2019年8月29日木曜日

冷房代の検証

電気とガスをまとめて中電に契約してから、ネットでレポートが見られるようになり、
8月分から初めてガス料金も掲示されだした。
但し、ガスの今月分の検針が昨日終わったところだから、先月7分の使用量が表示されている。夏場は風呂は使わず、ほとんど毎日がシャワーだから、ガスの使用量は15㎥で、料金は3385円と、少ない。
問題は電気代の方だ。
検針期間の7/23から8/25の34日間は、ほぼ毎日クーラーをフル回転させたから、電気代がどのくらい嵩んだのか気になっていた。


まずは、棒グラフで見ると、クーラーを使わなかった6月にと比べると、8月分のクーラー電気代はクーラーを使わなかった6月の電気代より3600円ほど多い。
だが、6月と8月では検針期間が違うので、これを修正すると3000円程度になるか?


検針日数の違いに差をなくすために、平均電気量(kwh)で計算すると、
6月が7.8kwh/d 8月が10.2kwh/dだからその差は10.2-7.8=2.4kwh/d 
31日間では 2.4×31=74.4kwh/8月
電気料金単価の300kwh/月以上の単価27.97円を適用すると
74.4×27.97=2080円/8月
再エネ賦課金を加えると2300円になる。


更に、暑かった去年の7月は平均使用量電力が10.8kwh/dだったから、この数値を使うと
(10.8-7.8)×31×27.97=2601円/8月
再エネ賦課金を加えると2873.円と計算できた。


と言う訳で、心置きなくクーラーを1ヶ月使ったときの電気代は、
2500円~3000円程度と考えるのが妥当のようだ。


参考までに書いておけば・・、
この期間に最高気温が30℃を切ってクーラーを使わなかったのは7/27と8/23だけ。
それ以外の日は、食堂兼居間のクーラー12時から23時まで点けてその中に閉じこもり、就寝中は23時から翌朝7時まで寝室のクーラーを点けた。
居間も寝室もクーラーは6畳用であり、居間のはダイキンの2015年製、寝室のはパナの2012年製であり、省エネ仕様が多少違うはず。
どのクーラーも風量と風向は自動に設定。


さて、クーラーの電気代が1日100円のワンコインというのは安いのか高いのか?
ボクはこれくらいのコストは仕方がないと思ったけれども、家内に話したら、渋い顔をされた。我が家の家計では安いといい切れない、ということらしい。

2019年8月26日月曜日

秋の気配

昨日の夕方、涼しい風が吹いた。
その風に誘われて、自宅付近を散歩した。
夕焼け雲に秋の気配を感じた。

犬の散歩をしていたご近所さんと出会った。
暑さに苦手な犬もご機嫌な様子。
笑っているような表情の可愛いさに、カメラを向けたら、
目線を合わせてくれた。
だから犬は好きだ。(猫は嫌い!)

10連休だといって世間が騒いだお盆期間も、我が家は無関係に、
じっと穴籠もりできたのは、息子と娘の家族がそれぞれの都合で、
押し寄せてこなかったお陰。
もうそろそろ穴から出てもいいかな?と思ったら、
今日もまた最高気温が34℃。
明日もまた熱中症のご注意だと。
それでもと思い、夕方、穴から出て2000歩ばかりの散歩。

体をもとの状態に戻さないとね。

2019年8月22日木曜日

我が老いの姿を見るが如くに・・

昨日、義兄が脳梗塞を再発して入院していると知れたので、
今日、病院に見舞った。


義兄とは昨年12月の同級生忘年会で会って以来の再会だった。
病室に入って姿を見た瞬間、ひどく老けた様子に驚いた。
わずかの間にこれほどまで老けるものなのかと。
同級生だから、年齢はボクと同じ。
自分ではわからないけど、傍の人が同じ時間を置いたあとでボクを見たら、
同じように老けたと思うかも知れない。
急な老けは決して他人事ではないのである。


幸いなことに、異常に気づいた時に隣人と一緒だったので、
すぐ救急車を呼んで貰い、病院に搬送できたので、大事には至らなかった。
2週間の入院治療が終わったところで、CT検査で見つかった大腸ポリープ取ってもらったが、その後で出血したので再手術を受けたと云う。
そのために、更に入院が2週間伸びたとのこと。


