2018年4月20日金曜日

ななへやへ はなはさけども 山ぶきの・・・

毎週金曜日に新聞に折り込まれて来る地域限定のミニコミ紙に、歌に詠まれた季節の花シリーズ第1回目としてヤマブキが紹介された。
その記事で、目に飛び込んできたのはよく知られた例の歌。
「ななへやへ はなはさけども 山ぶきの みのひとつだに なきぞあやしき」
でも、ちょっと違和感あり。
その文字列の最後の4文字が「あやしき」になっている。
何故なら、ボクが中学生のときの教科書に載っていたのは「かなしき」だったから。
この歌のオリジナルは平安中期の兼明親王の作で後拾遺和歌集にあるという。

調べていくと、どうやら、「あやしき」が途中で「かなしき」になったことが分かった。
それは室町時代の太田道灌の時代なのか?それとも時代が下って江戸時代になってからなのか?
江戸時代の湯浅常山という人が戦国武将の逸話を多く残していて、
その中の太田道灌の「山吹の里」伝説では、「悲しき」と書いているそうだ。
元の「あやしき」は「道理や礼儀にはずれている」程の意だそうだから、今様に言えば「ご要望に添えなくて申し訳ありません」と言うようなもので、気分的に軽さがあるが、
これを「悲しき」と言えば、「本当に申し訳ありません」というようなものか。気分に重みが加わるように感じる。
「悲しき」としたことに常山の意図が隠されているのではないか?という説も見られた。
なお、江戸時代に作られ諸伝本はすべて「悲しき」を採っているらしい。

今は「悲しき」が定着しているように思うが、これは小さいときから教科書で教えられて来たせいでもあるだろう。
教科書に載せるものならば、やはりオリジナルを採用すべきだったのではなかろうか?
そんな気がする。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

あやしきが原歌だったんですか。記載の「あやしき」の意味を知ればボクは悲しきよりあやしきのほうが良いと思うなあ・・。 
悲しきは申し訳ない!と強い口調。あやしきは、婉曲で控え目な言い方でこちらのほうが状況によくフィットしているように思う。
同じような事例を思い出し、手元にある高校時代使った「歴代和歌」という単行本を見た。
 百人一首の有名な一句
  田子の浦に打ち出てみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつつ 
原歌は万葉集の
  田子の浦ゆうち出て見れば真白にぞふじの高嶺に雪はふりける

雄大荘厳な実景歌として高く評価されているが、どちらがより良い句かは、古くから評価が分かれる。ふりつつの結句は、現にふじのたかねに雪は降っているのか見えないので、実景では有り得ない。歌詞は流麗だが原歌より劣ると説かれているのが一般的。
しかし古い資料本に「此雪はふりつつといへるに余情(よせい)かぎりなし」とある。幻想的に一つの叙景を思い浮かべる。すなわち叙事詩、抒情詩のどちらが好きか嫌いがで決まる。
ボクは万葉集の原歌のほうが共感できる。貴兄はどちらの句が良いと思いますか。
この機会にこの歌の漠然とした思いがはっきりした。話題を無理やり誘導し相手にこの薀蓄を
話したくなる。 相手に教養をふりまくボクの悪いくせだ(笑)。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん うん、確かに貴兄の悪い癖だ!(爆)でも、ボクは大歓迎します。
折角だから、ご質問にお答しましょう。貴兄のご意見に賛同です!
なお、ボクには「ふりつつ」は「降りつつ」という進行形に思え、「ふりける」は「積もった」という現在過去形に思えますが、素人が思いつくのはそんなところかな?
高校時代に使った本を大事にとってあるのですね。流石です。ボクは何も残ってないです。