2014年1月6日月曜日

初詣


散歩に出た帰りに氏神さまの前を通りかかったのでお詣りしてきた。これがボクの初詣。
ここの神社には神官が住まいしている。
他には町内に神社と名がつくところはいっぱいあるが、神官が住まいしているところはないから、珍しい存在と言える。

子供の頃、それもまだ終戦前のこと、正月には親父に連れられて氏神さまに初詣するのが習慣だったと思うが、
記憶は定かではない。終戦後は氏神さまにお詣りすることはなかった。氏神さままで少し距離があったせいもある。
近所の人もそうだが我が家で初詣といえば熱田神宮に詣でることだった。ここに詣でて初めて初詣の気分になった。
なぜ熱田神宮でなければならないかは知らない。多分、大勢が出かけてお詣りするからご利益も多いだろうと思うからかも知れない。要するに、付和雷同型のお詣りに過ぎないのだと、今では思う。

日本人の心のなかには八百万の神が存在する。
初詣に今年は何処へ行こうか?遷宮が済んだところだからお伊勢さんに行こうか?と言っても誰も不思議には思わない。要するに、自分の気が済むところでお参りすればいいのである。

安倍総理が靖国神社を参拝したことに中韓が猛反発し、アメリカまでが暗に非難している。
その根源は靖国に戦犯が合祀されていることにある。合祀されていなければそうした反発はなかろう。
国民のなかにも近隣諸国と摩擦を起こしてまで国のトップがお詣りすることも無かろう、という意見も多いようだ。
しかし、考えるまでもなく日本人の精神構造では、生前が罪人であっても死をもって償えば、死後は弔われるのである。機関銃で木っ端微塵に打ち砕いてせいせいしたというような野蛮な国とは異質なのだ。
だから、戦犯が合祀されていても霊に祈りを捧げることに抵抗を感じない。ましてや戦勝国側だけで一方的に行われた極東裁判の戦犯たちである。
日本人のこうした精神構造が理解されない限り、この問題は解決しないだろうと思う。
精神構造の変換を強いられることに日本人は耐えられるのだろうか?


初詣を済ませて、そんなことを思いながら帰ってきた。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

地方では氏神様は心のふるさととしてまだ強く根付いていますね。正月だけお参りするという人も多いが゙、ボクもそのクチです。黒川紀章はシンボリックに氏神様を入れ込んで設計した建築もいくつかあります。
安部総理の靖国問題は、激しく賛否両論がありますね。ボクは反対。参拝により失うものが多すぎる。総理がいつも「・・・尊い命を犠牲にされた護英霊に対して哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し・・・・」判で押したようなワンパターンの談話をボクも一緒に口ずさむことができるようになった。

b.nasbee さんのコメント...

>忠ちゃん 安倍の靖国参拝については難しくてボクには賛否を言えません。彼の言う判を押したような言葉は、それ以外に言い様がないのと違いますか?ただ、彼の右傾化には大いなる危機を感じます。