2014年9月28日日曜日

御嶽山が噴火

昨日(9/27)11時53分頃、御嶽山が7年ぶりに噴火した。どうやら水蒸気爆発らしい。
多くの死者、負傷者、行方不明者が出ている模様でだが詳細は未だわからない。
岐阜長野両県警や自衛隊などによる懸命の救助活動が続いけられているが、降灰に阻まれて難渋しているらしい。

今日は朝から快晴で雲がないから、80㌖先の御嶽山の噴煙が見えるだろうと思い、犬山の木曾川河川敷公園堤防の上まで自転車を漕いで走った。
しかし、残念!生憎の真夏日並みの暑い日とあっては、空気中の湿度が邪魔して御嶽山の姿は見えなかった。
じっと見を凝らすと、かろうじて噴煙らしいものが見えるが、これでは写真を撮っても証拠写真にもならない。
今年の5月17日の空気の澄んだ日に撮った写真を改めて眺めてみると、噴煙らしいものが写っているようだ。今回の噴火もこの辺りの南斜面らしい。

空気の澄んだ日に撮影に再挑戦してみよう。その時には、噴煙は収まっているだろうけど降灰で白くなった頂上付近が見えるかもしれない。

2014年9月23日火曜日

XPパソコンの廃棄準備 HDDデータ消去で手間取る

WinXPパソコンをLAN経由でWin7と繋いでデータストレージとして使ってきたが、WinXPを
起動させるごとに無用なwin update が動き出して、誠に鬱陶しい。
元々は捨てるにモッタイナイと思ったから残したのだが、どうも使い勝手が悪いし、大して役に立たないとあっては、最早断捨離すべきと思い立った。

問題は捨てる前にHDDのデータを消去しなければならないこと。
いざ作業を始めたら、これが結構難物だった。
方法はネットで探して簡単に見つかった。
フリーソフトもダウンロードした。
必要になるフロッピーディスクドライブ(FDD)もUSB接続のものを既に所有している。
(フロッピーでなくCDから読み込ませる方法もあるようだ)
フロッピーディスクでMS-DOSの起動ディスクを作成し、更にそのディスクにフリーソフトのDESTROYを書き込んだ。
これで準備完了。

ところがどっこい!BIOSの設定変更で手こずった。
DESTROYというフリーソフトはMS-DOSで走らせる。
そのため、パソコンのBootの優先順序はMS-DOSが入っているフロッピーディスクドライブが一番でなければならない。BIOSでそのように変更したいのだが、BIOSはめったにいじるものではないから、やり方がわからないのだ。
何日も掛けてやっとのことでやり方が解ったのだが、解ってみればどうってことはない。
何~んだ!そんなことか!である。
当然のことだがマザーボードごとにBIOSの記述は異なっている。機種が違えば記述も違う。
しかも英語で書いてある。だから解読に手間取った、という訳だ。

かくして、めでたく250GのHDDの全てのクラスターに数字を上書きし終わった。
1回の書き込みが1時間半、これを3回繰りしたから合計4時間半掛かった。
性能の良いCPUならもっと速かったかもしれないが、なんたってこちらは10年前のPentium4 3.2GHzという古強者だ。動きが速かろうはずがない。
以上で廃棄準備完了なり。


DESTROYの操作はこちらに詳しく紹介されている→(http://tomo-home.mimoza.jp/anna/paso/DESTROY.htm)


2014年9月20日土曜日

スコットランドに気を取られていたら冷蔵庫が故障していた

英国からのスコットランド独立の住民投票が否決されて、正直なところボクもホッとしている。
特別な理由はないが、強いていうなら長年親しんで来たイギリスという国のイメージが今更変わってほしくないというだけのこと。
人口僅か650万人、面積が北海道と同じくらい、経済規模がイギリスの10%程度という国が出来ても、やがて枯渇するであろう北海油田を頼りにして将来的にやっていけるの?という疑問が湧く。多くの諸外国はそう見ていたんじゃないだろうか。
もっとも中国だけは、中国政府報道官が「イギリスの内政問題だからコメントする立場にない」なんて鼻をくくったようなことを公式見解として述べたが、相変わらず食えない国だこと。
イギリスが元の鞘におさまって呉れることになって、めでたしめでたし。
ボクはといえば、独立するとポンドが下落するかも知れないというので、持っていた僅かばかりのポンドを事前に円に変えたが、どうやら目論見が外れたようだ。

