明るいニュースが早朝から流れた。
福島原発の汚染水問題がマイナス要因としてクローズアップされていたから心配していたが、
0.3平方キロ㍍範囲に押さえ込んでいるから問題ないと、安倍総理が説明したのが奏功したのかも知れない。
もっとも、福島をさておいて、という物言いに対して、被災地の福島県民から批判の声が上がったようだが、それも致し方ないところだろう。
日本国中が福島県に引きずられて悄気返っているわけにはいかない訳で、
ここはやはり、将来に明るい展望が期待できることを喜ぶべきであろう。
思い起こせば、昭和39年10月10日の東京オリンピック開会式は日曜日で、独身寮の窓から眺めた空に、五輪の飛行機雲が描かれたのを見た。
各種競技がたけなわの頃、入場券を入手するのが難しかったので、実物で競技を見るのを諦めていたのだが、突然、高校の同級生のB君から体操競技の入場券が1枚余っているからタダでくれると言う電話が入った。彼は、地元の高校で体育の先生だったから入場券も上手くゲットしていたようだ。ボクを忘れずにいて、声を掛けてくれたのが嬉しかった。
そのつてで、唯一見たのは代々木体育館での体操女子の競技だった。
チェコのチャスラフスカが総合個人で優勝した演技を見た。
その時、会場が大きくどよめいた。
別の競技場で行われた女子バレーボールで東洋の魔女たちが強敵ソ連を破って優勝を決めたニュースが伝わったのだった。
この年婚約し、翌年、家内と結婚した。オリンピックに合わせて開通した新幹線のお蔭で、名古屋と東京を行き来するのに助かった。
オリンピックは我が夫婦のメモリアルイヤーになっている。
2 件のコメント :
東京オリンピックには良い思い出はないなあ・・・。昭和39~40年はボクの受難の年であった。39年9月会社の定期健診で右肺上葉に小さい影が見つかった。毎日一抹の不安を抱ながら結核?の薬を飲み始めた。たしか2ヶ月毎にレントゲン撮影し経過観察した。翌年2月その影がきゅうに親指の爪ほどに大きくなり、急きょ3月に切除したことはお話ししました。当時互い結婚しても良いかなと考えていた女性にも話し、2月に解消した。お互いどうしようか迷っていたこともあるが・・・・。42年には早くもいまの家内と縁あって結婚した。そのことが良かったかどうか、いまになってはもう遅い。
>忠ちゃん そりゃオリンピックなんて悠長なことを言ってられませんでしたね。でも、肺がんは免れて吉。破談はどちらにも解釈できますね。その後のことは、ここまで来たら良しとしないと自分が収まらなっくなりますよね。そう思いましょう。
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