昨夜は窓を開けたまま寝たら風邪を引きそうな涼しさで、それまでの暑さから少し開放された。
一昨日の東京は最高気温が24℃だったとか、引き続いて昨日も涼しかったようで、
テレビの気象解説コーナーは、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)が関東地方の太平洋側に吹きつけたためであるとし、この風をヤマセと呼ぶと解説していたから、昨夜はそのおこぼれを頂戴したのだろう。
さて、そのヤマセという言葉についてである。
ボクはヤマセという言葉をごく普通名詞のようにテレビで解説していることに違和感を覚えた。
また、ヤマセに漢字の山背を当てていることにも抵抗を感じた。
ボクがヤマセという言葉を聞いたのは昭和60年に盛岡へ赴任した時が初めて。
ヤマセと聞いて、それ何?と訊ねた記憶があるから、その前に昭和41年から5年間福島県郡山に住んでいた時にも聞いたことがなかったことになる。
どんな字を書くの?とも訊いたら、漢字はない、カタカナでヤマセと書くと教えられた。
という訳で、ボクにはヤマセは三陸地方の方言であり、現地の人達は山背という当て字を使わないと信じていたのである。
ヤマセの語源について不審に思い、ネットで調べてこんなものを見つけた。
日本気象学会機関紙「天気」の2003年の記事に気象談話室 「ヤマセ」と宮沢賢治とその周辺
と題されている。
その中から興味のあるところを拾い出してみる。
山背という当て字は「犬が西むきゃ尾は東」と同じような表現であり、屁理屈。
明治39年の文部省の「凶作原因報告書」という官報に盛岡高等農林学校の教授である関豊太郎が「東風(こち)」と言う文字に「ヤマセ」とルビをつけたのが最初である。
昭和7年に没した宮沢賢治は、関教授に学んで一緒に仕事をしたが、ヤマセという言葉を知っていたとしても理解していたとは思われない。
昭和9年10年の2年続きの冷害の報告書に「やませ」の文字を使ったのは青森県だけで、他の東北5県はヤマセという文字を使っていない。昭和10年に国家レベルではヤマセという言葉が通用したらしい。
昭和50年当時弘前大学農学部の学生で下北八戸などの太平洋側の学生はヤマセという言葉を知っていたが、津軽地方の学生は知っていなかった。
昭和55年福島、宮城の農学関係者はヤマセという言葉を聞いたことがないと語った。
等など。
ざっと以上の如く、ボクが「ヤマセ」は三陸地方限定の呼び方に過ぎなかったという解釈は間違いなかったと思う。
方言に類する言葉が共通語として一般名称になるのはよくあることであり、避けられないことでもある。ヤマセの場合も共通語になったほうが理解されやすいかもしれない。
しかし、言葉のオリジナリティーは大事に後世へ伝えて貰いたいと思う。
だから、仮に関東地方が「東風」で冷害になっても、ヤマセのせいだ・・、なんてことは言わないで欲しい。




