2015年10月31日土曜日

転移再発ではないらしい

昨日は2か月ごとの術後経過観察受診日。
6か月前にいったん正常値に戻ったガンマーカーのCEAがその後2回正常値を越えた。
そして今回はどうか?上がれば転移再発の可能性が高まる。

先生の診断が始まった。
「ガンマーカーのCEAは全く問題のない正常値レベルの3.2です。」
CT画像を上から下までスクロールして診たあとで、「肺に異状は認められません。」
さらに問題の後縦隔のリンパ節を探りながらスクロールして、
「リンパ節の腫れが無くなって、認識できないほど小さくなっています。」
「どうやら単なる炎症だったようですね」。
ここまで聴いて、一気に緊張がほどけた。
家内ともども「よかった!」と声を上げた。

体調を訊かれて、ボクは「首筋のコリで首がよく回らないが、体調は良くなっていると思います」と答えると、すかさず家内が「よく体を動かしているし、木曽川まで歩いていくし、体調はよさそうに見えます。」とつないだ。
それを聞いた先生、「それは結構ですね。木曽川は水は未だきれいですか?シラハエは釣れますか?私は木曽川沿いの一宮出身で、シラハエ釣りをしたこともあります。」とおっしゃった。
ボクが「まだまだ水はきれいですよ」と答えたところで、先生のケータイが鳴って話が途絶えた。鳴らなければもう少し雑談が続いたかもしれない。

先生が私的なことを交えて雑談されたのは初めてのことで、超多忙な先生には珍しい。
患者がいつもより少なく、時間的に余裕があったせいもあるかも知れないが、結果が良かったことに先生自身がホットされたのだと思う。そんな先生の気持ち的余裕を感じ取った。

 次回の検診は2か月後に、今回と同じく血液検査とCT検査。
当面の危機は回避されたとしても、疑いが完全に晴れた訳ではない。
おそらくは、その先、まだ予定のないPET検査で陰性を確認するまで、疑いは晴れないだろう。

 

2015年10月27日火曜日

洗濯した歩数計 乾く間の遊歩道散策

あちらこちらで庭木の手入れをする光景を目にするようになり、それを真似て我が家も先週のうちにカイズカイブキとキンモクセイの剪定を終えた。
昨日、その切り枝を車に載せて、さあ出かけようかというところで、
家内が「やっちゃったぁ!」と言って、洗濯し終わった洗濯物の中から歩数計を取り出した。
前回はボクの歩数計だったが今回は家内の歩数計である。
急いで分解してテイッシュで水滴を拭き取り、そのまま乾燥待ち。


 予定より1時間遅れで剪定枝の廃棄作業再開。
切り枝をマイカーに積んで、木曽川遊歩道近くの町の廃棄場に運んだ。
赤い旗が立っている指定場所に、家内と二人でブルーシートに包んだ切り枝を運んで、投棄した。今日は多いなぁ・・と係のシルバーが言った。剪定シーズンに入ると月曜日が混むようだ。

またとないようないい天気に、家内と意見が一致して、遊歩道を歩くことになった。
二人で歩いたのは何年ぶりだろうか?
二人で歩けばウォーキングじゃなくって散策になる。
家内がクルミ拾いのおばさんを見つけて声を掛けた。
こういうところは家内の得意ワザである。
多いか少ないかの話からくるみ割りの話になって、ボクも上手なクルミ割の方法を伝授した。
ひとりだったら、精々「小さな木の実」の歌でもを口ずさんで通りすぎたことだろう。


 遊歩道にはエノキとムクノキの大木が多い。でも、ちょっと見ではどちらがどっちだか分からない。
歩道に落ちている黒っぽい木の実を見て、家内が「これは何の実?」と訊いてきた。
ムクノキの実である。小学生の頃食べたことがあって、味をよく覚えている。エノキの実はムクノキの実より小粒で赤っぽい。落ち葉を見て、鋸歯が葉の辺縁部全部についていればムクノキ、先端部半分だけならエノキである。
実が熟し、落ち葉が舞う今の時期ならエノキとムクノキの判別も出来るが、枯れ木になったらもう素人では見分けられない。


同じクヌギの木でもドングリが一杯落ちている木と全然落ちていな木があった。
後で調べたら、ドングリには1年成と2年成があってクヌギは2年成だと知った。
2年成は実がなるまで2年掛かるということ。そうだったのか!

