2011年4月28日木曜日

町議会議員の政務調査費

散歩途中で同じ自治会の一員である町議員さんに出会った。
ちょうど、自転車で、後援会報を配布して回っていたところだ。
会報はA3を2つ折にした表裏4ページのささやかなものだが、企画、投稿、編集、発行をすべてひとりでやっていて、印刷だけ外注、費用もすべて個人持ちだと聞いている。

立ち話の中で、政務調査費がたったの5万8千円だという話になった。
毎月じゃないよ、年間だよ、と念押しした上で・・・・、
それでも、5万8千円が使えないし、要らないという議員もいるんだよねぇ・・・、
何かの調査に行こうとすると、オレもオレもと物見遊山のように付いて来るのもいるし・・・、
と嘆いた。
先日も、往復10万円の交通費に自腹を切って、釜石まで車を運転して見舞いに行ってきたとか。

町議員は選挙でえらばれているのだが、なかにはいい加減な人物もいるようだ。
その点、おらが自治会の町議員さんは大丈夫のようだ。

2011年4月25日月曜日

フリーソフトで遊ぶ

朝から爽やかな晴天が続いていたが、昼頃から目まぐるしく天候が変わった。
はじめは天にわかにかき曇り,大粒な雨がどっと来た。
やがて日が照ったと思ったら、また、西から厚い雲が来て、雨と伴に雷が鳴り出した。
午後4時前にはまた晴天に戻った。
前線が西から東に一気に抜けた。
遠くの千葉の柏や茨城の取手では竜巻の被害が出たそうだ。

そんな不安定な空を見上げながら、晴れ間を縫って本屋へ行き、そこで立ち読み、さらに図書館へ転じて、PCのフリーソフトの情報を仕入れてきた。
日経PC21の6月号は【2011年決定版】新作&名作フリーソフト50本と銘打って、ボクの大好きなフリーソフト類を紹介している。

その中から、取り敢えず2つインストールしてみた。
そのひとつ、SolutoというのはPCのBoot時にどのソフトが立ち上がるかを教えてくれるソフトである。
最近、Boot時間が長いように思っていたので、早速試したところ、
2分47秒かかって、立ち上がったアプリが79と出た。
やはりBootが長いからあとでゆっくり整理しよう。
もうひとつのソフトはSmart Defrag 2 というソフト。
既に、Defragには「すっきり!デフラグ」というのがPCに入っているが、こちらのほうが簡単でグラフィックスも分かりやすいから、しばらく、これを使ってみよう。

この他にも、未だ試して見たいと思うのが数種類ある。
雨間に出かけただけの成果があったと満足〃〃。
しばらく暇つぶしが出来る。

2011年4月24日日曜日

雨上がる

終日降り続いた昨日の雨で、木曽川は増水して薄濁リ、流れが早かった。
流れを避けたキンクロハジロが岸近くに寄って来ていたので、
コンデジでも、かろうじて、彼らの表情を捉えられた。
彼らは、北帰行前の名残のキンクロハジロだろう。
かって、ブログ仲間のNさんが彼らのことを「不良っぽい高校生みたいだ」と表現したことがあった。その時、上手いなぁ!上手いことを言うなぁ~…と感心したものである。
ボクなりにイメージを追加すれば、「弊衣破帽のバンカラ学生」みたいだと言うことになる。
ある岩手県の高校では、現在もなお応援団が伝統的に弊衣破帽を受け継いでいることで知られており、我が娘はそこの出身である。http://page.freett.com/TM117/meishobu5.htm


例年、稚鮎のドブ釣りの竿が並ぶ岸辺には、様子見に来たのだろうか、三人ばかりが川面を眺めていた。
薄濁りの水が少し減る明日くらいが絶好の釣日和と見たがどうだろう?
シーズンを心待ちしているこの人たちは、きっと、明日には竿を出すことだろう。

