今日は太平洋戦争が終わった日である。
何?そりゃぁ明日でしょう!と言われるかもしれない。
最近読んだ半藤一利著「昭和史」に、そのように書いてある。
読んだら、なるほどそうか!と納得した。
日本は8月14日にポツダム宣言の受諾を通告し、翌15日に玉音放送によって日本の降伏が国民に知らされた。これが日本の終戦記念日である。
ウィキペディアによれば、ポツダム宣言の調印した日の9月2日を終戦記念日とするのはアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアであり、中国は翌日の3日を抗日戦争勝利の日とし、韓国は15日を光復節として日本からの開放記念日にしている。
その今日、中日新聞の1面トップ記事に出たのが「重光 公電122通を発見」の記事。
続いて3面、4面、5面に詳報をデカデカと載せた。
情報の出どころをググって調べてみると、
当時モスクワの大使館の佐藤尚武大使に当てた公電を、
終戦当時モスクワ大使館の書記官で、後に駐米大使を務めた武内龍次が大事に預かり、
戦後の焼却処分を免れて日本に持ち帰ったものを、
姪が引き継いできた、
ということらしい。
このたび、その姪から中日新聞系の東京新聞社に連絡があって、今日の特ダネになったようだ。
今日の特ダネは一般受けするものではない。
読者のほとんどは無関心だろう。
人生の半分以上を昭和で生きた人にとっても、どうでもいいような記事かもしれない。
しかし、ボクは中日新聞を褒めてあげたい。
終戦の日によくぞこの記事をぶつけてきたことを。
公電の内容は、重光が終戦の1年3ヶ月前に、何とか日中戦争を終わらせたいと当時のソ連に仲介役を頼みたいと思っていた、というもの。
後の昭和20年、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まったヤルタ会談で、ソ連が参戦することをアメリカ、イギリスは了承したという密約があったことを、日本は戦後知らされた。
当時既にソ連にはさらさらその気が無かったのである。
その意味で、見つかった公電は日本外交の愚かさを証明するものでもある。
ついでのことだが、「昭和史」を書いた半藤一利も新聞第3面で解説を加えている。
この人の話は分かり易い。