2012年5月28日月曜日

常滑の読み方「とこなめ」「とこなべ」のどっち?

子供の頃、常滑を「とこなめ」と言わずに「とこなべ」と呼んでいた。
当時は、周囲の者が誰しもそう言っていたから、「とこなべ」だと思い込んでいた。
その後、中学生になってからだと思うが、名鉄の駅表示に「とこなめ」と書いてあるのをみて、何故、誰もが「とこなめ」と言わずに「とこなべ」と言っているのだろうか?という疑問が湧いた。
「とこなめ」と言っているのに「とこなべ」と聞こえるは、自分の耳が悪いのか?
とも思った。
そして現在も多くの人達は相変わらず「とこなべ」と言っているように聞こえる。

常滑を訪れたのを機会に、気になっていた常滑の読み方を調べてみた。
先ず、常滑市のホームページ。
当然の事ながら正式名称は「とこなめ」。
但し、「とこなめ」なのか?「とこなべ」なのか?紛糾した時代があった、と一言だけ書いてある。
と言うことは、「とこなべ」でも間違いでなかった、ということであろう。
これが「とこなめ」になった理由には触れられていない。
検索を続けると、名鉄が読み方を「とこなめ」にしたことから、こちらに統一されるキッカケになったのではないか?という説もある。が、これは定かでない。

一方の「とこなべ」説。
知多半島で常滑と背中合わせの半田市に「岩滑」と書いて「やなべ」と呼ぶ正式地名があるから、「とこなべ」と読んでもおかしくない、という記述や、
半田市のボランティアの人の話として、「とこなべ」と言っていた人達がいた、という記述も見つかった。
そして「SPACE とこなべ」のホームページに行き当った。
先日、このギャラリーでは店主とゆっくり会話して来たのだった。
建物は昔の工場の建物そのものを使っている由緒正しい店である。
撮ってきた写真をあらためて見てみると、間違いなく看板に「SPACE とこなべ」と書いてある。
地元の伝統を守るひとでも「とこなべ」と呼んでいるではないか!

「とこなめ」と「とこなべ」論、ボクとしては「とこなべ」派に軍配を上げたくなった

2012年5月26日土曜日

常滑やきもの散歩道の散策


昨日、家内が行ってみたいというので常滑のやきもの散歩道を散策した。
愛知県の出身者として、県内の瀬戸と常滑が夫々古窯の一つだということは認識していたが、その他に古窯は何処に幾つ有るのかさえ知らなかったという、やきもの音痴の散歩である。

社会人になるまでの22年間、名鉄常滑線の線路際で生まれ育ちながら、一度も常滑へ行ったことがなかった。常滑の手前、新舞子や大野町までは海水浴に行ったのだが、その先に行く用事がなかったからだ。
その後今日まで、1度だけ行った記憶があるが、遠い記憶のこととて、何の用事であったのかとんと思い出せない。
そして現在は、7年前の愛知万博に合わせて開港した中部国際空港まで延伸したので、単なる通過駅になってしまった。
その常滑駅まで、我が家の最寄り駅から電車でまっすぐ1時間の近場である。

改札口を出て直ぐのところにある観光案内所で、まずはコースマップをもらい、ついでに併設のギャラリーで個展を開いていた若手陶芸家のお兄さんにコースの要所を教えてもらった。

散歩コースはほとんど駅前と云うくらいの近場にある。
散歩道の途中には、石垣の石の代わりに土管を組み上げて垣を巡らせた土管坂という名の坂道に名残があるように、常滑では昭和の初期から戦後にかけて盛んに土管が作られて来たのだが、その後、土管の需要がなくなり、急速に焼きもの産業は衰退していったようだ。
そうして廃業した窯跡の幾つかを巡るのがこのコース。

昭和56年、当時の市長が狭い地域に点在している古い窯主に呼びかけ、観光コースに整備してきて今日に至った、と或るギャラリーの店主が語ってくれた。
コースの途中には小さなギャラリーが点在し、ロクロ回しを体験させてくれるところや、陶芸家自身の店であったり、新進作家の作品を展示販売する店であったりする。
その多くは自分の窯を持っているのではなく、多くは、焼き専門の業者に頼むということらしい。コース内に残っている窯で現役のものは一つもなく、残っているのは単なる遺跡だったり、ギャラリーとしての入れ物になっていたりする。
ギャラリーの多くが、よくぞここまで残っていたものだと思うくらい古い昭和初期からの建物を使っている。