乾燥を終えて組戻した歩数計は問題なく機能した。
でも、細かい作業はもう勘弁してもらいたい。
家内にそう言っておいた。

2015年10月25日日曜日

老舗ミルクプラントの廃業


ボクと同じ元の会社のOB、Hさんからのメールで、名古屋牛乳と豊田牛乳が廃業したことを知らされて、驚いた。豊田乳業は別にして、名古屋牛乳は県内では老舗中の老舗だから、多くのひとに馴染まれてきたブランドである。それが消えた!という訳だ。
慌てて情報を探った。

孫引きだが、日刊酪農乳業速報2014.2.14号を見つけた。
それによると、県内で名古屋牛乳と昭和牛乳とみどり牛乳が1年半前の2014年3月末に、同時に廃業していた。農水省の産地活性化総合対策事業により、県内の乳業会社の統廃合を進めた結果らしい。これで県内で残ったのは大手を除いて中央製乳と常滑牛乳と愛知兄弟社の3社だけになった。
豊田乳業はさらにそれ以前の2012年12月に倒産して神戸物産の子会社として買収されているから、廃業とは違うようだ。
統廃合が進んだ背景について、表向きには次の理由が挙げられている。
牛乳消費の低迷、飲料の多様化、設備の老朽化に伴う改善に投資の回収が見込めない、経営者の高齢化、等々。

確かにその通りなのだろうが、ボクの見方はもっと厳しい。
大手メーカーに対抗して牛乳の安売り競争に走ったことで自らの首を締めることになった、と見る。
即ち、かって、農系、酪農組合系の牛乳が大手乳業メーカーの製品をスーパーから駆逐できたのはひとえに低価格戦略のおかげだった訳だが、安くした差額分は結局のところ組合員である生乳生産者自身が負担したという構図になっていたはずである。みどり牛乳はおそらくその典型ではなかっただろうか?生産者はその負担に耐え切れなくなったと想像する。

生き残った中央製乳は名古屋牛乳と昭和牛乳の生乳を引き継いだようだ。
同級生だったI 君が長年トップを務めた会社である。
彼の手腕に負うところが大きかったのではないかな。

全国的でどれくらいのメーカーが廃業したのだろうか?
ニュースを見かけなかったのは、ボクの目が節穴だったか?
乳業界から足を抜いて18年、浦島太郎になった気分である。

2015年10月23日金曜日

抗ガン剤治療の限界か? 47歳の肺ガン死

家内の甥の嫁が亡くなったという知らせが入った。
 47歳の肺ガン死である。

 彼女の肺ガンが見つかったのは4年4か月前のこと。
 義兄の嫁が危篤になり、駆け付けた病院で彼女に会った折に、
 たまたま、ボクがその半年前に肺ガン手術した話が出た。
 その時、彼女が咳が出るというので、「早く検査を受けた方がいいよ」とボクが言い、
 彼女もすぐ検査を受けたのだった。
 が、時すでに遅しで、手術できないステージまで進行していたのである。

その後、イレッサがよく効いてガンが小さくなり、脳に転移したガンも寛解したと聞いていたのだが、その後の情報がなく、やっと届いたのが訃報という訳だ。
 抗ガン剤治療がイレッサだけだったかどうかは知らないが、肺腺ガンの特効薬と言われた抗ガン剤といえども根治させると言うものではなく、延命効果もこの辺りが限界なのだろうか?
 若かっただけに進行も速かったかもしれない。

彼女は甥と同級生同士で、甥の恋女房だっただけに、残された甥が余計に可哀想に思える。
 でも、子供が居なかった。それがせめてもの慰めである。

ボクは3回の肺ガン手術はしたけど抗ガン治療はしたことがなく、ラッキーだった。
 これからもそう願いたい。
 ガン治療は早期発見、早期治療に限る。

2015年10月21日水曜日

久方ぶりの1万歩

今日は思い切って、自宅から犬山河川敷テニスコート経由木曽川遊歩道をめぐる1万歩のコースの散歩に挑戦した。
手元の記録によれば、3回目の肺がん手術以降はこのコースをまだ一度も歩いていない。と云うよりも、体力的に歩けなかったという方が正しい。
最後に歩いたのが1年4ヶ月前。
手術後は、コースを途中でショートカットしたり、遊歩道まで自転車で乗り付けてから歩いたりしていたから、歩数が1万歩にとどいたことがない。

今日の結果は、途中2分のベンチ休憩を2回挟んで1万歩で110分掛った。
以前ならノンストップ95分前後で歩けたし、歩幅も今より5センチほど広かったんじゃないかと思う。
今は、インターバル速歩なんてとてもとても。精々、歩きに体を慣らす程度のウォーキングになった。

少し靄っていて、日差しは強からず無風、心地よかった。
遊歩道はいつもの常連さん達でそこそこの賑わい。
但し、低空を飛ぶジェット機の騒音が余分。今週末の岐阜基地航空祭に備えて頻繁に訓練飛行が繰り返されていた。
鴨の姿はまだ見えない。

以前、野鳥案内板に描かれたカワラヒワの名前が間違ってカワウヒラとなっていたのを役場に知らせたことがあり、その後、いっこうに修正されずに放置されていたのだが、それがきちんと修正されているのに気がついた。
ボク以外にも役場に通報した人がいて、やっと腰を上げたのだろうか?
仕事の遅さを、さすがは役所仕事!というべきなのだろうか?
対応した役場を評価するとしても、スピードが遅すぎ!

