2013年6月20日木曜日

ボクの訴えを聞き届けた

近くの百均のセリアの店がクローズしたのを先日発見した。
徒歩や自転車で行ける距離にある百均のひとつがなくなって少し不便になる。
それはさておき、そこで買ったニッケル水素電池を廃棄する時はどうするのか?が気になった。
我が家では単3と単4のマンガン電池やアルカリ乾電池を買うことは殆どない。
使っているのはニッケル水素電池。
既に、20本くらいは使っている。
もともと百均で単3と単4電池を売りだしたのはダイゾーよりもセリアの方が早かったから、セリアのものが多い。
捨てる時は、自治体では回収しないので買った店へ持って行かなければならないが、
近くの店がなくなったら、少し遠くなるが隣市のセリア店に持っていかなければならない。

ここで、思い出したのがコイン電池の回収のこと。
コイン電池とボタン電池とで廃棄先が異なることは先に書いた(2012.11.20)。
コイン電池はどこの自治体でも回収しているようなので、町役場にわざわざ出かけて、
「わが町が回収しないのは何故か?」、と問い糾したことがあった。
その時、対応した担当者はコイン電池とボタン電池の区別も知らなかったし、両方とも回収していないと明言したのだった。
早い話、役場の担当部署の職員にも知識が欠けていたのである。
その後、役場がどうするのか?気になっていたのだが・・・・・。

今年3月に各戸に配られた町の広報保存版に、
コイン電池を町の回収アイテムに入れ、ボタン電池は家電販売店等へ持っていくように、
と記載されているのを発見した。
それを見て、ボクの指摘が行政を動かしたのは間違いないと確信した。
ささやかながらボクからの行政への理解と協力だよと、ほくそ笑んだものだ。

以上は、セリアの閉店からそんなことを思い出し、
忘れないうちに書き留めたまでのこと。

2013年6月17日月曜日

早めの散歩

近頃は寝覚めが早い。
夜明けが早くなったせいもあるし、冬のように布団の暖かさが恋しいということがないせいもあるが、何よりも、自分が年取ったのが最大の理由だろう。
7時間寝れば十分である。
今日は8時前に遊歩道を歩き始めた。
おかしなもので、普段より1時間早いというだけで、
見ているものはいつもと同じだけれども、感じ方が少し違って来たような?

木立の間から望む犬山城だけれども、手前の中洲が緑に染まっているのに気付いた。
雑草が育ったらしい。渇水が続いた証拠である。
取水制限が10%から15%に引き上げられたのは2日前のこと。
明日からの雨に期待しよう。中洲が冠水すれば雑草は消えるだろう。
岸辺の葦が随分伸びた。
例年、今の時期にこれだけ伸びていただろうか?今年は刈る時期が遅いようだ。
経費節減なのか?あるいは刈るつもりがないのか?
そう言いえばこれはヨシなのか?アシなのか?
子供の頃、ボクはヨシと呼んでいた。
あとで調べてみたら、関西はヨシ、関東はアシと呼ぶそうだから、
呼び方だけで言えば、ここは関西圏らしい。
縁起を担いで元々の呼び方のアシをヨシと読んだという説もあるようだが、
本当かどうか?標準和名はヨシだそうだ。
それでなければヨシキリがアシキリになってしまうから都合が悪い。
ところで、ウナギは腹開きが関西で、背開きは関東。こちらは関東が縁起を担いだ。
商人の関西、武士の関東、そんなとことに原因があるのかな?
普段余り気に留めていなかったのがこちらの看板↑
レイチェル・カーソンと言えば「沈黙の春」である。
読もう読もうと思いながら見逃してきた、古典とも言える一冊。
早速図書館へ行ってこよう!