国内に名前の知られた焼きもの産地は多々あるが、六古窯と言われるのは瀬戸焼、常滑焼、信楽焼、越前焼、備前焼、丹波立杭焼だそうな。これらは中世から現在まで続く陶磁器窯であり、渡来人の技術によって近世以降に始まった窯とは区別されるという。
その古窯の常滑だが、子供の頃の印象は土管の常滑であって、食器類は赤い急須の類ぐらいだろうと思っていたが、あるある、他にも常滑焼きと言われるものがいっぱいあった。

その中で、真っ先に挙げなければならないのが、招き猫。
招き猫の発祥は常滑とは知らなかった。
今では全国の約8割を生産している由。
その猫だが、左手を上げているのが「人を招く」、右手を上げているのが「金を招く」のだということも教わった。
何事によらず、現場まで足を運んで確認することが大切なようである。

一周1.6キロ㍍の散歩コースは終わってみると、陶器音痴のボクにも結構面白かった。それは、最初に見所を教えて呉れた個展のお兄さんのお陰と言えるだろうか。
教えられた所では陶芸家本人と会話出来たからである。
2年前に訪れた瀬戸ではこういう機会がなかった。
観光で訪れるなら瀬戸より常滑である。

2012年5月21日月曜日

日食見えた

金環日蝕(昔人間には日食よりもこの字のほうがピンと来る)が見えた。



日食メガネ2つで約1000円の投資が役立った。
一つは家内専用、もうひとつは眼デジのフィルター代わり。
これでも自分用のメガネが不足なのだが、無駄になるかも知れないと考え、買い足ししなかった。
代わりに、これで行こう!と作ったのがピンホールカメラ。
おーいお茶の空箱2つを繋いで、レンズはアルミ箔に1.5㍉の穴をあけたもの。
底に白紙を張って、胴の上にのぞき穴を付けた。

出来た写真は証拠写真にはなるだろう。
金環が出来たところで薄い雲がかぶさったが、これもご愛嬌程度。
太陽の欠け始めから欠けが消えるまで、2時間以上の天体ショウは、
まずまず満足の行くものだった。
当地で932年ぶりと言われる金環日食。
長生きはするものである。

2012年5月18日金曜日

対照的な二人の医師


ボクの身近なところに二人の医師がいた。
一人は、ボクが現役を引退して直ぐの頃、お世話になった町内の皮膚科クリニックの先生。
何10年に亘って足の爪全部に巣食っていたボクの水虫を退治して呉れた。
半年くらい前に気がついてみたら、そのクリニックが綺麗に更地になっていた。
その後、近くの大邸宅の庭にいる元気な先生の姿を見かけたし、
先日も、ボクと同じ眼科クリニックで、一人の患者として受診されているところにも遭遇した。
まだ老け込んでいないから70才前だろうか?
この皮膚科の先生、何故クリニックをたたんだのだろうか?訝っていたのだが・・・。
情報通の家内の友達が調べて呉れたところによると、
先生の息子が内科医になったが、内科激戦区の土地柄だから、親父の跡で開業したくないと言ったとか。だから、親父は世の中の定年制を見習ってあっさり廃業し、元気なうちに自分の趣味の道を歩くことにした・・・、のだそうだ。

これとは対照的なもう一人の医師。
先日、N病院で定期検診を受けたとき、待合室で見た担当医のディスプレー表示に、
大学でクラスメートだったY君の名前を見つけてびっくりした。
彼は、以前に年賀状で、国立病院を務め上げて引退したと書いて来たから、
てっきり現役を引退したものとばかりに思っていたのだ。
彼はボクと同じ研究室で卒業論文を書き、一緒に卒業したのだが、
その後、別の国立大学の医学部に入り直して、医師になったという努力家であった。
数年前に奥さんに先立たれている。
その彼がまだ現役の医者をやっている。
よく頑張っているな~ぁ!と云うのが、率直なボクの感想である。

開業医と勤務医では、自分の老後感覚がちがうのかな?と思わないでもないが、
ひとはそれぞれ自分の生き方があるから、二人を比較してとやかくいうつもりはない。
老後を悔いなく過ごされれば、それでいい。
珍しかったので、ここに書き留めて置く。

2012年5月16日水曜日

金環日蝕を撮るか?撮らぬか?

