2013年12月31日火曜日

大晦日の〆日記

師ではない拙者、大晦日の早朝から買い物に走った。
走ったと言っても車でのこと。
急に泊まり予定者が増えて、電気毛布が足りなくなった。
スーパーの目玉で売り出した先着20個限り電気毛布を狙い、
家内と行列の4番手、5番手に並んで無事ゲット。
築33年の我が家は省エネ仕様になっていないから、冬は室内も冷えるのだ。

出した年賀状のうち宛先不明で返って来たのが2枚。
1枚は転居通知があったのもかかわらず、当方の住所録の整理不良で旧住所に出したというミスだから、改めて書き直して投函した。
もう1枚は先方が消えたもの。
70才過ぎまで一緒に働いてくれた人だから、もう80才台後半のはず。
16年前、ガラクタとも思えるような珍奇なものを集めるのが趣味だった。
自宅は収集物で埋まっていたはず。
その人との繋がりが途絶えた。

この1年で、ボクの最大の出来事は肺腺ガンの転移再発だった。
胸腺腫瘍を切除してしまってからそれと判明したものだから、今は、見えるガンは残っていない。
不幸中の幸いといえるだろう。
医師もボクもこの先のことは分からないが、幸いにして元気に越年できることを喜びたい。

こんな拙い日記形式のブログ、それでもを読んでくださった方々がいらっしゃる。
この1年お付き合い頂き有難うございました。良い年をお迎え下さい。

2013年12月22日日曜日

ボクの年賀状

一昨日、年賀状を書き終え、投函した。
書いたと言っては語弊があるか。印刷したと言ったほうが正しい。
ちょっと書き添えた人もあるというだけで、あとは全部印刷だ。

日本郵便の「はがきデザインキット」のお陰で年賀状作りは随分楽になった。
素材が増えたし、集めるのも楽になった。
挿入削除も自由自在に出来るから、デザインするのが楽だった。
テキスト文字の挿入と縮小、拡大やフォントと色の選択も楽ちんだ。
だからと言っていい年賀状が出来たわけではない。
やはりこういうものにはそれなりのセンスが必要であるが、ボクにはそれに欠ける。
宛名印刷には今まで通りフリーソフトを使った。こちらの方に慣れている。

便利な時代になったとつくづく思う。
一時は、年賀状をやめてメールでご挨拶ということを考えたこともあった。
しかし、たとえ印刷であっても、自分で作る年賀状にはそれなりの思いを込めているのであり、
その思いがある限り年賀状づくりを続けようと思い直したものだった。

近年、親しいひと宛には下手な川柳を書いて近況を伝えている。
普段川柳をやらない。年賀状づくりの時だけ適当につくる、即興のもの。
 OSは 身の程にせよと 天の声
 身が縮む 背(せい)と歩幅に 顕れて
 身を切らぬ 政治家 民に無理強いし
XPパソコンの後継選びでは8.1ではなく7を選択したが、それは肺ガンが転移再発したことを踏まえたものだ。
身長は1cm 、歩幅は5%ほど減った。Sサイズがフィットするようになった。老化したのだ。
3句目で憲法違反状態の政治家を皮肉った。
これら読んでボクのボケ具合を推し量って下さい。
それが年賀状に込めたボクの思いだ。

2013年12月19日木曜日

ラクトフェリンを服用す

ノロウイルス感染性大腸炎が流行っているらしい。
昨日も半田市の小学校で学年閉鎖になったとテレビで報じた。
これで思い出したのがラクトフェリンのこと。
1ヶ月くらい前のことだったか?NHKテレビで、ある先生が大手乳業会社のデータを使って、
ラクトフェリンを服用すると効果がある、と言っていたことを思い出した。
たしか、東京医科大学の松本先生と言ったっけ。
ググッてみたら、産経新聞でこんな記事を見つけた。
先生の名前も間違いない。
自分でも名前をよく覚えていたものだと思うが、ラクトフェリンと聞いて、
しっかり見ていたからだろう。
提灯記事かと思ったがNHK も同じだから、そうでもなさそうだ。

牛乳のラクトフェリンは、ボクの先輩であり恩師であるKさんが世界で初めて発見した鉄と結合した糖タンパク質だ。ボクが入社して5年目のこと。
今では、免疫賦活、抗菌・抗ウイルス、抗ガンなどの作用とそれらのメカニズムなど、いわゆる生体防御に関する多様な作用が次々と見出されているようで、世界中で研究が続けられているらしい。

ボクにはラクトフェリンとの関わりはない。唯一あるとすれば、ボクが現役最後の仕事としてやったのがラクトフェリン入りの宅配製品の製造だった。
本社がもたもたしている間に設備を整え、準備を終わったところで引退した。
今日までいくつかの子会社が整理閉鎖に追い込まれたが、その製品のお陰でその子会社は今も整理されずに生き延びている。

飲み始めてからまだ5ヶ月だが、ボクは毎日これを飲んでいる。
1錠に100mg含む錠剤を毎食後2錠飲む。1日ラクトフェリンを600mg 摂取している計算だ。
毎日、これだけ飲んでいるとノロウイルスに対する抵抗力があるらしいというのがテレビの話の主旨だった。まあ、それはそれで結構なことである。
実は、ボクがラクトフェリンを飲みだしたのには別の理由がある。
ガン患者というのは、がん治療が終わってしまうと、あとは定期的に検診を受けるだけだが、 
薬も飲まない、治療もしないというのは、どうも落ち着かないものだ。
だから、医者に見放されたがん患者の多くが、フコイダンとかアガリクスだとか、効くかどうかわからないようなものにて手を出す心境というのも、何となくわかるような気もする。
ボクがラクトフェリンに手を出したのも、そんな気持ちからである。
免疫力を高めガンにも有効らしいのだが、薬でないからそれを言うと薬事法違反ということになる。
最近、動物薬とて認可されたらしいから、そもうちに人間にも薬として認められるかも知れない。
ラクトフェリンは食品か薬か、そんな微妙なシロモノなのだ。
1ヶ月分で6000円超と、値段がが少々高いのが玉にキズ。でも、抗がん剤よりは安い。

服用するのはただの気休めかもしれないけれども、ラクトフェリンが効いてほしい。


それがボクの本音である。

2013年12月16日月曜日

孫の作文

小学1年生の孫の作文が入選しという話を、2ヶ月くらい前に娘から聞いていた。
その時は、「そうか、それはよくやった!」と言って、当の孫を褒めてやったが、
たかだか1学年2クラスという人数のなかから選ばれたうちの一人だから、
大した出来でもかかろう・・・と、じいじは内心たかを括っていた。
その作文が文集に載ったというので、婿殿がPDFにして送ってきた。


「プールで  きゅうりをたべたよ」  
 わたしは、 ばあばの おうちで プールに入ったよ。
いもうとの まいちゃんと 水でっぽうで あそんだよ。
わたしは、 まいちゃんのおなかに やさしく ピシュッと 水をかけたよ。
まいちゃんは 手でパシャパシャ やったよ。なんかいも やったよ。
 ちかくの はたけから じいじが、
「きゅうり ほしいか。」
って きいたよ。 わたしは、
「ちょうだい。」
って いったよ。 そしたら じいじが きゅうりを とって きて くれたよ。
じいじの きゅうりは、 まっすぐで こい みどりいろだよ。
ぶつぶつが たくさん あって、 ちくちく したよ。
プールの 水の 中で、 ポキッと はんぶんにしたよ。
はんぶんは じいじに あげで、がぶりって かじったよ。 ごはんの ときより 
ちょっと おいしかったよ。じいじと いっしょに
「おいしいね。」
って、いったよ。 じいじの かおは、 にこにこで しわしわだったよ。
 じいじと ばあば、 ありがとう。 また まいちゃんと あそびにいくからね。

う~ん、こりゃ参りました。上出来だわい!
小学校に入ってまだ、5ヶ月にも満たない段階で、よくぞここまで書けた!
誰かの修正が入ったには違いないと思うが、それにしても、その時の状況を過不足なく捉えている。
こりゃ、次に来た時にご褒美をやらざあなるまいって!

文集は磐周文集「青い空」という。
 磐田市、袋井市、森町を磐周地区といい、その地域の子供達の作文を集めたものだそうで、136号とあるからそれなりに権威のあるものなのだろう。


2013年12月12日木曜日

忘年会の幹事を降りる


高校の同じクラスだった仲良し仲間が毎年忘年会を持つようになってから、もう15年以上になる。
今年も二日前に済ませた。
そもそもの始まりはボクともう一人との二人だけの飲み会だったのが、会を重ねるうちに仲間が増えた。
そして11名で固定してから10年以上経った。
幹事はず~っとボクだ。好き好んでやっている訳ではないが、皆から、お前が引き続きやれと言われて、ズルズルとそのまま来た。
ここ数年は、毎年同じレストランを使っているし、連絡するにもメンバーの半数以上はメールで済ませられるから、大して手間ではない。それに、公認のクラス会としての忘年会ではないから、気楽に構えてきたということもある。

だが、その幹事を役を今年限りで降りた。
理由を、肺がんが再発したからこの先が不明だからだ、と言ったら、全員納得してくれた。
仲間内で、ガンに罹ったものはボクのほかに二人いて、どちらも今は元気にしているから、
ガンになったと言っただけではあまり驚かない。
でも、再発という言葉には、さすがに皆が驚いた様子だった。
ガン再発という言葉の重みは皆が理解しているようだ、と思った。
なんたって気心の知れた仲間うちのこと、後任はすんなり決まった。

会が始まれば、いつもの通りよく食べ、よく飲み、そしてよく喋った。
例年どおり、賑やかに、和気あいあいのうちにタイムアップ。
認知症になるような者はいない。

また、来年も同じ顔が揃うだろう。

2013年12月6日金曜日

落ち葉の始末


散歩の途中に通りかかったお寺の境内に、やや満開を過ぎた1本の四季桜を見つけた。
イチョウの黄葉とのコントラストが綺麗だったので、近寄って、カメラを向けていたら、
竹箒を持った建築業らしい姿の老人が近寄って来て、
「これは四季桜で、満開を過ぎたがまだしばらくは見ごろだよ」と、
話しかけてきた。
寺の檀家の誰かが庭掃除をしているのかと思ったが、
話をしている間に、どうやらこの寺の住職らしいと気がついた。
「本堂の裏のイチョウも綺麗だから写真を撮るといいよ」とも言ってくれたので、
裏に回ってイチョウを拝見しながら、写真を撮った。
でも、すでにピークを過ぎ、シャープな彩度が出ないまま終わるようだ。


