2014年11月6日木曜日

散歩の寄り道 生臭住職の噂話

散歩の途中で寺の山門脇の看板が目に止まった。
九年前に国有形文化財の指定を受けて、教育委員会が建てたもの。
今まで何度もこの前を通りながら見逃して来た。

後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の企てが露見し、隠岐島に流された年の前年(1330年)に天台宗の寺として建立、その後、織田信長の生まれる23年前(1510年)に妙心寺派の臨済宗に宗旨変え。本堂や庫裏、鐘楼など5つの建造物が国有形文化財に指定されたというから、随分由緒ある寺なんだ。

尤も、一番古い本堂でも200年前の建立だというから、古さで言うならさほどのことでもないだろう。それでも古くなれば修理も必要。
10年位前に、庫裏を修理するというので、檀家に寄付を仰いだ。
と言うより、割り当てたと言ったほうが早いかもしれない。
最高で350万円、普通の檀家でも30万円とか。
だから、貧乏人ではとても檀家にはなれない。

庫裏の修理が済んでからのこと、住職に跡継ぎがいないというので、本山の妙心寺が跡継ぎを送り込んだ。
その跡継ぎが2号さんを囲った。
これがバレて、妙心寺はこの跡継ぎを首にした。
という噂話を、数年前にある檀家筋から聞いた。
僧侶も人間、中には生臭坊主もいるだろう。

そんなことを思い出しながら、絶好の散歩日和を楽しんだ。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

地元の古刹について見つめなおしましたね。
名古屋市内にも歴史の長い由緒ある古寺がここかしこ存在する。ある資料によれば2006年の「宗教年鑑」で寺院の数を比べると、愛知県がダントツの5134で日本一。2位は大阪で4329。寺の町京都でも6位の3314。土地が肥沃だった愛知県の濃尾平野は経済力が大きく、豊作祈願の神社も多い。尾張藩の仏教振興策も手伝って寺院が増えたと言われている。
神仏分離から廃仏毀釈が明治元年から実施されたが、愛知県はあまり従わなかったのだろうか。県によってかなり寺院の廃止に差があったようだ。ある歴史本に次のような記載がある。
松本藩では藩主が率先して祈願寺、菩提寺をとりこわし、藩全体として浄土宗30ケ寺のうち27、曹洞宗40ケ寺のうち31が廃止され、その他の諸宗派も多数の寺院が廃止された。同様なことが富山藩でも実施されたとの記載がある。明治4年、廃藩置県の後には仏教を国が積極的に保護したので、保守的な愛知県は短期間の廃仏毀釈に耐えて多くの寺院が残ったのかも知れませんね。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 面白い情報を頂きありがとうございました。言われてみるとその通りかも知れません。特に、ボクの町内や近隣の市町のお寺は大きくて立派なのが目立ちます。代表的なのが江南市の曼陀羅寺。これは後醍醐天皇の勅願寺だそうです。勿論、犬山市内の寺町周辺には小さなお寺も多いですが・・。
大きなお寺の檀家はさぞや大変だろうと思いますよ。維持するには先ずお金ですから。