2021年10月29日金曜日

転院


昨日、名古屋市内のN病院から隣市のK病院の呼吸器内科に転院した。
11年前、町民がん検診で胸部X線検診で疑わしい陰影が見つかり、
精密検査のCT検査を受けたのがこの病院である。
その時の担当医が今いる4人の部長先生のうちの1人として残っている。
この先生には冷たい言葉であしらわれて嫌な思いがあるから、
担当医に当たらないようにしなければならない。
そういう訳で、その先生が外来診察に出ていない日を選んだ。
昨日の外来担当医は代表部長先生と非常勤医師の二人。
非常勤医師は名前からして中国人であるらしい。

外来受付で紹介状とCDを差し出しながら、担当医の指名はできないかと訊いてみたら、
ダメだとあっさり言われた。
紹介状の宛名に名前が書いてないものは新患として扱い、非常勤医師が担当になるという。
代表部長先生に当たってほしいと思うボクの目論見は見事に外れた。
病院のHPに呼吸器内科の医師は代表部長1人、部長3人、医長1人、医員1人、顧問1人、非常勤医師の順に記載されている、そのリストの最後に載っている先生だ。
ちょっとガッカリ、というのが率直な思いである。
新患を若手の先生に回すのはどこの病院でも同じなのかも知れない。

診察に呼び込まれて診察室に入り、
「はじめまして、どうかよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
パソコン画面を眺めていた先生が首を回して、チラッとこちらを見て「こんにちは」と返事をし、すぐ顔をパソコンに向けた。
言葉には少したどたどしさがある。
この先生も「患者を診ずして病気を診る」タイプらしい。
患者と目線を合わせずにほとんどパソコン画面を見ながら喋っていた。
それでも聴診器を胸に当て、パルスオキシメーターを指に装脱着するときは正面を向いてくれた。
紹介状に添付されたCDのデータは膨大だったはずだが、短時間で治療経過を把握してもらえたようで、在宅酸素の件で受診したことも正しく伝わっていた。

診察ではパルスオキシメーター値が93%と出た。
これでは在宅酸素の申請はできない。結局、経過観察することになった。
念の為に訊ねたら、90%以下が在宅酸素申請の条件だそうだ。
N病院で測定したときはたまたま90%前後だったからこういう話になったのだが、自宅で測ると96%の時もあれば90%を切る時もあるから、
内心では申請は無理だろうと思っていた。判定結果には納得である。
但し、息苦しさには変わりがないので、今後どうなるか?様子見ということになった。
次回は2ヶ月後。単純胸部X線と血液検査あり。
内容的には何ら新しいことではないが、いざというときの拠り所が自宅近くにできたという意味で、ホッとした気分になった。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

検査、治療がスタートしてもう11年経ちましたか。長いようであっという間ですね。
ちなみに家内がバス停で転んで、急きょ行きつけの整形医院に駆けつけ診てもらった。手指が一部骨折していた。それより何か挙動がおかしい。八事日赤に診察してもらうように言われすぐ夜の救急外来の診察を受けた。
結果は脳腫瘍と判明、そのまま入院し手術した。2011年11月のことだった。大体貴兄の治療開始と同じ頃だったようです。
家内は先生の診断通り余命5年後の5月に逝った。
貴兄の場合早く診断、対応できて今日まで元気だ。良かった良かった。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 腫瘍やがんでも治る見込みのあるものならいいのですがこればかりな運不運がありますねぇ。奥方の奥方の場合は早期発見は難しかったのでしょう。 ボクは発見が早かったから助かった訳ですが、それも偶然という幸運が味方してくれました。住民がん検診を受けたのも偶然からでした。それ以降、数え切れないくらいの幸運に恵まれ続けましたねぇ。最も、幸運というのもそれなりの努力は必要ですけれども、なんとかしたいという願望とそのための行動がないと幸運には恵まれなかったと思います。貴兄にも幸運をおすそ分けしておきますからどうぞお受取り下さい。(笑)