師ではない拙者、大晦日の早朝から買い物に走った。
走ったと言っても車でのこと。
急に泊まり予定者が増えて、電気毛布が足りなくなった。
スーパーの目玉で売り出した先着20個限り電気毛布を狙い、
家内と行列の4番手、5番手に並んで無事ゲット。
築33年の我が家は省エネ仕様になっていないから、冬は室内も冷えるのだ。
出した年賀状のうち宛先不明で返って来たのが2枚。
1枚は転居通知があったのもかかわらず、当方の住所録の整理不良で旧住所に出したというミスだから、改めて書き直して投函した。
もう1枚は先方が消えたもの。
70才過ぎまで一緒に働いてくれた人だから、もう80才台後半のはず。
16年前、ガラクタとも思えるような珍奇なものを集めるのが趣味だった。
自宅は収集物で埋まっていたはず。
その人との繋がりが途絶えた。
この1年で、ボクの最大の出来事は肺腺ガンの転移再発だった。
胸腺腫瘍を切除してしまってからそれと判明したものだから、今は、見えるガンは残っていない。
不幸中の幸いといえるだろう。
医師もボクもこの先のことは分からないが、幸いにして元気に越年できることを喜びたい。
こんな拙い日記形式のブログ、それでもを読んでくださった方々がいらっしゃる。
この1年お付き合い頂き有難うございました。良い年をお迎え下さい。
2013年12月31日火曜日
2013年12月22日日曜日
ボクの年賀状
一昨日、年賀状を書き終え、投函した。
書いたと言っては語弊があるか。印刷したと言ったほうが正しい。
ちょっと書き添えた人もあるというだけで、あとは全部印刷だ。
日本郵便の「はがきデザインキット」のお陰で年賀状作りは随分楽になった。
素材が増えたし、集めるのも楽になった。
挿入削除も自由自在に出来るから、デザインするのが楽だった。
テキスト文字の挿入と縮小、拡大やフォントと色の選択も楽ちんだ。
だからと言っていい年賀状が出来たわけではない。
やはりこういうものにはそれなりのセンスが必要であるが、ボクにはそれに欠ける。
宛名印刷には今まで通りフリーソフトを使った。こちらの方に慣れている。
便利な時代になったとつくづく思う。
一時は、年賀状をやめてメールでご挨拶ということを考えたこともあった。
しかし、たとえ印刷であっても、自分で作る年賀状にはそれなりの思いを込めているのであり、
その思いがある限り年賀状づくりを続けようと思い直したものだった。
近年、親しいひと宛には下手な川柳を書いて近況を伝えている。
普段川柳をやらない。年賀状づくりの時だけ適当につくる、即興のもの。
OSは 身の程にせよと 天の声
身が縮む 背(せい)と歩幅に 顕れて
身を切らぬ 政治家 民に無理強いし
XPパソコンの後継選びでは8.1ではなく7を選択したが、それは肺ガンが転移再発したことを踏まえたものだ。
身長は1cm 、歩幅は5%ほど減った。Sサイズがフィットするようになった。老化したのだ。
3句目で憲法違反状態の政治家を皮肉った。
これら読んでボクのボケ具合を推し量って下さい。
それが年賀状に込めたボクの思いだ。
書いたと言っては語弊があるか。印刷したと言ったほうが正しい。
ちょっと書き添えた人もあるというだけで、あとは全部印刷だ。
日本郵便の「はがきデザインキット」のお陰で年賀状作りは随分楽になった。
素材が増えたし、集めるのも楽になった。
挿入削除も自由自在に出来るから、デザインするのが楽だった。
テキスト文字の挿入と縮小、拡大やフォントと色の選択も楽ちんだ。
だからと言っていい年賀状が出来たわけではない。
やはりこういうものにはそれなりのセンスが必要であるが、ボクにはそれに欠ける。
宛名印刷には今まで通りフリーソフトを使った。こちらの方に慣れている。
便利な時代になったとつくづく思う。
一時は、年賀状をやめてメールでご挨拶ということを考えたこともあった。
しかし、たとえ印刷であっても、自分で作る年賀状にはそれなりの思いを込めているのであり、
その思いがある限り年賀状づくりを続けようと思い直したものだった。
近年、親しいひと宛には下手な川柳を書いて近況を伝えている。
普段川柳をやらない。年賀状づくりの時だけ適当につくる、即興のもの。
OSは 身の程にせよと 天の声
身が縮む 背(せい)と歩幅に 顕れて
身を切らぬ 政治家 民に無理強いし
XPパソコンの後継選びでは8.1ではなく7を選択したが、それは肺ガンが転移再発したことを踏まえたものだ。
身長は1cm 、歩幅は5%ほど減った。Sサイズがフィットするようになった。老化したのだ。
3句目で憲法違反状態の政治家を皮肉った。
これら読んでボクのボケ具合を推し量って下さい。
それが年賀状に込めたボクの思いだ。
2013年12月19日木曜日
ラクトフェリンを服用す