そんな騒ぎを気にしている間に我が家の冷蔵庫が故障した。
アイスクリームが柔らかいと家内が言い出したのが4日前。
冷蔵庫に物を詰め過ぎたせいじゃないかと疑って、庫内整理したのが3日前。
それでもアイスクリームが固くならないと分かったのが2日前。
やっとボクが本腰を入れて点検したのが今日。やっぱり冷えていない。
M社のサポセンに電話したら、電源を抜いて15分以上放置してから再度電源を入れてみて、ダメなら更に2~3回同じことを繰り返し、それでもダメなら修理対象になるという。
その通りやってみたがコンプレッサーが動く様子はなし。
M社の冷蔵庫で9年目。先代が同じM社製で7年目にダメになった。
修理より更新するほうがベターと判断し、電器量販店に走った。
チラシの特売製品でP社製。13万円少々の出費になった。
明日には届くから、家にある同じP社製の小型冷蔵庫でなんとか凌げるだろう。
我が家では家電はP社製という神話が出来つつある。

イギリスとP社、老舗だから信頼出来るというボクの思い込みかも知れない?

2014年9月17日水曜日

曼珠沙華は律儀な花だ

あちこちで曼珠沙華が咲いたと聞こえてくるから、
そうか咲いたか!と気を急く人がいるかもしれないが、
でも、この花の真っ盛りはお彼岸の頃と決まっているから、慌てて見に行くことはない。
どんな天候不順の年であろうとも時期がズレることはない。
誠に律儀な花といえよう。

食欲が依然出ず、微熱も時として出て体がだるかったり、体調がイマイチな日々が続いている。
が、今日は何となく良さそうなので、自転車で木曽川緑地まで出かけた。
木曽川緑地は何十日ぶりだろうか?暑さが来た頃にはもう散歩に出なかったから、2ヶ月以上もご無沙汰したようだ。
予想通り、曼珠沙華は満開まで今少しというところ。まだ寂しい咲き方をしている。
何故か1本だけ白い曼珠沙華が咲いていた。毎年観ている場所だが、今まで見かけたことがない。
萩が真っ盛り。芙蓉もまだ結構咲いている。
哀れなのはオニグルミ。沢山ある木のほとんどが葉を虫に食われてしまっている。
8月の日照不足が害虫の大発生に繋がたかも知れない。
今年のクルミ拾いはあまり期待できないだろう。

歩いても自転車を漕いでも、体力の衰えは歴然!
歩くスピードは術前の半分くらい、自転車も6段チェンジの2段くらい下げることが多くなった。
それ以上だと胸が圧迫されて息苦しくなる。
まだ術後1ヶ月だ!と慰めていいのか?もう戻れないと諦めるしかないのか?
我が体力もいよいよ秋を迎えたようだ。


2014年9月13日土曜日

肺腺ガン病理検査結果 原発性を喜ぶ

昨日の術後初外来受診で、切除した肺ガンの病理検査結果を知らされた。
肺腺ガン、しかも転移でなく原発性だと。
先生曰く、「転移でなく原発性で良かったですね」と。
聴く方のボクと家内は一瞬、「良かったって、どういうこと?」。

先生の説明はこうだ。
再転移だったら、次々に転移しているということになるけど、原発性ということは同じ肺腺ガンと言っても別種のガン。しかもそのガンを12㍉の小さいうちに早期発見、早期切除したのだから、これが再発する可能性は小さいと考えたい。
今後の治療は一切なし。経過観察だけでいいですよ。

これを聴いて、ボク等夫婦、緊張が解けて、一気に破顔!
ああ、良かった!

