2011年3月31日木曜日

汎発性老人性皮膚掻痒症

最近身体のあちこちいたるところが痒い。
とうとうこらえきれずに皮膚科クリニックに行って来た。
家内が時々かかるクリニックで、ボクは初めて。
薬局で薬を買うより安上がりでもある。
診断は、予想通り、老人性と名前がついた汎発性老人性皮膚掻痒症というらしい。
この名前は自分がネットで検索した。
症状もケアの仕方もお医者様のいったこととまったく同じで、
熱い風呂と、辛いものと、アルコールを控え無ければならない。
電気毛布もダメなようだが、お医者様はそこまで言わなかった。
ネットのほうが詳しい。
これからは暖かくなって、もう使わなくても済むだろう。

水虫が蠢いているので、ついでにこれも申告したら、ナイフで局所をしごいてスライドグラスに塗りつけ、検査してくれた。
まことにせっかちで早口な先生には閉口したが、説明と出された薬に納得したから、クリニックを替えた成果はあったようだ。

老人性、そう言われたくない気分はあるが、体のほうが正直だ。

2011年3月30日水曜日

シーベルトからの連想

今、国民の最大関心事は福島原発の被災。お陰で、毎日、ベクレルとシーベルトを耳にする。
そのシーベルトがらみで思いつくまま。

シーベルトの強弱で引き合いに出されるCT検査のこと。
肺がん検診をCTでやれば小さなガンまで発見できるから、方法としてよさそうに思えるが、
1回に7㍉シーベルト以上の放射線を受けることになるので勧められないという説(近藤誠 慶應大学医学部 「ガンと闘うな」の著者)もあるとおり、ガン検診にCTを採用するのを躊躇している、という話も見聞きする。
であれば、X線検診に頼るのだが、X線検診のタイミングは非常に微妙であって、その適否が命に関わることを経験的に知った。
また、遅ればせながらガンについて、ガン専門医が書いた本を読んで勉強をした。
はじめに細胞の遺伝子に異常が起こり、それがガン細胞になったのは、ガンが発見された時を遡ること20~30年前ということだそうだ。そして、ガン細胞は2~3ヶ月ごとに細胞分裂を繰り返し増殖すると。この単純とも思える原則論をはじめて知って、あまりにも不勉強だった自分を恥じた。

ガン治療は早期発見に限るといわれる。早ければ転移前に切除して、根治の可能性が高くなるからだが、すい臓ガンほどではないとしても、肺がんが難治性だといわれるのも発見の難しさにある。
そのことは、肺がんが見つかって手術が出来る患者は20~30%にすぎず、しかも、病期Ⅰといわれる早期肺がんはそのうちの一部に過ぎないことで説明される。

では、ガンはどのくらいの速さで大きくなるのだろうか?数字で実感できないか?
そこで、計算でお遊び。
仮説を立てて計算を試みた。
仮説は、がん細胞が球形であり、2~3ヶ月ごとに細胞分裂を繰り返し、体積が倍々に増えるとすれば、直径がどうなるか?
立方根の計算はエクセル表計算を使えば簡単にできる。

自分の肺腺ガンは手術時に直径16mm だったが、間接X線で発見できる10mm以上になったのはせいぜい半年前、仮に発見が遅れても、早期発見と呼ばれる病期T1である30mm位内にとどまるのは半年後くらいであると計算された。即ち、早期発見に該当するのは1年間だけである。

最初にボクを診断した呼吸器内科の先生に質問したことがある。
「ここまで大きくなるにはどのくらい期間かかるのでしょうか?」と。
先生の答えは「4~5ヶ月くらい」だった。
上の計算はその話とほぼ一致したから、あながち的外れた内容ではないようである。
毎年少なくとも1回のX線検診は受けなさいという説の裏を、数字でとった気分になった。
そして、読んだ本の中に、「がん患者は、再発を怖がるよりは、手術を受けられた幸運を喜びなさい」と書いてあったことを思い出し、改めて自分の幸運をかみしめた。

2011年3月29日火曜日

ギックリ腰

買い物かごにバナナ1カットを入れ、かごの上にりんご1箱を置いた荷物を抱えながら
オープン冷蔵ケースの前に移動、そこで、膝を折って床に荷物を置いた。
目的の商品をとろうと、そのままの体勢で膝を伸ばしながら体を捻ったところでギクッ!
やった!やってしまった!軽くはあったが、こうなったら時既に遅し。
腰を折り、ガニ股歩きの不恰好な姿をさらけ出しながら、レジを通り、自転車にたどり着き、これに乗って、何とか自宅に辿りついた。

自分の記憶では、我が人生で5回目のぎっくり腰である。
最悪の場合は、ギクッときて、そのまま、いかなる体勢へも移行できずに固まったことを考えれば、今回はましな方である。
先週土曜日のことだから、今日は4日目。
少し、体を後ろに曲げられるようになった。
見上げた空は快晴で今日の最高気温は16℃の予報。
北の被災地に早くこの陽気が届けと祈った。
陽気に誘われて、今から、サザンカの刈りこみ作業を始めようっと!