表に回って、イチョウの落ち葉をはき寄せていた先ほどの住職にお礼を言った。
ついでに、集めた落ち葉の処分方法を訊ねた。
広い境内だから、当然、落ち葉炊きでもするのだろうと思っていたのだが・・・、
離れたところにある畑で燃すという。
田舎のお寺でもこれだ。

落ち葉を炊いて焼き芋を焼くという、昔懐かしいあの光景はもう見られない。

2013年12月2日月曜日

馴染んだキーボードを使い 1つのディスプレーで2台のパソコンを操る


今まで使ってきたeMachineのキーボードは、キーの沈み込みが深いし、タッチ感も良く、その上、インターネットやメールの呼び出しをキーを1回押すだけで呼び出してくれるホットキーなどがついていてとても便利だった。だから、パソコンを更新してもキーボードはそのまま使い続けるつもというのが当初の計画だった。
ところが、最近はパソコン側にキーボードやマウスのPS/2の差込口がなくなっているので、古いPS/2形式で繋ぐキーボードやマウスが使えなくなっている。今は、キーボードもマウスも有線のものはUSB接続が主流のようだ。

さて、困った。
ボクと同じことを考えた人は必ずいるはず。だから対策は必ずある。
そこで探したのがPS/2をUSBに変換してくれるプラグ。
先ずは、近くのHARD-OFF店にに出かけて、ジャンク品を漁った。
見つけたのがマウス用のUSB→PS/2 変換ソケット。が、キーボード用は見つからなかった。
しかし、マウス用をよくよく見ると、USB→PS/2に使えても、PS/2→USBには使えないことが分かった。
そうか!キーボード用のソケットが見つかったとしても、PS/2→USBには使えない!
これでやっと納得。この手も変換ソケットはないようだ。
あとは、ネットで別物を探すだけ。
そして見つけたのが、写真のこれ。
USB to PS/2 変換ケーブル。
mazon から700円で取り寄せた。

実は、HARD-OFF店へ行ったとき、掘り出し物があった。
キーボード1台、ディスプレー1台のセットで2台のパソコンを操るためのケーブルである。
PS/2のキーボードとマウスを繋いでwin98とwinXPを動かしたときのケーブルが手元に残っているが、
PS/2でしか使えないから目的の用途に適さない。
それで、USB仕様のケーブルを買うつもりでいたのだ。
見つけた品は新品同様であり、価格コムの最安値より安い1575円なり。
差額はたかが200円。金額差より、目の前で見つけたという喜びのほうが大きい。


以上でパーツは揃った。

2台のパソコンは同じワークグループに編成したので、モデム経由でデータのやり取りが自由にできるようになった。

2013年11月27日水曜日

旧パソコンから新パソコンへ データの引越し

今まで使ってきた古いパソコンから新しく買ったパソコンへ、データを引越しさせた。
新しいパソコンにバンドルされていた引越しソフトを使ったが、
データの引越しは1時間10分であっけなく終了した。
さすがは専用ソフトだけのことはある。
もっとも、そのままではすぐ使えないデータの引越しもあるが、
微調整で使えるようになるから、大した問題ではない。


引越しの方法は、専用USBケーブルか、LANクロスケーブルで繋ぐか、外部記録媒体を使うか、ネットワークを使うかの4つから選択できるが、専用のケーブルはないし、外部記憶媒体の空きはないので、
結局、ネットワークを使うことにした。
これは、新旧パソコンがインターネットにつながる状態になっていればOKだから、一番簡単な方法。
ただ、問題は新旧2つのデスクトップPCに対してディスプレーがひとつしかないことだが、
これも、必要な都度、ディスプレーケーブルを2つのPCの間で交互に繋ぎ替えることで、クリアできた。

XPのサポート終了が近くなってきて、これからが買い替え需要期。
こうしたソフトのバンドルで客を誘うメーカーも増えているようだ。


新しいWin7では出費を抑えるために、手元にあるOfficeXPプレインストール版のディスクを使うつもりで、
新しいMicrosoft Officeをつけなかった。
実は、OfficeXPプレインストール版はインストール出来ないという話もあって、これが一番の心配だったのだが、いざ、インストールしてみたら、あっさりインストール出来てしまった。
これで引っ越したワードやエクセルのデータは問題なく復元できた。

当然のことながら、PCの動きは快調である。
ネットサーフィンでもストレスなく切り替わる。
画像の動きも良い。180GのSSDを付けたのは大正解だったようだ。

2013年11月23日土曜日

ブルーインパルス事前飛行訓練

今日、午前中は雲ひとつなく風もない晴天に恵まれ、
真っ青な空をキャンバスにしてブルーインパルスが見事に模様を描いた。
航空自衛隊岐阜基地の航空祭でのショウーを明日に控えて、今日が事前飛行訓練。
我が家から直線距離にして6㌔メートルくらいしかないから、よく見えた。
基地の中からでは逆光になるはずだから見物するには我が家方向からのほうがよく見える。
コンデジで撮っても何とか絵になったかな?
今年の話題は、オスプレイを展示すると発表したものの基地周辺の自治体の反対に遭ってあえなくキャンセルされたこと。
フィリピンの台風災害の救援にオスプレイも活躍しているようだし、
如何様なものなのか現物を見てみたいと思い、
ボクも明日は岐阜基地に行ってみようかと思ったくらいだから、
期待したフアンはさぞがっかりしたことだろう。
展示する話が急すぎて、事前に自治体側に何の説明もなかったということだから仕方がないか?
でもネ、オスプレイ以外の機種でも事前説明しろと自治体は言うのだろうか?
ことオスプレイについては政治的、イデオロギー的な材料に使われて、
オスプレイも肩身の狭い思いをしていることだろう。

今年は、有川浩の小説“空飛ぶ広報室”を読んだし、続いてテレビ化された同名のドラマも観た。
図書館の予約では今まで自己最長といえる程に待たされた本である。
ドラマは原作を少しアレンジしてあったが、それはそれで面白かった。
ブルーインパルスは、いつも自空の広報の頂点にある。



2013年11月22日金曜日

今日見た田舎の光景

雑草が多いか稲が多いかと思うほど手入れがされなかった田圃で、自脱型コンバインが収穫していた。
こんなに遅い収穫の、稲の種類は何だろう?
草の実も一緒にして混じるだろうが、そんなものが売りものになるのだろうか?
よくよく見ると田圃の中で爺さんがコンバインの運転手に指示していたから、
収穫を農協に頼んだのだろう。
3方を住宅に囲まれた田圃。
この上に住宅団地が出来るのはそんなに遠いことではないだろう。雑草が多いか稲が多いかと思うほど手入れがされなかった


小さな集落にある掲示板に転入披露の張り紙が4枚貼り付けてあった。
新たに町内会(自治会)に入った世帯のお知らせなのだが、入会金が1万五千円とはチト高い!
我が自治会では5千円だ。
村八分のような扱いをされたくないと思いながらしぶしぶ払ったのだろう。
否、祝儀袋に入れるから、払ったと言っては語弊があるか。喜んでご祝儀を出したのだ。

別の集落で、或るお寺の門前に庫裏を改築した折の寄付金披露の掲示板がある。
ここの檀家である我が家の隣家は?といえば、30万円のご寄付だ。
檀家が減って無住職のお寺が増えるご時世でも、当地ではお寺の修理や改築が目立つ。
田舎の付き合いも結構大変である。

2013年11月18日月曜日

XPパソコンに見切りを付ける

Microsoft社はWinXPとOffice2003のサポートを日本時間の2014年4月8日まで行い、翌9日に終了する。
そのリミットまで6ヶ月を切ったので、PCをそろそろ新しく買い換えることにした。
PCはハードが経年陳腐化するのでの、賞味期限は5年だと言われている。
ボクがWinXP のデスクトップPCを買ったのは2005年2月5日だから、足掛け9年使ってきたことになる。
よくぞここまで使ってきたものだ。
確かに、OSをアップグレードするにはハードが貧弱すぎて、耐えられない。
今も快調に動いていて捨てるにはモッタイナイが、見切り時だろう。

さて、新しいPCの仕様のことである。
ノートは未だVistaが使えているから、更新はデスクトップで決まり。
但し、フルタワーでは大きすぎるのでミニタワー。
今使っているソフトを移行させることと、タッチパネルでなくても差し支えないことから、OSはWin7で決まり。
グラフィックスはインテルチップセットにオンボードされているものだけでもいいかと思ったが、今までのXPでは動画の動きに不満があったので、今回は少し上を狙ってGeForceの1Gを加えたい。
そうすると、バランス的にCPUはcorei7が欲しくなる。
メモリは8G、HDDは1TBあるから、まあ、これでなんとかなるだろうが、
SSDのスピードを体感したくてインテルの180Gを1つ付けることにした。

こうして欲張ったスペックになると金額的に予算を大幅にオーバーする。
低く抑えようとすれば結果的にメーカーが限られる。
そして、候補に上がったのはM社。
国内でアセンブリーしている。
コスパはダントツだがフォローサービスが悪いのと電源パーツが弱いというクチコミが多い。
そこで電源パーツのグレードを少し上げることにし、サービスも安心サービスという1ランク上のものを選んだ。

そして発注した。
数日後に出来上がってくる。

どんなものが届くだろうか?楽しみである。

2013年11月15日金曜日

抗生物質を飲んで便が黒くなった


喉風邪に罹って、クリニックで処方をしてもらった薬を10日前の昼から飲み始めた。
4日後、排便で、便の黒さにびっくりした。
排便は快調であるのに色が悪い。少し灰色掛かった黒色だ。
便の色は毎回チェックしているから、それまでに異常ならすぐ気づく。
原因を考えたが心当たりは抗生物質しかない。

更に2日間薬を飲んで、翌日の6日目に薬が切れた。
黒便はそれから4日間続き、正常な色に戻ったのは5日目の昨日。
これでボクの抗生物質原因説が実証された。
便の黒色は死んだ腸内細菌の色と考えていいのかな?

