2015年12月31日木曜日

何もできない大晦日

先日タイヤ交換で痛めた肩から首筋にかけての痛みが和らいだところで、昨日は車を洗った。
洗ったといっても水をぶっ掛けて、スボンジとラバーの付いたT字モップで拭いただけ。ワックス掛けは後日回しだ。それだけのことでも影響が甚だしい。
風呂上りにテレビを見ていたら、急に痛みがぶり返した。
お蔭で、昨夜は寝返りするにも痛みが走って、安眠できなかった。
夜が明けても症状はよくならない。家内に湿布薬を貼ってもらった。
そんな訳で家内も亭主を頼ることもなし。
何もできない大晦日になった。

こうなった原因に思い当ることがある。
パソコンとにらめっこしている時間が多すぎた。
体調不良で家に閉じこもることが多くなればどうしてもパソコンを相手にする。
もともとボクは若いころから、どちらかと云えば猫背。
そんな体形だからぱパソコンのキーを叩くときでも猫背になりがち。
おまけに遠近両用メガネをかけて画面に集中すれば、顎が突き出る形になるからなお悪い。
ストレートネックになっていることは間違いなし。
ためしてガッテンで放映された筋膜の皺伸ばし体操を心掛けているけど、いまだ効果なし。
かくして、年明け早々から整形外科に通う羽目になるのは必定のようだ。

この一年を総括すれば、肺ガンが後縦隔にあるリンパ節に転移した疑いのことに尽きる。
昨年8月の左下葉の一部切除に始まり、その後の体調不良継続とガンマーカー値の上昇、2月のPET検査で後縦隔のリンパ節に転移の疑いが出て、食道から超音波内視鏡を使って針生検を行ったがガン細胞が見つからない。そのまま、CTでリンパ節の大きさとガンマーカー値の観察を続けて、やっと転移ではないらしいと診断されたのが10月末のこと。この間、ひたすら転移でないことを祈り、じっと耐えてきたのだった。
これで、最初の肺がんから5年、2回目の肺がん(胸腺摘出と肺の一部切除)から2年4か月、3回目の肺がんから1年4か月過ぎたことになる。
抗がん剤を使わないで手術とX線治療だけでここまでこれたのはラッキーもラッキー、特上のラッキーと云うべきだろう。来年もこの幸運が続いて欲しいものである。

この1年、拙いボクの日記にお付き合いいただいた方々に心から御礼を申し上げます。
来年もよろしければお気軽にお立ち寄りください。

良い年をお迎えください。

2015年12月29日火曜日

スタッドレス履き替え作業

今年の秋、新プリウスの発売あとしばらくして、ディーラーから「新しいプリウスに買い替えませんか?」と電話があった。購入も整備もすべて任せている相手だから、こちらの情報はすべて握っている。勿論、返事はノーである。「まだ3万kmそこそこしか乗っていないし、老い先短いから今更新車を買っても償却出来ないし、故障はないから今のまま乗り続けるよ」と言ったら、相手は簡単に引き下がった。

3日前にそのマイカーをスタッドレスタイヤに履き替えさせた。
乗るのが家内とボクだけなら雪が降れば乗らなきゃいいのだから、スタッドレスを履くこともないが、息子が帰省して来ればそう言ってもいられない。東京で普段車を運転していないから、どこかへ遠出したいと云うかもしれない。

手術後の後遺症というべきか、ボクは前かがみで作業するのが苦痛である。
前かがみの姿勢では肺を圧迫するのだろう。呼吸が苦しくなる。
その上タイヤ交換で、腕を含めて上半身の筋肉をしっかり使った。特に、手回しハンドルのジャッキが結構な負担になった。
お蔭で昨日一昨日は肩こり筋肉痛に悩まされた。
家内曰く、来年から業者に交換してもらったら?

今日は、筋肉痛も和らいだので、餅つき機で餅をついた。
本当は29日は苦が付くので餅つきはしない習わしなのだが、
ボクは苦を懲らしめる意味で苦を搗いたつもり。
29を福とよめば福餅である。
今年も残り2日。
どうやら今年は大掃除らしいい大掃除をしないまま新年を迎えることになりそうだ。


2015年12月23日水曜日

会社の栄枯盛衰に想う

このところ大手企業のビッグニュースが続いた。
不正会計処理が発覚して以来大揺れに揺れる東芝が今期決算が5500億円の赤字を見込み、1万人の人員整理をすると12月21日に発表。
同日、キリンが1949年上場以来初めて赤字となる560億円の赤字見通しを発表。
昨日、本家のアメリカのマクドナルドが半分の株式を持つ日本マクドナルドを身売りすると発表。
シャープに至っては巨額赤字を垂れ流していながら、いまだに何処から支援を受けるのか決まらない。海の向こうではフォルクスワーゲンだ。

これらは理由の違いはあっても、経営判断の誤りが原因として一括りしてもいいだろう。
だから、経営者の責任が問われるのは当然のこと。
でも、一番かわいそうなのはリストラ対象になる従業員やその家族。
解雇されれば生活基盤が崩れる。

こうしたニュースに接するたびに思い出すのは現役時代のこと。
親会社がひと吹きすれば飛ぶような小さな関係会社に出向させられ、業績不良になれば一気に整理される状況の中で必死に頑張った5年半。
引退直前に、親会社の承認を待っていては間に合わない状況の中で、新製品の製造ラインの新設を一部独断専行させ、引退直後に新製品が無事に立ち上がった。
その製品が15年後の今も会社と従業員とその家族たちを支えている。
親会社がいくつもの本工場や関係会社を閉鎖してきた中で、この会社が生き続けられたのはこの製品のおかげ。
そういう訳で、この15年間従業員やその家族を守った来たのはボクの置き土産だよ!
と密かにな自負している。

以上、当事者の現実の大変さを想って自分の過去を思い出したに過ぎない。

2015年12月21日月曜日

ノーミスの年賀状印刷とBGM

予定通り昨日、年賀状印刷を終えた。
170枚印刷してノーミスだった。
例年、宛名書き印刷でも、賀状印刷でも、必ずミスっていたのだから、
今年の珍しい出来事と云うわけで、ブログ日記に書きおくことにした。

この成功の裏にBGMあり。
前にも書いたことだが、ネット動画から拾った昔の歌謡曲をパソコに取り込み、
編集したうえでSDカードにコピーし、ラジオのSDスロットに差し込んで聴けるようにしてある。
幼いころ聞いた軍歌、終戦の混乱のなかで流行った歌謡曲、多感な青春時代によく口ずさんだ青春歌謡曲等など。
音声のピックアップにはwin10にプレインストールされているボイスレコ-ダーを初めて使ってみた。また、音声の一部をカットしたり増幅したりするするには、フリーソフトのAudacityが役立った。以前使っていたSoundengineの後継的ソフトである。

BGMの心地よいメロディーが意外な効果を生むということを実証したのかな?
自分的にはそんな気がする。


2015年12月16日水曜日

恒例の忘年会

昨夜は恒例の高校仲良し連の忘年会。
会場も会費も食事内容も例年の如し。
変わったのはメンバーの変更があったこと。

昨年初めてメンバーに加わった前同窓会長だったK君が、先月肺がんで亡くなったそうな。
訊けば、去年既に肺がんと判っていながらそれを隠しての出席だったという。
おそらく、皆んなと会えるのはこれが最後と思いながら出席したのだろう。
その時の心境を思うと、同じ病を抱えるボクには他人事とは思えない。
自分なら出席さえも出来なかっただろう。彼の意志の強さを思った。