桜シーズンを最後に締めくくるのは各種の八重桜である。
見事に咲いた。
ひときわ輝いていた黄色は、こがね色の山吹の花。

2011年4月22日金曜日

腹の中を見透かされた話

今日は手術後6ヶ月目の検診ということで、病院へ出かけた。
受診予約の1時間前に血液検査、30分前にCT撮影を済ませてある。

呼ばれて診察室に入った。
大丈夫と思う気持ちはあるものの、もしかしてという不安もあり、
緊張して診断を聴く瞬間である。
先ず、血液検査の結果、CEAとCYFRAの2つの腫瘍マーカーは正常値で問題なし。
次いで先生の操作するパソコン画面を凝視した。
胸の下から上へとCT画像を順次切り替えて、「異常ありませんね」と、先生。
これで緊張は一気に開放された。

さらに、先生はリンパ節を診ますと言いながら、画像を切り替えて行く。
そして突然、「うどんを食べましたね」と先生。
「ええッ!」とこちらは声を揚げ、ついで笑ってしまった。
その通りなんだ。昼食にうどんを食べてから病院へ来たのだ。
先生は、「どうだ!図星だろう!」というよう顔をして画面を見つめながら、
「うどんは画面にこう映るんですよ」と指さした。
これは、先生のユーモアだったようだ。
それにしても、普段何を言わなくても、
患者の腹の中を見透かして、
何を食べたか想像しているのかと思ったら、
可笑しくなった。

その後リンパ節をひとわたりチェックして、「腫れもありませんね」で診察を終えた。
先ずは6ヶ月の関門通過である。

2011年4月20日水曜日

放射線腫瘍治療の本


白内障になっても、目からウロコが落ちてものが見えるというのは日常茶飯事だ。
「切らずに治すがん治療」という、中川恵一 東大付属病院放射線科の先生が書いた本を読んだら、やはり目からウロコが落ちた。

前立腺がんが見つかって、ホルモン治療と放射線治療を主治医が選択したという親友がいるが、
彼は手術をして貰えないことに落胆の口ぶりであったので、心配していたこともあって、
先日、図書館でこの本を見つけて内容に興味をもった。

平成19年刊行だから少々古いが、読んで、ビックリ!である。
がんを手術でなく放射線で治せる。例えば、初期肺がんなら手術と同等以上の完治実績だというし、前立腺がんに最も適した治療法だという。
装置も技術も進歩は著しく、アメリカではがん治療では手術よりも先の選択肢になっているほどなのに、残念ながら、日本ではこういう優れた治療法があるのをあまり知られていないのが実態だと。
著者の言葉を借りれば、
「外科学会で放射線腫瘍学会の研究発表をすることがあるとするなら、
それはトヨタの全国大会でニッサンの開発研究を発表するようなものである」である。
それはあり得ないことだと。
そして、日本でがんになったら医者は真っ先に手術を勧めるが、
その時は返事を一旦保留して、是非セカンドオピニオンとして放射線腫瘍医を訪ねて欲しい、と力説している。

自分にまたがんが見つかったら、今度は是非そうしたいと思う気になった。
放射線腫瘍医のいる病院はまだ限られているが、本にはそのリストも掲載されていて、
親友が選んだ病院もリストに入っている。それを見つけて安堵した。
彼には、この本を是非とも読むよう勧めた。
がん治療の啓蒙書として、がん予備軍の年配者に是非読んでもらいたい1冊である。
自分の読書記録には、この本の満足度を満点として記しておいた。

2011年4月19日火曜日

野良猫に手を焼く


先週の木曜日に、家内が体操仲間と一緒に近くのテーマパークに出かけ、
その折に3株200円でアスパラガス苗を買ってきた。
ナスとトマトも、やがて植えつけしたいというので、
3日前に、庭の一部のわずかばかりのスペースに、苦土石灰と堆肥と鶏糞を入れて耕しておいた。
野良猫のトイレに最高の環境だからと思い、周囲にネットを張り巡らせたのだが・・・・。