今度の日蝕を、カメラに収めるかどうか迷った末に、撮ることに決めた。
手持ちのコンデジはマニュアル撮影出来ないショボクレだから、頼るのは眼デジ。
だが、これとて、使えるもレンズは銀塩時代の安物の300mmしかないから、どだい人様に見てもらえるような写真が撮れるはずがない。
だから、仮に日蝕写真が撮れたとしても、こんなことがありましたと云う記録写真にしかならないだろう。
問題はフィルターだが、このためだけに高価な専用フィルターを買うなんてとんでもない。
そこで、日蝕観察用メガネをレンズの前にかざして撮ることにした。

レンズの前に眼鏡を固定する仕掛けを紙細工で作った。
小さな小窓にレンズをくっつける格好になったが、なんとか太陽は撮れた。
5時の位置にある黒点の存在はかろうじて認識できる。


Nさんが先日ブログに載せた写真の太陽は橙色だったが、こちらはグレーだ。
フィルターの違いだろうか?
因みに、中国製のこのメガネに使用しているフィルターはドイツBaader Planetarium社製と表示されている。
値段が980円と798円の物が残っていて、安い方を買った。
確か、380円のものが出ていたはずだが、こちらはすでに売り切れていた。

あとは当日の天気。
照か?照らぬか?それが問題だ。

2012年5月15日火曜日

古いパソコンの使い途


友人のUさんが断捨離のことをMLに書いた。
自宅を自立型介護施設として終の棲家にするために、家の中の整理をはじめたそうだ。
この歳になると皆さん、考えることは同じらしい。

捨てるのはなかなか難しい。
兎に角捨てようと思って手に取ってみるものの、まだ使える、捨てるに忍びない、などと思って、躊躇してしまうことが多い。

そんな物の一つに古いパソコンがある。
OSにWIN98SEが入っている2代目のパソコンで、12年前に買った。
7年前に3代目のXPデスクトップを買ったから、5年間使ったことになる。
その5年の間に、HDDが壊れて10Gから40Gに取り替えてある。
4年半前には4代目のVistaのノートを買ったので、98SEはほぼ無用になった。
3年ほど前、パソコンの仕組みの勉強のためにLinuxとWin98SEのDual‐bootにして遊んだことがあるが、それ以外に使うことなく、ホコリを被っていた。

さて、この古いパソコン、捨てようか?捨てまいか?先日来考えてきたが、やっぱり、使えるものを捨てるのは勿体ない、ということになった。
そこで考えたのが、現有3台のPCでホームネットワーク化して、98SEの40GのHDDをストレージに使う方法。
ネットワーク構築の方法を探すのに少し手間取ったが、分かってしまえば至って簡単だった。XPに入っているネットワークセットアップウィザードを使えばよかったのだ。

結果は良好。
3台のPCは電源が入っていればどのPCからも、相手の共有ファイルが見られて、データの移動もクリック&ドロップでOKになった。
増えた40GはPC内にある古いデータのうち、使わないけど捨てられないデータのストレージ用に使うつもり。
もっとも、98SEはOSを更新したばかりだから、動きの軽いこと軽いこと。
サクサク動いて気分が良い。
勿論、インターネットもOKだが、98SE用のセキュリティーソフトが世の中から無くなったみたいで、ルーターを通す以外は無防備のハダカでネットに繋げなければならない。
恐ろしいから、極々限定サイトの閲覧だけに使うつもり。

目に見えないデータ類の整理もまた断捨離のうち、と言うことで、
またまた、パソコンで遊ばせて貰った。

2012年5月11日金曜日

乗客の居眠り

今日の正午過ぎの電車内でこんな調子で堂々と居眠りする乗客がいた。 物珍しいから、こっそりパチリンコ。
車掌室の車掌からは丸見え。
その車掌がこの乗客の前を往復したが、何事もなし。要するに黙認である。
他の乗客に迷惑がかかる訳でないから、眠りたい客への最大のサービスなんだろう。
2駅過ぎて少し立て込んできたら、目を閉じたままムックリ体を起こし、そのまま居眠りを続けた。
更に、数駅過ぎて停車したら、眠い顔しながら立ち上がり、慌てるでもなくフォームに降りて行った。
降車駅を間違えていなかったようだから、大したものだと変に感心。
電車に乗るたびに若者の乗車マナーの悪るさに遭遇し、顔をしかめることが多いのだが、
今日のような場合には余計なお節介をしないほうが、平和でよろしいようで・・・・。

さて、今日は肺がん手術後1年半の定期検査日。
CT撮影と採血検査をした。CTでは0.7㍉シーベルト位の被曝になるのかな?
30分前に撮影したCT画像が先生のディスプレーに呼び出され、 1時間前に採血した結果もプリントアウトされていた。