薬を飲み始めてからここまで10日間かかった。
喉に少し後遺症はあるが、これをもって風邪の快癒宣言である。
処方された抗生物質はフロモックス錠100㎎。
クスリ110番で調べてみても便が黒くなるとは書かれていない。
この程度は副作用とは言わないのだろうけれども、
一言書いておいてくれると、無用な心配をしなくても済むものを、
と爺さんはひとりつぶやく。
この歳までいろいろの抗生物質を何度も体内に入れられたはずなのに、
こういう現象に遭遇したのは始めてのこと。これまで気づかなかっただけかもしれない。


2013年11月10日日曜日

ショールーミング


日経ネットを読んでいたらショールーミングなる言葉が目に入った。
アメリカ発の造語らしく、この1年で日本にも定着したらしい。
ボクの気づきが遅れたようだ。
スマホなどを利用して実店舗の店頭で現物の商品の価格情報などを確認し、
ネット通販で商品を購入する行為をいう・・とある。

なぁ~んだ、そんなことならボクもとっくにやっていらぁ~な!
ただボクはスマホを持っていないから、店頭でバーコードを撮影したりはしないけど。
若者たちは平気でやっているのかな?
さすがに日本では撮影を禁止にしているところもあるようだが、
今日のニュースでは、パルコがこれをOKし、あとでバックマージンを貰うという仕組みを始めた、
と伝えている。

そういえば3日前のニュースでヤマダ電機の9月期決算が赤字だと言っていたのを思い出した。
ヤマダの赤字理由には、中国店舗の閉鎖処理費用が大きいという外に、ショールーミングの影響も大きいようだ。
ならば、他の電器量販店はヤマダ以上にショールーミングの影響が大きかろうと思う。

ショールーミングは大いにやるべし。
消費増税が始まれば、ショールーミング行動は必然的に増えるだろう。

2013年11月6日水曜日

待受画面は孫の顔


先日一緒に飲んだ仲間のひとりが、
この5月に初孫が出来たと言いながらケータイの待受画面を見せた。
どこのジジ、ババもやることは同じだワイ。
世間のジジババのケーテイを覗いたらほとんどの待受け画面は孫の顔だろうか?
そう言うボクもご多分に漏れない。
しかし、写真は孫の成長とともに更新しなければならない。


3連休に来た孫を撮して、最新版の準備が出来た。
いざケータイへ送ったら、家内のケータイが拒否した。
そんなバカな、ボクのケータイにはすんなり送れたのに・・、何故だ!
何度も送り直しても結果は同じ。
しばらくしてやっと気がついた。

そうだ、家内のケータイに迷惑メールが多すぎて、
パソコンメールを拒否するように設定したのはボクだった。

ボクのパソコンメールだけ受信するよう設定しなおして、一件落着。

歳とともにこんなボケたケースが増えてくる。

2013年11月5日火曜日

久し振りに風邪を引いた

一昨日の夕方、鼻の奥が少し痛んだ。
これは風邪が入った!と直ぐ分かった。
案の定、昨日は喉まで痛み出した。
今日は、症状が喉全体に広がったが気管支には未だ。
一旦風邪が入ると10日間くらいは体が愚図つく。これはボクの経験則。
小旅行を計画中だったが慌ててキャンセルした。
お誘いしたNさんには申し訳ない。

先日、放射線科と呼吸器外科の先生から、
肺も放射線を浴びて傷んでいるから肺炎に気をつけろと言われて来たところだ。
年寄りには肺炎が最も怖いということもある。
それらの意識があるから3連休開けの今日、早速かかりつけ医に行ってきた。
薬を3種類とトローチを処方してくれた。
近藤誠著「医者に殺されないための47の心得」には、
3種類以上の薬を出す医者は信頼するな、と書いてあった。
それを思い出して、密かに笑った。例外というのもあるよ。
近藤誠医師は挑発的すぎる。まあ、それが受けて菊池寛賞を貰ったんだろうけど。

今回風邪を拾ってきたのは名古屋駅地下街に間違いない。
何年ぶりかに再会した遠来の親友を迎え、地元の3人を交えて久方ぶりに楽しい酒を飲んだのだが4日前の
地下街の居酒屋。
どうやら田舎者のボクには汚れた地下街の空気は合わなかったようだ。 

2013年10月31日木曜日

仰向けになっても横転とはこれ如何に?


今日の夕方、所用で渋滞の41号線を走った。
やっと抜け道への交差点に来て、見かけたのが写真のこれ。渋滞の原因になった事故車。
赤信号で止まったところでパチリンコ。
この後、ラジオが「横転事故」の渋滞情報を流した。
ん!?仰向けにひっくり返って居ても横転というのか?
確かに、2度横転したから仰向けになった訳で、横転と言っても間違ではない・・・か?
そう言われてみれば、仰向け事故というのは聞いたことがない・・・か?
写真で見れば車体にチェーンが巻いてあるから、これから引き起こすのだろう。
屋根は潰れていないから、大怪我はしていないだろうし、病院が直ぐ近くにある。
物損としてはかなりの金額になるだろうが、プリウスの新車と見たから、保険をかけているだろう。
ぶつかった相手の車を見なかったから、自損事故か?
どうするとそうなる?

そんなことを考えながら、ボクは高齢者マークを付けて安全運転だ。

2013年10月30日水曜日

記念の伐採

記念に植樹というのはよくある話だけれど、記念に伐採したという話は聞かない。
昨日で30回の放射線照射治療が終了したが、時同じくして、庭に植わっていたクロガネモチの伐採を完了したので、我が家の記念になるだろうと、ボクの勝手なコジツケに過ぎない。


元はと云えば、庭のブロックの穴からひとり生えした幼い木。鳥が落としたフンから生えたに違いない。
何の木だろうと植え替え、育つほどにどうやらクロガネモチらしいと思えた。
そのまま大きくなって3~4㍍の高さになっても、花が咲かなければ実も付けない。
さては雌雄別株の雄株らしい。
実をつければフクラモチともコガネモチとも呼ばれて縁起がいいのに、
やはり、我が家はそういう御縁がなかったかと諦めていた。

身辺整理の一環として、この無用の木を伐採することを思いついたのが、放射線治療を開始した頃のこと。
根っこをある程度の深さのところで切って、散々苦労して引っこ抜いたのがつい先日のこと。
枝打ちから初めてから抜き終えるまで20日間ぐらい掛けた。年輪を数えたら21年だった。
生木がこんなに重いものとは知らなかった。
水にやっと浮く程度と言っても言い過ぎではないくらい重かった。

伐ったあとでも合点がいかないのは花も咲かなかったこと。雄株であっても花は咲くというのに。
それが咲かないということは、クロガネモチではないということか、と思ったりした。
散々調べたら、やっとそれらしい説を発見した。
その説によれば、幹の直径が20センチ以上にならないと花が咲かないという。
猫の額の狭い庭に、この木はやはり不釣り合いなのだ。
せっかく育てたものを伐ってしまうことに多少の心の痛みはあったが、
太さ20㌢もの大きさに育ったら、塀を壊すし、お隣さんにもご迷惑をかけただろうと思うことによって、自らを慰めた。


2013年10月26日土曜日

改札トラブル 相手が機械ではねぇ・・

昨日のこと。
地下鉄名古屋駅の改札を出て、数10㍍先の名鉄名古屋の改札に至り、
manacaカードで自動改札を抜けようとしたら、「このカードは使えません」と拒否された。
そんなバカな!
慌ててチャージ機にカードを入れたら、「このカードは使えません」と同じこと。
仕方がないから改札係にカードのチェックをしてもらった。
原因は、ボクは未だ地下鉄の改札を出ていないことになっている、と判った。
じゃあ、どうすればいいんだ!と訊ねると、地下鉄の改札に戻って係員に訊けと言う。

仕方がないから、地下鉄の改札口まで取って返した。
改札係は「ここで降りたことにしていいですか?」と言うから、ボクは勿論OKと応えた。
係員のいとも簡単な応対から推して、こういうケースは珍しく無いようだ。

さて、このトラブルの原因に心当たりはある。
実は、地下鉄の改札口を出るときに、すぐ前を歩いていた女性が左手でカードを自動改札機にタッチして、
マニュアル改札口から出たのだ。
その直ぐ後に、ボクは右手で、女性がカードをタッチさせたと同じ自動改札機に自分のカードをタッチさせ、自動改札口をノートラブルで抜けた。
多分、自動改札機は女性のカードに書き込んで、本人でないボクの通過を感知して処理を終えたのだろう。
だから、ボクのカードタッチは無効だったのだろう。


こういうケースが起ころうることは十分あり得ることであり、
当然、それなりにシステムが組まれているだろうと思っていたけれども、
案外、自動改札機の落とし穴なのかも知れない。
今回は、地下鉄と名鉄の改札口が比較的近かったから助かったけれども、
距離があるようなところだったら大変迷惑なこと。
対策は、改札口では変な動きの客の後ろに付くなということか?

何とかならぬか、自動改札機どの!