今年新たに二人加わった。同年で別クラスの二人で、幹事役のS君のゴルフ仲間である。
卒業以来、2回ほどゴルフで一緒したから顔を知らないわけではないが、懇意という間柄ではない。だからどうだという訳ではないが、幹事が交代してために仲良し仲間のメンバーも入れ替わって、会が少し変質して来たとは感じる。それでも、和気藹々と懇談出来たから、これはこれでよし。

欠席者は二人。夫々が別の忘年会と重なってそちらを優先させた為。
そのひとりのI君が直前に他の忘年会の鞍替えをしたことに幹事のS君がカチンと来たらしい。
S君が、電話の向うの彼に「来年からはもう誘わない、出てこなくてもいいよ」と言ってやったと前任幹事のボクにこっそりこそこぼした。
ボクは驚いて、「そりゃちょっと言いすぎじゃないの・・・」とS君を窘めたが、
どうやら彼が皮肉で言ったらしいということが分かってホッとした。
S君に言い過ぎたと反省しているところが見えたから、大丈夫、来年はI君の参加は間違いなし。

時間制限一杯の2時間をよく食べ、よく飲み、楽しく歓談した。

散会したあとひとりで帰る電車に揺られながら、そういえば、バイキング料理を取りに行く以外はあまり自分の席を離れなくなったんじゃないか?と思ったり。そんなところに皆んなの老いを見たのだろうか?

2015年12月14日月曜日

ブルーベリーの狂い咲き

庭にある6鉢のブルーベリーの一つに花が狂い咲いた。
さくらの狂い咲きはよく知られているところだが、ブルーべーもとは驚いた。
サザンハイブッシュ系のミスティという品種である。
ほかの5鉢に比べて花芽がどんどん大きくなって喜んでいたのに。
こうなったら来年は実が成らない。


何故こうなったか?
お礼肥えが多かったのか?
エルニーニョ現象による暖冬のせい?

狂い咲きのメカニズムについて、こんな記述を見た。
強い風などで葉が吹き飛ばされると、葉でつくられる成長抑制ホルモンが花まで届かないことがある。そこに異常な温かさが来ると、花の成長抑制が効かないので、春が来たかと勘違いして狂い咲く。
花に成長抑制ホルモンが届いていれば、例え季節外れの暖かさが来ても成長抑制ホルモンの効果で花は咲かずに越冬し、冬の寒さで成長抑制ホルモンが壊されたあとで温かい日が来れば開花する・・・・、というのである。
因みに、落葉樹以外で狂い咲きする植物はまずないそうだ。

そうなら、狂い咲いたブルーベリーは風に吹かれて葉を落としていなければならないことになるが、紅葉はしたけど落葉はこれからだから、この説は当てはまらない。
残る肥料過多だが、思い当たることはある。
狂い咲いたブルーベリーは6鉢の中の一番若い3年ものであるにもかかわらず、
他の鉢と同じようにお礼肥えをしっかりやった。それがいけなかったのかも知れない。
過ぎたるは及ばざるが如しということか?

狂い咲きし 花はあれども ブルーベリーの 実の一つだに無きぞ悲しき 


2015年12月12日土曜日

年賀状つくり

師走も半分ほど過ぎれば今年の喪中葉書も来るものは来ただろう。
そろそろ年賀状をつくるか。

葉書は家内の分を含めて200枚を買ってあるが、近年、少し余すようになった。
印刷インクはダイソーの216円インクを需要期の品切れ前に買っておいた。
年賀状印刷前に染料インク4色全部を新しくするのがボク流。こうすれば色調のトラブルは避けられる。
住所録は事前に郵便番号、住所に変更がないことをチェックしてあるからエクセルファイルから、必要情報だけコピペして.cvsファイルに変換すればよい。これは印刷前の最終作業になる。
宛名書き印刷にはフリーソフトを使っているが、意外に使い勝手の良い物が少なく、もう10年以上も同じソフトを使っている。

年賀状のデザインには、日本郵便のはがきデザインキットのサービスが始まって以来、これを使っている。使い勝手がいいのが最大の理由。
テンプレートは使わず、素材を寄せ集めて構成するのがボク流。
今年はなんとなくお気に入りの素材が少ないように感じた。
また、はがきデザインキットはテキスト入力の文字フォントの種類が少ないのが難点。
そのためパソコンに入っているフォントを使うのだが、そのフォントも15年前に買った年賀状作成ソフトのCDからパソコンに入れ込んだもの。ネット上に、気に入ったフリーフォントがないものかと探すのだが、これもまた見当たらない。

さて肝心なのが、近況報告の代わりに書き添えている川柳もどきの作文をどうするかだ。
我が身の近況を匂わせるものに世相を皮肉ったものを加えて3句ほどを作るのだが、
これもいい加減なもので、事前に準備などしない。ほぼ即興で作る。
今年は流行語大賞の爆買いを借りようと思っている。原案は出来たが、テニヲハを「を」にするか「に」にするかが決まらない。印刷直前まで迷っていることだろう。
仕上げは12月20日を予定。

2015年12月7日月曜日

散歩日和


曇天で小寒かった昨日から一転、今朝は快晴で無風状態。
2階の小窓から雪をかぶった御嶽山がくっきり見えた。
こんないい天気に家でくすぶっているのはもったいないと、
家内を誘って車で木曽川へ出て、それから遊歩道を歩いた。

下着にスポーツシャツ、その上にウインドブレーカーの出で立ちで、
木陰部分は少し寒いくらいだが、日当たり部分では汗が出るくらい暖かかった。

レンズの中なのか、撮像素子の上なのかわからないが、
入ったゴミが写り込むようになってしまった安物のコンデジ、
そんなカメラでも何とか見られる写真が撮れた。
これも良い天気のお蔭。
木曽川の流れはあくまで青く、雪化粧して白い蒸気を吹く御嶽山も美しかった。

2015年12月5日土曜日

歯科治療完了

先月16日に歯科検診を受けてから3週間で4回治療に通い、昨日治療が終わった。
1回目 点検、レントゲン、掃除
2回目 歯周病の歯ぐきの掃除、古い虫歯金属を剥がし歯型取り
3回目 虫歯に新しい金属を埋め込み
4回目 治療後の点検、掃除

1回目は電話した当日の診療だったから、割り込み受診になったので点検だけに終わったのはやむを得ないか?
その後、3回の通院で終了したから、ごく標準的な治療ということだったのだろう。

虫歯は治療すれば治るから当然だと思っている.。
一方、歯周病の治療は悪い箇所を掃除したくらいで、特別に消毒するとかの治療らしいことを何もしなかった。
丁寧に歯磨きして下さいと言われた程度。
そんなことで治るのだろうか?
心配だったから、「ヨード剤で消毒したらどうなりますか?」と訊ねたら、
「悪くないでしょう。うがいでもいいですよ。」と言われた程度。
先生は気乗りしない返事。

ままよダメ元と思いながら、食後の歯磨きのあとに、うがい用のヨード剤原液を歯間ブラシに滲み込ませたもので歯茎に塗ってみた。これを2週間続けた。
そしたらどうだ!4回目の治療の2日前に歯茎のくさい臭いが消えた!
先生にそのことを申告したが、反応はいまいち。
わたしの治療が良かったんだよ、と思っているに違いない。
ボクはボクでしてやったり!
悪かった箇所のポケットの深さも、治療前5mmだったのが治療後3mmになっていた。
3mmは正常値。

ボクは歯周病治療は初めての経験。
軽ければこの程度で治るということが分かったということ。
だから先生も最初から大したことないと思っていたのだろう。
時として家内から口臭を指摘されることがあったのは、案外、軽度の歯周病があったからかもしれない。これからは歯間ブラシを使った時のブラシの臭気をチェックして、歯周病の早期発見に心がけよう。

