2017年1月29日日曜日

カメラのお勉強

近頃のNさんのブログの写真が赤っぽいのが多くなっているのに気がついた。
NさんによればJPEGでホワイトバランスはオートで撮影しているそうだ。
確か、Nさんのカメラはボクが垂涎のニコンの眼デジのはず。
赤っぽいものばかりでなく、普通の色調の写真も撮れているから、不思議である。

どうしたらこういう現象になるのか?
自分のカメラで検証してみた。
幸か不幸か去年買った自分のカメラは機能が多すぎてまだ使い慣れないから、
勉強するにはいい機会である。
但し、ボクのカメラはキャノンのコンデジに過ぎない。


検証した作例は午後4時頃、西日が差し込む室内のカバンを撮ったもの。
P(プログラム)モードで撮った。
現像はJPEGに設定し、ホワイトバランスはオートに設定した。
左の写真は補正をA(アンバー)側に目一杯、真ん中の写真は補正ゼロ、右側の写真は補正をB(ブルー)側に目一杯に補正した。

ホワイトバランス補正は、ホワイトバランスがオートだけでなくその他の白熱球や蛍光灯、晴天、曇天に設定していても可能だと知った。
また、撮影モードがPのほか、Tvでも、Avでもホワイトバランス補正は可能だと知った。
要するに、撮影モードがAutoではホワイトバランス補正は出来ないが、その他の撮影モードならホワイトバランス補正が思い通りに設定が可能だということである。
いい勉強になった。

2017年1月26日木曜日

同年生の消息

ボクと家内は3才違いの中学校、高校の同窓生である。
先日の日曜日に家内の中学校のクラス会があった。
喜寿の機会を捉えての久しぶりのクラス会だったようだ。
5名、女10名の出席者のなかに卒業以来初めて会う人もいたし、
千葉県から遠路駆けつけた人もいたいたという。
そんな出席者の中に、ボクと同年の兄がいる人もいて、ボクの同年生の消息がもたさられた。

つい最近入院していたという情報に接したE君は、命に別状のない病気だとは聞いていたが、
舌がんだったようだ。
卒業以来一度も会っていない医者の息子だったO君は元気で千葉に住んでいるそうだ。公害企業とは知らずに入社して、その後の公害問題では世間に肩身の狭い思いをしてきたことだろう。ボクも同じような経験者である。
旧飛行場あとに入植して広い農地を開拓してきたI君は、中学時代は同じ体操部に所属していた。その彼はガンに罹ってから引きこもりになっていたが、最期は入浴中に亡くなったそうだ。

情報は思わぬところからもたらされたが、逆に、ボクの情報も家内から漏れていったことだろう。
高齢者のクラス会、それも女同士のおしゃべり会となれば、もう情報漏洩は止められない。

2017年1月22日日曜日

病院通いの1週間


1月16日から1月20日の5日間は毎日が病院通いだった。

1/16(月) 排尿痛が治らず熱も出てきて、腰痛で体を動かすにも不自由になった。
       内科医へ行って、K厚生病院への紹介状を貰った。
1/17(火) 腰痛で身動きも困難な状態のため、家内に付き添われてK病院泌尿器科受診。
       まだあどけなさを残した可愛い女医さんだった。「キンタマは痛みませんか?」
       とストレートな言い方だったのでタマげた。
       膀胱炎は収まったが前立腺炎が残っていると診断された。直ちに抗生剤を静
       注点滴。飲み薬も変更になった。ロキソニンの服用許可をもらったので、
       帰宅後、これを服用。37℃を切るようになり、体が少し楽になった。
            なお、3年半も菌が残っていることはないので、再発ではないと言われた。
1/18(水) 家内に付き添われてK病院泌尿器科へ。
       担当医が替わっていた。3年半前に診てくれた男性医師だった。3年半前のお
       礼を申し述べた。手持ちのロキソニンがなくなったので処方してもらった。2目
       の点滴を受け帰宅した。14時にロキソニンを1錠飲む。排尿痛は軽減し、熱も
       36℃台を維持し、体も動かせる様になった。
1/19(木) 自分で車を運転し家内の付き添い無しでK病院へ。担当は初日と同じ女医先生。
       排尿痛がほとんど消えたことと、熱が36℃台を維持していて、体が楽だと申告
       した。
       3日目の点滴を受けて帰宅した。食後、ロキソニンを1錠飲む。
       夜には排尿に違和感なくなった。腰痛も軽減し、からだのに不自由はなくなっ
       た。
1/20(金) N病院の呼吸器外科受診。前回から4ヶ月過ぎた定期検診。
       採血とCT撮影の後、診断を受けた。
       ガンマーカーのCEAが4.4で正常範囲内(<5)、肝臓、肺に新たな変化を認め
       ず。
       問題箇所の縦隔リンパ節は縮小して確認できなくなった。
       よって、異常なし、次回は4ヶ月後でよろしいとの診断を得た。
       めでたしめでたし。やっと新年を迎えた気分である。

昨日今日は、熱もでず、従って腰痛も出なかった。排尿も正常に戻った。
薬はまだ2日分ある。明日、外来で受診すれば、多分、治療は終わるだろう。
念のため処方された薬をメモしておく。
 点滴 セフトリアキソンナトリウム1g 3回(1回/日)
飲み薬 ダイフェン 7日分  ユリーフ 7日分  エルサメット 7日分