2013年6月14日金曜日

高齢者講習会

昨日の午前中は免許証の高齢者講習会。
受講者6人のうち、片目の視力が殆ど無い人や、
「ご同輩、もう免許証を返上したら!」と言いたくなるような人もいたが、
それでも修了証を貰えたのだから、高齢者マークをつけて走っている車の中に、如何に多くの危険運転者がいるか、推して知るべし。
こう書くからにはボクはほぼまともなドライバーとの判定だったということ。
認知機能検査で最高ランク、視力検査で動体視力が年齢相応に低下、運転適性診断で総合判定評価4、運転行動診断でノーミス、であった。
動体視力が衰えているから夜間の運転には特に注意しなければならない。

昨日の暑さは半端じゃなかった。
全国的な暑さで180人以上が熱中症で病院に運ばれた由。
そのうちのひとりが我が家から数百メートルの距離地点の路上で倒れていたことを、
19時のNHKテレビの全国ニュースで知った。
最高気温が32℃の予報を上回って36℃だったから、さもありなん。
家の中でじっとしていても汗がたらたらと流れる始末だった。
図書館へ避難したら、帰りは豪雨と雷の中の帰路となった。

今日も暑い。最高気温33℃で、夕方に雨の予報だが、
南無八大竜王、ダム水源地にも雨降らせたまえ!

2013年6月11日火曜日

自戒


先日、親戚の法事で久しぶりに会ったMさんに、現況報告がてら、
孫の運動会で撮った写真を見せたら、いろいろとコメントをしてくれた。
Mさんは毎週1回以上何処かに撮影に出かける程の写真マニアであり、
写真クラブではお互いの作品をめぐって評価し合うのが常のことらしい。

例えば彼のコメントはこんな具合だ。
またヨチヨチ歩きで10歩も歩けないような孫娘が、お姉ちゃんの運動会応援のテントの下で、
ちょこんと正座している姿が面白くもあり可愛くもあったので、撮った1枚の写真。

これを見たMさんは大幅にトリミングした方がよいと言った。
ボクは内心、そこまでカットしたら誰の足だか、どんな場面だか判らなくなるだろう!と思ったが、
ご意見ごもっともと言って軽く受け流した。

何事であれ、行為には自分の主張が入る。写真も然り。
他人の主張を受け止めた上でのコメントならば聞く価値もあると思うのだが、
それを無視して自分の主張を押し付けるというのは如何なものだろうか?
マニアは得てしてそうなる。

そうは言っても、自分にも思い当たることがないわけではない。
彼にはパソコンメールのマナーについて、それとなくコメントしたことが何回かあったが、
彼のメールは相変わらずマナーに逸脱がある。
彼はこちらを煙たがっているかも知れない?

人の振り見て我が振り直せ!
余分なお節介はほどほどにしよう。
自戒になった。

2013年6月6日木曜日

ザ 蓑虫


昨日散歩中に、地面を動く枯れ草の小さな束を見つけて立ち止まった。
何だろ~?

蟻がたかっているか?と思ったが蟻が見当たらない。
拾い上げてシゲシゲ眺めたら、蓑笠の蓑そっくりではないか!
そうか!ミノムシに違いない。
それにしても見事な蓑である。
掌に乗せて歩いていたら中から頭を出した。
子供の頃、冬の枯木立にぶら下がっているのを採って、外套をハサミで切り開いて、中の幼虫を見たことはあるが、どんな姿だったか記憶に無い。
そこで家まで持ち帰って観察することにした。

白紙の上にしばらく放置しておいたら、やっと動き出した。
でも、半身くらいまでは出てくるが、あとは出てこない。
蓑をつけたまま移動するのだ。
全身を見たくて、ピンセットで摘もうとすると、上手く頭を引っ込めた。

観察は翌日伸ばしと決めて、逃げないようにカップを被せて今朝まで放置した。
そしたらどうだ、奴はここを棲家と諦めたのか、白紙に蓑を固定して閉じこもってしまった。
可哀想だから、庭の木に固定してやった。

折角のチャンスだから、動画に撮った。↓
http://www.youtube.com/watch?v=X1cVDjHKL3s
少々暗いが、証拠にはなるだろう。

2013年6月3日月曜日

木曽川の渡(わたし)と杁(いり)の跡


早々と梅雨入り宣言が出たものの そのあと雨らしい雨が降らない。
20日ぶりに麦畑の方向に足を向けたら、もう麦秋だ。
この調子なら、本格的な梅雨の前に収穫出来るかも知れない。
ところで、木曽川緑地公園で御囲堤の説明板を読んでから、
当時あった木曽川の渡し跡と用水取り入れ口である杁(いり)の跡の場所が気になっていた。
そして、改めてしっかり読んだのが写真の説明板2枚。
1枚は杁の場所を示したもので、小渕杁があった場所に説明板が立っている。