2015年12月1日火曜日

今冬の初風邪

先月14、15日に犬山でワクチン学会が開かれた折に帰省してきた息子が、東京から風邪を持ち込んだらしい。かなり頻繁に咳をしていた。
その数日後の19日にボクの鼻の奥がヒリッと痛み出し、翌日から痛みがのどに広がり、翌々日には気管支に症状が広がった。
幸い、熱が出なかったので大事に至らずに、約1週間ほどで咳も収まった。
そうこうしていたら家内が26日から、やはり咽喉風邪にやられた。症状はボクより少し酷いが微熱程度で収まり、今日あたり回復と云えるほどになった。どうやらボクが家内にうつしたらしい。

ボクの肺は手術で弱っているので風邪に気をつけなさいと主治医から言われている。
そんな訳で、極力人混みには出ないようにしており、それが功を奏して、ここ2、3年風邪を引いたという記憶がなかったのだが・・・。

今年のインフルエンザワクチンの注射は、家内ともども、先月の11日に済ませてある。
肺炎球菌ワクチンもボクが去年、家内が今年済ませてある。
油断していたわけではないけれど、今回は、思わぬ身内の伏兵にやられた格好になった。

2015年11月29日日曜日

我が家は農協准会員

家内が庭に蒔いたエンドウのタネが芽吹き、今では30㎝ほどに成長した。
これを越年させるため、霜よけに地面に撒くもみ殻がほしいという。
たかが5株ほどの苗だからバケツ1杯もあればこと足りるのだが、
近くの農地に山ほど積み上げたもみ殻があるにはあるけれども、
これとて他人様の所有物だから、ちょっと失敬というわけにはいかない。
仕方がないから農協で買ってくるかと思っていた矢先に、
隣町のカントリーエレベーターに行けば無料で呉れるというニュースが、
農協のコミュニティ誌に載った。
昨日、それを貰いに行って来た。

このコミュニティ誌、たかが20頁程度ものであり、農協会員に配られている。
我が家は准会員だ。正会員8500人、准会員13000人で出資金は7億2千万円。
うち准会員は1万円の出資額。脱会の時に出資金は返ってくる仕組み。
准会員になると、スズメの涙ほどの金利がほんの少しだけ上乗せになるとか、ささやかなお中元やお歳暮、総会の記念品、さらに誕生日のプレゼントなどが届く。
せいぜいティッシュペーパー程度しか呉れない銀行や郵便局に比べれば、農協の会員サービスはなかなかよろしい。

元はといえば、我が家に一番近い金融機関が農協だという理由で、各種引き落としや、年金振り込みなどに指定したのが始まりだが、今のところ特に不便さを感じていない。
強いて言うなら、ネット通販を利用するには不便かもしれない。
ネット通販で振込手数料無料を狙うなら都市銀行口座は欠かせないからだ。

我が家のメインバンクは農協だといえば、何だか田舎臭い響きがあるが、
田舎住まいの実態に相応しいといえるだろう。

2015年11月26日木曜日

隣の客はよく柿食う客だ

我が家から350mの八百屋で買ったウンダラ柿。
一盛100円で11個入っていた。
ウンダラ柿については前にも書いたが、熟(う)んでダラッとした柿のことを、
尾張や三河地方ではそう呼ぶ。要するに熟し柿のこと。

今がウンダラ柿の旬。
八百屋は、店頭に並べた柿の中からウンダラになったものを選んで、
売れるものなら売ってしまおうと、ただ同然の値段で並べる。
それが好きなボクのような客が、待ってましたとばかりにそれを買ってくるのである。

予め冷蔵庫で冷しておいたものを取り出してお皿に載せ、
へたを上にして、へたの周囲にナイフを入れてへたを取り除き、
グレープフルーツスプーンで穿りながら掬って食べる。
ウーン!これは美味!柿もいろいろあるけど、こうした柿が一番美味い。

家内が一度ならず二度三度と買ってくる。
八百屋の爺さんも「隣の客はよく柿食う客だ」と思っているだろうなぁ・・。

2015年11月24日火曜日

金婚記念日


昨日が結婚50周年記念日だったが金婚式とは言わない。
何もやらなかったから金婚式もなし。
しいて言うなら金婚記念日だろう。

それらしいことは1年前に済ませてしまってある。
昨年、3回目の手術を終えて3か月過ぎたところで、
家族全員を舘山寺のホテルに集合させて、
退院と金婚記念を兼ねてささやかな祝いの膳を囲んだのがそれ。
家内が、亭主が1年先の金婚記念日まで生きているかどうかわからないと思って、
1年繰り上げて祝ってしまったという訳だ。

 そうした家内の危惧が外れたのだから、これを喜ぶべきだろう。
その家内だが、例によって3連休に娘が孫ふたりを連れて里帰りに来たので、
そちらの方でてんてこ舞い。
金婚記念どころじゃないよ!と、娘のいないところでぼやき節。

 昨日の朝方、「今日は金婚式の日だよ!」と娘と孫のいるところで言ったら、
どうやら、毎年この日はおじゃま虫している娘の方が気になったらしい。
夕食のとき小3の孫娘が「これ!お祝いです!」と云って、手渡してくれたのが、
1枚の絵。娘が孫と一緒に急いで書いたようだ。
お陰で、金婚記念日の何物にも代え難いプレゼントになった。

孫達は昨夜のうちに帰って行き、
今日から結婚51年目が始まった。

2015年11月19日木曜日

ワイン飲みのボジョレー・ヌーボー知らず

 酒を毎日飲む。暑いシーズンは別にして、飲むのは主にワイン。
 それもチリ産の3㍑入りボックス赤ワインである。
 夕食のとき約100ml飲むから、これで1ヶ月保つ。
 このワインにたどり着くまではいろいろのワインを試してきたが、
 数年前からこれに落ち着いた。安くて美味しいというのがその理由。
 近くのスーパーの定番品である。

PCのメールマガジンを読んでいて今日がボジョレー・ヌーボーの今年の解禁日だと知った。
その中にこんなことが書いてある。
 ボジョレー・ヌーボーとはフランスボジョレー地方の新酒に限ること。
 ぶどうの品種はガレ種のみ。
 発酵槽に房ごと投入して炭酸ガスに漬け込む。
 タンニンが少なく軽い飲み口で、赤ワインでありながら冷やして飲んでもよい。
 ボジョレー・ヌーボーの約60%を日本が輸入している。

へー、そうなんだ。単にボジョレ地方産の新酒の総称かと思っていた。
ワイン飲みのボジョレー・ヌーボー知らずである。

もう少し調べてみた。
 ガレ種は赤ぶどうだから、ボジョレー・ヌーボーの白ワインは存在しない。但し、白ヌーボーというのがあるらしいが、これはボジョレーではない。

炭酸ガスにつけ込む方法をマセラシオン・カルボニックというが、これはタンクの底のほうで重みで潰されたぶどうから果汁が滲みだし、自然発酵により発生した炭酸ガスに満たされるというものらしい。尤も、炭酸ガスを吹き込むという説もある。
サッポロビールのHP一部を貼り付けておく。

  


タンニンが少なくなるのは果皮を過度に絞らないためなのか?あるいは炭酸ガスの効果なのか?それについては不明。

ついでにボジョレーなのか?ボージョレーなのか?ボージョレなのか? 正解は、ボジョレ・ヌボが正しいらしい。 日本人がアクセントを表現するのに横棒をつけて書いているにすぎない。
でも、フランス人の発音にもばらつきがあるというから、どうでもいいということ。

