昨夜はいつものところでビュッフェスタイルのディナーの忘年会。
集まったのは高校の同年卒の22名。うち女性9名。
80才、81才の会にわざわざ土曜日の夜を選ばなくてもいいものを!と非難が出たのは当然のこと。幹事のT.S.君は、土曜日だと気づかずに、日にちで決めた、と言って弁解した。彼のいい加減さは相変わらずである。
そもそもが、同じクラスだけの限られた仲良し数名で、ボクが幹事になって始めた忘年会だが、ボクから彼に幹事のバトンタッチをした途端に、別のクラスの者にまで声を掛け、更には商業科、家庭科を含めた6クラス全部まで広げた結果が、昨夜の出席人数ということになる。
傍から見れば彼独特の独断と偏見なのだが、本人にまったく悪意がなく、むしろ善行していると思っているから、憎めない。女性が加わったことで華やいだ雰囲気になったのを喜ぶ者が多いかも知れない。しかし、常連だったI.K.君が今年も欠席したのは、多分、忘年会のこうした変質に嫌気が指したのだろう。
耳が遠くなった連中22名が集まったのだから、おしゃべりの騒音は大変なものだ。
他のお客さんにはご迷惑だったと思う。
席が広がったために、却って話が遠くなった。
同じテーブルの人とは話が出来るが、テーブルが違うと、もう話しが出来ない。
だから懇親会というよりも、顔合わせの会、という性格になってしまった。
そんな喧騒のなかでも、幸い、中学校時代から我々がマドンナと密かに思っていたY.Y.さんが同じテーブルについたので、話をする機会が出来た。
彼女と話をしたのは生まれてはじめてのこと。
彼女は伊勢湾台風では濁流に流されながら九死に一生を得たこと。
同じ地区で70名ものひとが亡くなり、その慰霊碑を彼女の父が自治会長の時に建立したこと。
その碑は現地、八幡社前の公民館の前庭にある。
碑に刻まれた名前の中に、中学校の同級生だったI.K.さんの両親もあるそうだ。
数年前、I.K.さんが突然亡くなったと仄聞していたが、そのことも彼女に訊いた。
どうやら肺がんだったようだ。
こんな収穫もあった今年の忘年会。
結局、来年も、面倒見の良い幹事のT.S.君にお任せだ。
元気で出席できるように祈ろう。
2 件のコメント :
高校時代の同窓会が22名も集まるとはすらしいですね。貴兄も仲良し会の繋がりで毎年必ず出席の様子、義理堅いですね。
ボクの高校時代のクラス会は、とうの昔になくなった。その後学年全体に広げた同窓会が続いていたが、連絡が来てもいつも欠席していた。そうした連中がほとんどらしく数年前、同窓会の開催連絡が必要か、必要でないか返信せよとハガキがきたので、必要ないと返事した。それ以降同窓会のがどうなったか知らない。
ひそかに憧れた女性と再会したとのこと。昔の面影はありましたか? 以前カキコしたがボクも小6のとき憧れた女性がいた。ただ一人だけ交流のある小学生時代の男にその女性の消息を依頼してあるが、まだ分からないという。分かれば会いたいと思っているが、お互いの変わりようにガックリするのも恐ろしい。
>忠ちゃん 我々の忘年会は幹事の好みでメンバーを選ぶ訳ですから幹事次第で長続きするわけですよ。かしこまったものならこんなに長くは続かなかったでしょう。
我々のマドンナは今でも他の女性とはかけ離れてキレイですよ。見かけは60歳前と言われても不思議ではありません。
初恋の女性というものは永遠に憧れ続けるのは誰しも同じようですね。生きているなら会える可能性はあるわけだから希望を持ち続けましょう。(笑)
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