2013年10月25日金曜日

ボクは飛んで火に入る夏の虫だー

3日前に住民健診を受けた。
その時の医者の対応を思い出して、今、書いている。

再発肺ガンを切除したとはいえ、ガン患者であることに違いなく、
放射線治療中であり、経過観察の間には定期的に採血してチェックを受ける身とあっても、
住民健診を受ける必要があるのか?・・と、疑問に思いながらも、
どうせ無料だから受けてみるかと思った。

先ずは採血。
採血ではPSA検査を入れてもらうのが恒例になっている。
これを加えると、無料の健診に加え、有料の診察がプラスされる。

次は心電図を録った。
ここで、2週間前の庭木の剪定でかぶれて出来た体中の湿疹が、今も続いているのを看護師に見つかった。
「先生に見てもらいましょうか?」と看護師がいうから、これを拒む訳にも行かず、「お願いします」となった。
これでもう一つ、診察項目の追加である。

最後が先生の診察。
診察を始める前に、先生はカルテをパラパラとめくって、1年前に胃カメラとピロリ菌駆除をしたことを見つけた。
「半年後にもう一度やるべきだったのに、間が開き過ぎた。直ぐ、やりましょう」。
全く予想外な展開にボクはびっくり。これで都合、診察項目が3つになった。
その後、診察に入って先生は、ボクの胸に描かれた放射線治療のための紺色のマークと、胸骨正中切開の跡を見た。
「どうしました」と訊く。
ボクは、3年前のガンが再発し、3ヶ月前に胸腺を切除したことと、胸腺の跡に放射線を当てる治療をしていることを説明した。
だが先生、頷いただけで何のコメントもしない。
胸と背中に聴診器を当て、次いでベッドに仰臥させてお腹を抑えて、異常なし、でお終い。
総合結果は血液検査が出たあとになる。

PSA検査はこちらの希望だからよしとして、湿疹の薬の処方箋と胃カメラ検査を追加させられた格好になった。
応対中の先生はニコニコ愛想がいい。顔で笑って腹の中で算盤をはじいたか?
何だか、ボクは「飛んで火に入る夏の虫」だったようだ。

2013年10月24日木曜日

金木犀が2回咲いた

今年は金木犀が2回咲いた。2回目は今日辺りが満開だろう。
初回は今月初めころだっただろうか?
咲いた花が葉に隠れていて、目だけで見ては殆どわからないほどの花の数だったが、
そこはそれ金木犀だから、匂いで分かった。
今年は残暑が長引いた後だから、今年の開花はずいぶん早いな、
それにしても花数が少ないのはどうした訳か?と訝しんだのだった。
去年、開花が終わって直ぐに強剪定をしたから、そのせいで木が弱ったのだろうか?とも思った。

2回目は例年よりも花付きが良いように思う。そう思うのは初回が花数が少なかったせいか?
金木犀を植えたのは自宅を建てた数年後だったから、もう30年近く、毎年この時期に芳香を振りまいてくれたことになるが、今年のように2回咲いた記憶は無い。
どうしてこうなったのだろうか?と当然のことながら疑問が生じた。

調べてみると、金木犀の2回咲きはそれほど珍しいことではないらしい。3回咲いたという話もある。
何故複数回咲くのか、その原因は定かではないみたい。
金木犀の花芽分化は開花年の6月の頃だから、
その後の夏の気候に影響されやすいのではないか?
という推定説くらいしか無いようである。
となると、今年の異常気象の影響が出たのかも知れない。

ついでのことながら、金木犀の剪定は花が終わって直ぐに行うのがよいという説と、3月~4月かそれとも梅雨入り前に行うのがよいという説の二通りあるが、どちらも花芽分化が始まる前に行うということでは共通している。
そうと知れば、今年の剪定は庭の2本ある木で時期を違えて試してみることにしよう。
来年の今頃には何か面白い発見があるかも知れない。

2013年10月21日月曜日

公共下水道が来る

我が家の地域にもいよいよ下水道が敷設されることになった。
先週の金曜日の夜、町が該当地域の住民を役場に集めて行なった説明会での要点は次の通り。
  道路に埋める枝管は直径15~20㌢、深さ1.5~3 ㍍
  その枝管から各戸の排水管へ繋ぐ取付管は直径10㌢
  取付管設置のために取付位置と排水経路を図に示した申請書を提出せよ(所定用紙)
  個人の所有地内の配管工事はすべて個人の費用と責任で行うこと。工事は町の指定業者に
て貰え。
  受益者負担金は所有土地㎡当たり400円
  下水道使用料は水道料金とほぼ同額
  工事開始は来年4月、供用開始は再来年4月の予定

所有地が接する道路に下水道が通ると強制的に取られるのが受益者負担金。金額は市町村毎に決まる。
これが、我が家では10万円超になる。
更に、下水道が供用できるようになると、今使っている浄化槽を廃止して下水道に繋がなければならない。
その工事費用は自己負担であり、我が家の場合50万円程度を覚悟しなければならない。
以上は法律で定められていることだから拒否で出来ないという訳で、老い先短い高齢者だけの住宅であろうとも容赦なしである。
我が家は我々夫婦の代で終わるから、土地を処分するのはそんなに先のことではない。
従って、下水量当りに換算すると、これらの初期投資は随分高いコストになるのである。
だから、強制的に下水道に繋げというのは随分ひどい話なのだ。

まあしかし、そうは言っても、ものは考えようである。
将来、宅地として売却する場合は、下水道利用可ということが付加価値として土地代金に上乗せ出来るのではないか?
これは取らぬ狸の皮算用である。
そうとでも考えないと、こちらの皮ならぬ腹の虫が収まらない!

写真は、下水道と関係なく、只今、我が家の前の公道で側溝の敷設工事をしているところ。
道路の片側だけだった側溝が両側に付く。これで何10年来の懸案がやっと解消される。


2013年10月15日火曜日

今更FDD(フロッピーディスクドライブ)を購入したものの

昨日、Amazonから注文しておいたFDDが届いた。
新品で中国製、送料込で1150円の品をクロネコが届けてくれた。
こんなに安いものを自宅まで運んでくれるのだから有難いやら、申し訳ないやら。
FDDは日本国内では生産していないから電器量販店にも置いていない。
ネットでは未だ売られているということは、ボクのような、必要とするお客がいるということだろうか?


こんな安物でも機能的には問題なし。
USBに差し込んだらパソコンはちゃんと認識して呉れて、98パソコンのデータも呼び込めた。

今更、何故FDDを買ったか?
古いFD(フロッピーディスク)を捨てる前に中身のデータをチックするためだ。

身辺整理しているといろいろなガラクタが出てくる。
先日はワープロとかビデオデッキとか98パソコンとか、不要になったハードを捨てた。
そして残ったのがソフト類で、早い話、ビデオテープとフロッピーディスク(FD)である。
ビデオテープは、例えば、冬ソナ完全版、昭和天皇崩御、皇太子ご成婚、新シルクロード、映画の阿弥陀堂だより、等々、今更どうでもよい物ばかりだから捨てることに躊躇はない。
カセットテープはもう数年前にCDに焼き直して保存してあるから、いつでも捨てられる。
という訳で、これらは先日の日曜日に資源ごみとして町内会の資源ごみ回収ステーションに持ち込んだ。

問題は、ワープロとか98パソコンに使っていたFD。
98パソコンのデータは量的に少ないが、ワープロのデータは現役時代の約10年間に打ち込んだものだから、かなりのボリュームになる。その中には、宝とは言えないまでも、貴重なデータが残されているかも知れない。
そう思ったら簡単に捨てられなくなった。
そこで必要になったのがFDDである。

さて、FDDは用意したがその先のハードルが高い。
東芝RUPO の文書はMS-DOSテキストに変換しないと読めないのである。
そこで取り敢えず、フリーソフトを見つけてダウンロードはした。
でもその先はボクが未だ足を踏み入れていないMS-DOS の世界である。
ハードルも見えない暗闇の長いトンネル。入ろうか?入らずにおこうか?・・・。


2013年10月9日水曜日

妻の誕生日

昨日が家内の誕生日。そのことをコロッと忘れていた。
通院から帰宅して、流し台の横に置いてあった炊飯器の釜の中を覗いたら、
米と一緒に黒い粒が混じっているのに気がついた。
さて何だろう?と、しげしげと眺めてやっと判った。家内がどうやら赤飯を炊くらしい。
そうか、「今日が誕生日だった」とやっと気がついた。
そうと知っていたら、デパートで何か見繕って来るのだったと、悔やんだ。

そして今日、病院の帰りにデパートでケーキを買って来た。
手提げ袋を持って門扉を入るボクの姿を、家内が部屋の中から視ていたらしい。
玄関で出迎えた家内が、「やっぱり」と言った。
どうやら亭主の今日の行動を予想していたフシがあり、予想が当たったということなのだろう。
何事によらず、家内の勘はなかなか鋭い。

今まで何十回となく迎えた誕生日だが、お互いが相手の誕生日を忘れることもしばしばあった。
たとえ気付いていても、特別に何をするというわけでもなく、せいぜい、家内がお手製のちらし寿司を作って、ワインで乾杯するぐらいのことが多かったかな?(家内はアルコールがダメだからほんの一口だけ。あとはボクひとりで飲む)
それが我が家の流儀といえば流儀かも知れない。
結婚以来の長い倹約生活の習慣がそういうスタイルにさせたと言えなくもない。
お互いに元気で歳を重ねただけでめでたしめでたしである。


2013年10月6日日曜日

ボクの手術記念日

今日10月6日はボクの手術記念日。
最初の肺がん手術は3年前の今日。
5年以上の生存を期待したが、残念ながら3年を待たずに再発ということになってしまった。
ステージⅠで肺がんを手術した人の10~20%が再発するというデータが有るようだが、
どうやら悪い方のくじを引いたようだ。

でも、考えようによっては未だラッキーかも知れない。
転移した先が胸腺で、これは成人にはもう用済みの臓器であり、
ガンと一緒に切除してしまった。
だから、今のところボクの体内には、これと言ってガンと認知されるものは無い。
それがもし、転移しやすいと言われる脳、肝臓、腎臓、骨などだったら、そういうは行かない。
その場合、再発したガンは体内に残ったまま治療しなければならない可能性が高い。
だから、再発ガンは怖いのだ。
その様に考えたら、ボクは不幸中の幸いなのだ。
手術記念日に当たり、そう思うことによって自らを慰める次第である。

  
暑い夏と手術・治療のために随分と遠ざかっていた木曽川に久し振りに出てみた。
川には釣り人が多く出ていた。シラハエ狙いだろうか?
オニグルミ拾いはもう少し先になりそう。
あれはムシクイだろうか?と言いながらカメラを向ける人も。

写真は今日の木曽川でのスナップ。


2013年10月5日土曜日

先生、それならそうと初めに言ってよ!