で、ボジョレ・ヌボを飲むか?
 チリ産ワインのお陰で渋みに慣れているから、飲み口の軽いものをわざわざ買ってまで、飲もうとは思わない。

2015年11月17日火曜日

歯科検診

35年ほど前に抜いた左上の奥歯の辺りが歯槽膿漏らしいと2、3日前に気がついて、
慌てて昨日歯科を受診した。
やはり軽度の歯槽膿漏であり、他にも左下奥歯の1本に虫歯が見つかった。
急ぐ治療ではないので、掃除しただけで治療は次回の受診からということになった。
実は、8月に1年後の検診案内の葉書を受け取っていたのだが、その時は自分の歯に異常を感じていなかったし、肺がんのリンパ節転移の疑いと体調不良が続いていたこともあって、受診を先延ばしにしていたのだ。
尤も、こうした葉書は初めてのことであり、歯科医師過剰がこんな形で現れたのかな?という程度の受け止め方をしていたと云えなくもない。
結果的には、歯科の定期検診の案内はそれなりに意義のあるものであることを知った。

今まで何本あるのか把握していなかった自分の歯。
改めて数えてみたら上が15本、下が15本あった。
殆どが何らかの治療を受けているが、今回の治療で、歯はまた生き延びる。
本体の命があればの話だが、8020は軽くクリアー出来るだろう。

2015年11月14日土曜日

住民健診のセカンドオピニオン

無料の住民健診の値 GOT 83(<38)    GPT 93 (<43)    γGTP 50 (<48)  ( )内は基準値

肝臓の値が基準をオーバーしているといってもこの程度なら誤差範囲と云ってもいい位で、
肝臓が悪ければもっと大きな数字になりますよ。
これを診て、普通はエコーとCT検査をするとは、言いません。

1週間後の有料受診の値 GOT 73 GPT 81 γGTP データなし
           抗核抗体 320倍 (>40倍)  抗ミトコンドリア抗体 20倍 (>20倍)
           CT検査 エコー検査をしたという情報のみでデータなし

肝臓の値が下がっています。
膠原病因子のある人は抗核抗体が高くなるけれど、500倍以上にならないと症状は出ません。
肝生検の必要はありません。経過観察だけでいいでしょう。
念のため、1ヶ月後に採血検査しましょう。
その結果により、紹介状を書いてくれと云うならどこの病院でも紹介しますが、
そこでもまた検査してから肝生検の必要性を判断することになるでしょう。

そう言って、近くのかかりつけ医の若先生の診断を暗に批判した。

以上は、昨日10数年来にわたり診て貰っている家内の内科医の診断である。
この先生は膠原病に精しいとされている。

家内は、この診断に納得し、初見のかかりつけ医の若先生の方を過剰診療だと断じた。
無料なはずの住民健診で有料になったことも納得出来ないと云う。
そんな訳で、家内はかかかりつけ医を別のところに替えることにしようと言い出した。
そうなると、亭主のボクの方にもそのとばっちりがかかる。
若先生に顔を合わせれば、「奥さんはどうしましたか?」と訊かれる違いない。
そうなれば惚ければいいのだろうが、ボクにはそんな演技力はない。
どうしたものか?ボクもかかりつけ医を替えようか?

2015年11月12日木曜日

クルミ拾い

2kmの遊歩道に何百本ものオニグルミの木がある。
それらの木々からクルミの実がほぼ消え、クルミ拾いする人の姿もほとんど居なくなった。
そんな中で1本だけ梢に実を残した木があった。数日前には今日見たよりもたくさんの実があったから、ここへ来て一気に実を落としたに違いない。
ならば、樹下のブッシュの中に落ちているはず。
そう思ったら、あとの行動は早い。

歩道から低い石垣を降りて、クマザサのブッシュに分け入った。
探すこと数分で拾ったのが約80個。
これだけあれば十分。

家に持ち帰って、靴で踏みつけてグリグリしたら、皮が簡単に剥がれた。
種子を水洗いして、日に干して乾燥するだけ。
孫たちが今度来たらクルミ割りを実演して見せてやろう。
ジージのクルミ割り、いつまでも孫たちの記憶に残ってくれれば良いのだが・・・。

2015年11月11日水曜日

MRJ初飛行 我が家の上を飛んだ 足出して

本日のNHKテレビ7時のトップニュースはMRJの初飛行。
飛行機フアンでなくても興味津々。

パソコンでライブ映像を見ながら、無事飛び上がったところで窓からカメラを出して狙った。
名古屋空港の風向きで今日のテイクオフは北向きだから、我が家からでも肉眼で見えるはず。

来た!来た!伴走ならぬ伴飛の小型機を従えて。
通常なら車輪はとっくに格納されていなければならないのに、まだ出したままだ。
ひっこめる余裕がないのか、異常なのか、テストなのか、気になった。

我が家の真上を東に向きを変えてやがて消えた。

無事にテストを終えて帰着する前にブログにアップだ!


 

2015年11月9日月曜日

パソコンでお遊び 音を拾ってSDカードに録音する


昨日は雨降りで今日は曇り。こういう日には家に閉じ込められ、パソコンに向かう時間が増える。
 
以前このブログに書いたことのあるCDラジオだが、買って1ヶ月でマイコンが云うことを効かなくなって新品に交換して貰い、更に、その交換品で夜中にCDが突然大きな音量で鳴り出すというトラブルがあって、メーカーに点検させたと云う出来の悪いラジオである。
それでも、CDの他にもSDカードに入ったmp-3ファイルを鳴らすことが出来るというので、この機種を選んだ訳だ。
パソコンから音楽データをSDに移して鳴らしてみると、CDのように嵩張らないから確かに簡便であり、使い勝手が良い。これなら、自分だけのBGMを編集して自室で鳴らすのも面白そうだと考えた。

さて音源はどうするか?手持ちのファイルからでもいいし、動画サイトから拾って来てもいい。
拾うための手段は?XP時代に使っていたフリーソフトでやってやれないことはないけれど、今時もっと簡便な方法があるはず。
探してみると、何~ぁんだ!windows アクセサリーにサウンドレコーダーがあったじゃないか!
でも、winXP、win7まではあったというそのソフトがwin10になったら無くなっていた!
残念!と思ったところで、無くしたのには理由があるはず、と考えた。多分、windows ストアの中に代替ソフトがあるのだろう。
探した。そして予想通り、ボイスレコーダーなるソフトを見つけ出した。
このソフト、パソコンで鳴っている音なら何でも録音してくれる。
音質にこだわらなければ動画サイトでもラジコでも何でもござれだ。
録音はMPEG-4で保存される。

ラジオで鳴らすにはもう一つ手間がいる。
MPEG-4をmp-3に変換しなければならない。
検索したら簡単に見つかった。オンラインオーディオコンバーターである。
http://media.io/ja/

 早速、動画から「小さい木の実」の音を収録した。
昔、皆んなの歌という番組で好評だった歌であり、好きな歌の一つである。

かくしてボクの暇つぶしのお遊びがまた増えた。

2015年11月8日日曜日

住民健診でカモネギになった


家内が健康体操とヨガが休みの日は、木曽川遊歩道をボクと一緒に歩くと言い出した。
理由は、家内が住民健診で肝臓の値が高くでたので、体脂肪を減らしたい為である。
以前もGOT、GTPが高く出たことがあり、脂肪肝だというので運動をして正常値に戻したことがある。
幸い、このところガソリンが安くなったお陰で、二人で一緒に木曽川まで車を乗り付けてもよかろうという、主婦的な発想も手伝ったようだ。
更に、肺機能が縮小した亭主の保護者のつもりもあるかも知れない?
勿論、ウォーキングを日課にしているボクには断る理由はない。

家内は1週間くらい前の住民健診で、GOTとGTPが基準値をオーバーした。
例のかかりつけ医の若先生は、ここぞとばかりにCTとエコー検査をすると言い出した。
CTかエコーか、そのどちらかで間に合うと思うのに、両方やるというのは点数稼ぎに違いない、と家内は云う。亭主のボクもそう思う。小さなクリニックにCTを入れたのだから稼ぎたいのは見え見え。家内はカモネギになったようだ。

家内は予約日に受診した。
若先生、CTもエコーも結果がどうだったかに触れずに、いきなり抗核抗体が上限の40倍を大幅に超えて320倍と出たのを問題にし、自己免疫性肝炎の疑いあり、生検するのに1泊の入院が必要、KK病院へ紹介状を書きましょうか?と言ったという。
家内は膠原病の因子を持っているので別のクリニックで定期的に診てもらっていることを説明し、そちらで相談してからにしますと言って、帰って来た。

今週金曜日にはいつものクリニックで1か月ごとの定期検診を受ける。さてどんな診断が出るのだろうか?

