終戦になって兵隊がいなくなったあと、池をかいぼりしたので、ボクも泥だらけになって捕まえたことを記憶している。丸々と太った立派な鯉だった。終戦の夏だったか、その次の夏だったか?ボクの小学2年生か3年生の時ことである。
そのヤカン池という名前について、物心ついた頃、池の形がヤカンに似ているからと教えられた。
でも、ヤカンにしては細長いので、ずっと疑問に思っていた。
その疑問がようやく解けた。
名古屋の浅井七左衛門と大高の山口弥七郎が海を干拓して浅山新田を完成させたのが寛保元年(1741年)で、そのとき灌漑用水池もつくられた。
浅井七左衛門という人の屋号は「ヤカン屋」だった。
それ故、池の名前に屋号を冠したのが、池の名前の由来だそうだ。
以上は、東海市史資料編第一巻(国立国会図書館デジタルコレクション=非公開)に記載されているそうだから、多分、間違いないだろう。
同級生だったAさんは浅井七左衛門の末裔である。
ボクは子供の頃からそのことを知っていたが、新田名の浅山と名字の浅井が一致していないことに疑問を持っていた。
先日の昼食会でAさんが同席したので、そのことを確認した。
浅山は浅井と山口の頭文字に間違いなかった。
屋号を聞きそびれたから、来年、また会ったときに訊いてみよう。

伊勢湾台風のあった翌年、ボクはふるさとを離れた。
その後のふるさとの開発は凄まじく、浅山新田の先の海は埋め立てられ、工業地帯に変貌した。
灌漑用水池としてのヤカン池の役割はとっくに終わっているが、公園の景観に重要な存在になっている。
昔の灌漑用の導水路は今も残っているはず。

