8月18日(月)手術の当日。
家内は前日から病室に泊まり、息子が8時に病室に東京から駆けつけた。
この二人が手術中は指定の待機室に待機し、術後に切除して取り出した肺の一部を見ながら主治医のM先生から説明を受けることになる。
8時50分 スッポンポンの裸になり、手術着だけ羽織って4階の手術室へ。
エレベーターホールは付き添いの看護師や家族でラッシュアワー並みの混雑ぶり。
その中から、患者を取り間違えないように担当看護師が慎重に呼び込み、本人確認し、手術室室へ。
ジャスト9時。 再度、患者に氏名と生年月日を言わせて本人確認。
手術台に上って横になったら、直ちに麻酔のマスクが被せられ、
数秒もしないで意識がストンと無くなった。
あとで家族から聞いた話。
待機中の家族に手渡されていたPHSケータイに手術終了のコールが掛かってきたのが12時25分、次いで、K先生を従えたM先生から家族に説明があったのが12時35分。
手術時間は3時間半だったと計算できた。
取り出した肺の切片を家族は見た。
M先生は、切り開いて結節のある部分を見せながら、外観的に肺腺がんで間違いありませんと告げたそうだ。
実は、入院以来、この時点でもボクはまだ主治医のM先生の顔を見ていなかった。
初めて見たのはICUのベットの上。
麻酔が切れて意識が朦朧とする中で、名前を呼ぶ先生の顔が見えた。
ボクはつかさず「先生、また命を助けて頂き、ありがとうございました。」と。
M先生、「上手くいきましたから、そんなに心配要りませんよ」と。
13時10分 家族の面会が許された。「ありがとう」と言ったと思うが、記憶は定かではない。
息子がこの後東京に帰るといったのは覚えている。
18時30分 家内が再度面会に来て、これから家に帰ると告げた。患者本人がいない病室には家族は泊まれないのだ。
ICUは2つあるという個室の一つのようだ。
顔に酸素マスク、左胸下方に胸腔ドレンホース、陰茎に排尿カテーテル、腕に点滴注射針、背中に鎮痛剤のカテーテルが繋げられている。
痛みは左程とも思わなかったが、意識は半分眠っていて、
1時間毎に体を動かして少し寝返りをさせてくれるが、看護師のなすまま。
テレビモニターで監視されているが、モニターに映しだされているのは隣の患者のようだ。
モニターとは別にテレビが天井からぶらさがっており、見たければどうぞと、看護師がリモコンを手元においてくれたが、とてもとてもそんな気分になれない。
何しろ吐き気が激しく、数回嘔吐して、こらえきれずに吐き気止の薬を貰って服用した。
ICU在室の24時間は眠くても眠れない状態で、何とも辛いものだった。