ノロウイルス感染性大腸炎が流行っているらしい。
昨日も半田市の小学校で学年閉鎖になったとテレビで報じた。
これで思い出したのがラクトフェリンのこと。
1ヶ月くらい前のことだったか?NHKテレビで、ある先生が大手乳業会社のデータを使って、
ラクトフェリンを服用すると効果がある、と言っていたことを思い出した。
たしか、東京医科大学の松本先生と言ったっけ。
ググッてみたら、産経新聞でこんな記事を見つけた。
先生の名前も間違いない。
自分でも名前をよく覚えていたものだと思うが、ラクトフェリンと聞いて、
しっかり見ていたからだろう。
提灯記事かと思ったがNHK も同じだから、そうでもなさそうだ。
牛乳のラクトフェリンは、ボクの先輩であり恩師であるKさんが世界で初めて発見した鉄と結合した糖タンパク質だ。ボクが入社して5年目のこと。
今では、免疫賦活、抗菌・抗ウイルス、抗ガンなどの作用とそれらのメカニズムなど、いわゆる生体防御に関する多様な作用が次々と見出されているようで、世界中で研究が続けられているらしい。
ボクにはラクトフェリンとの関わりはない。唯一あるとすれば、ボクが現役最後の仕事としてやったのがラクトフェリン入りの宅配製品の製造だった。
本社がもたもたしている間に設備を整え、準備を終わったところで引退した。
今日までいくつかの子会社が整理閉鎖に追い込まれたが、その製品のお陰でその子会社は今も整理されずに生き延びている。
飲み始めてからまだ5ヶ月だが、ボクは毎日これを飲んでいる。
1錠に100mg含む錠剤を毎食後2錠飲む。1日ラクトフェリンを600mg 摂取している計算だ。
毎日、これだけ飲んでいるとノロウイルスに対する抵抗力があるらしいというのがテレビの話の主旨だった。まあ、それはそれで結構なことである。
実は、ボクがラクトフェリンを飲みだしたのには別の理由がある。
ガン患者というのは、がん治療が終わってしまうと、あとは定期的に検診を受けるだけだが、
薬も飲まない、治療もしないというのは、どうも落ち着かないものだ。
だから、医者に見放されたがん患者の多くが、フコイダンとかアガリクスだとか、効くかどうかわからないようなものにて手を出す心境というのも、何となくわかるような気もする。
ボクがラクトフェリンに手を出したのも、そんな気持ちからである。
免疫力を高めガンにも有効らしいのだが、薬でないからそれを言うと薬事法違反ということになる。
最近、動物薬とて認可されたらしいから、そもうちに人間にも薬として認められるかも知れない。
ラクトフェリンは食品か薬か、そんな微妙なシロモノなのだ。
1ヶ月分で6000円超と、値段がが少々高いのが玉にキズ。でも、抗がん剤よりは安い。
服用するのはただの気休めかもしれないけれども、ラクトフェリンが効いてほしい。
それがボクの本音である。
2013年12月16日月曜日
孫の作文
小学1年生の孫の作文が入選しという話を、2ヶ月くらい前に娘から聞いていた。
その時は、「そうか、それはよくやった!」と言って、当の孫を褒めてやったが、
たかだか1学年2クラスという人数のなかから選ばれたうちの一人だから、
大した出来でもかかろう・・・と、じいじは内心たかを括っていた。
その作文が文集に載ったというので、婿殿がPDFにして送ってきた。
「プールで きゅうりをたべたよ」
わたしは、 ばあばの おうちで プールに入ったよ。
いもうとの まいちゃんと 水でっぽうで あそんだよ。
わたしは、 まいちゃんのおなかに やさしく ピシュッと 水をかけたよ。
まいちゃんは 手でパシャパシャ やったよ。なんかいも やったよ。
ちかくの はたけから じいじが、
「きゅうり ほしいか。」
って きいたよ。 わたしは、
「ちょうだい。」
って いったよ。 そしたら じいじが きゅうりを とって きて くれたよ。
じいじの きゅうりは、 まっすぐで こい みどりいろだよ。
ぶつぶつが たくさん あって、 ちくちく したよ。
じいじの きゅうりは、 まっすぐで こい みどりいろだよ。
ぶつぶつが たくさん あって、 ちくちく したよ。
プールの 水の 中で、 ポキッと はんぶんにしたよ。
はんぶんは じいじに あげで、がぶりって かじったよ。 ごはんの ときより
ちょっと おいしかったよ。じいじと いっしょに
「おいしいね。」
って、いったよ。 じいじの かおは、 にこにこで しわしわだったよ。
じいじと ばあば、 ありがとう。 また まいちゃんと あそびにいくからね。
う~ん、こりゃ参りました。上出来だわい!
小学校に入ってまだ、5ヶ月にも満たない段階で、よくぞここまで書けた!
誰かの修正が入ったには違いないと思うが、それにしても、その時の状況を過不足なく捉えている。
こりゃ、次に来た時にご褒美をやらざあなるまいって!
