

メナード美術館の「吉田善彦・林功 特別企画展を観てきた。
二人は師弟関係にあったせいか、
黄緑を多く使った淡い色調に描いているところは、似通っている。
美術品に疎く、知識もないからとやかくは言えないが、
素人目にも分かりやすく、自分の好みに合っていた。

別の一室には二人の師匠に当たる速水御舟の作品が10数点展示してあった。
ここではたと疑問が生じた。
前面は大きなガラスがはめ殺しになっており、ケースの内側の天井、床、側面にはトビラらしきものや、一部が取り外し出来るところが一切見当たらない。
人はおろか作品の出し入れの箇所が見当たらないのだ。
セキュリティのためには、どうやって開くのか、分からないような構造にしておく必要があるのだろうか?

何度も足を運んだのにこんなことに気がついたのははじめてだ。
今夜は眠れなくなっちゃう!程ではないが、
しばらくはこの謎が頭の片隅に残っていくだろう。

ボランティア経験者のUさん、教えて頂戴!

2011年6月3日金曜日

使えるところまで使う

我が身と同じように、我が家のアチラコチラでガタが来た。
先日、玄関錠を交換してやれやれと思っていたら、
今度は、給湯器の風呂場と台所の2箇所にある液晶コントローラーのうち、
台所の方で電源が入らなくなった。電源さえ入れば、どちらからでも湯量と温度の調節は出来る。

メーカーのコールセンターに相談した。
製造は93年に終了し、アフターサービス部品もその10年後の2003年に終了しているので、不自由をしのげるなら、そのまま使い続けられては如何でしょうか?と来た。
否応もなし。

使えるまで使うしかないのは、ガス給湯器だけではない。
我が家自体がそうだ。
新しい耐震基準前の造りだから、耐震対策をしなければならないし、
いま工事中の下水道が伸びてきたら繋ぎ込まなきゃならない。
我が一代で終える予定の家に、何百万円もの投資は避けたいところだ。

我が身も家も、じっと耐えて使える所まで使うしかない。

2011年6月1日水曜日

「文明の衝突」を読み終えた

以前に触れた、「文明の衝突」を何とか読み終えた。
同書は、アメリカの代表的政治学者の一人であるサミュエル・ハンチントンが1996年に出した本の訳本で、1998年に「文明の衝突」として出版され、当時、衝撃の本と騒がれたことを覚えている。
今では読み手もなく、図書館でも書庫に仕舞い込まれていた。
ボクには難解な内容だから理解出来ない部分も多かったが、いい勉強になった。

世界の戦争や紛争は、東西冷戦が終結した1989年12月を境に、イデオロギーから文明の争いに変わったというのが主旨。
人は自分が属する文明とのアイデンティティに因って考え行動するものだと説く。
だから西欧文明の押し付けは紛争の元になる。
とりわけ西欧の最強国アメリカは非西欧文化圏から手を引くべきだ。
と。
さらに、空想話と断りながらも、東アジアの経済成長とイスラムの人口増加によって中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、「儒教―イスラム・コネクション」を形成して西欧に敵対するだろうとし、日本はやがて中国の覇権に飲み込まれて、アメリカと対戦することになるだろう、と論調を広げるに及んでは、
う~ん、これは衝撃的だ!と思わざるを得なかった。

しかも、つい最近にも、パキスタンに於ける中国の軍港建設、ベトナムの石油探査船への中国警備艇による妨害などのニュースが伝えられている。
スピードこそ違え、内容的には、中国覇権が著者の予想通りに展開しているではないか。
やはり、おそろしい本だ。

ボスニア・ヘルツゴビナの内戦、コソボ自治州における紛争、イスラエルとパレスチナの対立などの問題にも、メガネの曇りを拭った感じがする。
これも、ボクにとっては大きな収穫だった。

この本、内容が内容だけに批判も多くあるようだが、決して古くはなく、現在も、生きている。

なお、著者の論調を以てすれば、ウサマ・ビンラディン殺害のあと、イスラム過激派のテロは一層激しくなると予想される。