2日前、起きがけに見たら、明らかに猫が2箇所に排泄した跡が残っており、
その2時間後には、何と1匹がネットの中に、もう一匹がネットの外にいるではないか!
追い払ったらネットの中の猫は当初は右往左往逃げまわったが、その後ひょいとネットを飛び越えて逃げた。どうやらネットの高さが低かったようだ。
早速、背の高いネットに取り替えて、さらに、苦土石灰を表面に撒いておいた。
その結果、昨日から今朝まで、未だ猫の侵入気配はない。

冬の間、車のボンネットに猫が入り込んで、いっぱい毛をつけるので、
猫よけの手作りスペーサーを入れてあったが、
気温が高くなったので、こちらはお役ゴメンと、取り外した。

近所には野良猫に餌をやるご仁もいて、野良猫が繁殖している。
それに対して拙い防護策を試みるのだが、相手は曲者である。
いつも裏をかかれる。
こんな亭主の様子を見て、家内は「完全に猫に遊ばされているねぇ」と宣った。
情けなや、トホホ!

2011年4月15日金曜日

自治会脱退願


隣家の主人は現自治会長さんである。
散歩の出かけに顔を合わせたら擦り寄ってきて、こっそり愚痴をこぼした。
「Yさんが自治会の脱会願いを紙に書いて出してきたから、お説教して引きとってもらった」と。
Yさんは自治会で我が家と同じ班員であり、回覧板を回す隣組の一員である。
自宅を建てて引っ越して来た当初から、近所付き合いを拒んできたようなところがある。
40歳代で、子供もいない。


Yさんが脱会したいという表向きの理由は、「会費が惜しいからじゃない。宗教行事が多すぎる」ということらしい。
確かに、当自治会活動は宗教がらみの行事が多い。
氏神神社の春秋の例大祭だ、津島神社や御嶽山例祭だ、さらには秋葉講の例祭だ、と言った行事を例年粛々と執り行う。
だから他所からこの集落に移り住んだひとは先ず、その古さに驚き、鬱陶しく思う。
しかし、ほとんどの人は、そう思いながらも、「郷においては郷に従え」の譬えのとおり、宗教行事であっても単なる伝統行事だと割りきって、付き合いをして来たのだ。
この種の伝統行事については、誰しもが「止めて欲しいけど自分の代では言い出せない」、のではないだろうか。
伝統行事とは往々にしてそういうものだろう。
Yさんもそのように考えてくれればいいのだが・・・。

自治会長さんには「ご苦労様でしたねぇ」と申し上げて、労った。

写真は 咲き出したフジ と 桜の花模様

2011年4月13日水曜日

木曽川辺りの芽吹き


風もない絶好の散歩日和。
朝刊の近郊ページに遊歩道のシダレハナモモの満開写真が載ったから、
今日の散歩コースはこちらに決めた。

延々600㍍続く真紅の帯は周囲を圧倒する迫力がある。
この華やかさの一方で、オニグルミとエノキ並木が芽吹いた。
対岸の岸辺に続く柳の緑と、空を映して輝く川面の青を背景にした芽吹きの光景には、
シダレハナモモの赤色が少しでしゃばりすぎているようだから、
アングルを選んで減らした。

ツバメの飛ぶ姿を見なかったし、ウグイスの声も聞かなかったが、
なんだか春の景色に画竜点睛を欠いた気分であった。
鳥の世界にも何か異常があるのかな?

2011年4月10日日曜日

花見の最適日


今日は朝から風も無く、気温も上がって昼頃には日陰に入らないと暑いくらい。
五条川では花見の好適日が後にも先にもないというので、
今日という日を待ってましたとばかりに、人が繰り出した。
我が家もご多分にもれない部類である。家内と二人で散歩がてらお出かけだ。
五条川の桜は喧騒の区間は短いので、少し歩けば静かに花見も出来るのがよい。

ところどころでグループがバーベキューを楽しんではいるものの、大部分はそぞろ歩きの家族連れであり、木陰に入って弁当を開いている光景も、例年どおり。
満開を過ぎ、風に花びらが舞ってはいるが、落花しきりというには今少し早く、川面の花筏は未熟だった
気がつけば木々も芽吹きはじめて、淡黄緑が目立つようになった。
いよいよシーズン開始である。
学期年度を10月に変更したらという意見も有るようだが、
日本の年度始めは、やはり4月でなくっちゃ!