文集は磐周文集「青い空」という。
磐田市、袋井市、森町を磐周地区といい、その地域の子供達の作文を集めたものだそうで、136号とあるからそれなりに権威のあるものなのだろう。
2013年12月12日木曜日
忘年会の幹事を降りる
高校の同じクラスだった仲良し仲間が毎年忘年会を持つようになってから、もう15年以上になる。
今年も二日前に済ませた。
そもそもの始まりはボクともう一人との二人だけの飲み会だったのが、会を重ねるうちに仲間が増えた。
そして11名で固定してから10年以上経った。
幹事はず~っとボクだ。好き好んでやっている訳ではないが、皆から、お前が引き続きやれと言われて、ズルズルとそのまま来た。
ここ数年は、毎年同じレストランを使っているし、連絡するにもメンバーの半数以上はメールで済ませられるから、大して手間ではない。それに、公認のクラス会としての忘年会ではないから、気楽に構えてきたということもある。
だが、その幹事を役を今年限りで降りた。
理由を、肺がんが再発したからこの先が不明だからだ、と言ったら、全員納得してくれた。
仲間内で、ガンに罹ったものはボクのほかに二人いて、どちらも今は元気にしているから、
ガンになったと言っただけではあまり驚かない。
でも、再発という言葉には、さすがに皆が驚いた様子だった。
ガン再発という言葉の重みは皆が理解しているようだ、と思った。
なんたって気心の知れた仲間うちのこと、後任はすんなり決まった。
会が始まれば、いつもの通りよく食べ、よく飲み、そしてよく喋った。
例年どおり、賑やかに、和気あいあいのうちにタイムアップ。
認知症になるような者はいない。
また、来年も同じ顔が揃うだろう。
2013年12月6日金曜日
落ち葉の始末
散歩の途中に通りかかったお寺の境内に、やや満開を過ぎた1本の四季桜を見つけた。
イチョウの黄葉とのコントラストが綺麗だったので、近寄って、カメラを向けていたら、
竹箒を持った建築業らしい姿の老人が近寄って来て、
「これは四季桜で、満開を過ぎたがまだしばらくは見ごろだよ」と、
話しかけてきた。
寺の檀家の誰かが庭掃除をしているのかと思ったが、
話をしている間に、どうやらこの寺の住職らしいと気がついた。
「本堂の裏のイチョウも綺麗だから写真を撮るといいよ」とも言ってくれたので、
裏に回ってイチョウを拝見しながら、写真を撮った。
でも、すでにピークを過ぎ、シャープな彩度が出ないまま終わるようだ。
表に回って、イチョウの落ち葉をはき寄せていた先ほどの住職にお礼を言った。
ついでに、集めた落ち葉の処分方法を訊ねた。
広い境内だから、当然、落ち葉炊きでもするのだろうと思っていたのだが・・・、
離れたところにある畑で燃すという。
田舎のお寺でもこれだ。
落ち葉を炊いて焼き芋を焼くという、昔懐かしいあの光景はもう見られない。
2013年12月2日月曜日
馴染んだキーボードを使い 1つのディスプレーで2台のパソコンを操る
今まで使ってきたeMachineのキーボードは、キーの沈み込みが深いし、タッチ感も良く、その上、インターネットやメールの呼び出しをキーを1回押すだけで呼び出してくれるホットキーなどがついていてとても便利だった。だから、パソコンを更新してもキーボードはそのまま使い続けるつもというのが当初の計画だった。
ところが、最近はパソコン側にキーボードやマウスのPS/2の差込口がなくなっているので、古いPS/2形式で繋ぐキーボードやマウスが使えなくなっている。今は、キーボードもマウスも有線のものはUSB接続が主流のようだ。
さて、困った。
ボクと同じことを考えた人は必ずいるはず。だから対策は必ずある。
そこで探したのがPS/2をUSBに変換してくれるプラグ。
先ずは、近くのHARD-OFF店にに出かけて、ジャンク品を漁った。
見つけたのがマウス用のUSB→PS/2 変換ソケット。が、キーボード用は見つからなかった。
しかし、マウス用をよくよく見ると、USB→PS/2に使えても、PS/2→USBには使えないことが分かった。
そうか!キーボード用のソケットが見つかったとしても、PS/2→USBには使えない!
これでやっと納得。この手も変換ソケットはないようだ。
あとは、ネットで別物を探すだけ。
そして見つけたのが、写真のこれ。
USB to PS/2 変換ケーブル。
Amazon から700円で取り寄せた。
実は、HARD-OFF店へ行ったとき、掘り出し物があった。
キーボード1台、ディスプレー1台のセットで2台のパソコンを操るためのケーブルである。
PS/2のキーボードとマウスを繋いでwin98とwinXPを動かしたときのケーブルが手元に残っているが、
PS/2でしか使えないから目的の用途に適さない。
それで、USB仕様のケーブルを買うつもりでいたのだ。
見つけた品は新品同様であり、価格コムの最安値より安い1575円なり。
差額はたかが200円。金額差より、目の前で見つけたという喜びのほうが大きい。
以上でパーツは揃った。
2台のパソコンは同じワークグループに編成したので、モデム経由でデータのやり取りが自由にできるようになった。
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