2017年1月15日日曜日

膀胱炎に罹った

5日前に膀胱炎と診断されてから、処方された薬を飲んでいるが、ピークで38.8℃まで上がった熱は37℃を切るようになり、且つ、排尿も比較的スムースに出るようになったものの、依然として、排尿痛が消えない。

3年半前にも膀胱炎に罹ったが、その時と比べると、明らかに治りが遅い。
この差は何故かと思って、古いデータを探してみたら、薬が違っていた。
3年前に大病院の泌尿器科にかかった時はベクトラミン配合剤、今回のかかりつけ医のはレボフロセキシン。
後者は、言ってみれば、膀胱炎など感染症に対する一般薬のクラビットであり、前者は別の感染症薬であるが、使い方がやや難しい薬であるようだ。
当時、泌尿器科医は感染菌をグラム染色をした上で診断を出していたことを思い出したが、
今回の内科医は尿中の白血球が3+だったことと問診だけで診断している。
この辺が専門医となんでも屋の内科医の違いなのだろう。
ついでながら、内科の若先生はCT検査で腫瘍などがないことを確認してくれた。
CT検査までやるの?と一瞬、過剰診療と思わぬでもなかったが、費用が1500円程度で、安心できたのだから、これはこれで良かったと思う。

薬はまだ2日分残っているが、これで治りきらなければどうしようか?
発熱で3日間寝込んで、症状が少し軽減したから昨日今日はベッドから離れたが、その影響が出たのか?今度は腰がぎっくり腰状態になってしまった。
起きている間、長時間椅子に座っているが、これが悪いのか?

そもそもこの病気、男には珍しい病気だと、前回、言われ、また今回も言われた。
我がホースの筒先の締りが悪くなったのだろう。
汚染させないように、風呂での洗い方をもう少し慎重にやろう!

昨日今日の寒波による積雪もあるが、これで5日間外に出ていない。
体力の衰えに拍車がかからなければいいのだが。

2017年1月10日火曜日

松の内過ぎ

やっと3連休が済んで、ジージ、バーバはやれやれ。
娘が孫二人を連れてやって来たのが7日の夜遅く。松の内のうちに何とか滑り込んできた格好だ。2泊して、帰っていったのが昨夜。
3人の面倒を見るのは結構疲れる。
特に家内は軋む体に鞭打っていたのだろう、送り出した途端に、「やっと正月が終わった」と安堵の声。

そう言っても、孫が来れば嬉しい。
小4の姉に年中組の妹が、じゃれ合いながら、笑いが絶えない様を眺めているだけで、
幸せに浸った気分になる。
「仲のいい姉妹だね」と上の孫に言ったら、
「仲はよくない!」と即答が返ってきた。
妹がまとわりついてきて鬱陶しいことも多いようだ。
男の孫には遂に恵まれなかったが、女の子二人で良かったと思う。
それがジージ、バーバと娘の共通認識になっている。

3連休に入る前から、肩首あたりのコリがひどくなり、
孫達がいる間は何とか体を騙し騙し使って来たが、
帰った途端に微熱(37.3℃)も出てきたようだ。
毎年繰り返す症状だから慣れているというものの、
体のだるさは隠せない。
正月過ぎの冷え込みで風邪を引いたかもしれない。
来週金曜日の4ヶ月ぶりのCTとガンマーカー検診までには回復するだろう。

2017年1月2日月曜日

日記のキー打ち初め


今年も穏やかに年が明け、今日が正月2日。
昔流に云えば今日が書き初めだが、筆に代わってキー打ち始めである。
昨日の元旦は、家内と二人だけで雑煮で正月を祝い、年賀状が届くのを待って新聞を広げた。
これと言って大きなニュースはなし。
平和な年になってくれればいいがと思っているところに、早速、親戚筋から家内のいとこの訃報が飛び込んできた。2日が通夜で3日が告別式。家内はどうしようかと迷った。

そうこうしている間に年賀状が届いた。
出していない方からの年賀状が10枚。
直ちに、返信の賀状を印刷し、添え書きを入れて郵便局へ走った。
午前中に完了したから、今年は順調な作業と言える。
今年を最期に年賀状を止めると宣言した方が2名。
5つ年上の元上司と2才年上の同期入社生だった。
よく思い切ったと思う。
しかし、ボクは逆に、自分から年賀状を止めると言わないことにしようという思いのほうが強くなった。年1度の挨拶状だ。生きている証になるではないか。

午後から、氏神さんに初詣した。
元日に詣でたのは久しぶり。
心がけが良かったのか、町長ご夫妻とばったり出会った。
そう云えば、去年の町長選挙で当選したお祝いを申し上げていなかったことに気付いて、
新年と当選とのお祝いを申し上げた。
こうした出会いは珍しいから、今年は良い年になりそうだと申し上げたら、町長も喜んでくれた。
体だけは気をつけてくださいと労りの言葉を貰った。
町長とは同じ町内会だから懇意にしている。
人柄がよく、勉強家で真面目な方で、通称プロパン屋で通じる燃料屋さんである。

明けて、今日は息子夫婦がやって来て、やっと正月の顔が揃った。
家内が昼食に用意したちらし寿司を、美味い、美味いといって食い、
終わって、早速、犬山の針綱さんへ初詣に出かけていった。
今夜は温かいカニ料理が待っている。
酒は、息子が年賀に持参した獺祭である。
家内に面倒を出来るだけ掛けないようにとの思いやりがチラホラ見え、
明日の朝には帰る。
たった2日だけの正月、年寄りにはありがたい。