2012年3月18日日曜日

同年会での遺恨

昨日、同じ地域から中学校に通っていた同期生の昼食会があった。
冒頭、幹事から欠席者の理由報告があったが、その中に、とんでもない者が一人いた。
曰く、「去年初めて出席したら、紹介もされなければ発言の機会も与えられなかった。もう2度と参加しない」と、電話口の向こうで怒っていたというのである。

怒っている彼はボクと同様、誘われて去年初めて出席したのだ。
10数名の出席者の大半は中学校卒業以来、初めて会う連中だから、
誰が誰やら判らなかったのは確かだ。
本来なら、幹事が気を利かせて初参加だと紹介すればよかったのだが、
幹事を含め他の連中は、毎年顔を合わせているから、そんなことには無頓着だったのだろう。
乾杯したら、あとはワイワイガヤガヤ好き勝手に雑談に入った。

ボクは幸い、開会の前に、一人の親友が皆に紹介してくれたお陰で、乾杯の音頭とり役をやらされたのだが、どうやら、彼はそのことが気に入らなかったらしい。
俺を紹介もせず虚仮にしたという訳だ。
つまり、恨まれたのはボクじゃなくって、ボクだけ紹介した親友が恨まれているのだ。

今年の幹事は去年欠席したから、事情も分からず、キョトンだっただろう。
何で俺が怒られなきゃならんのだと、憤慨は乾杯の音頭に現れた。
「今日の出席者だけの」と強調しながら「乾杯」と言って、自ら音頭を執った。
皆、笑った。

たかが10数名の会合で、しかも昔懐かしい連中だけの集いではないか。
自己紹介しながらそこに溶けこむことが出来なかった彼は、この歳になるまでどういう生き方をしてきたのだろうか?
あるいは、これも加齢に伴う偏狭さの出来(しゅったい)なのだろうか?
そう思えば、他人ごとでもなさそうである。
残りの人生、できる限りおおらかに生きたいものだ。

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