昨日(9/27)11時53分頃、御嶽山が7年ぶりに噴火した。どうやら水蒸気爆発らしい。
多くの死者、負傷者、行方不明者が出ている模様でだが詳細は未だわからない。
岐阜長野両県警や自衛隊などによる懸命の救助活動が続いけられているが、降灰に阻まれて難渋しているらしい。
今日は朝から快晴で雲がないから、80㌖先の御嶽山の噴煙が見えるだろうと思い、犬山の木曾川河川敷公園堤防の上まで自転車を漕いで走った。
しかし、残念!生憎の真夏日並みの暑い日とあっては、空気中の湿度が邪魔して御嶽山の姿は見えなかった。
じっと見を凝らすと、かろうじて噴煙らしいものが見えるが、これでは写真を撮っても証拠写真にもならない。
今年の5月17日の空気の澄んだ日に撮った写真を改めて眺めてみると、噴煙らしいものが写っているようだ。今回の噴火もこの辺りの南斜面らしい。
空気の澄んだ日に撮影に再挑戦してみよう。その時には、噴煙は収まっているだろうけど降灰で白くなった頂上付近が見えるかもしれない。
4 件のコメント :
眺望抜群の場所ですね。明治村の高台からも広がる山並みの向こうに凛とした御嶽山の雄姿が見える。冬の空風が吹く時期、雪を被った御嶽山は、特に美しく感動的だ。1度は登ってみたい山だが、活火山は怖い。今回の噴火で被害者数も多くなりそう。この日、この時間、そこに居合わせた登山者は運命としか言いようがない。
再稼動に向けて手続きしている「川内原発」の安全性に関して噴火はあらかじめ予知できるとの判断があるようだが、大丈夫だろうか。転勤で群馬で生活したとき、畑はふかふかの土だ。これぞ関東ローム層だと実感した。これは浅間、榛名、赤城山の火山灰だという。今後このような天変地異が起きないという保証はない。
>忠ちゃん ここはボクだけの御嶽山撮影スポットです。犬山城と御嶽を同時に入れる場所は他にないと思います。
原発を直ぐに止めろといいませんが原発ゼロに向けて工程表を作るべきだと思いますねぇ。関東ローム層が何故出来たかを考えれば、原発ゼロは当然の結論だと思うのですが。
御嶽山爆発 改めて「自然は生きている」を実感させられた。犠牲者のご冥福を祈りたい。 人は「科学は自然を利用することはできても、征服することはできない」ことを謙虚に認めざるを得ない。 事故後予知のの可能性についてテレビで議論しているようだが予想の確率は上がっても完全な予知は先ず不可能であると何時も思っている、
自然界で何が何時何処で起きるかなど推測は出来ても皆「だろう」である。
この「だろう」で判断し行動しているのが現社会ではないか。
自然に対しては「君子は危うきに近寄らず」の考えも必要ではないかと思う。
>匿名さん 気象庁の記者会見を観ていると何となく気象庁の予知責任を糾すような気配が感じられましたけど、科学技術の限界を超えていたというのが妥当でしょう。人は安全になれると怖さを忘れる。その結果、災害を繰り返す。
御嶽神社、白山神社などの末社が当地にもありますが、先人達は山の怖さをよく知っていたのでしょう。現代人に必要なのは謙虚さなのかも知れません。
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