昨日は手術して2ヶ月後の受診日。
先生、血液検査とレントゲン写真を見ながら、「異常ありませんね。じゃぁ、次回はまた1ヶ月後に同じ検査しましょう」と言って、診察を終わろうとした。
ボクは、あれあれ!?
「再発というのは何処にがんが潜んでいるか分からない状態。だから抗がん剤で予防的にがんをやっつける方法があるけれども、それをやりますか?どうしますか?」と1ヶ月前に宿題を与えたことを先生はすっかり忘れている。

ボクは慌てて、そのことを切り出し、抗がん剤治療を回避したいと返事した。
そしたら先生、「そうですね。それでいいでしょう。抗がん剤が効くかどうか判りませんからね」とあっさり。
「何ぁ~だ!先生は 最初からそう思っていたのか。」である。
「それならそうと初めに言ってよ!」と内心つぶやいた。
そうすればこの1ヶ月間、悩みに悩むことなく済んだのに・・と、恨めしく思った。

抗がん剤治療を回避したいと決断した理由、書いてしまえば簡単なこと。
今現在、検査で見つかるような再発ガンは体内にないのだから、
抗がん剤治療を始めても、効いているのか効いていないのか判定できない。
現在のところ健康状態に問題はないのに、敢えて毒物の抗がん剤を体内に入れることは理不尽である。
今後、新たにがんが発生した場合には放射線治療を第一選択肢とした方がベターなQOLになるだろう。
等々。
1ヶ月間、数冊の本を読み漁り、抗がん剤や放射線治療のことを自分なりに勉強した上での結論である。先生はそんなこと、知る由もない。

「医者は一般的に職業的自己防衛意識から、より深刻な事態を想定して説明することが多い」とは、西尾正道著 「放射線治療医の本音」という本の1フレーズ。
確かにその通りだと思う。それが形となっているのが、少し危険の伴う治療の前に必ずサインさせられる同意書であろう。同意書には想定される危険がすべて網羅されていて、医師はもれなく読み上げた上で、患者にサインを求めるのである。

今日の話もそれに類似したことになるのかな?
こういう治療法もあるよと患者に伝えておかないと、後々問題になっては困る。
だから、可能な治療法をすべて予め開示する。
患者は説明を聞いて納得した上で複数の選択肢から1つを選ぶ。
これが所謂、インフォームドコンセントなのだ。
してみれば、インフォームドコンセントとには、医師側の自己防衛的意味合いも多分に有るようである。

それにしても超多忙な医師には患者とじっくり向き合って、患者が十分理解できるように説明する時間など、とてもとても持ち得ていないと思う。
その結果、多くの患者はボクのような迷える子羊になる。

これもがん治療の難しさなる故かな。

2013年10月2日水曜日

変わったものと変わらないもの

放射線治療のためにボクの日常は大きく変わった。
土日祭日を除き、連日の通院は結構大変だ。
リニアック治療器のベッドにたったの10分間仰臥するだけなのだが、
通院で午後の半日が潰れる。
午前中は午後の通院に備えて待機の形になるから散歩も控えている。
従って、毎日が放射線治療に専念する形になった。
家と病院を往復するだけではブログのネタもない。
散歩も出来ない日常は味気ない。

昨日は、とうとう8%の消費税増税を閣議決定した。
将来の社会保障費を確保するという名目だが、その通りやってくれるなら、
年金生活が多少窮屈なものに変わろうとも、我慢しよう。

今日は伊勢神宮の式年遷宮の遷御の儀が執り行われた。
一般の参拝者は明日の5時から新しい正殿にお参りすることになる。
変わらないのは式年遷宮という伝統。

今日届いたのは元の会社の社内報。
冒頭で、80歳になろうという会長が自分の筋力の衰えに例えて、
会社も筋力をつける努力が必要だと訓示している。
会社の筋力アップを妨げているのが自分の院政であることを知らぬ大馬鹿者である。
馬鹿さ加減は変わっていない。後輩たちが可哀想。

2013年9月21日土曜日

がん患者のがん知らず・・ NHKテレビを見て

がんの再発転移について「がん幹細胞仮説」というのがあることを知った。
教えてくれたのは、9月19日19:30からのNHKクローズアップ現代が放映した「がん根治の時代は来るか~がん幹細胞研究最前線~ 」だった。
ボクはがん幹細胞なる言葉が初耳。
がん患者のがん知らずということになるか?

テレビの解説の要点を自分なりに整理すると・・・・
がん幹細胞ががん細胞を作るが、現在使われている抗がん剤はがん細胞に効いてもがん幹細胞には効きにくいこと。
がん幹細胞はゆっくり増殖し、体の中に散らばってその先々でがん細胞を作る、これが所謂転移再発であること。
がん幹細胞をめぐる研究は世界中で行われているが、臨床的に応用可能になるのは8年、10年先になるだろう。
もし、がん幹細胞をコントロール出来るようになれば、がんは根治可能になるかもしれないこと。
などなど・・・・。

番組の中では「仮説」と言う言葉は使われなかったと思うが、世界中の研究者がこの仮説に挑戦していると聞けば、ボクには間に合わないけれども、次世代の人達には朗報に違いない。

ボクの放射線治療はやっと6回済んだ。未だ残り24回と先が永い。
がんがあった箇所を中心に縦10㌢、横8㌢、深さ5㌢程度をターゲットにして、3方向から合計2グレイの放射線を当てる。装置はリニアアクセレーター(リニアック装置)。
写真はターゲットの位置決めのために体に貼られたシール。

治療期間中シールは貼ったまま。消えないように風呂に入っても、シール部にはタオルを使えない。

2013年9月17日火曜日

ウィルスソフト相手に悪戦苦闘した


昨日は、18号台風が豊橋付近に上陸して東日本を縦断した。
当地は進路の西側に入ったので雨風とも左程でもなかった。
むしろ、吹き戻しの風のほうが強かった。
今日は台風一過の好天に恵まれた。
最高気温は31℃まで上がったものの、空気は乾いて日陰は心地よかった。

3連休に娘が孫を連れて帰省したかったようだが、台風のために潰された。
来る方も来られる方も、来なくてよかった、とお互いに納得した。

孫達の顔を見る代わりに、爺さんは調子の悪いVISTA PCと悪戦苦闘した。
毎度のことながらパソコンの不調は、原因が判れば、なぁ~んだ!そんなことかと言うことになる。

数日前、Antivirus free softのavastのポップアップ宣伝に引掛って、
家内が変なソフトを入れ込んだのが運の尽きだった。
どうしてもavastを上手く再インストール出来ないのだ。
仕方がないので、ついにavastを諦め、今日、AVG free antivirus softに入れ替えた。
ついでに、いつのまにか紛れ込んだMcafee security scan という邪魔者もアンインストールした。

XP machineは更新予定だが、vista machineは未だ使わなければならない。
これでしばらくvistaも何とか調子を取戻してくれるだろう。



2013年9月13日金曜日

パソコンなどを廃棄


ブログにもう少し情緒のある話題でも・・・と思うのだが、どうも即物的な話題になってしまうのは、
元々の生まれと育ちがそうさせるのだろう。そんな反省もしながら・・・。

4日前に郵便受けに無料で廃品回収するというチラシが入った。
OA機器ならコードがついていれば何でもOKとある。
今までにも何回か回収に来たことがあるが、我が家は利用したことがない。
川向うのあちらの県ではリサイクル法違反で業者が摘発されたのは最近のこと。
多少の、疑念を抱きながらも、その業者の所在地とは違うので、このタイミングに乗っかることにした。

ぐるっと部屋を見渡したら、あるあるいっぱいある。
そして昨日、厳選して捨てた。
98パソコン、カセットテープデッキ2台、ステレオコンポ、アナログビデオデッキ、掃除機、
配線類、アナログテレ用ビブースター。

アナログ・レコードプレーヤーとアンプ、ラジオチューナーを残したら、
家内が、「やっぱりこれはお父さんの原点なのね」と言った。
そうかも知れない。レコード盤といっしょに最後まで残るかも知れない。

パソコンは、ハードディスクを廃棄処理の上書きをする時間的余裕がなかったので、
ハードディスクを取り出して、物理的に破壊した。



まだまだ廃棄候補はいっぱいあるが、先ずは一段落。

2013年9月8日日曜日

2020年東京オリンピック決まる

明るいニュースが早朝から流れた。
福島原発の汚染水問題がマイナス要因としてクローズアップされていたから心配していたが、
0.3平方キロ㍍範囲に押さえ込んでいるから問題ないと、安倍総理が説明したのが奏功したのかも知れない。
もっとも、福島をさておいて、という物言いに対して、被災地の福島県民から批判の声が上がったようだが、それも致し方ないところだろう。
日本国中が福島県に引きずられて悄気返っているわけにはいかない訳で、
ここはやはり、将来に明るい展望が期待できることを喜ぶべきであろう。

思い起こせば、昭和39年10月10日の東京オリンピック開会式は日曜日で、独身寮の窓から眺めた空に、五輪の飛行機雲が描かれたのを見た。
各種競技がたけなわの頃、入場券を入手するのが難しかったので、実物で競技を見るのを諦めていたのだが、突然、高校の同級生のB君から体操競技の入場券が1枚余っているからタダでくれると言う電話が入った。彼は、地元の高校で体育の先生だったから入場券も上手くゲットしていたようだ。ボクを忘れずにいて、声を掛けてくれたのが嬉しかった。

そのつてで、唯一見たのは代々木体育館での体操女子の競技だった。
チェコのチャスラフスカが総合個人で優勝した演技を見た。
その時、会場が大きくどよめいた。
別の競技場で行われた女子バレーボールで東洋の魔女たちが強敵ソ連を破って優勝を決めたニュースが伝わったのだった。

この年婚約し、翌年、家内と結婚した。オリンピックに合わせて開通した新幹線のお蔭で、名古屋と東京を行き来するのに助かった。

オリンピックは我が夫婦のメモリアルイヤーになっている。

2013年9月4日水曜日

再発ガン治療方針の提示

8月23日に病理診断結果は肺腺がんの再発という病理診断を受けて、
先生が治療法を考えて呉れた。
それから10日目の昨日、治療法が示された。
選択肢は3つ。この中から患者が選べと言う。
   ① 何もしない
   ② 放射線治療のみ
   ③ 放射線治療+抗ガン剤治療

放射線治療は、切除した胸腺の直ぐ後ろには膜と心臓があって、安全のために周辺部の組織をいっしょに切除するということが出来ないので、その部分に放射線を当てるもの。所謂、局所コントロールだそうだ。
それに対して抗ガン剤治療は、離れた部位の次の再発を予防するもので、初発のガンを切除したあとの予防的抗ガン剤治療より、もっと強い抗ガン治療である。
先生は、今は見えないガンが体の何処に潜んでいるかわからないので怖いですね、と言いながら、暗に抗ガン剤治療を勧めた。
ボクは軽い抗ガン剤治療ならばと思っていたが、本格的抗ガン剤治療と聞いて、
答えを保留した。

来週から、毎日通院して5分間の放射線を浴びる事になる。
放射線治療を行う1ヶ月間に結論を出すことにした。
QOLと人生の終末点を考える、重い課題である。

2013年8月31日土曜日

ちょっと待った 厚労省!