先生は更に、
「原発性肺腺ガンが再発するケースは稀ではありません。よくあることです。」
「初発から5年経ってから出来る人もあります。」
「あまり心配しないで長生きして下さい。」
「貴方の場合は、ガンが出来やすい体質だということですね。昔、タバコを吸っていたということも大いに影響していると思います。」と。
機会があるごとに昔のタバコの話が出るが、先生のタバコ有害説は徹底している。
ついでのことだが、肺腺ガンによく効くという分子標的薬のイレッサ、これはタバコを喫したことのある人には効かないそうだから、ボクにはこの道は絶たれている。
また、ボクの両親兄姉の8人家族うち既に他界した4人は全て肺の病気を患ったことがあるから、ボクを含めれば5人。肺が弱い系統だろうと思う。
先生の仰ることは思い当たることばかりだ。

受診前に行った採血とレントゲン撮影の結果では、
「血中のCRP値が高いがグッと下がってきているので、炎症は問題なし」、
「術前術後のレントゲン写真の比較では、左肺全体の縮小があるが問題なし」、
「空気漏れ(気胸)の心配もなし」、
と診断された。
左腋の下の6㌢の切開跡を診ながら、「綺麗にいっています」と言って、抜糸もしない。
どうやら自動縫合器で縫ったものか?(治療明細には自動縫合器を4回使ったような記載がある)
ここは切除した肺を取り出した開口部と言うことになる。
ドレーン管が入っていたもう一つの開口跡は3針縫ってあった。
消毒せず、ピンセットで糸をスイッ!と引き抜き、「今日から風呂もOKですよ!」。

そして明けて今日、いい結果が出ると精神的緊張から開放されるせいか、体調も一段と回復したように思う。セレコックスも一日4錠から2錠に半減することにした。
これで食欲不振が改善されればなお一層の回復が期待される。
順調な回復で一安心!

2014年9月8日月曜日

3度目の肺ガン手術 (7)退院とその後

退院の足止めをた8月25日からの3日間は、一日3回、血圧、体温、血中酸素の測定と、聴診器による聴音を看護師が行うのみ。
退屈しのぎのに窓外を眺めた。
時として、普段お目にかかれないような光景にも見せる。そんな時慌ててカメラを向けた。

8月29日(金)
前日の早朝の採血で、炎症の値が良くなり、午前中に退院の許可が出た。
午後にでも退院しても構いませんよと言われたが、ここまで来れば急ぐこともないので、
今日の午前中に退院すると決めた。手術後11日目である。
肺ガンの手術といっても、いろいろのケースがあると思うが、早期の肺腺ガンを肺の一部ごと切除する場合は、おおよそこれくらいの入院で治療してもらえると考えていいのだろう。
尤も、早期肺腺ガンといってもボクの場合は、右上葉、胸腺、左下葉の一部というように、回数が重なった。

家内が車で迎えに来て、11時には精算が終わった。
14日間の入院で総額295,940円(税込み)、そのうち224,000円(税別)が個室料。
余り負担に感じないのはガン保険の入院給付金が当てに出来るから。

看護師さんは、新人とおぼしい人からベテランまで、指折り数えて7人にお世話になった。
皆、患者に一生懸命尽くそうとする姿勢で貫かれていて、優しかった。
K先生にはもう会える機会はない。女性は女性らしく、しかし、医師らしくテキパキした先生だった。将来立派な呼吸器外科医になるだろう。
M先生にはこれからも外来診察でお会いできる。
お世話になった皆さんには心から感謝。有難うございました。