梗塞の位置は10数年前と同じ左脳だが場所は違うという。
もともと右足に麻痺があったが、更にひどくなった様子は見られなかった。
杖無しでもゆっくりなら歩行できる。
右手で文字も書けるが、少し影響が出ていると本人は云う。
会話は普通にできているが、反応が少し悪くなったように感じた。


一人住まいの自立した生活に戻るのは、明日、入院先を別の病院替えて、
リハビリを続けたあとになると本人は云う。
が、歳が歳だし、後遺症がなくなるわけではないから、
復帰の見通しは明るいとは思えない、とボクは密かに思った。
今度どうなるのか?どうするのか?
難しい問題だが、息子たちに任せるほかはない。

2019年8月20日火曜日

再発なしで5年経過

本日呼吸器内科の定期検査を受けた。
若い主治医のT先生が言う。
胸部から腹部までのCT検査で、新しい異常箇所はない。
縦隔の問題のリンパ節はまだ腫れが残っているが、
ガンならとっくに大きくなっているはず。
手術の影響がまだ残っているための炎症でしょうか?
血液検査でガンマーカーCEAが12.1と、3ヶ月前の8.0から上昇しているものの、
ガンならもっと以前から上昇し、その上昇もこんな程度では済まないはず。
よって、リンパ節の腫れはガンではないということです。
最後の手術から5年を経過し、今はガンがない状態だから、ガン治療に一区切りついたということです。
次回は6ヶ月後でいいでしょう。
今までと同様、CTとガンマーカーの検査を行います。


という訳で一応、5年再発なしというガン治療のゴールに何とか辿り着いた。
だが、リンパ節はまだ腫れているし、CEAもまた少し上昇しているのだから、気分的にはスッキリしない。
単純CTで胸部から腹部にかけて同時に診断するというのは、
信頼性がどの程度のものなのか?ボクが識らないだけに疑問が残る。
だからといって、そこまで突っ込んで訊くのは如何なものかと思い、質問を差し控えた。
異常なしと言われれば有り難く拝聴しておけばそれでいいのだろう。
昨今体調がすこぶる悪いから、自分が疑心暗鬼に陥っているところが多分にある。


振り返れば、
2010年10月6日 左肺上葉切除(原発肺腺癌)
2013年8月1日  胸腺及び左肺中葉の一部切除(転移再発肺腺癌)
2014年8月17日 左下葉S6区域切除(原発肺腺癌)
その後、2回も、縦隔リンパ節に転移再発を疑われて、
もうこれで我が人生も終わりなのかと思ったことか。


ともあれ、一区切りついたと言われたところで、T先生に質問した。
「ボクのように3回も手術をしてゴールできた事例は稀なことではないのでしょうか?」
先生、「いや、稀なことです」「再発の場合は、治療が難しいことが多いですから」
「あなたの場合は、M先生(外科の主治医)の適切な判断で早期手術ができたことが幸いでした」と。


やはりボクがまだ生かされているのはM先生のおかげであった。
T先生に「M先生にお礼を申し上げたいのですがお会いできませんか?」とお願いした。
T先生、「M先生にお伝えしておきましょう。6ヶ月後に返事ができるようにします。」
「ただ、M先生はますます手術が多くなって、外来診察するのも大変なご様子ですよ」と。
ボクがお世話になった時でさえご多忙であったが、それ以上だと聞けば、M先生の体が心配になってくる。倒れられたりしたら大変だ。
ご無事をお祈りしたい。

2019年8月16日金曜日

8月15日は何の日?

ボク等を含め、昭和20年8月15日正午の玉音放送をラジオで聴いた者たちは、8月15日を敗戦記念日とか終戦記念日または終戦の日とかと呼んで、馴染んできた。
ところが、今日の新聞(中日)の1面のトップで、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」の記事を載せていても、何々記念日という類の文言が見当たらなかった。


慌てて調べてみると、ウィキペディアには、小学校中学校の社会科教科書の多くが終戦の日を8月14日か8月15日と書いており、高校の日本史教科書の多くが終戦の日を9月2日と書いていると記されている。
言わずもがな、8月14日はポツダム宣言受諾の日、8月15日は玉音放送のあった日、9月2日は降伏文書に調印した日 である。


