2014年12月31日水曜日

来年の宿題

今日の朝刊のトップ記事は2015年度の税制改正大綱。
他にビッグニュースがないから穏やかな年の暮れではある。
その改正は法人税減税と贈与税減税がメイン。
法人税減税は我々年寄りに直接関係がないから脇に置くとして、
贈与税減税は高齢者資産を若年層に移転させようとする狙いだから、
少し気になるところ。
でも、贈与額の拡大枠の額を見て、ああ、そんな大金なんて関係無い!
そんなの一部のお金持ち高齢者のための優遇策じゃん!

我が家の今年の出来事のビッグワンは、なんといってもボクの3回目の肺ガン手術。
去年までの2回の手術では回復が順調だったから危機感は抱かずに済んだが、
3回目の手術で一気に体力が失われ、危機感を持つに至った。
肺活量の減少が主因だが、その他にもまだ後遺症らしい自覚症状が続く。

この先を心配した家内が、ここで一区切りしたいと考えて手を打ったのが、
息子や娘の家族を温泉ホテルに集合させて、喜の字の祝やら、退院祝やらをやったこと。
温泉が付いた豪華な個室を各家族にあてがい、ふぐ尽くしの料理を食べて豪遊した。
資金は家内持ち。
その魂胆は亭主はちゃんとお見通し。
ボクが先に逝った時には遺産が少ないので相続税は発生しないが、
家内がひとり後で逝くときは、今住んでいる土地に軽減税率が適用されないから、
それ相応の遺産が発生する。その場合には、結果的に、子供たちに相続税を払わせることになるかも知れない。家内はそう考えたのである。


明日の1月1日、相続税と贈与税の改正法が施行される。
我が家は子供が二人。
家内が逝くと、相続無税枠が5000千万円+子供2人で2000千万円だったのが、3000千万円+子供2人で1200万円に減らされる。

今後、いよいよとなれば介護施設に入居することも考えなければならない。
その資金調達にリバースモーゲージも考えることになるだろう。
老後資金と遺産相続と介護費用。
来年の宿題である。

今年1年、ブツブツ独り言を文字にしてきたが、お付き合い頂いた方々にはご迷惑をお掛けした点も多々あったことだろう。どうかお許し下さい。これに懲りず来年もよろしくお付き合いのほどお願い致します。ありがとうございました。


2014年12月26日金曜日

年末大掃除

庭にあるアメリカハナミズキを剪定したがどうもまとまらない。
我が家の庭が植栽がなくて淋しいころ、町が無料でくれたのを植えつけたのだが、剪定もせず育つに任せたものだから、勝手に枝を張って大きくなってしまった。
家内とふたりきりの老人世帯になって、ハナよりダンゴという訳で観賞用の花よりも食べる野菜をと、狭い庭に植えるようになったが、ハナミズキが茂りだすとハナミズキの蔭に入って都合が悪い。
そんな訳で、余分な幹や大きな枝を思い切り切ることにした。その結果は、写真の通り。
本当は更に右半分をバッサリやりたいのだが、そうすると全く不格好になる。
さて、どうしたものか?
今年はユズも徒長枝をやけに大きく伸ばした。肥料が効いたのだろう。
こやつはトゲ持ちで、剪定もやっかいだから、来年に持ち越し。

屋外は今年はこれで終わり、いよいよ室内の大掃除。
息切れしながらもやれるところまでやるとしよう。


2014年12月20日土曜日

がんマーカーの上昇

昨日の術後4ヶ月目の検診で、がんマーカーのCEAが6.2、CYFRAが3.6と、
両方とも初めて正常範囲を少し越えた。
主治医は去年2月以来7回の測定値が並んだ表をプリントアウトしてくれて、
「がん以外でも数値が上がることがあり、経過を見ることが大切です。来月もう一度測定して様子を見ましょう」、「今日のレントゲンでは問題無いですね」、
とあっさり。

ボクのほうも、
毎日昼近くになると37℃くらいの微熱が出て体にコリが感じられること、
ロキソニンかセレコックスを半錠飲むと熱もコリも治ること、
息切れで早歩きも出来ないこと、
などを伝えた。
先生は「37℃程度の熱では薬は飲みませんよ」と暗に薬をやめたらどうか?と言った。
そう言われてみればそうかも知れない。明日から飲むのを止めてみよう。
でも、「今回は回復が遅いようです。術後の延長なのか?新しい何かが始まっているのだろうか?心配だ。」と言ったボクの言葉には少し反応したようだ。
だからこそ普通なら2ヶ月先の検査を1ヶ月に縮めて呉れたのかも知れない。
その時CTもやることになった。

がんマーカーが擬陽性に出ることがあるので、陽性になったからすわ癌だ!ということにはならないと言うものの、やはり心配事が増えたことに変わりない。
年明けから終活に本腰をいれざぁなるまい・・・・か?