今日は9月8日(月)、退院してから9日経った。
追加で出された抗菌剤の服用は4日前に終わった。微熱もその頃から取れたようだ。
手術で切開した跡の傷口の痛みはないが、乳房の下から胸骨にかけた辺りの軽い痛みが依然として消えない。消炎鎮痛剤は今週金曜日まで飲み続けるよう処方されている。
食欲不振が依然として続いているが、原因はこの消炎鎮痛剤かも知れない。
あと数日で薬が終われば食欲も戻るだろうか?
問題は息切れが激しくなったことだ。
徐々に、肺活量も回復するだろうと思うが、もう元の体にはもう戻れない。そんなことを実感している。
抜糸は4日後、外来診察で。
病理検査結果と以後の治療方針がそこで示される予定。
3回目の肺ガン手術の日記はこれでお終いにすることにしよう。


2014年9月7日日曜日

3度目の肺ガン手術 (6)退院の足止め

8月21日(木)手術後3日目
前夜飲んだ下剤が効いてスムースに排便出来た。
その前に、手術した肺から空気漏れしてのではないか?と勝手に思い込んで、
家内と二人でシュンとした一件が有ったのは前述のとおり。

17時45分にK先生が回診してきて、栄養剤の点滴を外し、胸腔ドレンホースホースを抜管して、胸の穴を塞いでくれた。術後3日目でのドレーン管の抜管は当初の予定通り。
一気に身軽になった。
残るは、背中に入っている鎮痛剤のカテーテルだけとなった。
この夜も熱が37.8℃まで上がったのでロキソニンを服用し、氷枕を用意してもらった。
家内は自宅に帰った。

8月22日(金)
相変わらず朝から37℃近くの微熱が続き、食欲も出ない。
それでも回復は順調と思われ、午後5時すぎにK先生が回診してきて背中の鎮痛剤カテーテルを抜管してくれた。
これで全ての管が外れ、体は束縛から開放された。
消灯前、体温は37.5℃と微熱が続く。
ロキソニンを飲んで寝た。
家内は自宅待機。

8月23日(土)
8時40分M先生回診、9時K先生回診。
患者の看護データを全て把握してから回診するので、患者の容体はわかっているが、念のため患者の顔を見に来るということのようだ。
微熱や食欲不振のことは意に介していないらしい。
週明けの8月25日の朝に採血し、結果が良ければ、その翌日の26日(火)に退院の予定と告げられた。当初の予定通りだ。
この日、家内は着替えなどを届けて、自宅に戻った。
18時に37.6℃だったのでロキソニン服用した。

8月24日(日)
微熱が続いたので朝食と夕食後にロキソニン服用。
この日は先生の回診なし。
家内が来て、そのまま泊まった。

8月25日(月)
6時半に採血。
14時30分 K先生が来て、退院を先延ばしする旨宣告。ガガーン!
炎症を示す値が悪いからとの理由。
あとで看護師にどんな値なの?と尋ねたら、CRP値だと教えてくれた。
新たに抗菌剤(クラビット)が追加され、今夜から1日1回服用することになった。
次回採血は3日後の8月28日(木)。
値が良ければ、その翌日8月29日(金)に退院が可能と予定された。
顔を合わせた看護師長(婦長)は「退院の足止めは、それも想定内のことですよ」とあっさり。

順調と思われた回復も、どっこいそうは問屋が卸さなかった。

2014年9月6日土曜日

3度目の肺ガン手術 (5)回復

8月19日(火)手術の翌日
昼近くにICUから病室に戻ると、直ぐに昼食が出された。
4年前は、最初から普通のご飯が出されて食べるのに往生したから、2度目の入院と今回の入院では、3食分くらいはおかゆにしてくれと注文しておいた。
それでも、さすがに食欲は湧かない。やっと半分ほど食べたか。
18時の夕食は7分目くらい食べた。
食欲のないところを無理やり押し込んだという感じになった。

15時には、看護師の付き添いで歩行訓練をした。
全部の管を体に繋げたまま、立ち上がって病室入り口まで往復。
血圧、血中酸素量を測定し、問題なし。

夜は眠りが浅く、ほとんどうつらうつら状態。喉が乾燥して痛いほど。
手術中気管支へ人工呼吸器を挿入していた後遺症のようだ。
この夜は家内が病室に泊まって付き添って呉れたから心強かった。