2011年3月25日金曜日

開花間近いエドヒガンサクラ


尾張北部の当地でボクが密かに開花の標準木と定めている龍泉寺のエドヒガンサクラ、
今日、樹木が赤くなってきた。つぼみが膨らんでいて開花寸前といった感じである。
去年も一昨年も、彼岸過ぎの墓地は満開の下で明るく輝いていたのに、
今年は墓前の供花だけ残って、墓地らしい沈んだ雰囲気が漂っていた。


今日は被災地では吹雪くかも知れないという予報が出た。
被災者に追い打ちをかけるような非情な天候である。
春の陽気まで遠慮してしまったのか。
今年は花見もはばかられるよう気分であっても、陽気は早く来て欲しい。

ところで大震災の呼び方だが、NHKは頑なに東北関東大震災と呼び、
その他のほとんどのメディアは東日本大震災と呼んでいる。
ボクの感覚では東日本というのは関東止まりで東北を含まないから、
NHKの呼び方がしっくりする。
東北の人たちは東日本と言われて違和感がないのだろうか?

2011年3月23日水曜日

パニックが心配


つい先程(14:45ころ)、東京都水道局が3つの浄水場の水から放射性ヨウ素131を検出したと発表した。
そのうち金町浄水場の水は乳児の摂取量の暫定基準値の100ベクレルを越えた210ベクレル/Kgであり、給水地区の23区と多摩地区5市では、乳児に与えるのを控えよと、警告した。

未だ、東京都以外で発表がないのは、測定が進んでいないからなのだろう。
金町浄水場の水源は江戸川だから、江戸川を水源としているすべての水道水に汚染の可能性がある。しかし、そのことにはまだ誰も触れていない。
単純に考えれば汚染野菜を発表した地区はすべて汚染しているのではなかろうか?

ところで、放射能の単位は何が何だかわからないから、いろいろ調べてみたが、それでも理解を超えるものばかり。我々のような化学系を出た人間でさえこの有様だから、世間一般の人にはチンプンカンプンだろう。それだけに数字は一人歩きしやすい。
一つの基準値が東京都内でも越えたというだけで、パニックにならなければよいが・・・・・・。

2011年3月22日火曜日

季節は巡る


政府が昨日、福島、群馬、茨城、栃木産のホウレンソウとカキナと福島の原乳を出荷制限するよう指示した。
未だ汚染が確認されていない会津地方の生産者が原乳を廃棄しながら怒り嘆く姿をテレビで見て、同情を禁じえなかった。
今まで、後手後手に回っていた政府の指示が、ここでは先走った感は否めない。
これで風評被害が一気に拡大するのではなかろうか?

義援金について疑問に思った事例が2つある。
トヨタ自動車は義援金を3億円出すことにした。
韓国のヨン様やチェジュウでさえ億単位の義援を差し伸べたという噂があるのに、
たったこれだけ?というのが率直な感じである。
これによってデンソーなどのトヨタ系企業は義援金の頭を抑えられた。
そのトヨタ労組は震災発生後に賃上げ交渉を行い、賃上げを勝ち取った。
ここの労使の感覚を疑いたい。
今日から操業開始予定が、部品の調達が付かないので延期になったようだ。
自慢のカンバン方式の欠陥とは言えないか?
どこかの知事が天罰だと言って顰蹙を買ったが、トヨタにこそふさわしい言葉かも知れない。

もう一つ、名古屋市が3億円の義援金を出すそうだ。
河村市長は、減税にともなう予算として確保したものであり、1世帯当たり300円相当だと説明した。
ここで疑問。
減税減税と言って減税日本という地方政党を立ち上げ、名古屋市議会を牛耳ろうとしたその中身が、たったの300円か?
減税の中身が本当にこれだけならば、まさに市民をペテンにかけたことにならないだろうか?