これを見ると、木曽川の流れの変化で場所が移動していることが分かった。
もう一枚は般若用水の説明板で、これは小渕杁の少し下流の位置に当たり、般若用水があったという場所に立っている。

これら御囲堤や杁の説明を読んで、家康以前の木曽川は洪水のたびに流れを変え、堤が出来た後も河床が変化していったことを知った。

現在、江南市と対岸の各務ヶ原市の間に愛岐大橋が架かっている。
調べてみると共用開始が1969年(昭和44年)というから、ボクが転勤で江南市に住み始めた1年前のこと。意外に新しい。
それにもかかわらず交通量が激しいから老朽化が進んでいるそうだ。
そのために新愛岐大橋が小渕に計画され、例によって地域住民が反対運動を続けている。
その建設予定地は、山名の渡しのあった位置である。
そこに江戸時代に建てられた常夜灯が今も残る。

脇にある説明文が写真では読みづらいので、全文をメモった。

扶桑町指定文化財 記念史跡 山名渡(やなわたし)の常夜灯
この付近に中世から近代中頃まで「山名(やな)渡(わたし)」と呼ばれる船の渡し場がありました。
初出の文献は『張州府志(ちょうしゅうふし)』宝暦2年(1752)完成の官撰地誌(かんせんちし)で、「山名(やな)渡(わたし) 自北山名村(じきたやなむら) 航到(こうとう)濃州前渡邑(のうしゅうまえどむら)」と書かれています。
一時、中断された時期がありましたが、いつの間にか復活しました。
その後、木曽川の流路の変化により渡し場の位置が下流に移動し大正末期には「小渕渡(おぶちわたし)」として最後の役目を終えました。
この常夜灯は江戸時代末期、「山名(やな)渡(わたし)」の目印として設置された灯籠(とうろう)です。川渡しや船で川を上下する人はもとより堤防上を往来する人にとってもよい目印になりました。
扶桑町教育委員会 平成16年7月2日指定 
(原文のまま。 但し、ルビは要所のみ転記)

愛岐大橋が架かる江南市草井には、橋がかかる前まで渡し場があったようだが、それは山名の渡し場が下流に移動したものではないかと思っている。

ボクの愛する遊歩道は扶桑緑地公園の一部をなしている。
今回いろいろとググっていたら、こんな↓紹介サイトが見つかった。
http://www.j-igusa.com/
余すところなく上手に紹介されている。
但し、トイレだけは臭いし汚いしで、誠に評判がよろしくないが、写真ではそれが分からない。
町では予算化して改修を計画中だと言っているので、期待している。

それ以外は、ウン!ウン!我が町の公園はなかなかのものじゃないか!

2013年6月1日土曜日

御囲堤の説明板


今まで目にしていて気に留めなかったものが、ふとしたことが切っ掛けになって、
そうだったのか!と改めて認識することは誰しもあるだろう。
そういう場合、自分自身が現場で現物をみながら現実の事象を観察すればより確かな認識になる。品質管理でよく言われる3現主義と言われるのがこれ。

写真の説明板、以前からあそこに何か掲示板が建っているなぁ~、というくらいにしか認識していなかったのだが、昨日、たまたまその前を通りかかったら、「御囲堤」の文字が目に飛び込んできた。
なぁ~んだ!こんなトコロに、こんないい掲示板が有ったんじゃん!という次第である。

片道2㎞の遊歩道のところどころに丸石を積み上げて造られた護岸堤が見られるが、
これらは猿尾(サルオ)堤(川の流れを和らげるために造られた猿の尾の様な形の堤)であろうから、御囲堤のあった位置は説明板が建っている辺になるだろうか?
高さ9.1~14.56㍍、馬踏10.9~18.2㍍、犬走り5.4㍍内外と書いてある。
現場にいてその大きさを想像してみると、随分大きなものだったことがよく分かる。
それをたったの2年間で47㎞に亘って構築したというから、家康という権力者の凄まじさにも驚く。

この辺り、橋のなかった当時、山名(やな)の渡しがあった所。
御囲堤と同時に造られた当時の般若用水への取り入れ口も、この辺りであったはずであるが、
今は痕跡もない。