即ち、新しい教育を受けた人たちには終戦の日や終戦記念日の定義が曖昧になっているのである。
こうした定義の曖昧さのもとでは、マスコミも終戦の日とか終戦記念日とかとは言いづらいのは尤もなことだ。


そうなら、せめて戦争の一端を多少とも体験した我々古い人間が、
8月15日を終戦記念日と後世に伝えなければならない。
何たって、昭和20年8月15日は空襲がなくなった日なんだから。
理屈じゃなく実感であった。
この日以降、グラマンが飛来しても逃げ隠れせずに済んだのだから。

2019年8月12日月曜日

最高気温チャートを眺めながらお勉強

暑くてまだ穴籠もりしながら最高気温、最低気温のチャートを見ている。
去年もお世話になったチャート、ありがたく参考にさせていただいている。
これによると昨日今日と、最高気温のピークが下がり出した。
大型の台風10号が近づきつつあるから、明日以降ももっと下がるだろう。
台風は怖いが、気温が下がれば体は楽になる。


チャートを眺めていて気がついた。
過去7年間のデータがプロットされている外に、平年値が線で描かれている。
そのお陰で平年との隔たりが解りやすくなっているわけだが・・・
何で統計期間が1981~2010年の30年間なんだ?


答えはこちらにあった。平年値の定義に相当する約束ごとだった。
ついでに、平年値というお言葉は何にでも使われていると思っていたのだが、
どうやら厳密には気象用語らしい。
平年値は西暦年の末尾が1年になるごとに、直近の30年間に変更されることを学んだ。
じゃ、何で30年なんだ?
平年値で検索したらこんな記事が見つかった。

以上、穴籠もり中に勉強した。

2019年8月7日水曜日

また偽痛風か?

一昨夜、夜中の3時に、左膝の痛みで目が覚めた。
就床時には何でもなかったから、熟睡していた3時間ほどる間の変化である。
体温は正常範囲内。
左膝は痛くて曲げられない。少し動かすだけでも痛んだ。
歩行や階段の昇降に難儀した。
偽痛風の発症に違いないと思った。


今年3月に偽痛風を患ったことは以前書いた。
整形外科を受診して偽痛風と診断され、ロキソプロフェン1錠を飲んで治ったのだった。
今回はその経験が生きた。


痛みに何とか耐えながら朝食を済ませたところで、
前回の余りのロキソプロフェンを1錠飲んだ。
痛みは2時間後にが和らぎ、4時間後にほぼ消えた。
8時間後にかすかに関節部こわばりが残る程度になった。
そして、今朝、そのこわばりもなくなった。


偽痛風は関節内にピロリン酸カルシウムが析出して炎症を起こす病気だという。
しかし、ピロリン酸カルシウムが増える原因はわからないから、予防方法はない。
この数年を思い起こせば、偽痛風だったかもしれないと思い当たるケースが4回ほど数えられる。
そして、発症間隔が短くなっているような気がする。
この病気もボクの持病リストに入るのかな?

2019年8月1日木曜日

穴籠り中

最高気温が30℃を越えた7月23日以降、クーラーを効かせた居間に穴籠りして、
今日で10日目。
台風6号がやつて来た7月27日は30℃を切ったが、これは例外。
そのあと猛暑が続き、今日が38℃で明日は39℃、明後日は38℃の予報。


猛暑日は、午後からすべての窓を締め切って外気の侵入を防ぎ、
外気温が室内温度を下回ってから再び開けるように試みている。
安普請の家で、省エネ仕様にできていないから、締め切り効果はよくわからない。


家内のところに友人から暑中見舞ハガキが届いた。
ご丁寧にも落款は松涼健人だと注釈入り。
ご主人が篆刻を趣味にしている御仁だから、「へぇー松涼健人」と称しているのかと
思っていたら、後日、ご本人から「何言ってんの、これ、中国古典由来だよ」と言われ、
笑われたという。


検索してみたら、真夏でも松は深緑を保って、人々の気持ちを涼しく健やかにさせます(司空圖・唐)、と読むのだそうだ。
書道のお手本によく使うらしいが、それ以外はヒットしなかった。
またひとつ勉強になった。