折しも、一昨日、名古屋市桶狭間学区の地域委員会(河村市長が推し進める組織)が防災運動会を行ったという。主義主張を抜きで行なわれるなら誰がやろうと結構なことだ。
そのローカルニュースの中で、インタービューを受けた炊き出しの作業中の女性の顔。
おお!Mさんじゃないか!とこちらがびっくり。
元勤務先で試験室のパートのおばさんだった。
ボクより10ヶ月前に肺がんを手術した、こちらの方の先輩である。
早速、メールを入れた。
こんなおばあちゃんの顔が写って恥ずかしいと言っていたが、元気でなによりである。

今日は、つかの間の陽気に誘われて1週間ぶりに木曽川まで足を伸ばした。
ホーホケキョ!の声。今年の初聞きである。数日前には未だチッチツ!だったのに。
水面のキンクロハジロ群団の姿が消えていた。北に向かったのだろう。
散歩の終に役場に寄って、日本赤十字社の募金箱にほんの少しだが、気持ちを込めて入れてきた。

2011年3月18日金曜日

乾電池

氷点下の中で暖房用の灯油が底をつきそうだという避難所の悲痛な声を聞き、
タンクローリーや貨物列車が灯油やガソリンを乗せて駆けつける姿をテレビで見て、
もう少しだ、頑張れ!と心のなかで叫ぶ。

仙台からメールが届いた。
ガソリンスタンドやスーパー、コンビニの前に長い行列ができているといい、
店の食料品も払底しそうだと。
少しでも救援物資をと思って、こちらのクロネコヤマトに問い合わせれば、
せいぜい東京までなら何とか、と言われた。如何ともし難い。

東電の計画停電の影響がこちらにも波及している。
今日、家内がホームセンターで、老夫婦から声を掛けられた。
乾電池1パックと500円を手渡され、レジを通ってくれという。
訊けば、東京の息子に送るため2パック買いたいのだが、
1家族1パックしか売ってくれないからだという。
家内は、快く応じたそうだ。

散歩がてら百均2店を回って、充電式ニッケル水素乾電池の棚を覗いてきたが、
既に空っぽである。充電器だけたくさん残っていた。
充電式乾電池の便利さを知っている人の買い増しが多いのだろう。
我が家は既に10本以上を、玄関ホーン、体重計、時計、レザーマウスなどに使っている。
なかでも、懐中電灯はLEDランプとのセットがベストの組み合わせである。
もともと海外旅行に携行したものだが、枕元に常備して、暗い中で時計を見るために使っている。

この機会に、非常用備品の点検と整理・保管を真剣に考えようか?

2011年3月16日水曜日

本当に大丈夫か?


大震災6日目を迎え、被災の現地では寒波が襲い、
暖房の灯油不足をはじめ、救援の遅れが盛んに訴えられている。
福島第1原発はますます危険が高まっている。
そんな情況を映し出すテレビを、ストーブで温まった部屋で観ているのは申し訳ない気がする。

昨夜は富士宮市の深さ10キロ㍍を震源とするM6.0の地震が発生した。
今日も、銚子犬吠岬の近くを震源にする地震が発生した。
なんだかだんだん震源地が近付いているような気がする。
気象庁は今回の巨大地震が東海・東南海・南海地震を誘発するおそれはないと言っているが、
信じていいものかどうか?

庶民はそこら辺りに敏感である。
こちらのスーパーでも飲料水を始めとする食料・飲料の棚はとっくに空っぽだった。

今日は午後2時12分ころ、天にわかにかき曇り、一塵の突風と共に5㍉位の大粒のあられが降った。
何だか天変地異を象徴するようで、不安をかきたてた。

2011年3月15日火曜日

O君が心配だ

Nさんからの情報により 仙台港近くの工場に勤めるO君の所在が気になっていたところ、
Google が災害地の衛星写真を提供していることを見つけた。

http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=en&geocode=&q=http:%2F%2Fmw1.google.com%2Fcrisisresponse%2F2011%2Fjapan_earthquake_2011%2Fearthquake%2Fgeoeye%2FSouthSendai_Ikonos_2011-03-12%2FSouthSendai_Ikonos_2011-03-12.kml&aq=&sll=36.204824,138.252924&sspn=45.226618,107.138672&ie=UTF8&ll=38.237798,141.008459&spn=0.174202,0.41851&t=f&z=12&ecpose=38.23779817,141.00845903,34171.75,0.023,0,0

上記は仙台塩竈港付近の映像。
O君の勤める会社の建屋が残っているのを雲の切れ間に確認できた。
所在地は仙台市宮城野区港1-1-9
キリンビールの工場とは1区画挟んだ東隣。
近くの住宅もかなり残っているように見えるから、
O君は命拾いしたのではないかと思いたい。

2011年3月14日月曜日

東北関東(東日本)大震災


前のブログを書いているときに地震は起きた。
時は2011年3月11日14時46分、テレビは参議院予算委員会を中継中、
突如、緊急地震速報が発令されたことをアナウンサーが告げ、三陸沖で地震が発生し、津波襲来に備えて避難するように繰り返しアナウンスを続けた。
そうこうするうち、こちらにも振幅の長い大きな横揺れが来た。
阪神淡路地震の時に感じた揺れの大きさよりも明らかに大きかった。
距離と揺れの大きさから、巨大地震を直感した。
テレビはリアルタイムで三陸沿岸に津波が来襲する様子を流し続けた。
正直、これが現実に起きている事象であると感じるまでには時間を要した。

それから今日まで、自分はこの巨大な災害の有様を表現する術を持ち合わせなかった。
今朝になってやっとこの巨大災害を表す数字が出た。
新聞の大見出しは「安否不明 数万人」と記してある。
宮城県だけでも1万人の行方不明者がいると昨日は報道されたから、
5万人というのは納得出来る。

マグニチュード9.0は、記録の残っている869年(平安時代)の貞観地震がM8.3と推定されるとかで、それよりも大きいのだから、もうこれは日本の有史以来の巨大地震といえるのではないのか?