薬が効いて、4日目の朝から排尿痛もなくなり、おしっこもそれなりに出るようになった。
薬の副作用で食欲が落ちたり微熱が出たりしたのは予想外、しかも今日を含めて未だ3日間飲まなきゃならない。

そんなところへ、昨日、嫌なニュースが流れた。
「厚労省は紹介状を持たずに大病院に来る人に、定額負担金(特定療養費)の大幅値上げを求める方針を固めたらしい。実施めどは2016年度から。」と言う。
そんなに先の話ではない。その意図は理解できるし納得もする。
しかし、問題は金額だ。
金額は1万円が有力だというから、おお!そりゃちょっと勘弁してくれと言いたくなる!

先日受診した泌尿器科はK病院。初診料の他に初診時選定療養費(特定療養費)として2100円徴収された。これには後期高齢者保険が効かないからもろに患者負担になった。
厚労省はこれを10,000円に値上げしようと言うのである。その差は7900円。

今回はK病院へ行く前に開業医を探したが、生憎見つからなかった。
だから、そこに行くしか無かったのだ。
大都会ならいざしらず、田舎ならこんなことは当たり前の事情というやつだ。

それがだ、7900円も値上がるんじゃ、直にK病院へ行くなということだよ。
そうなったら、仕方がないから、泌尿器科を診療科目に入れていないかかりつけ(と言っても年1回行く程度)の内科医に紹介状を貰って、大病院に行くということになるのだろうなぁ?
先生、機嫌よく書いてくれるかなぁ?
そこで、オレの見立てで大丈夫だから、紹介状は書かないよ、と先生に言われたら、困るよなぁ・・・。

後期高齢者から高い保険料を徴収した上に、大病院から締め出そうとする厚労省。
後期高齢者いじめも程々にせいや!

2013年8月29日木曜日

男の病気

診察室に入ってまず挨拶。
先生、どうしました?と訊く。
ボク
一昨日、風呂で体を洗った時、尿道に石鹸が入ったようです。痛みを感じましたから。
昨日から尿が出にくくなって、排尿痛があります。
頻尿ですが、全部出きらないからかも知れません。
体が怠いです。
先生、熱はどれくらいありましたか?
ボク
体温は今朝37.3℃でした。平熱は36℃前後ですから少し熱があるようです。
先生、検尿で細菌が見つかっています。ベッドに横になって下さい。
先生、(エコー検査をしながら)前立腺に腫れがあります。膀胱炎、前立腺炎ですね。
    抗菌剤を7日分出しておきます。1週間後、未だ調子が悪ければ来てください。
調子が良ければ来る必要はありません。

それにしても女性ならいざ知らず、男が膀胱炎になるとは・・・。
しかも、前立腺まで感染するとは・・・・。
排尿時に、疼痛を伴い、チョロチョロしか出ないなんて、
この感覚は女性にはわからないだろうなぁ?

昨日の午後から薬をのみ、38.6℃まで上がった熱にうなされはしたが、今朝になったら平熱近くまで下がった。薬が効いている。
排尿時疼痛とチョロチョロおしっこは未だ続いているが、やがて正常に戻るだろう。
1ヶ月前の胸腺腫瘍摘出手術の時、尿管カテーテルを挿入されたが、細菌的に影響はないとしても、物理的な影響を与えたか?と思ったりして。我がホースも老化により弾力性が落ちたかもしれない。


2013年8月27日火曜日

ホームページの誤記

先日来、終戦記念日に因んで日本の歴史を調べていたら、簡明で面白いホームページを見つけた。「歴史年代ゴロ合わせ暗記」というHPである。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/index.html
その中で日露戦争に関する記述の中に誤記を1つ見つけた。
秋山真之の読み仮名を(あきやまよしふる)としている。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/nitiro-2.html
正しくは(あきやまさねゆき)でなければならない

ここで作者に連絡したいという老爺心が動いた。
だが、HPには作者のプロフィールも連絡先も書かれていない。
仕方がないので、サーバー側のプララのサポートセンターにメールした。
プララから丁寧なレスポンスが有った。
曰く、プララのユーザーのHPに明らかな誤りがあっても、一切連絡しないことになっている由。
なるほど、もっともな返事だと思った。

作者が記述に絶対誤らないという自信があるならいざ知らず、
書き手と読み手の双方向で情報を交換できる手段は記載すべきだろうと思った。
折角の面白いHPに少し汚点が付いた感じがした。


2013年8月24日土曜日

緊張の一瞬 胸腺癌を免れた!

昨日は呼吸器外科の受診日。
8月1日に切除した組織の病理結果報告書を聞くのは緊張の一瞬である。
主治医の先生が報告書を画面に呼び込んで、ボクと家内に見せながら説明しだしたが、
途中で、首を傾げながら説明を止めた。
先生も報告書を初めて見るらしいが、内容に納得がいかないのである。

ボクが文書にさっと目を通した限りでは、
腫瘍が2㌢の大きさで肺に浸潤していたこと、
細胞を染色した検査では3年前に手術して切除した肺腺癌と同じであること、
胸腺癌の染色テストでマイナスであること、
などから肺腺癌の再発であると結論する、
と書いてあった。

先生が納得出来ないのはどうやら「再発である」との結論にあるらしい。
先生の説明はこうだ。
まず、今までに肺腺がんが肺の内部の上下で同時に見つかるという例はあっても、肺と胸腺に同時に出来きたという例を経験したことがない。
更に、今回の胸腺腫瘍は3年前に既に兆候をPET検査で見つけており、観察を続けてきたものであるから再発という訳ではない。
というもの。

どうやら先生にとっても予想外の結果だったようだ。
先生は、「関係部門と相談した上で今後の治療方針を決めるのでしばらく時間を下さい」と言われた。「カンファレンスに掛けていただくのですか?」と訊ねると、「それも含めて」とも。
どうやらボクは名医を悩ませるほどの難物患者らしい。
10日後の次回診察までお預けとなった。

ボクは少し胸をなでおろした。
今回の手術直後、取り出した腫瘍は硬いから胸腺腫ではないだろうと、先生は家内に説明している。それを聞いたボクは胸腺腫でなければ胸腺癌だということか?と恐れて来た。何しろ胸腺癌は悪性度が高いと言われているのだから。
念の為に、先生にボクのがん組織の悪性度を訊ねたところ、病理検査結果を確認した上で、普通程度のものだと教えてくれた。胸腺癌はずっと悪性だそうだ。

肺腺癌なら前の手術で3年間再発なしの実績がある。
同じ肺腺癌、それも既に切除したのだから、体内に今、悪いものは残っていない。
だから、今後3年間再発なしの期待が出来そうだ・・、と自分でそう慰めた。
3年前肺腺癌で右上葉を切除した時、胸腺腫瘍も切除出来ればよかったのにと思うけれども、
胸腺腫瘍は良性である場合が多く、病変部の変化を観察し続けるのが通例だそうだから、
今更それを言っても詮無いこと。
再発を予防するためにレントゲン照射は必須として、更に、1クール程度の抗ガン剤治療が加えられるかもしれない。先生を悩ませた結果の治療方針なら、それも率直に受けようと思う。


2013年8月17日土曜日

1枚の家族写真

手元に古ぼけた1枚の写真がある。
ボクが子供の頃の家族全員が写っている写真。
この写真を撮った時のことは今でも覚えている。
長兄に赤紙が来て、急いで家族全員で写真を撮っておこうということになり、
写真屋に来てもらって撮った。
薄暗い松林を背景になぜ選んだのかと疑問に思うが、これはという場所が無かったので、咄嗟に決めたのだろう。後に空襲が激しくなってから、この場所におやじが防空壕を掘った。
ボクはといえば手にハンカチを持っている。
はやり目を患っていたから、ハンカチを手放せないのだ。

長兄の入営前に、お袋が熱田神宮に出かけて千人針を縫って貰った。
そのことも記憶している。

長兄は徴兵されたけれども海外へ出征することもなく終戦を迎えた。
終戦の1週間前の8月7日に豊川海軍工廠が空襲を受け、2485人が命を落としたとされている。
長兄はそこに徴用工として働いていたから、徴兵されて命拾いしたということになるのかも知れない。
そんなことを思い出して見ると、この写真は昭和19年の夏に撮ったことが分かる。
ボクは国民学校1年生だった。

1959年の伊勢湾台風でそれまで残っていた写真の一切合財をなくした。
後年になって、姉の手元に残っていた写真を兄姉の誰かが複製してくれた。
この写真を見るにつけ終戦前後の情景が今も鮮明に蘇る。
そんな貴重な1枚である。

2013年8月8日木曜日

縦隔腫瘍摘出術 

7月31日に入院、翌8月1日午前中に手術、そして昨日(8/7)退院した。
入院日数8日間、退院は手術日の7日後ということになる。
入院診療計画書には病名「縦隔腫瘍」、手術内容「縦隔腫瘍摘出術」とあるから、これが正式名らしい。
要は、前縦隔にある胸腺腫瘍を取り除く手術のこと。
胸骨正中切開しての手術は、予定通り3時間程度で終わった。
腫瘍をはらんだ胸腺の一部が右肺に食い込んでいたので、肺の一部も胸腺と一緒に切除した。

術後の経過は極めて順調だった。
手術当日の夕方には立ち上がることが出来、夕食も普通食。これはさすがに半分食べるのがやっとだった。翌日朝のレントゲン撮影には、普通は車椅子で向かうのだそうだが、それには乗らずに自力で歩いて行った。その姿を見たナースステーションでは感嘆の声が上がったという。
それくらい痛みのコントロールが上手く言ったということだろう。
今日に至るまで激痛らしい激痛は一度も感じなかった。
今も消炎鎮痛剤を飲み続けているので、そのお陰だろうけど、軽くラジオ体操しても痛みは走らない。
本当に胸骨を切開したの?と疑うくらいある。