2015年10月14日水曜日

幼なじみのS君との交友

去る今年の2月のこと、後縦隔への転移再発を疑われ、体調にも色々自覚症状が現れて絶望感に襲われていた頃、幼なじみのS君が見舞いに来てくれたことがあった。その後、体調が少し回復し、転移再発の疑いから開放されたのだが、そのことをS君は自分のことのように喜んでくれたのであった。
そんなこともあって、墓参の折に元気な姿を見せると約束してあったのだが、昨日、やっとその約束を果たした。但し、墓参りは今回も見送った。お墓は逃げはしないから、後回してよかろうという訳だ。それよりも生きている人間の方が大切であるという、身勝手な理由をつけて。

お宅には学生時代に何度も訪れ、仲間と徹夜マージャンしたこともある。十分手入れされていて、建物の外も内も昔のイメージと変わっていない。懐かしさがこみ上げた。
S君は奥方と一緒に、S君の母親が大事に遺して呉れた大量の写真を整理した中から、ボクが写っている写真だけを抜き出して置いて呉れた。
一番古いのは小学校5年生の集合写真、中学校時代は同じクラスになったことがないので写真はなし、高校時代は修学旅行や体育祭の集合写真などなど。どれもこれも、こんな写真があったのかと驚くばかり。ボクは大学4年生の時の伊勢湾台風ですべての写真を失った。それから56年になる。懐かしい!
S君は必要ならコピーしようか?と言ってくれたが、ボクは「写真がS君のところにあることが判ったから、必要なときにお願いします。その時はよろしくね」と応えた。自分以外に必要だと思う者は家族にいないだろうなぁ・・・・。

トムソーヤの冒険、ロビンフッドの冒険、三銃士、ああ無情(ラ・ミゼラブル)など、小学校5年生、6年生の時にS君から借りて読んだ本の題名である。彼の一家は引揚家族で、裕福ではなかったはずだが、S君が長男だったこともあって本はよく買ってもらっていたようだ。本などとても買ってもらえない末っ子の四男のボクには彼から借りる本が新鮮でり、ありがたかった。
S 君とは、
6年生の時、珠算塾も一緒に通って3級を取ったところで止めた。
中学3年生では一緒に体操部で体を鍛えた。
高校は毎日自転車を並べて通学した。
大学では2年生まで一緒に通学することが多かった。
そしてS君は地元企業へ就職、ボクは転勤族になった。
2時間で引き上げるつもりが3時間にもなった。それでも話が尽きなかったが、次の再会を約し
ておいとました。

ボクが55歳で地元に戻り、それ以来22年間、S君を含めて高校時代の仲良しグループと毎年忘年会で会う。今年の忘年会は2ヶ月後、S君にまた会える。


2015年10月10日土曜日

今日の木曽川遊歩道

朝から曇り空だが雨の心配はなかったから、散歩の足は木曽川に向かった
3連休の初日にしてはウォーキングする人が少ない。見通しできる約500mの間に平日なら数十人のウォーカーの姿を見るのだが、今日はその半分以下。常連の高齢者たちは平日がお休みなのか?

遊歩道で二人の子供とその父親が短い棒を使ってクルミ狩りをしていた。
通りかかった公園管理のシルバーが「今年は不作だから少ないダラー!」と声を掛けていた。
低いところはあらから無くなっており、高いところにしか残っていない。自然に落下したクルミをブッシュの中で探す人が出てくるのはもう少し先のこと。

Nさんのキンクロハジロ見参というブログを見た後だから、こちらはどうか?と目を凝らして川面を観たが、それらしい姿は見えず。毎年初めに見るカモはカンムリカイツブリだが、それも見られない。鳥見のシーズンインもまだ先のようだ。


河川敷の守口大根畑では種まきも終わり、早いところではすでに葉っぱが青々と茂りだした。
写真の畑では収穫が年内にはじまり、そのほかは年明けになるだろう。収穫風景は当地の風物詩になっている。それまで2~3か月。時のすぎる速さを想った。

今日は何か月ぶりかの連続9000歩。少々疲れたが、何とか歩けた。

2015年10月8日木曜日

ピロリ菌抗体価 陰性になる迄まる3年

先週受けた住民健診の結果は全て問題なし、追加診療の前立腺ガンとピロリ菌検査も、ともに問題なし。特定健診そのものが生活習慣病を主眼においているから、ボクが体調不良で何かと訴えるところが多いにも拘らず、異常なしと出るのも仕方がないか。