8月20日(水)手術後翌々日
早朝の検温で37.2℃と、微熱あり。
8時半にM先生の回診で、鼻の酸素吸入ホースを外してもらえた。
11時15分 看護師が尿管カテーテルを抜管。また一つ身軽になった。
13時10分にはトイレまで歩いて排尿。その旨あとで看護師に報告した。以降、トイレはご自由にということになった。
続いて、車いすに乗せられ、看護師に押されて1階のレントゲン室へ。
自分で歩けると言ったが、看護師はこれが決まりですからと。要するにマニュアル通りにしないといけないということであり、ボクも大人しくそれに従った。
レントゲン撮影は術後の異常の有無を確認するためのようだ。

18時の夕食は何とか完食した。
21時消灯前の体温が37.8℃だったので、 ロキソニンを服用し、氷枕を準備してもらった。
この夜も家内が付き添った。
23時、明日に備えて下剤を飲んだ。

この翌日の排便の折に空気漏れかと心配した一件は既に(1)で書いた通り。

2014年9月5日金曜日

3度目の肺ガン手術 (4)ICUから病室へ


8月19日(火) ICUから病室に戻る日
9時頃、M先生ほか4人の呼吸器外科の先生方がお揃いで回診。
K先生がテストさせて下さいと言いながら、左乳房の左右をチクリチクリと何かで刺して、左右どちらが痛いか?と質問して来た。
その都度ボクは答えたのだが、はっきりした傾向が出なかったようだ。
そこでボクが「針の押し方によって違うのじゃないですか?」と言ったら、先生方がどっと笑った。
M先生が「こりゃぁ、効果がないということらしい」と言ったから、どうやら薬効をチェックしたものらしい。
会話も普通に出来るようになったが、まだ何となく吐き気がする。

10時過ぎに、レントゲン撮影機を持ち込んで、胸の下にフィルムを敷き、1枚撮影。
これが済んで、いよいよ病室への移動の準備。

先ず、蒸しタオルでカラダ全体を拭いてくれた。
手術着のままだから、これをはがせばスッポンポン。
股間も陰茎も、人肌くらいのお湯を掛けたあとタオルで手際よく拭いてくれた。
4年前は、看護師が丁寧に拭いてくれたお陰で、爺さんでもそれなりに反応が出かかったが、
今回はその余裕を与えなかった。良かったのか?悪かったのか?
看護師の腕がよかったのだろう。

この後持参したパンツと寝間着に着替えさて呉れて準備完了。
しかし、カラダを散々動かされたから、また吐き気が来た。
ICUから病室まで運ばれる時、ベッドがの方向を変える度に吐き気が来るとヤバイ!
そう思って、また、吐き気ドメを貰って服用した。

11時15分、病室に無事帰還。

2014年9月4日木曜日

3度目の肺ガン手術 (3)手術当日

8月18日(月)手術の当日。
家内は前日から病室に泊まり、息子が8時に病室に東京から駆けつけた。
この二人が手術中は指定の待機室に待機し、術後に切除して取り出した肺の一部を見ながら主治医のM先生から説明を受けることになる。

8時50分 スッポンポンの裸になり、手術着だけ羽織って4階の手術室へ。
エレベーターホールは付き添いの看護師や家族でラッシュアワー並みの混雑ぶり。
その中から、患者を取り間違えないように担当看護師が慎重に呼び込み、本人確認し、手術室室へ。
ジャスト9時。 再度、患者に氏名と生年月日を言わせて本人確認。
手術台に上って横になったら、直ちに麻酔のマスクが被せられ、
数秒もしないで意識がストンと無くなった。

あとで家族から聞いた話。
待機中の家族に手渡されていたPHSケータイに手術終了のコールが掛かってきたのが12時25分、次いで、K先生を従えたM先生から家族に説明があったのが12時35分。
手術時間は3時間半だったと計算できた。
取り出した肺の切片を家族は見た。
M先生は、切り開いて結節のある部分を見せながら、外観的に肺腺がんで間違いありませんと告げたそうだ。