2015年11月3日火曜日

冬支度


昨日の夜来の雨は夕方近くになってやっと止んだ。
最高気温が15℃前後とあってはさすがに冷える。夜はストーブを出して炊いた。
灯油は去年から繰越が2缶と少々残っている。
雨上がりに近くを散歩しながらガソリンスタンドのガソリンと灯油の値段をチェックしたら、
ガソリンが122円、灯油が1296円/18L。
灯油は去年の最後は1600円台だったから、今年のストーブは高い灯油を炊くことになった。
年越しの灯油は酸化して炊くと臭いと言われるが、1年くらいなら問題ない。年越しの灯油引き取りますという看板を見たことがあるけど、どんな商売をしているのやら?どうせ得なことはないのだから、使いきったほうがよかろう。

ズボン下も出して身につけた。そのまま3000歩ほど歩いても汗を書くこともなかった。
その程度の冷え込みだったということ。

明けて今日は快晴で最高気温が+7℃の予報。半袖で過ごせるらしい。
始めた冬支度も一休みして、先ずは散歩に出かけるとしよう。

2015年10月31日土曜日

転移再発ではないらしい

昨日は2か月ごとの術後経過観察受診日。
6か月前にいったん正常値に戻ったガンマーカーのCEAがその後2回正常値を越えた。
そして今回はどうか?上がれば転移再発の可能性が高まる。

先生の診断が始まった。
「ガンマーカーのCEAは全く問題のない正常値レベルの3.2です。」
CT画像を上から下までスクロールして診たあとで、「肺に異状は認められません。」
さらに問題の後縦隔のリンパ節を探りながらスクロールして、
「リンパ節の腫れが無くなって、認識できないほど小さくなっています。」
「どうやら単なる炎症だったようですね」。
ここまで聴いて、一気に緊張がほどけた。
家内ともども「よかった!」と声を上げた。

体調を訊かれて、ボクは「首筋のコリで首がよく回らないが、体調は良くなっていると思います」と答えると、すかさず家内が「よく体を動かしているし、木曽川まで歩いていくし、体調はよさそうに見えます。」とつないだ。
それを聞いた先生、「それは結構ですね。木曽川は水は未だきれいですか?シラハエは釣れますか?私は木曽川沿いの一宮出身で、シラハエ釣りをしたこともあります。」とおっしゃった。
ボクが「まだまだ水はきれいですよ」と答えたところで、先生のケータイが鳴って話が途絶えた。鳴らなければもう少し雑談が続いたかもしれない。

先生が私的なことを交えて雑談されたのは初めてのことで、超多忙な先生には珍しい。
患者がいつもより少なく、時間的に余裕があったせいもあるかも知れないが、結果が良かったことに先生自身がホットされたのだと思う。そんな先生の気持ち的余裕を感じ取った。

 次回の検診は2か月後に、今回と同じく血液検査とCT検査。
当面の危機は回避されたとしても、疑いが完全に晴れた訳ではない。
おそらくは、その先、まだ予定のないPET検査で陰性を確認するまで、疑いは晴れないだろう。

 

2015年10月27日火曜日

洗濯した歩数計 乾く間の遊歩道散策

あちらこちらで庭木の手入れをする光景を目にするようになり、それを真似て我が家も先週のうちにカイズカイブキとキンモクセイの剪定を終えた。
昨日、その切り枝を車に載せて、さあ出かけようかというところで、
家内が「やっちゃったぁ!」と言って、洗濯し終わった洗濯物の中から歩数計を取り出した。
前回はボクの歩数計だったが今回は家内の歩数計である。
急いで分解してテイッシュで水滴を拭き取り、そのまま乾燥待ち。


 予定より1時間遅れで剪定枝の廃棄作業再開。
切り枝をマイカーに積んで、木曽川遊歩道近くの町の廃棄場に運んだ。
赤い旗が立っている指定場所に、家内と二人でブルーシートに包んだ切り枝を運んで、投棄した。今日は多いなぁ・・と係のシルバーが言った。剪定シーズンに入ると月曜日が混むようだ。

またとないようないい天気に、家内と意見が一致して、遊歩道を歩くことになった。
二人で歩いたのは何年ぶりだろうか?
二人で歩けばウォーキングじゃなくって散策になる。
家内がクルミ拾いのおばさんを見つけて声を掛けた。
こういうところは家内の得意ワザである。
多いか少ないかの話からくるみ割りの話になって、ボクも上手なクルミ割の方法を伝授した。
ひとりだったら、精々「小さな木の実」の歌でもを口ずさんで通りすぎたことだろう。


 遊歩道にはエノキとムクノキの大木が多い。でも、ちょっと見ではどちらがどっちだか分からない。
歩道に落ちている黒っぽい木の実を見て、家内が「これは何の実?」と訊いてきた。
ムクノキの実である。小学生の頃食べたことがあって、味をよく覚えている。エノキの実はムクノキの実より小粒で赤っぽい。落ち葉を見て、鋸歯が葉の辺縁部全部についていればムクノキ、先端部半分だけならエノキである。
実が熟し、落ち葉が舞う今の時期ならエノキとムクノキの判別も出来るが、枯れ木になったらもう素人では見分けられない。


同じクヌギの木でもドングリが一杯落ちている木と全然落ちていな木があった。
後で調べたら、ドングリには1年成と2年成があってクヌギは2年成だと知った。
2年成は実がなるまで2年掛かるということ。そうだったのか!

乾燥を終えて組戻した歩数計は問題なく機能した。
でも、細かい作業はもう勘弁してもらいたい。
家内にそう言っておいた。

2015年10月25日日曜日

老舗ミルクプラントの廃業


ボクと同じ元の会社のOB、Hさんからのメールで、名古屋牛乳と豊田牛乳が廃業したことを知らされて、驚いた。豊田乳業は別にして、名古屋牛乳は県内では老舗中の老舗だから、多くのひとに馴染まれてきたブランドである。それが消えた!という訳だ。
慌てて情報を探った。

孫引きだが、日刊酪農乳業速報2014.2.14号を見つけた。
それによると、県内で名古屋牛乳と昭和牛乳とみどり牛乳が1年半前の2014年3月末に、同時に廃業していた。農水省の産地活性化総合対策事業により、県内の乳業会社の統廃合を進めた結果らしい。これで県内で残ったのは大手を除いて中央製乳と常滑牛乳と愛知兄弟社の3社だけになった。
豊田乳業はさらにそれ以前の2012年12月に倒産して神戸物産の子会社として買収されているから、廃業とは違うようだ。
統廃合が進んだ背景について、表向きには次の理由が挙げられている。
牛乳消費の低迷、飲料の多様化、設備の老朽化に伴う改善に投資の回収が見込めない、経営者の高齢化、等々。