2011年4月7日木曜日

江南の春近し


花見をかねてあちらこちらと散歩のコースも日替わりである。
昨日は五条川、こちらは8分咲きくらいだった。
今日は木曽川の遊歩道へ。
龍泉寺のエドヒガンは満開を過ぎ、ピンク色があせて白くなってきた。
同じエドヒガンでも木曽川遊歩道脇の1本もの、通称「うすべに桜」が色良いピンクになって満開。

遊歩道沿いに植えられたシダレハナモモも満開。
この赤色は濃すぎて好みではないが、
ボランティアで手入れしている地域のフラワー愛好家グループの力作である。

歩道に落ちたヤブツバキの花を誰かが柵の杭の上に一つずつ置いていった。
誰も振り向かないヤブツバキも、こうして眺めると面白い。
遊び心に誰もが微笑んだであろう。
これでうぐいすの声でも聞けば、杜牧の江南の春の世界の趣だが、
それももうすぐそこまで来ている。

2011年4月6日水曜日

聚楽園大仏の紹介ページ

まさかと思ったけど、やっぱり有った。
聚楽園大仏でググると有る有る、いっぱい有るね。
その中からウィキペディアに続いて2番目にピットしたここが面白い。
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/syurakuen.html
小島独観 という人の「珍寺大道場」というホームページの中で紹介されている。
同名の本がAmazonでも売られているから、どうやらハンパ物ではなさそうだ。

上記URLで開くページの中で、聚楽園大仏の由緒来歴を紹介しているのだが、
軽妙洒脱な語り口のなかに本質がうまく述べられている。
聚楽園の開園当時の賑わいを、子供の頃に両親からよく聞かされたものだが、
この大仏が信仰目的でなく、観光目的でつくられたものだということは間違いない。
ただ、建立した山田才吉という実業家が守口漬の開発者でもあるということまで、
チョット書いて欲しかった。
と言うのも、こちらが今、守口大根の産地に居住しているからという理由に過ぎないのだが。

ともあれ、予想外に面白い紹介ページが見つかったので、ここに記しておく。

2011年4月5日火曜日

小学校同年会


昭和28年に中学校を卒業した同窓生のうち、ごく限られた複数の小学校当時の通学団地域で気のあった連中が毎年親睦会を開いていたことを仄聞していた。だが、声を掛けられたことはなかった。
遠方の者にわざわざ声をかける程のことではないと思われていたのだろう。
ところが、今年になって声が掛かった。
言い出しっぺの中心人物を含め、亡くなる者が年々出てきて、メンバー少なくなって来たためらしい。


今日、その会に出席した。
名簿には27名の名前が見える。出席したのは15名だから出席率は良い。
顔を見て誰が誰やら分からない人が多いのには困った。
すぐ判別出来た顔は4名。
残る10名は誰が誰やら全く分からなかった。
何しろ中学校卒業以来58年ぶりだし、クラスも違ったから印象も薄い。
特に女は姓が違っているから尚更だ。
それでも、さんざん説明をされてやっと思い出した女性が二人、
名乗られて分かった男性が三人。
残る男三人、女二人の5人は全く初見に等しかった。

名簿に名前が載っていない人もいるが、多分、亡くなったのだろう。
今日も二人の名前が挙がっていた。
連れ合いが亡くなった人の名前も聞いた。
これからもこの会は毎年開かれるようだが、いつまで続けられるだろうか?
出来るだけ出席しよう。