実は、入院以来、この時点でもボクはまだ主治医のM先生の顔を見ていなかった。
初めて見たのはICUのベットの上。
麻酔が切れて意識が朦朧とする中で、名前を呼ぶ先生の顔が見えた。
ボクはつかさず「先生、また命を助けて頂き、ありがとうございました。」と。
M先生、「上手くいきましたから、そんなに心配要りませんよ」と。

13時10分 家族の面会が許された。「ありがとう」と言ったと思うが、記憶は定かではない。
息子がこの後東京に帰るといったのは覚えている。
18時30分 家内が再度面会に来て、これから家に帰ると告げた。患者本人がいない病室には家族は泊まれないのだ。

ICUは2つあるという個室の一つのようだ。
顔に酸素マスク、左胸下方に胸腔ドレンホース、陰茎に排尿カテーテル、腕に点滴注射針、背中に鎮痛剤のカテーテルが繋げられている。
痛みは左程とも思わなかったが、意識は半分眠っていて、
1時間毎に体を動かして少し寝返りをさせてくれるが、看護師のなすまま。
テレビモニターで監視されているが、モニターに映しだされているのは隣の患者のようだ。
モニターとは別にテレビが天井からぶらさがっており、見たければどうぞと、看護師がリモコンを手元においてくれたが、とてもとてもそんな気分になれない。
何しろ吐き気が激しく、数回嘔吐して、こらえきれずに吐き気止の薬を貰って服用した。

ICU在室の24時間は眠くても眠れない状態で、何とも辛いものだった。

2014年9月3日水曜日

3度目の肺ガン手術 (2)切除したのはS6区域

8月15日に午後入院。
入室したら直ぐに、主治医M先生の補助を務める若い女医さんのK先生が来て、
手術同意書にサインを求められた。
おおよその内容は既に説明を受けているから、即サイン。
同意書にはどんな手術をするか?術後どんな経過をたどるか?
などが書いてある。


ガン結節は左肺下葉の中にあり、PET画像からリンパ節転移なし、遠隔転移なしと診断されているが、原発巣か?転移したものか?は不明とされた。これは術後の病理検査で確定される。

結節の部位はS6区域にあり、気管支の一つが繋がっている。
正常なひとの気管支は全部で18に枝分かれしているが、そのうちの一つがS6区域の気管支ということ。
ボクは4年前に右上葉を切除したから、残っていた気管支は15。その内の一つを今回切除したから術後は14になった。
肺活量は肺活量に気管支の数比例配分する形で計算された。
術前の肺活量は標準の108%と測定されていたから、これに14/15を掛けて術後は100%となる。
因みに、4年前の手術以前の肺活量は4000mlだったから、今回の手術後に標準肺活量の3000mlになったことになる。若い時に運動で体を鍛えてきたお陰か、肺活量が標準より多かったのが、こんな時に幸いしているようだ。
尤も、実際には今現在、以前に比べて相当息切れを感じているから、肺活量はもっと低いかも知れない。

同意書にサインが終わったところで、K先生はボクを仰臥させ、パンツの裾を押しやって、鼠径部大腿動脈から採血した。
これも経験済みだから、これを予測して、入院前にワキ毛、胸毛は勿論、股間及びその周辺も剃毛してある。患者としての第一印象は多分良かったはず。
この後、造影剤を注射しての胸部CT。結節部位を確認するための撮影なのだろう。
ヨード系造影剤で吐き気を催したことがあると訴えたから、K先生が付き添ってくれた。


病棟看護師は胸帯、前開き寝間着、タオル、ティシュペパー、など手術に必要な持ち物を点検、
血栓予防に弾性靴下を履くため、足のサイズも測った。手持ちの古い弾性靴下は使わせないことになったようだ。腹式呼吸法も実際に訓練させた。
この後、手術室看護師、麻酔医が来て、いろいろな説明をしては同意書にサイン。
薬剤師も来て、使用薬剤の説明をしてくれた。
これで手術当日への準備完了。