写真を載せておこう。
切開跡は長さ14センチ、幅6ミリほどのテープでジッパー状に傷口をシールしてある。
糸で縫合してあるのは一番下の一箇所だけだそうだ。2週間後に抜糸するのはこれ1本だけ。
切開部の下方6センチの箇所にドレンパイプが入っていた跡があるが、ここもシールで塞いだだけ。糸で縫合していない。
胸骨は数本のチタン合金の針金で縫合されている。何事もなければ体内に埋め込まれたままで一生を終えることになる。

 さて、手術を終わって万々歳! と言いたいところだが、気分はブルーである。
主治医先生から家族への説明によれば、取り出された腫瘍は、硬いもので大きさは2センチ。
柔らければ腫なのだが、硬いからガンかも知れないというのだ。
肺の一部切除というのも微妙。腫瘍が浸潤したのか?胸腺のただの癒着なのか?
キレイに切除出来たとは言われているが、浸潤であれば病期判定でランクが悪い方に上がるのではないか?
3年前の肺腺がんと関連があるのか?ないのか?
等など、連想はどうしても悪い方に走る。
全ては、手術後3週間かかる病理検査の結果待ちである。

 結局、黒白の決着はつかず、黒に近い灰色ということになったが、
現段階では、体内から悪いものがなくなったということだけを喜ぶべきだろう。

2013年7月29日月曜日

入院手術の前


先客の手術キャンセルはどうやら無かったようだ。
先週中に主治医先生から直接電話がなかったのがその証拠。
肺ガンなどの生命に関わるような手術の場合、2ヶ月、3ヶ月も待たされて、やっと順番が来たというのだから、延期なんていう事態になったら当人はショックだろう。
だから誰しも手術最優先にして日常を過ごし、慎重に体調を整える。
キャンセルがないのは当たり前のことではある。
先客の手術の成功を祈りたい。

約3年前に使用した胸帯、T字帯、寝間着、血栓防止用靴下なども残っている。
タオル、バスタオル、スリッパ、ティッシュペーパー、電動カミソリ、洗面具なども揃えた。
準備には前回の経験が生きる。

病室は個室を希望した。
標準個室に空きがない場合は倍くらい高い個室でも止むなしとした。
個室の希望者が多いので、そうなる。
でも、ホテル代と同じだと思えばよし。
家内曰く、「避暑に行ったと思えばいい。海外旅行へ行くより安い」。
そういえばそうだ。猛暑日続きの予報が出ている。
でも、腫瘍だとガン保険が貰えないことになりそう。
個室代の補填が効かない。

今回はガンではないと思っているから、気楽に考えながら手術を心待している自分がある。
胸の内の疑惑を取り除いて貰い、早くスッキリ胸を撫で下ろしたい。

2013年7月25日木曜日

I君の死亡は誤報でした


1ヶ月前のこと。
H君が高校の同級生I君の死を伝えてくれた。
I君の年賀状は数年前から途絶え、ボクが幹事を務める毎年の忘年会にも出たり出なかったり。
そもそもI君は、7年ほど前に胆管がんの難手術を受けて、生き延びた男である。
半年前の忘年会には出て来た。元気そのものだった。
だから彼の死亡説は信じられない思いだった。

そして昨日のこと。
H君から「あれは誤報だった」と、電話がかかって来た。
H君が言うには、I君の弟と知り合いだというH君の知人が、
I君の弟に会った時に「兄さんが亡くなったんだって」と言ったら、
弟は「兄は健在だよ」と応えた、ということだそうだ。

死亡説の流れはこうだ。
大学進学コースに2クラスあって、ぼく等はD組、隣がC組。
そのC組のK君が叙勲されたのでC組有志13人が祝いの会を持った。
その中に、死んだはずのI 君とは別人のI君という人物がいて、
その彼が「I 君が亡くなったそうだ」と言った。
それを聞いた出席者のJ君が、中学で同じクラスだったH君に電話して来た、という訳だ。

話はすべて伝聞である。
本来、誰かが遺族に問い合わせるか、お悔やみを言うか、するところなのだろうが、
それほどの付き合い方をしている者がいなかった。

何はともあれ、死んだはずのI君が生き返った訳で、
時々は、生存の証の情報を仲間内に伝えておかないと、
「I君のように殺されることもあるよ」と、
電話の向こうのH君とふたりで大笑いした。

住所録と電話帳、消したI君のデータを慌てて復活させた。

2013年7月23日火曜日

曲がりなり


写真のキュウリが我が家の庭先にぶら下がっている。
葉っぱも黄色く枯れかかってきて、栄養分も行き渡らないウラなりのキュウリ。
今年の収穫の最後に残った。
言葉で言う「曲がりなり」には「成り」を当てるのだそうだが、こちらのキュウリは「曲がり生り」である。こういうのを目の当たりにするとこれが語源か?などと思ってしまったりする。

我が家は安月給で暮らした長年の習い性で、何事によらずモッタイナイを唱えるのが常のこと。
折角育てた菜園の野菜も然りで、採れ過ぎても捨てようとしない質である。
従って、連日、ナスとキュウリとトマト攻めに攻められた。
家内も大変だ。同じ品を山盛りという訳にいかないから、ネットを見てはいろいろと献立を増やしている。
新しいアイテムは、去年がトマトジャム、今年がキュウリのパリパリ漬け。
後者は、キュウリを昆布といっしょに醤油味醂で軽く煮たもの。保存食になる。
ゴーヤも始まったが、今年は炒めたあとでアーモンドチップをまぶしたものを作った。
これもなかなかの出来具合で、ビールによく合う。
こんな次第で、家内もボケナスだなんて言う暇もあらばこそ、結構、頭を使っているようだ。

野菜攻めにあったお蔭で、ボクは毎日が快腸そのもの。
腹に溜まらないせいか体重も夏前よりも1㎏位減った。
お腹の方は真っ白。
片や胸の内の疑いに、近々黒白(コクビャク)の決着がつく。

2013年7月18日木曜日

すべての責任をメーカーに押し付けるY電機


エアコンの故障のことを先に書いた。
今日、約束通り、メーカーのM電機の社員が直接修理に来てくれた。
原因はガス抜け。その原因のそのまた原因は3年前の据付工事の不良にあった。
冷媒の銅管のジョイント部の施工が悪く、広げた銅管のフランジ部分が一部欠損して、
そこから徐々にガスが抜けたのだ。
今回、ジョイント部の銅管を少し切り落として新たにフランジを加工し、ジョイントし直して、無事終了した。

雲隠れしていた保証書をやっと見つけ出したが、これは全く必要なかった。
Y電機にデータが残っていることでこと足りたという次第。
そういう点ではY電機のサービスは良好である。
修理依頼してから完了まで4日間待たされたが、時期柄、この程度はやむを得ないだろう。
M電機はよく対応してくれたと思う。
この間、 Y電機はクレームをM電機に振っただけで、あとはM電機からの修理完了の報告待ち。

Y電機ではクレームがあると受付だけして、あとはすべてをメーカーに対応させるようだ。
製品本体の不良なのか?据付工事に起因する不良なのか?予め判らないものの修理を、メーカーに対応させるのは納得できることではある。
お客を待たせないために、それがベストだろう。
だが、しかし、今回のようにY電機が指名した工事請負人に責任がある故障の場合でも、
故障原因が据付工事不良にあったとは報告せず、メーカーであるM電機側の責任範囲の原因にすり替えてY電機側に報告する、と言う。
これには驚いた。
Y電機は自己責任を絶対認めない会社だから、Y電機と揉めないために他人の責任もM電機が背負い込んで、丸く納めるのだと言う。
今日の修理担当者は20年来の修理専門職だそうだ。
長年の経験から編み出した知恵なのかもしれない。

バイイングパワーという言葉を久しぶりに思い出した。
最近聞かなくなった言葉だが、実態が無くなったわけでなく、それが当たり前の時代になったということなのだろうか?



2013年7月17日水曜日

入院手術と決まる

昨日、1週間まえに受けたPET検査の結果がでた。
胸腺腫以外に病変や転移の疑いなし。
直ちに心電図、採血、検尿、呼吸機能、胸部レントゲンの検査を受けた。
すべて異常なしの結果を受けて、入院手術と決まった。
先客の手術患者の都合が悪くなると、ボクの順番が繰り上がることになっているから、
場合によったら今月中に手術もあり得る。3年前の肺がん手術の時と違って、何と素早いことか!

別室に移動して、主治医とは別の先生から手術概要の説明を受けた。
プロジェクターを使っての説明。家内も同伴したので家内への説明の手間も省けた。
電子カルテは他の医師も患者のデータを院内のどこでも見られるので、すべてが迅速に進行する。患者にとっても大変ありがたい。

胸骨正中切開して胸を開き、腫瘍を含めて胸腺全部と、場合によっては肺に癒着している部分があれば肺の一部を切除するという。
肋骨をガバっと開くわけだが、どの位開くのですかと訊いたら、医師はこの位と言いながら手のひらを広げた。20㌢位だろうか?随分開くものだな・・と思ったが、患者のボクにはどうでもいいこと。あとで痛まなければいい。そこまで開いてしっかり悪いところを取り除いてくれる方が安心だ。

胸腺の裏側に心臓があるので生検の針を刺せない。
だから予め細胞を取って検査することは出来ないのだそうだ。ここが肺がんなどと違うところ。
胸腺腫が一番疑われているが、可能性として胸腺癌、転移性悪性リンパ腫の可能性も残る。
患部を取り出して3週間の細胞検査を経ないと診断できないと言われた。

手術中に問題になるようなところがなければ集中治療室に入ることはない。
手術による出血も少なく、傷口はワイヤーで固定されるから痛みも少ない。
どうやら患者の負担は前の手術の時より少ないらしい。
入院も順調なら10日間くらいで済む。
但し、骨折と同じだからゴルフ、テニスは3ヶ月間不可。こちらの方は既にやめたから問題ない。