確かにその通りなのだろうが、ボクの見方はもっと厳しい。
大手メーカーに対抗して牛乳の安売り競争に走ったことで自らの首を締めることになった、と見る。
即ち、かって、農系、酪農組合系の牛乳が大手乳業メーカーの製品をスーパーから駆逐できたのはひとえに低価格戦略のおかげだった訳だが、安くした差額分は結局のところ組合員である生乳生産者自身が負担したという構図になっていたはずである。みどり牛乳はおそらくその典型ではなかっただろうか?生産者はその負担に耐え切れなくなったと想像する。

生き残った中央製乳は名古屋牛乳と昭和牛乳の生乳を引き継いだようだ。
同級生だったI 君が長年トップを務めた会社である。
彼の手腕に負うところが大きかったのではないかな。

全国的でどれくらいのメーカーが廃業したのだろうか?
ニュースを見かけなかったのは、ボクの目が節穴だったか?
乳業界から足を抜いて18年、浦島太郎になった気分である。

2015年10月23日金曜日

抗ガン剤治療の限界か? 47歳の肺ガン死

家内の甥の嫁が亡くなったという知らせが入った。
 47歳の肺ガン死である。

 彼女の肺ガンが見つかったのは4年4か月前のこと。
 義兄の嫁が危篤になり、駆け付けた病院で彼女に会った折に、
 たまたま、ボクがその半年前に肺ガン手術した話が出た。
 その時、彼女が咳が出るというので、「早く検査を受けた方がいいよ」とボクが言い、
 彼女もすぐ検査を受けたのだった。
 が、時すでに遅しで、手術できないステージまで進行していたのである。

その後、イレッサがよく効いてガンが小さくなり、脳に転移したガンも寛解したと聞いていたのだが、その後の情報がなく、やっと届いたのが訃報という訳だ。
 抗ガン剤治療がイレッサだけだったかどうかは知らないが、肺腺ガンの特効薬と言われた抗ガン剤といえども根治させると言うものではなく、延命効果もこの辺りが限界なのだろうか?
 若かっただけに進行も速かったかもしれない。

彼女は甥と同級生同士で、甥の恋女房だっただけに、残された甥が余計に可哀想に思える。
 でも、子供が居なかった。それがせめてもの慰めである。

ボクは3回の肺ガン手術はしたけど抗ガン治療はしたことがなく、ラッキーだった。
 これからもそう願いたい。
 ガン治療は早期発見、早期治療に限る。

2015年10月21日水曜日

久方ぶりの1万歩

今日は思い切って、自宅から犬山河川敷テニスコート経由木曽川遊歩道をめぐる1万歩のコースの散歩に挑戦した。
手元の記録によれば、3回目の肺がん手術以降はこのコースをまだ一度も歩いていない。と云うよりも、体力的に歩けなかったという方が正しい。
最後に歩いたのが1年4ヶ月前。
手術後は、コースを途中でショートカットしたり、遊歩道まで自転車で乗り付けてから歩いたりしていたから、歩数が1万歩にとどいたことがない。

今日の結果は、途中2分のベンチ休憩を2回挟んで1万歩で110分掛った。
以前ならノンストップ95分前後で歩けたし、歩幅も今より5センチほど広かったんじゃないかと思う。
今は、インターバル速歩なんてとてもとても。精々、歩きに体を慣らす程度のウォーキングになった。

少し靄っていて、日差しは強からず無風、心地よかった。
遊歩道はいつもの常連さん達でそこそこの賑わい。
但し、低空を飛ぶジェット機の騒音が余分。今週末の岐阜基地航空祭に備えて頻繁に訓練飛行が繰り返されていた。
鴨の姿はまだ見えない。

以前、野鳥案内板に描かれたカワラヒワの名前が間違ってカワウヒラとなっていたのを役場に知らせたことがあり、その後、いっこうに修正されずに放置されていたのだが、それがきちんと修正されているのに気がついた。
ボク以外にも役場に通報した人がいて、やっと腰を上げたのだろうか?
仕事の遅さを、さすがは役所仕事!というべきなのだろうか?
対応した役場を評価するとしても、スピードが遅すぎ!

2015年10月14日水曜日

幼なじみのS君との交友

去る今年の2月のこと、後縦隔への転移再発を疑われ、体調にも色々自覚症状が現れて絶望感に襲われていた頃、幼なじみのS君が見舞いに来てくれたことがあった。その後、体調が少し回復し、転移再発の疑いから開放されたのだが、そのことをS君は自分のことのように喜んでくれたのであった。
そんなこともあって、墓参の折に元気な姿を見せると約束してあったのだが、昨日、やっとその約束を果たした。但し、墓参りは今回も見送った。お墓は逃げはしないから、後回してよかろうという訳だ。それよりも生きている人間の方が大切であるという、身勝手な理由をつけて。

お宅には学生時代に何度も訪れ、仲間と徹夜マージャンしたこともある。十分手入れされていて、建物の外も内も昔のイメージと変わっていない。懐かしさがこみ上げた。
S君は奥方と一緒に、S君の母親が大事に遺して呉れた大量の写真を整理した中から、ボクが写っている写真だけを抜き出して置いて呉れた。
一番古いのは小学校5年生の集合写真、中学校時代は同じクラスになったことがないので写真はなし、高校時代は修学旅行や体育祭の集合写真などなど。どれもこれも、こんな写真があったのかと驚くばかり。ボクは大学4年生の時の伊勢湾台風ですべての写真を失った。それから56年になる。懐かしい!
S君は必要ならコピーしようか?と言ってくれたが、ボクは「写真がS君のところにあることが判ったから、必要なときにお願いします。その時はよろしくね」と応えた。自分以外に必要だと思う者は家族にいないだろうなぁ・・・・。

トムソーヤの冒険、ロビンフッドの冒険、三銃士、ああ無情(ラ・ミゼラブル)など、小学校5年生、6年生の時にS君から借りて読んだ本の題名である。彼の一家は引揚家族で、裕福ではなかったはずだが、S君が長男だったこともあって本はよく買ってもらっていたようだ。本などとても買ってもらえない末っ子の四男のボクには彼から借りる本が新鮮でり、ありがたかった。
S 君とは、
6年生の時、珠算塾も一緒に通って3級を取ったところで止めた。
中学3年生では一緒に体操部で体を鍛えた。
高校は毎日自転車を並べて通学した。
大学では2年生まで一緒に通学することが多かった。
そしてS君は地元企業へ就職、ボクは転勤族になった。
2時間で引き上げるつもりが3時間にもなった。それでも話が尽きなかったが、次の再会を約し
ておいとました。

ボクが55歳で地元に戻り、それ以来22年間、S君を含めて高校時代の仲良しグループと毎年忘年会で会う。今年の忘年会は2ヶ月後、S君にまた会える。


2015年10月10日土曜日

今日の木曽川遊歩道

朝から曇り空だが雨の心配はなかったから、散歩の足は木曽川に向かった
3連休の初日にしてはウォーキングする人が少ない。見通しできる約500mの間に平日なら数十人のウォーカーの姿を見るのだが、今日はその半分以下。常連の高齢者たちは平日がお休みなのか?