さしあたって、東海・東南海・南海地震が連動して起きないかと心配される。
そうなれば、人口はこちらのほうが圧倒的に多いのだから被害はこの程度では済まないだろう。

いつの場合も人は感動する。
生きて再会出来て泣いて喜び抱き合う姿や、被災した人の無事を涙ながらに祈る人の姿を見て、もらい泣く。
漂流中を発見され救助されたと聞いて喜び、
日本の被災者の冷静な行動を見習えと中国が論調していると言われれば、日本国人としての誇りを感じる。
国民が救援と復興に理解と協力をするのは当然であろう。
そのためには先ずは国の指導者に真の指導力を発揮してもらいたい。

2011年3月11日金曜日

カワセミの姿にドキッ!


五条川コースの散歩の時は少なからずカワセミとの出会いを期待して出かける。
今日は期待が叶ったばかりか、姿をカメラで捕らえることが出来て、もう、万々歳である。

川沿いに歩きながら、今日はダメだったかと諦めかけながらコースの折り返し地点近くに差し掛かったとき、10㍍ほど先の小さな堰のコンクリート護岸の端に、なんと輝くばかりの姿をさらけ出しているではないか!
この瞬間の気持ちは、好みの美人とひょっこり出会したときのドッキリ感に似ている。
しかも、モデルになって、ボクの撮影に付き合ってくれた。


こちらはそっとカメラを向けた。
当然、相手はこちらの姿を捉えているはずなのに、すぐは逃げない。
数枚シャッターを押すだけの時間をボクに与えて、やがて、飛び去った。

2011年3月10日木曜日

タイヤ交換



夜間に雪がちらつくかも知れないという天気予報が外れて、
日中の寒さも真冬並みという程でもなかった。陽射しがあったせいだろう。
寒さも峠をこえて日曜日以降ぐっと暖かくなるというから、
それではという訳で、タイヤもスタッドレスからノーマルに履き替えた。
ガソリンがどんどん値上がりしている折でもあり、燃費を少しでもセーブしたいというケチな考えが働いたせいもある。大した金額になるわけではない。単なる、貧乏人根性というやつである。

写真はモズのメス。白内障の進行で肉眼ではモズらしいと判る程度だったが、
コンデジカメラに収まった画像をみてはじめてメスだと分かった。
オスと違って優しい顔をしている。

2011年3月9日水曜日

気がつけば啓蟄も過ぎ


気がついたら啓蟄はもう過ぎているが、
また寒さ到来して今夜は雪がちらつくかも知れないと天気予報は云う。
こう云うのを「寒の戻り」というのだろうか?

気になって調べてみると、
3~4月に使うと言い、
晩春から初夏に使うと言い、
3月までは使うと言い、
諸説あるようだ。
春になって暖かい日が続いたあとで寒い日が来ることを、
実感を込めて云う言葉であるとしても、
三寒四温や春は名のみの・・・と言う頃合いを過ぎてから使った方がいいように思う。
たしか、先日テレビの天気予報で使っていたように記憶しているが、
使うには未だ早過ぎる気がした。
尤も、この表現を使うには、北の方では未だ未だとんでもない!だろうし、
南の方ではもう過ぎた!かも知れない。

2011年3月4日金曜日

送られて来たギフトカード


地元の現役高校生がジュニアモーグルの北米選手権に出場中ということで、
お祝いの垂れ幕が校舎に掲げてあった。
雪に縁のないこんな片田舎の高校から、そんな選手が出ること自体がまことに珍しい。
素質と努力があったところに幸運が加わったのだろう。

比べることがはばかれるような事だが、昨日、こちらもラッキーなことがあった。
大手電器量販店のガシェットのダウンロードに応募したことがあったが、
抽選に当たって、3000円のギフトカードが書留で送られてきた。
応募したことさえ忘れていたくらいだから、少額といえどもこれはラッキー!

普段は感じの悪い店とて、ショウウインドウ代わりにしか使っていない量販店だったが、
少し見直さなきゃいかんかな?と・・・。
「お前は現金なやつだ!」と、内心苦笑い。