名古屋圏外で長年生活した経験から言うと、
愛知県外で誰かに「ご出身は?」と聞かれた時、「名古屋です」と答えても「愛知県です」とは答えないのが普通のこと。
こういう感覚は名古屋圏外で生活したことのない名古屋市民は理解できないかもしれない。
名古屋圏人にしてみれば名古屋市長は名古屋圏の看板を背負った人物なのである。
そして、ボク個人の感覚だが、名古屋市は相変わらず偉大なる田舎だと他県人から密かに蔑まれているのではないか?何故なら今の市長に品格が感じられないからだ。
例によってマスコミが選挙公示前にアンケート調査をして発表した。
わずか1000人の解答だけで或る一定の方向付けをしようとしている。
しかも、アンケートを拒否した人が相当数いるということは、回答してもいいというある種の偏る考え方をしている人たちだけを選別した結果であって、この段階で既に偏った考えが集まる可能性を秘めていることになる。
ぼくに言わせれば、こんなアンケートはマスコミの煽り行為に他ならない。
2日後に名古屋市長選挙がある。
名古屋市民には看板に相応しい人を是非とも選んで貰いたい。
選挙ついでにもう一つ。
昨日、衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会で1票の格差是正法案の審議に入った。0増5減の自公案に反対する野党は欠席。
裁判所の違憲判決が出たから急いで何とかしなければならないということのようだが、
野党抜きで審議し、あとは強行採決で・・・なんてやるのだろうか?
そもそもボクは裁判所の判断にクエッションマーク(?)を付けたい。
極論を云えば格差が2.0を越えてもいい。有権者の頭数で票の重みを比較することがそもそもの間違い。
自然や環境、伝統や文化、食糧生産など、そうしたものは人口の少ない地方こそが濃厚である。
そういうことが1票の重さの中に考慮されなければならない。
その点、連邦制のアメリカは下院が州の有権者比例割り、上院が州毎に議員数が同数割りで決められているそうだ。
これを見習うなら、参院は都道県別完全同数割り当て制でもいいか?と思う。
更にボクは考えた。
政治への関心度というか投票の義務感というか、そういうものが都会と田舎では随分違う。
都会は薄く田舎は濃い。
その様に義務感に濃淡があるにも拘わらず、1票の重みが同じということにも疑問がある。
であれば、いっその事、1票の重みに投票率を乗じて、軽重を加味したらどうだろうか?
使用する投票率は前回選挙のときの実績値を使うとか・・・。
そうすると投票率を上げるなどの副次的効果も出るかもしれない。
以上、考えるだけなら罪にならない。
2 件のコメント :
貴兄のご意見すべてに同感できる。さらにつけ加えるとすれば、出口調査というヤツ。なぜあんなに多数の調査員を動員して調べるのだろう。かかるコストもかなりなものになるだろう。半日もすれば結果は出る。
支持政党、性別、年齢など投票動向の解析に使うのだろうが、母集団の数とサンプリングの数はあまりにも違いすぎる、統計的に意味があるのだろうか。いままでに2回ほど投票を済ませたボクのところにも調査員が寄って来たが、いい加減に返答してやった。
>忠ちゃん ボクは出口調査を拒否しますよ。
外国のことわざに「数字はウソをつかないけれど、嘘つきは数字を使う」というのがあるそうです。出口調査もその類だと思っています。出口調査の対象者を選ぶそのことさえ、調査員の意図が入るわけでしょう。既に、そこで偏りの要因が加わっていますよね。
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