胸腺腫そのものが稀な病気で、進行がゆっくりで、他の病気の検診で見つかる場合が多いらしい。ボクの場合は、肺がん手術前に異常が見つかり、経過観察されていた。大きくなりだしたのを見計らって、手術が決まった訳で、早期手術だから幸運なのだと。
そんなことを主治医先生は仰った。
根治宣言はがんで5年後だけど胸腺腫では10年後だそうだ。その前に寿命が尽きる。

2013年7月15日月曜日

我が家の家計簿

この3連休に娘がコブ付きで里帰り。3連休には毎度のことである。
猛暑の中とあって、普段は使うこともなかったエアコンをフル稼働させることになったが、
どうも冷えが悪いので、慌てて、普段あまり使っていない別の部屋に避難させた。
幸い、そこの部屋のエアコンは機能している。

冷えの悪くなったエアコンを修理するに当たり、問題は保証期間内かどうか?だ。
保証書を探したが見つからない。仕方がないのでメーカーのサポセンに電話した。
曰く、「お買いになった販売店に電話すれば、お客様の電話番号だけで保証期間内かどうか判りますよ」と、親切に教えてくれた。

買ったのは隣市のY電器。
息子夫婦が来た時、古いエアコンを点けたら動かなかったの、慌てて買いに行ったことを思い出した。ちょうど肺がんが見つかり、ショックで食事も満足に喉を通らなかった頃だ。だから、購入時期は間違いない。今年と同じような猛暑続きの夏だった。
ここまで思い出せば正確な月日は簡単に知れた。
家内が古い家計簿を開いてデータの詳細を調べてくれた。
2010年8月13日、76900円を支払っている。

メーカーのサポセンの言う通り、Y電器に電話したら直ぐ調べがついた。
5年保証が付いていた。
修理が立て込んでいるので、後日、修理日を連絡するということであったが、その日のうちに、メーカーから連絡が来て、4日後の修理と決まった。

家内は結婚以来の家計簿を現在に至るまで保管していて、
「新婚時代に赤字続きだった家計を私の貯金で補填した証拠もあるよ」と言う。
自分でも、そうだろうと思う。
たかが家計簿、されど家計簿である。
我が家はこうした家内のやりくりのお蔭で今日がある。


2013年7月10日水曜日

老人ホームってどうなの?


年賀状だけの繋がりになっている同級生から奥方と連名で転居お知らせのハガキが届いた。
同じ府内ながら今までと少し離れた住所になっていて、どうやら一戸建てからマンションに移ったようだ。これから先の老後を考えて何かと好都合なマンションを選んだのだろう。数年前に同様な同級生の先例があったから、そう思った。

さぞかし便利な場所を選んだのだろうと思いながら、野次馬根性でググってみた。
そうしたらどうだ、有料老人ホームだった。
ハガキの文面がややそっけなく感じたから、何か事情があったのだろうか?と勘ぐった。
そのうち別ルートで彼の噂が入ってくるだろうから、事情があるなら、それも知れるだろう。
それにしても、その老人ホームに入るには入居一時金が2700万円から8000万円掛かると書いてある。どうあがいてみてもボクにはそんなお金はない。ああ、やっぱりな、ボクには無縁のところだ。

先日、ボクより4つ年上の知人から転居のハガキを貰った。
彼は奥様を亡くし、自分自身も膝関節の持病もあって、大阪の老人ホームに入ったのが今年の3月。ところが、その3ヶ月後の6月初めに名古屋の老人ホームに転居し、更にその1か月後の7月初めに元住んでいたマンションに舞い戻ったのである。
彼に電話を入れた。
「老人ホームというのは頭がスッキリしている人が入るところじゃありません。
とてもじゃないけど耐え切れずに逃げて来ました。
足が悪くても、未だ仕事をやってくれと言って呉れる人がいるので、何とか頑張ります。」
と明るい声が返ってきた。

老人ホームと言ってもいろいろあるのだろうが、実際のところどうなんだろう?
ボクはまだそういうところを覗いたことがない。

2013年7月7日日曜日

暑さで身動きがとれない

昨日はこちらより先に関東地方が梅雨明け宣言した。
館林で37℃を越したというから、こちらのお株が奪われた格好。
この所雨が振りそうで降らない日が続いたあと、一昨日にまとまって雨が降った。
次いで昨日は32℃の暑さと強烈な湿度が来た。
そして今日、雲はあるものの晴天となって、一段と気温と湿度が上がった。
これでは散歩もままならず、家に引きこもらざるを得ない。
自ずとテレビを見る時間が増える。

参議院選挙が始まったが、田舎のこちらには選挙カーも回ってこないから、外は静かなものだ。
選挙運動もネットが解禁になったからといって、こちらから候補者のサイトを開いてみるつもりは毛頭ない。
改憲問題や原発問題で自民党の主張に全面的賛成ではない。
あれだけウソを言い放題だった民主党が何を言おうとも今更信頼出来る訳がない。
唯我独尊の革新政党は根っから嫌い。
主張を理解できてもトータルで日本のヴィジョンをイメージ出来ないその他の諸政党に賛同する訳もない。
テレビを見ながらそんなことを考えた。
???こんなことを日記にして公開したらルール違反になるか?
どこも支持していないと自分では言っているつもりなのだが・・・・。
 
ここ数日肩がこるし頭もボーとしている。暑さのせいか?

熱中症防止に、水の入ったペットボトルはいつも眼の前にある。

2013年7月3日水曜日

眼科通院 ひとまず終了


今日は白内障の手術1年後の定期検査を受けた。
視力は両眼ともに1.0だから、変化なし。眼底も綺麗。
少し周辺部に白濁が出て来ているが、もっと進行したらレーザー治療で治せるので心配無用。
およそ7割の人がそうなる由。
見難いと感じたら来てくださいと言われた。

時間指定の予約で行っても30分以上待たされ、挙げ句の果て、待合室のイスに空きがないので散瞳待ちの20分は立席となった。
それほど患者で混雑しているのに、女医先生は相変わらず愛想よく、丁寧に対応してくれた。
「奥様の調子はいかがですか?(家内も同じ時期に白内障の手術を受けた)」とか、
「未だ60歳代に見えます」とか、
患者へのリップサービスも忘れない。
電子カルテに書いてあるのだろうか?ボクの肺がんのことにも触れて、
「肺がん手術で抗ガン剤も飲まずに済んだなんて、幸運な方ですねぇ」と言われたから、
ついうっかり、胸腺腫手術の予定のあることを喋ってしまった。
そしたら先生、「胸腺腫はそれほど心配するものではありません。幸運な方だからきっと上手く行きますよ」・・なんて、励ましてくれる始末。
さすがは実家が老舗のメガネ店のお嬢さんのことはある。
客心理をよく掴んでいる。こんなところが人気のある所以なんだろうなぁ。

帰りは、予想外の散瞳させたままで車の運転となった。
予約案内書に散瞳のことを書いてないね、と看護師に一言。
「すみません」と謝った上で、今はメモを入れるようにしておりますと応えた。
それでなくっちゃ!

家に帰って、家内へ検査に行くよう伝え、ボクの眼科通いはこれで終了!

2013年6月29日土曜日

胸腺腫の疑い 手術へ



昨日、前回から4ヶ月後の胸部定期検診でCT 撮影を受けた。
肺がん再発の兆候はないけど、胸腺種疑い箇所の影が大きくなっていますねぇ、
処置したほうがよいでしょう!と先生。
やっぱりそう来たか!
処置って?手術して取り除くってことでしょうか?とボク。
そうです、と先生。

これで、あっさり手術する方向に決まった。
あとは、PET検査で胸腺腫の疑いの他に問題ないか?確認し、問題なければ手術だ。

胸腺腫の疑いの箇所は肺がん手術まえからPET画像で光っていた所。
手術の時から未処置のままだった。
それが、3年くらい経ってから大きくなって来たので、手術するという事。

胸腺腫と胸腺がんとは違うようだが、その辺のことについての説明は未だない。
が、胸腺腫は良性と悪性の中間の準悪性の位置づけだという説明は受けた。
肺がんのような怖さはないようだが、小さいうちに取り除こうというのだから、
ボクに否応はない。
「はい!お願いします」と即答した。

問題は今度の手術は開胸手術になること。
肺がん手術の時、傷ついた肺の空気漏れがなかなか止まらなかったので、胸膜癒着術を受けている。このため、胸腔鏡では手術が出来ないと先生から告げられた。

胸を20㌢程切り開くらしいが、考えただけでも怖そう。
でも、それで長生き出来るのだと思うから、気分は楽だ。
セカンドオピニオンを求めるつもりはない。
ボクの主治医は県立がんセンター出のベテランの部長先生である。
先生にお任せ!

2013年6月27日木曜日

悩ましいwinXP後継問題

いまメインに使用しているデスクトップPCのOSはwinXP。
Microsoftのサービス終了の来年3月までに対策をしなければならないが、
もう8年半使ってきた古い仕様だから、パソコン本体を買い換えるしかない。

パソコンを買い換えるについて悩みがある。
OSを win7にするか、win8にするか?
Graphics強化仕様にするか、しないか?
後者はコストパフォーマンスをどこで線引するかという問題である。

高齢者向けというならwin7だろう、でも、時代の趨勢はwin8だろうか?
自分の寿命を考えればwin7でもよいが、
己の好奇心を満たすためならwin8にしたほうがよいか?
でも、win8の人気が良くないという噂もある。
さ~ぁて、どうしたものか?

今までもそうだし、これからだって自分がパソコンでゲームをしようとは思わないから、
Graphics強化仕様でなくてもいいのだが、
既に、カメラで動画撮影は当たりまえのご時世だから、動画編集もしてみようかな?
なんて気持ちもある。
そうなれば処理スピードの速いGraphics専用カードも入れようか?
ついでにハードメモリーにはHDDにプラスしてSSDも入れようか?
などと欲が出る。そうなれば出費が嵩む。

今使っているOfficeXPがwin8では使えないという問題もある。
win8にすればOfficeをアップグレードしなければならない。
win7ならそのまま使えそうだが、OfficeXPのインストールは相当厄介な作業らしい。

・・・という具合に、ボクにとってのOSの選択、コストとパフォーマンスの見極め、という悩ましい問題は当分続くことになりそうだ。

写真は、当町にある境川部屋の合宿所。人気力士の幟がはためく。