「肺野部もリンパ節もきれいですね」
「血液の値も100点満点、全て基準値内です」 と言われ、緊張が一気に開放。
やはり異常なしと聞けば嬉しい。

2012年5月9日水曜日

眼鏡の度数と医師の信頼度数

今日は眼科受診日。
手術後1ヶ月で、メガネの処方箋を書いて貰った。

予め看護師が視力検査したデータを先生は画面に呼び込み、
データを見ながらしばし腕組みして考えた。
そして、検査した看護師を診察室に呼び込んで言った。

「確かにデータは間違いないけど、これだと少し度がキツイような気がします。」
「パソコンや読み物をしている時以外には眼鏡をいちいち外さなければならないと思うので、そうならないようにもうワンランク下げましょう。」と・・・。
どうやらこれは看護師への指導のようだ。

これを聞いてボクもほっとした。
視力検査のとき、新聞を自分で広げて看護師の言う距離で度数を探すのだが、看護師の言う距離がどうも少し短いような気がしていた。
それでも、プロが言うのだからそんなものかと何となく納得したのだが、
そこをズバリと先生が指摘したのである。
先生は、再検査するまでもなく、処方箋は下げたデータで書くと言い切った。

診察室を出て、看護師がワンランク下げたレンズ度数の中近レンズで試してくれたが、
なるほど、確かにすっきりした感じになった。

看護師への指導といい、診断の確かさといい、よく出来た先生だと感心した。
メガネとは逆に、信頼度数がもう1ランク上がったという訳である。

2012年5月7日月曜日

GW明け

GW後半の2日の夜から里帰りしていた娘と孫2人が、今日の昼過ぎに帰って行き、16時半に無事帰宅したと電話してきた。
GWのUターンラッシュの昨日を避けて今日にしたので東名に渋滞もなく順調、4ヶ月に満たない下の孫娘もシートに寝かされたまま3時間の道中は穏やかだったという。里帰りする方も、される方も、これでヤレヤレ。

娘婿は送り届けた翌日には電車で帰って行き、連休後半の3日間は自分の趣味の世界に没入出来たハズ。

この期間、食料の調達から料理と食事の世話まで全部面倒を見なければならないバーバが一番大変。毎度のことながら、いつまで続けられるかと言いながらよく頑張った。ジージは上の孫娘の遊びに付き合う程度だから左程でもないが、普段の生活のペースと違うから、結構疲れた。

夫々のGWが終わって、我々老夫婦がまた元のペースに戻れる。これもまた悦びである。

2012年5月3日木曜日

ゴーヤの蔓先




昨日は時折小雨が交じる雨空が続いたから、外出もままならず、
結果的に、家にこもって部屋中掃除機掛けやら、夏冬の衣類の入れ替え作業だった。

雨間に、庭に出て体操やら芝生の草取りをしていて、ふと気がついた。
前日、プランターに植えたゴーヤの蔓先の動きの何と速いことか。

写真に撮って見ると、こんな感じになる。
ネットに添わせてから小時間でネットに絡み付いた。
生命力の不思議さの一端を見た。

今年はじめて日除け用にゴーヤを植えてみた。
実の方は期待していないが、家内が10本も植えたから、
仮に1本に1個実っても10個になる。
ひょっとしたら、今年はゴーヤのやりで、来年にはもう結構と言うかも知れない。

2012年5月1日火曜日

顕著な老化現象

人は往々にして時を隔てて見ないと自分の老化には気づき難いものである。
老化は知らず知らずのうちにすすむから自分では気づきにくい。
ところがそうではなく、最近、ある現象というか症状というか、それが出現したことによって、
その時点で自分の老化をはっきり認識するはめになった。
それは目眩(めまい)。

1ヶ月くらい前に、目覚めてベッドで上半身を起こした時グラっと来た。10秒くらい目を閉じて横になったら収まった。
更にその後1週間くらいの間に2回、トイレで用便後に立ち上がった時にグラっと来た。これは数秒で収まった。
それ以降、常時ではないが、頭を上下や前後左右に急に動かすと体がふらつくようになった。

今日も目を閉じて片足立ちしてみると、10秒も立っていられない。
以前やったのは何時の頃だったか?その時は30秒以上立っていられたのに!

念のため、先日眼科受診で先生に「白内障の手術と関係ありますか」と訊いてみた。
先生、「関係ありません。それは多分老化現象でしょう。目眩で死んだひとはいませんが、診てもらうなら神経内科か耳鼻咽喉科ですね」とあっさり。

自分では良性発作性頭位眩暈症ではないかと思っている。
目眩で受診する患者の約半分がこれらしい。
しばらくこのまま放っておいて様子を見よう。