昨日が家内の誕生日。そのことをコロッと忘れていた。
通院から帰宅して、流し台の横に置いてあった炊飯器の釜の中を覗いたら、
米と一緒に黒い粒が混じっているのに気がついた。
さて何だろう?と、しげしげと眺めてやっと判った。家内がどうやら赤飯を炊くらしい。
そうか、「今日が誕生日だった」とやっと気がついた。
そうと知っていたら、デパートで何か見繕って来るのだったと、悔やんだ。
そして今日、病院の帰りにデパートでケーキを買って来た。
手提げ袋を持って門扉を入るボクの姿を、家内が部屋の中から視ていたらしい。
玄関で出迎えた家内が、「やっぱり」と言った。
どうやら亭主の今日の行動を予想していたフシがあり、予想が当たったということなのだろう。
何事によらず、家内の勘はなかなか鋭い。
今まで何十回となく迎えた誕生日だが、お互いが相手の誕生日を忘れることもしばしばあった。
たとえ気付いていても、特別に何をするというわけでもなく、せいぜい、家内がお手製のちらし寿司を作って、ワインで乾杯するぐらいのことが多かったかな?(家内はアルコールがダメだからほんの一口だけ。あとはボクひとりで飲む)
それが我が家の流儀といえば流儀かも知れない。
結婚以来の長い倹約生活の習慣がそういうスタイルにさせたと言えなくもない。
お互いに元気で歳を重ねただけでめでたしめでたしである。
2 件のコメント :
お互いの思いに少し行き違いがあるにしても夫婦円満、ほのぼのとした思いやりが伝わってきます。よろしいですなあ~。ボクんちの誕生日祝いは、若い時は外出して美味しいものを食べたりしていたが、今は、なあんにもやらない。
でも家内の誕生日は1月28日で現住所1丁目28番地と同じで、忘れることはない。ボクも誕生日が近かづくと、「もう75歳か、もう76歳か・・・あと4年で80歳、とても信じられない」とつぶやき、正月でないが一休和尚の「めでたくもあり、めでたくもなし」とお互い歳をとったことを確かめ合う会話だけで終わってしまいます。
>忠ちゃん 誕生日が番地と同じ数字なら忘れないとしても、お宅は事情があるから何かをやろうとする事自体が難しいでしょうねぇ。お察し致します。
正月を誕生日に置き換えると、一休和尚の言葉は言い得て妙・・・、ですね。
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