帰りは、当時の記憶をたどりながら、58年ぶりに小学生のころの通学地区の細い道をジグザグに抜けて、となり駅まで歩いた。未だ未だ、濃厚に当時の雰囲気を残しているところも多かった。古いものを残したまま町は外へ外へと膨張したのだ。
意外だったのは、子供の頃は随分遠い気がした隣の駅までの距離が、意外に近かったこと。
歩数は予想の7割くらいしかなかったのである。
子どもの足と大人の足の違いを自分ひとりで測ってみせた格好になったようだ。

ふるさとの大仏の顔は桜の花咲く頃が一番美しい。

2011年4月3日日曜日

ソメイヨシノ3分咲き


桜シーズン本命のソメイヨシノが概ね3分咲きになった。

木津用水(尾張北部の農業用水)も通水が始まって滔々と水が流れている。
その岸沿いでは丹羽高校の横のソメイヨシノの並木が平均して2分咲き。
堤防を数百㍍南に歩けば木津用水は五條川と交差する。
ここから五条川沿いに桜並木が岩倉まで延々10㌔メートルくらい続く、桜の名所。
並木の入り口当たりでは平均3分咲き。午後遅い時間だったせいもあるが、すれ違った花見の人は4人家族1組だけだった。
来週の週末には満開になって、落花しきりの花筏が見られることだろう。

帰り道で、兼房の独身寮の庭で満開のソメイヨシノの1本に出会った。
少し強めに吹いた風で散り始めていた。
同じソメイヨシノでも場所によって随分違いがあるようだ。

2011年4月2日土曜日

27年ぶりの納骨


今日、親父の27回忌の法事が実家であった。
集まったのは兄姉4人の他、実家の後嗣である次兄の嫁の兄弟姉妹、子供や孫達やその他などで総勢約25人と、賑やかだった。
見るからに温厚で人の良さそうなお坊さんが、延々とお経を上げ、さらにお説教を長々と垂れたのには閉口した。
それにしてもお坊さんをはじめとして唱和している連中は、息継ぎでお経がとぎれても、息継ぎをしている間に先に進んだお経の箇所に、さっと繋ぐことが出来る。
お経を上げられるというのはこういうことかと、変なところに感心した。

実家の宗旨は創価学会。ボクが社会人になってから、真宗からの宗旨替えしたものだから、菩提寺も替わってしまった。ボクはもともと宗教に無頓着だったのだが、さらに無信仰になった。信仰を押し付ける創価学会は嫌いだ。

次兄が仏壇から親父の遺骨を取り出した。
何故、26年間も納骨されずに残っていたのか?
おふくろの骨も親父の骨も、お墓に納骨したのは見ていたではないか?
何年か前に共同墓地の大改修をしたからその時に無くなったのかも知れないと、
次兄は言った。多分それしかないだろう。
だが、ともかくも親父の遺骨の一部が未だ残っていたのだ。

親父の遺骨は、坊さんの読経のもとに次兄がお墓に収めた。
ところで、納骨は骨壷のまま収めるものだと思っていたが、
壺から出して墓石の下に散骨するのが流儀だと言われて、そうなった。
宗派によって違うのか、それとも最近の流儀なのか?分からない。

没後27年目にして、親父はやっと収まるところに収まったようだ。

2011年4月1日金曜日

龍泉寺の桜


1週間前に開花直前だった龍泉寺のサクラが、今日が見頃になった。
ギックリ腰のあとの慣らし運転がてら見に行って来た。

木曽川河畔の1本もののエドヒガンはやっと開花したところだから、こちらのほうが早い。ひょっとして種類が違うのかも知れない。

ちょうど墓参りに来た老婆に声を掛けたら、
「今朝も一人写真を撮って行ったよ。この木が此処ら当たりでは一番早いからねぇ」と応えてくれた。
巨木で見事な桜の木だけれども、墓地という場所柄、見物する人は稀なようだ。

写真は、墓石が写らないように下の方をカットして巨木の感じを出してみた。