遊歩道で二人の子供とその父親が短い棒を使ってクルミ狩りをしていた。
通りかかった公園管理のシルバーが「今年は不作だから少ないダラー!」と声を掛けていた。
低いところはあらから無くなっており、高いところにしか残っていない。自然に落下したクルミをブッシュの中で探す人が出てくるのはもう少し先のこと。

Nさんのキンクロハジロ見参というブログを見た後だから、こちらはどうか?と目を凝らして川面を観たが、それらしい姿は見えず。毎年初めに見るカモはカンムリカイツブリだが、それも見られない。鳥見のシーズンインもまだ先のようだ。


河川敷の守口大根畑では種まきも終わり、早いところではすでに葉っぱが青々と茂りだした。
写真の畑では収穫が年内にはじまり、そのほかは年明けになるだろう。収穫風景は当地の風物詩になっている。それまで2~3か月。時のすぎる速さを想った。

今日は何か月ぶりかの連続9000歩。少々疲れたが、何とか歩けた。

2015年10月8日木曜日

ピロリ菌抗体価 陰性になる迄まる3年

先週受けた住民健診の結果は全て問題なし、追加診療の前立腺ガンとピロリ菌検査も、ともに問題なし。特定健診そのものが生活習慣病を主眼においているから、ボクが体調不良で何かと訴えるところが多いにも拘らず、異常なしと出るのも仕方がないか。

ところで、ピロリ菌抗体価が陰性域の9と出て、大(おお)先生が「粘り勝ちですねぇ」と冗談ぽくボクを皮肉った。2回目の除菌をやれ!やれ!というのを、ボクがなんとかかんとか言って、敬遠して来たことを言っているらしい。
ボクの方は、してやったりと、内心ニヤリ。

ここまでの経過の概略は次の通り。
2012.11.6  胃カメラ検査 ウレアーゼテストで陽性 ピロリ菌抗体価検査なし
         抗生物質を飲み除菌
2014.6.17  胃カメラ検査 ウレアーゼテストで陰性 ピロリ菌抗体価は12で偽陽性
2014.12.15 ピロリ菌抗体価は11で偽陽性 2回目の除菌治療を勧められたが先延ばしする
2015.3.6   別途N病院で、後縦隔リンパ節生検の折、胃カメラ検査で異常なし
2015.10.2  ピロリ菌抗体価は9で陰性
ウレアーゼ検査は胃カメラ検査の時、細胞を採りウレアーゼ活性を診る方法、ピロリ菌抗体価検査は採血に依る方法である。抗体価検査法は除菌後も陽性が数年続くこともあり、除菌後の検査法としては適さないと言われている。

大先生は2014年12月に、まだ抗体価が偽陽性に留まっているところで2回目の除菌を勧めたのだった。
しかし、ボクとしては、ウレアーゼテストで既に陰性になっているのだし、抗体価も陰性まであと一歩だし、ましてや3ヶ月前に家内が2回目の除菌途中で出血性腸炎を起こして大騒ぎになったこともあるしで、とてもその気になれなかった。
そんな訳で、肺がん手術後の定期検査があとに控えていたから、それを伝えて除菌を先延ばししていたのである。

昨日の診察の最後に大先生、「ピロリ菌が陰性になっても胃カメラは年1回はやったほうがいいですよ。何なら今から予約を入れておきましょうか?」と。これは本当の冗談らしい。
「いえいえ、それは結構です」と受け応えて早々に退散した。

 

2015年10月3日土曜日

大先生か若先生か?かかりつけ医での選択

昨日は特定健診でまずは内科へ。かかりつけ医でありながら最近2年間ご無沙汰した。
その間に跡継ぎ息子が帰ってきて、老若2人の先生で診察していると聞いていた。
先ずは、受付。どちらにしますかと訊いてきた。
若先生の様子が分からないし、若に替えるにしても大(おお)先生にご挨拶してからだと考え、大先生を指名した。
やっと順番が回てきて呼び込まれたら、大先生、開口一番、「すみません、すみません」ときた。
こちらは訳が分からず「何がですか?」と聞き返すと、「今日は健診者が多くて待たせました」という。月替わりになって、しかも健診が今月限りだというので、多くが今日に集中したようだ。
健康診査だからカルテを見なくてもいいようなものだが、PSA検査も頼んだので通常の診察も兼ねる。
大先生はまずカルテを見て、ピロリ菌検査の直近日が2年前であることをチック。
これも検査しましょうとなって、これも追加した。PSA検査と合わせて、後で870円を支払うことになった。
話のついでに、今年3月にN病院での超音波内視鏡下でリンパ節生検の際、胃カメラ検査も終わった旨報告した。
若先生がN病院で内視鏡治療指導医を勤めていたことを聞き及んでいたので、そのことを告げたら、大先生、大いに喜び、「そういうことなら次回から息子に診てもらいましょう」といことになった。
待合室の掲示板にあった案内によれば、生年月日から大先生63才、若先生36才と読めた。
若先生はN病院の次に、隣市のK病院で内視鏡指導医を勤めたとも書いてあるので、消化器系は得意分野のようだ。そういえば、CT設備を入れて毎日検査が可能になり、最新のNBI内視鏡(narrow band imaging狭帯域光観察)も入れている。
一方の、大先生、手書きカルテが電子カルテに替わっていて、しきりにキーを叩いていた。
「電子カルテになって楽になりましたねぇ」と冷やかせば、「いやー、これからですよ」と、これは本音だろう。

その日のうちに眼科も終わらせようと、午後からかかりつけ眼科を受診。
こちらも2年間ご無沙汰したので、理由を告げた。
愛想のいい女医先生、「それは良かったですねぇ。手術が出来ない人が大勢いる中で手術が出来たんだから」と。さらに「眼底検査は全くきれいです。ご主人の眼はいいですねぇ」。
さすがは実家が眼鏡屋さんの先生、患者を喜ばすツボをよく心得ていらっしゃる。

掛かりつけの内科と眼科、どちらも商売が上手だ。
お蔭でいつものことだが患者が多くて、長時間待たされる。

2015年9月29日火曜日

わが身のself diagnosis (自己診断)

今朝がたは晴天のもと冷涼にほど近い風もあって歩くには心地よかった。
お蔭で木曽川の遊歩道まで歩けた。往復7000歩を約80分掛けてゆっくり目に。
木曽川を目指したのは、そろそろオニグルミ拾いのシーズンインかと思ったからだが、もう一つは自分の体力を探るため。
クルミ拾いにはまだ少し早そうで、竹竿ではたき落としている輩も見かけなかった。
体力の方は、途中で写真を撮るのに立ち止まる程度のことはあったが、往復途中で腰を下ろすこともなく、無事に歩き終わった。

ウォーキングの記録を調べてみると、前回木曽川まで歩いたのは今年の4月11日だから、今日は半年近くぶりということになる。そこまで休んだのはひとえに体調不良に依る。
食欲不振、倦怠感、胸部圧迫感、息切れは常態化。おまけに、暑さの厳しい間中、体のあちこちに湿疹が出た。
天候条件がいい日でも、体のほうがいうことを聞いてくれなかった、っていう訳だ。

調剤薬局に勤める娘が先日シルバーウイークに里帰りした折に、患者のなかで最近金属アレルギーの話が多いと云った。そこでハタと気がついた。自分の湿疹は金属アレルギーに違いないと。金属をかぶせて治療した歯が7本はある。何10年前に治療したものが今になって影響することに疑問があるが、長年掛って金属アレルゲンが体内に蓄積していると考えれば平仄が合うかも?胸骨正中切開の手術後に胸骨を縛り上げたワイヤーはチタン製だと聞いているから、こちらの方は原因ではなかろう。
湿疹は涼しくなってほぼ消えた。

ついでに体調不良の方もself diagnosis(自己診断)。
体調不良は所謂、自律神経失調症か?
後縦隔のリンパ節がPET画像診断で真っ赤になって、それがガンではないと言われたものの、なればそれは何なんだ?ガンマーカーもまた上限を越えて来たことも気になるし。病は気からというけれど、ステージ4のがん患者のボクにしてみれば、そういうことを気にするなという方が無理な話。
そんなことがストレスとなって自律神経失調症か?
尤も、ネットで見つけたセルフチェックでは自律神経失調症は否定されたが・・・。