ところで、ピロリ菌抗体価が陰性域の9と出て、大(おお)先生が「粘り勝ちですねぇ」と冗談ぽくボクを皮肉った。2回目の除菌をやれ!やれ!というのを、ボクがなんとかかんとか言って、敬遠して来たことを言っているらしい。
ボクの方は、してやったりと、内心ニヤリ。

ここまでの経過の概略は次の通り。
2012.11.6  胃カメラ検査 ウレアーゼテストで陽性 ピロリ菌抗体価検査なし
         抗生物質を飲み除菌
2014.6.17  胃カメラ検査 ウレアーゼテストで陰性 ピロリ菌抗体価は12で偽陽性
2014.12.15 ピロリ菌抗体価は11で偽陽性 2回目の除菌治療を勧められたが先延ばしする
2015.3.6   別途N病院で、後縦隔リンパ節生検の折、胃カメラ検査で異常なし
2015.10.2  ピロリ菌抗体価は9で陰性
ウレアーゼ検査は胃カメラ検査の時、細胞を採りウレアーゼ活性を診る方法、ピロリ菌抗体価検査は採血に依る方法である。抗体価検査法は除菌後も陽性が数年続くこともあり、除菌後の検査法としては適さないと言われている。

大先生は2014年12月に、まだ抗体価が偽陽性に留まっているところで2回目の除菌を勧めたのだった。
しかし、ボクとしては、ウレアーゼテストで既に陰性になっているのだし、抗体価も陰性まであと一歩だし、ましてや3ヶ月前に家内が2回目の除菌途中で出血性腸炎を起こして大騒ぎになったこともあるしで、とてもその気になれなかった。
そんな訳で、肺がん手術後の定期検査があとに控えていたから、それを伝えて除菌を先延ばししていたのである。

昨日の診察の最後に大先生、「ピロリ菌が陰性になっても胃カメラは年1回はやったほうがいいですよ。何なら今から予約を入れておきましょうか?」と。これは本当の冗談らしい。
「いえいえ、それは結構です」と受け応えて早々に退散した。

 

2015年10月3日土曜日

大先生か若先生か?かかりつけ医での選択

昨日は特定健診でまずは内科へ。かかりつけ医でありながら最近2年間ご無沙汰した。
その間に跡継ぎ息子が帰ってきて、老若2人の先生で診察していると聞いていた。
先ずは、受付。どちらにしますかと訊いてきた。
若先生の様子が分からないし、若に替えるにしても大(おお)先生にご挨拶してからだと考え、大先生を指名した。
やっと順番が回てきて呼び込まれたら、大先生、開口一番、「すみません、すみません」ときた。
こちらは訳が分からず「何がですか?」と聞き返すと、「今日は健診者が多くて待たせました」という。月替わりになって、しかも健診が今月限りだというので、多くが今日に集中したようだ。
健康診査だからカルテを見なくてもいいようなものだが、PSA検査も頼んだので通常の診察も兼ねる。
大先生はまずカルテを見て、ピロリ菌検査の直近日が2年前であることをチック。
これも検査しましょうとなって、これも追加した。PSA検査と合わせて、後で870円を支払うことになった。
話のついでに、今年3月にN病院での超音波内視鏡下でリンパ節生検の際、胃カメラ検査も終わった旨報告した。
若先生がN病院で内視鏡治療指導医を勤めていたことを聞き及んでいたので、そのことを告げたら、大先生、大いに喜び、「そういうことなら次回から息子に診てもらいましょう」といことになった。
待合室の掲示板にあった案内によれば、生年月日から大先生63才、若先生36才と読めた。
若先生はN病院の次に、隣市のK病院で内視鏡指導医を勤めたとも書いてあるので、消化器系は得意分野のようだ。そういえば、CT設備を入れて毎日検査が可能になり、最新のNBI内視鏡(narrow band imaging狭帯域光観察)も入れている。
一方の、大先生、手書きカルテが電子カルテに替わっていて、しきりにキーを叩いていた。
「電子カルテになって楽になりましたねぇ」と冷やかせば、「いやー、これからですよ」と、これは本音だろう。

その日のうちに眼科も終わらせようと、午後からかかりつけ眼科を受診。
こちらも2年間ご無沙汰したので、理由を告げた。
愛想のいい女医先生、「それは良かったですねぇ。手術が出来ない人が大勢いる中で手術が出来たんだから」と。さらに「眼底検査は全くきれいです。ご主人の眼はいいですねぇ」。
さすがは実家が眼鏡屋さんの先生、患者を喜ばすツボをよく心得ていらっしゃる。

掛かりつけの内科と眼科、どちらも商売が上手だ。
お蔭でいつものことだが患者が多くて、長時間待たされる。