8月19日(火) ICUから病室に戻る日
9時頃、M先生ほか4人の呼吸器外科の先生方がお揃いで回診。
K先生がテストさせて下さいと言いながら、左乳房の左右をチクリチクリと何かで刺して、左右どちらが痛いか?と質問して来た。
その都度ボクは答えたのだが、はっきりした傾向が出なかったようだ。
そこでボクが「針の押し方によって違うのじゃないですか?」と言ったら、先生方がどっと笑った。
M先生が「こりゃぁ、効果がないということらしい」と言ったから、どうやら薬効をチェックしたものらしい。
会話も普通に出来るようになったが、まだ何となく吐き気がする。
10時過ぎに、レントゲン撮影機を持ち込んで、胸の下にフィルムを敷き、1枚撮影。
これが済んで、いよいよ病室への移動の準備。
先ず、蒸しタオルでカラダ全体を拭いてくれた。
手術着のままだから、これをはがせばスッポンポン。
股間も陰茎も、人肌くらいのお湯を掛けたあとタオルで手際よく拭いてくれた。
4年前は、看護師が丁寧に拭いてくれたお陰で、爺さんでもそれなりに反応が出かかったが、
今回はその余裕を与えなかった。良かったのか?悪かったのか?
看護師の腕がよかったのだろう。
この後持参したパンツと寝間着に着替えさて呉れて準備完了。
しかし、カラダを散々動かされたから、また吐き気が来た。
ICUから病室まで運ばれる時、ベッドがの方向を変える度に吐き気が来るとヤバイ!
そう思って、また、吐き気ドメを貰って服用した。
11時15分、病室に無事帰還。
2 件のコメント :
50年前と今では雲泥の差があるが、術後の苦しみはそれなりに覚悟しなければならないようですね。ボクの場合、当時レントゲン撮影は寝たまま撮影できなかったので、3人がかりでフラフラの状態で立たせて、撮影版に胸を押し付け、何枚も撮影した。手術4,5日後のことであった。術後1度も身体は拭かず、高熱で汗はタラタラ。着替えもせず、協力した先生方は臭いと思っただろう。
ボクは集中治療室にいたのは半日ぐらい?すぐ個室に戻りそこで治療した。時々、部長、担当医が部屋にきて、病状、治療方針を話していた。専門的な話しのなかで「がん」のドイツ語クレブスが出てくるか耳をそばだて聴いていた。クレブスという言葉が出てこない。キャンサーという言葉が出てくる。ドイツ語のクレブスは前から承知していたが、英語ではキャンサーだと後日知った。
医学はドイツ語だと思っていたが、当時から英語が主体になっていたのですね。
>忠ちゃん 今は胸腔鏡を見ながらの手術だから、切開箇所は小さいですよ。そうは言っても切り取った肺の一部を取り出さなければならないので、それなりの傷口にはなります。脇の下6㌢を縦に、それとドレン管が入っていた1㌢ほどの穴だけです。だから早ければ1週間後に退院できるのですよね。50年の差は大きいと思います。
職業柄貴兄はドイツ語に興味があった訳だ。なるほど!
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