2017年12月5日火曜日

次姉逝く

11月30日 午前10時40分 次姉が永眠した。12月8日の誕生日を前にした88歳だった。
通夜、告別式に臨席したあと、急いで喪中の挨拶状を作成し、本日午前中に投函したので、
年賀状を予定してくださる殆どの方々には、ご迷惑をお掛けせずに済んだかな?・・・と思っている。

次姉が末期の胃がんで入院したのが生前の41日前。
25日前に見舞った時は、未だベッドに起き上がることが出来て、耳が遠いので大声で会話した。食事は殆んど摂れず、薬を飲む水さえ飲むのがやっとだった。
18日前に転院先に見舞った時は、ベッドに自分では起き上がれなかったが、会話が出来た。意識の混濁はなかった。ただ、早く逝きたいと漏らした
2日前に見舞った時は、その前日から意識がなくなったと看護師から聞いた。
ぶら下げてあった点滴薬はBFLUIDという点滴薬。アミノ酸類が主成分。
これだけで人間の命を1ヶ月保たせた訳だが、それで良かったのか?悪かったのか?
安楽死ということを思わないでもなかった。

これで5人いた兄と姉が3人欠けた。
はらからが居なくなるのは、やはり、さびしいものである。


2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

このたびの御逝去お悔やみ申し上げます。肉親が次々に欠けていくことはさびしいことです。
ボクンちは、姉、姉、兄、そして末っ子のボクと4人兄弟。みんな大病を患ったり、いまも身体に気になることがあったりしているが、一病息災、介護認定とは無縁な生活をしている。
長姉(94歳)は、口は達者だがさすがに足腰が弱くなってきた。生涯独身生活しており、市内の辺鄙な場所の一軒家で気ままな生活を続けている。先々のことはあまり考えない性格で、「そろそろ終活のことを真剣に考え、施設に入所するなど検討したらどうだ」と忠告しているが、「あんな所に入るのはいやだ」と乗り気ではない。ボケてきて自立生活ができなくなったら気遣う肉親もいないのでどうすつもりだろう。最近兄(84歳)も行動に覇気がなくなりつつある。兄嫁はそのときになったら姉への気配りは、ボクに期待しているようだ。
ボクだっていつまで元気にしていられるか分からない。長姉は「兄弟みんな先に逝っていまい私だけ残ったらどうしよう」と軽口を叩いている。困ったもんです。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん ご兄姉が全員お元気だとは結構なことです。でも、やがては来るときが来るから、どうするか先のことを考えて、誰かに伝えておくことは必要でしょうね。ボクの長姉は92歳で長男夫婦とその長女の3人、もう一人の孫が旦那と子供2人を連れて来て同居、合計8人家族の家事の面倒をみていますよ。大家族の家に嫁入してからよく働いて体が丈夫に出来上がったんだろうと思いますが、元気なものです。貴兄はどうやら誰から頼られそうですね。覚悟をしておいたほうがいいでしょう。(笑)