今日のテストウォーキングでなんとか体調を取り戻せるのではないかという期待が持てた。
気候が良くなって、散歩の機会が増えれば体力も回復するかも知れない。

2015年9月27日日曜日

メールの文字化けで四苦八苦

ボクはメールを始めてから今日まで、これはというメールを残すようにしてきた。
その中には亡くなった友人のメールがあり、彼が生きていた時のナマの言葉として見ることも出来るし、また、ネットショッピングした時のメールを見れば、何時、何を、幾らで買ったかも調べられる。これが出来るのもメールソフトとして、継続性のあるoutlook express 、windows メール、windows live メールを引き継いで使ってきたお蔭。

 今回、メールの文字化けトラブルに遭遇した訳だが、幸いGmailでも閲覧できるように設定してあり、こちらでなら文字化けメールも正常に読めるので困らないようにはなっている。
であるなら、Gmailに一本化してしまえばいいじゃないか、とも考えたが、ドッコイ、それはノーである。Gmailが評判はいいのだが、所詮はweb mail ソフト。
web mailソフトでは古いデータは自動的に消去されて、手元に残らない仕組み。
という訳で、ボクに必要なのはメールソフトである。

 メールソフトではmicrosoft office XPのoutlookでも文字化けしないことは確認できたから、いざとなればこれを使えばいいのだが、使い勝手が悪かったので使わなかったんだ。今回そんなことを思い出した。
その他のおすすめソフトは?と問えば、windows live メールか、それともMozillaのオープンソースであるThunderbirdか、である。でも、今さらThundarbird に乗り換えるのも面倒くさい。
結局、windows live メールの文字化けさえ直ればいいのだから、やっぱり、こちらを直してみるか!という訳で頑張った。

コマンドプロンプトを使って system file scan したことは既にブログに書いた。
これでも直らない文字化けメールの対策はないものかと、更に検索。
やっと見つけたのはエンコードでUnicode (UTF-8)を選択したら直ったという記事。
早速やってみた。直った!文字化けしたメールが読めた!
但し、文字化けしたメールごとにこの操作を行う必要があるようだ。
ここまでわかれば必要な都度エンコードをいじればよい。


再起動して調べてみると、エンコードを変更したメールであってもエンコードは日本語(自動選択)になっていて、文字化けしていなかった。この辺のことは何がどうなったか?訳が分からないが、まあ、問題が解決したからよしとしよう。

2015年9月25日金曜日

win10とwindows live メールの相性不良か?文字化け

パソコンのOSをwin10に切り替えてから今日で20日経過した。
この間に自分で解決できなかった唯一のトラブルは、光回線サービス会社のメールマガジンの文字化け。昨日、2回目の文字化けメールが来た。
ほかのメールで今まで文字化けしたことはない。


原因がwin10への更新にあるのはほぼ間違いないと考えて、メールソフトのwindows live メールの全ての設定をチェックしたのだが、どうしても原因が解らない。
仕方がないので、メールを呉れた相手のサポセンに電話した。

先方が行ったのはボクのパソコンの遠隔操作。
ボクにIE画面のアドレスーに rc50.jp と入力させ実行、現れた画面に従ってオンラインアプリをダウンロードさせ、暗証数字をインプットさせた。
するとどうだ!ボクのパソコンが相手に乗っ取られた!
先方が操作していることはマウスポインターの矢印が勝手に動くことで確認できる。
電話の向こうでボクに説明しながら、メールソフトのwindows live メールのエンコード設定などに間違いがないかどうかをチェックして呉れた。
しかし、設定に誤りもなく、文字化けの原因は不明に終わった。

サポート相談の結果はさておき、遠隔操作の実態を見るのは初めてのこととて、いとも簡単にパソコンが乗っ取られてビックリした。もしこういうことが悪意で行われたらと考えると空恐ろしいことである。

サポートが終わって気が付いた。
なな何と!、今まで読めていた既読受信メールの多くに文字化けが広がっている。
サポセンの操作結果がこれだ!
ネットで対策法を探したら、コマンドプロンプトでsfc /scannow と入力して実行すると直るという記述が見つかったので、さっそく実行。
しかし、問題のメールマガジンの文字化けは直ったが、ほかの既読メールの文字化けは直らなかった。
 
さらに検索を続けた。
その結果、見つけた関連記事を見る限りでは、win10 に切り替えた後の文字化けはどうやら解決策がなさそうだ。
microsoft自身もwin10でwindows live メールを使うことを想定していない節が見えるから、ほかのメーラーに乗り換えろということなのかなぁ・・・・?
そうなると過去メールが読めなくなってしまい、継続性が損なわれてしまう。
それが問題なのだ。

2015年9月22日火曜日

小学3年生のお遊び

小学3年生の上の孫娘は元同級生のブラジル人と二人で通過電車に手を振るお遊び。
運転手が警笛をホワーンと軽く鳴らして呉れれば、「ヤッター」と大喜び、
手を振る子供に素知らぬ顔で通過すれば、電車に向かって「アカンべー」。
1時間少々で鳴らして呉れたのが13回だったと。まことに他愛もない。


遠くの踏切の警告音が鳴らない間はリップスティック(スケボー)に乗って遊んだ。
ブラジル娘はこれがとても上手で、やはりリップスティックの練習に来た小学3年生の男の子の
手本になった。息子の両親は驚くほどに上達した息子を見て大喜び。

時々車が通る電車道沿いの道路で、ガードマンとしてつき合わされた格好だったが、
陽当たりは暑さが厳しく、たったそれだけのことで結構疲れた。
孫の面倒見も楽ではない。

2015年9月20日日曜日

安全保障関連法の強行採決

一昨日の9月19日の未明、参議院本会議にて安全保障関連法案が与党の強行採決により可決した。憲法第9条と99条に違反しているという憲法学者やその道の専門家をはじめとする多くの国民の声を無視して。
我が国が戦争放棄から戦争のできる国に180度転換した歴史的瞬間といえる。

海洋進出を強引に進める中国や、核攻撃をちらつかせながら瀬戸際外交を続ける北朝鮮の存在感が高めまるなかで、我が国の存亡に関わる事態が招来しても今の専守防衛では対応できないというのであれば、正々堂々と憲法改正を先に行うのが筋である。しかし、与党は憲法改正なんてとても出来ない、待っていられないと思っているから、こんな姑息な論法で強行突破しようとしたに違いない。

自民党が先の衆議院選挙で安全保障問題を論点に挙げていれば、国民の理解度は今よりはましだったのではないか?と思う。でも、自民党はそれさえも避けて来た。
そして、選挙に大勝したところで化けの皮を脱いだという訳である。
民主党は先にマニフェストの御旗を掲げて政権を取ったが、マニフェストが嘘八百とバレて政権を失った。国民をだましたという点では自民党はそれよりも質が悪い。アベノミクスで国民の目をくらまし、政権を取ったとたんに衣の下に隠していた剣(権力)を大きく掲げたのである。その剣で国民を黙らせようとしている。

次の参議院選挙では国民はどう判断するか?選挙が待ち遠しくなった。
でも、民主党はもう信頼できないし、その他の与党や野党も然りだから、支持するところが無くなってしまった訳だ。もう、白紙投票か投票先を鉛筆を転がして決める道しかない。
国民が力を発揮できる唯一の手段の選挙権さえ無力化するなんて、えらいこっちゃ!

以上、看過できない歴史的出来事として日記に書きとどめておく。