翌日(8/16)、翌々日(8/17)は土曜と日曜日。
この2日間は血圧、体温を定期的に測定する以外にやることはほとんどなし。
手術日が月曜日でなければ前日の入院で事足りるはずだが、月曜日の手術だと入院が金曜日になるということが理解できた。土曜日曜は病院も手薄なのだろう。

個室料が2日分余計にかかる勘定だが、どうせガン保険で入院給付金を貰うつもりだから、持ち出しは1日あたり2000円少々で済む。避暑に来たと思えば安いものだ。

2014年9月2日火曜日

3度目の肺ガン手術 (1)空気漏れのこと

4日前の金曜日に退院したものの、微熱が続いたり、食欲が無かったり、時として胸が締め付けられるような息苦しさが来たりして、退院当日を含めて3日間はベッドに寝起きしていた。
パソコンに向かう元気も出なかった。
昨日は一日中雨の降る天気で、気温も27℃止まり。そのせいで、体への負担が減ったのか?連日続いていた微熱が出なくなった。お陰で、日中ベッドに横たわることも無く、入院中の記録を整理してパソコンに入力出来た。

今日は退院日から数えて5日目、朝から陽が射して暑さが戻った。
庭に出て、30分ばかり枯れたトマトを撤去したり、雑草を抜いたり。
ハアハアと荒い呼吸をしながらだったが、体力も少し回復したようだ。
体に自信がついてきたので、そろそろブログを再開することにしよう!

気の赴くまま書くので話題は前後する。
先ずは手術日から数えて4日目の(8/21木曜)朝のこと。
7時10分 トイレに入って排便しようと力み始めたら、主治医のM先生の回診だ!
今日は忙しいので回診時間が早いのだと先生。
県内で肺ガン手術の多さで1、2という名医のM先生にしてこの熱意。感謝に耐えない。
ボクはドアを開けて便器に座ったまま、ご挨拶。
「空気漏れはありませんね?」と先生。
「おはようございます。ありません。ありがとうございます」とボク。
先生が退出して、本気で排便に力を入れた。
が、便は出ない。昨夜下剤を服用したから出るはずなのだが?
代わりに出たのは胸腔ドレンホースからの空気漏れ。ドレン溜めでブクブク。
ヤバイ!


今回の手術で先生が一番注目しているのがこの空気漏れ。
4年前の最初の手術(右上葉肺切除)では、空気漏れして、胸膜癒着術(手術で傷ついた肺からの空気漏れがあり、これを止める為、薬剤を胸腔内に投入、肺を胸膜に癒着させた)をせざるを得なかった。
今回は、左下葉からS6域と言われる部分だけを切り取ったので、切口がそれなりに大きく、空気漏れの危険性は前回より大きい。
そんなこともあって、「今回は、慎重に、丁寧に、切り口をフィブリンシートで覆いいました」と、
術後直後の家族への説明で先生は強調されていたそうだ。
それを聞いているから、ボクと家内はブクブクと漏れるのを見て大ショック!という訳。
家内から「下剤が効くまで待てばいいのに。アナタは力み過ぎよ!」と非難される有り様。
「そうは言ったって、出ると思うから力んだまでのこと」とボク。

数分後、ブクブクは消えた。
どうやら一過性のものだったらしい。ヤレヤレ・・・・。
朝食を摂り、30分もしないうちに便意。今度は楽に排便。
これを待てばよかったのに、と家内。ボクは「そうだね」とい言うしかない。

この日の夕方まで空気の漏れることは無かった。
18時近くになって、助手医のK先生(女医)が胸腔ドレンホースの抜管処置をしてくれた。
これで体に繋げられた管は背中に入っている鎮痛剤の細いカテーテルだけになった。
自由に病院内を歩き回れる。
ここまでの経過は順調そのものの。ただ、微熱が続き、依然として食欲が出ない。