ボクの息子は53年前の節分の夜、郡山で生まれた。
夜が明ければ立春である。
後日、今は亡き長兄が、息子の誕生祝いにと句を詠んで、
色紙にしたためて、送ってくれた。
立春の 若樹に良き穂 つぎえたり
麗らかな こけしの如き 子ならむか
若樹とはボクのことであり、息子の名前の1字を詠み込んでくれている。
長兄はまだ見ぬ福島の地を思い浮かべながら、こけしを連想したのだろう。
この色紙は、53年後の今に至るも、大事に保管している。
その息子、今は企業戦士か?
東洋経済のネットニュースによれば、息子の会社は給与が良いらしい。
でも、息子によれば、めっちゃ忙しくて休みが取れないし、休日も自宅で仕事せざるを得ないという。
電話の向こうの息子に「体に気をつけよ」と言うしかない。
立春の今日、穏やかな陽を浴びながら、ブルーベリーの鉢替えをした。
鉢から木を抜き出し、古い土を一部削ぎ落として、鉢に新しい土を補給し、
木を植え戻した。
我が家の春の始まりである。
2 件のコメント :
今年12月ボクの長男も53歳になる。同じような家族構成で生活してきたようです。
兄上は、俳句に相当造詣の深いお方だったようですね。弟の喜びを温かく見守り詠んだ心境が伝わってきます。 僕の兄貴(4歳年長)とは、そんな兄弟愛は全くなかった。
ボクの長男も今が活躍する年代でとても忙しくしている。卒業する時期は景気がよく、売り手市場で、希望する会社にそのまま就職できたようだ。
息子は建築科出身、建設会社に入社するのが一般的だが、息子はメガバンクに就職した。その頃から銀行は文系ばかりでなく、理系出身もかなり採用したようだ。不動産を扱う融資部門もあるから、全く無関係ではない。しかし8年前親にも相談せず突然転職した。日本でも始まった不動産ファンドを扱うリート会社だ。すでに転職した先輩に誘われたらしい。もう3社転職した。この世界は転職しながらキャリアアップしていく業界のようだ。
海外の投資家との打ち合わせで頻繁に今日はロンドン、明日はニューヨークと飛び回っている。 鶏口となるも牛後となるなかれ 歯車の一員となって働くよりやりがいがあるかもしれない。ボクも「健康にはくれぐれも気を付けよ」と言うしかない。
>忠ちゃん ボクの長兄は終戦後まもなく結核に罹り、ストマイが間に合って命拾いをしたものの、病弱のため永年にわたり貧乏生活をしていました。そんな兄貴が唯一趣味としていたのが俳句です。ボクはよく知りませんが、晩年はある流派の師範代位を務めていたようですよ。歳の差は13才。兄や姉からボクはよく可愛がられました。おふくろがはやくに亡くなったこともあると思います。
ご子息はご活躍ですね。家内の甥に似たような経歴の持ち主がいます。東工大の建築科を出て東大大学院へ、そこから日建設計へ入ったと思ったら、次はオリックスへ。今は世界を駆け回っているようです。実力のあるものはそうすればいい。そういう時代ですね。
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