2014年12月16日火曜日

お寒い話

連日の寒波の合間に少し陽が出てぬくもりを感じた昨日、この時ぞとばかにりかかりつけ医に出かけてPSAとピロリ菌の検査を受けた。
採血だけと思っていたら、看護師が血圧と採血をしている間に先生を呼んだ。
先生、カルテを見て、「ああ、約束通りですね」と言いながらこちらの顔色を診た。
ボクは「前回の住民検診で、カルテに予定を書かれちゃいましたから・・」と言った。
書かれていなければ検査を受けに来るつもりな無かったのだが・・・。
先生はこれで診療点数を稼いだか?
まあ、いいか!検査を受けておくのは悪いことではない。

投票率が52%台に終わった衆議院選挙。
突然の衆議院解散選挙では、選挙する意義に疑問を持ち、結果も知れていると思った人が多かったことの現れだろう。
戦い終わって安倍首相は「アベノミクスと改憲と原発再稼働の3つの推進方針の信任を得た」と宣った。
おいおい、それは違うだろう!
戦い前、争点に上げたのはアベノミクスだけで、改憲と原発は争点から敢えて外してきたではないか。野党側はちゃんと争点としてあげていたのに。
それを勝ってから後出しでくっつけたのは汚い!汚い!
支持政党を持たないが、止むを得ず、自民に投票した者たちに寒さが走る。


2014年12月10日水曜日

忘年会の幹事交代

昨日、高校の仲良しグループの忘年会を済ませた。集まったのは12名。
仲間うちの一部ではボクの名前をとってK-サミットと呼んでいたらしいが、
20年来続けたその幹事役を今年からTS君が引き継いだ。
本当は去年の席上でTN君に引き継いだのだが、TN君が夏に脳梗塞を起こし歩行に障害が残ったというので、TS君にお鉢を回したらしい。
TS君は長年クラス会の幹事役を率先してやってくれているから幹事には適任なんだが、
ボクには、出来れば彼に幹事をやってもらいたくなかった、という気持ちがあった。
何故かと言うと、彼は金銭にアンフェアなところがあるからだ。
今までも、彼はいつも会費を少し余分に徴収しておき、後で精算をしたことがない。会計報告をしたこともない。
彼は別の機会に別の仲間とコーヒーを飲んだ時など、そうした余剰金でまかなっているのかも知れない。
昨日はボクが割引クーポン券を用意してやり、彼も事前に会費が4,680円で済むことをフロントで確認した。
それにも拘らず、個人の精算が面倒だからと言って5,000円を会費として徴収し、釣り銭が彼の懐に残ったまま解散した。
彼を悪意のある人間とは誰も思っていないし、彼のそうしたやり方に兎や角いう者は誰もいない。仲間は鷹揚であり、彼の人徳のなせるところなのだろう。
ボクは事前にピッタリ4,680円を封筒に入れて用意して行ったから、そのまま彼に渡した。
ボクは仲間内では異端児になったかな?

幹事のTS君が新しい二人を仲間に引き入れた。母校の同窓会長を務めたKY君と犬猫病院を開業しているFN君。
ガン経験者はIA君、KJ君とボクの三人。
脳梗塞の後遺症を抱えるのがYH君とTN君の二人。
アフリカ旅行後に難病の膠原病になって三途の川に足をかけながら戻ってきたBK君。
病気持ちでないのがSB君、OM君、IK君、TS君と新加入のKY君とFN君の六人。
欠席は寺の檀家衆の旅行を優先させたHS君。彼は補聴器が要るようになったそうだ。

元気な顔を合わせて、食べて、飲んで、しゃべるだけの会。
来年もまた元気で会いたいものだ。

2014年12月6日土曜日

古いハクキンカイロ

百均(オレンジ)でライターオイルが目に止まった
ジッポーライター用だがハクキンカイロに使えるかもしれない。
真冬並みの寒波が襲来している折から、ふとそんな気持ちが生じた。
机の小引き出しの中で、ジッポータイターとハクキンカイロが30年近く肥やしいなっている。
使い捨てカイロが全盛の中で、何を今更ハクキンカロでもあるまいに!と思いながら、
昔の使い心地がどうだったか、それを確かめたくなった。
懐古趣味というやつか?


ボクは、ハクキンカイロの発熱原理を最近まで知らずにいた。無関心だったにすぎない。
つい最近、白金を触媒にしてベンジンが化学反応を起こし水と炭酸ガスが出来るとき発生する熱を利用しているのだとテレビでやっていて、そうなんだと初めて知ることとなった。
大正12年に特許を取り、製品化して、今日なお健在だと言うから立派なものではないか。

買ってきたライターオイルを使ってみたが、問題なく使えた。
使い捨てカイロよりは温かい。使い捨てカイロの13倍暖かいと言っているブログもあるが、少しオーバーだとしてもその差は歴然。
1カップのオイル(13ml?)で10時間程保った。
24時間保つとうたっているが2カップ入れるのだろうか?
最近のものは火口部分がボクのものとは少し違うようで、改良されているのだろう。
燃料単価は1回25円相当だから、使い捨てカイロ1個と大体同じか少し高いか?だろう。
簡便さという点で使い捨てカイロには負けるが、暖かさとゴミを出ないと云う点では評価していい。

ハクキンカイロの他にはジッポーがハンディーウォーマーという同種の商品を出ていることも知った。ライターオイルがライターとカイロの両方に共用出来ることを証明していることになる。
ハクキンとジッポー、元祖がどちらか?
既に時効だとしても、特許を取ったのはハクキン。多分、こちらが元祖だろう。

ボクのハクキンカイロは30年振りくらいに再び陽の目を見ることになった。

2014年12月1日月曜日

浜名湖へ全員集合

我が家から遠く離れて住む息子と娘のそれぞれの家族全員を、一昨日、舘山寺温泉に集合させた。幸い、当日も翌日も不安定な天気予報ながら、滞在中は好天に恵まれ、良い観光が出来た。

集合の名目はボクの遅ればせながらの喜寿と退院祝い、49回目の結婚記念日祝いと言うもので、計画立案、交渉、更に財政スポンサーを全て家内がやった。
我が家は今まで、この種の祝い事は一切と言っていいほど、やって来なかった。
だから、こういう機会にはあらゆる名目を加えるのが我が家流儀である。
本当は来年の金婚式も前倒しで名目に加えたかったのだが、金婚式は満で数えるのがルールのようだからというので、さすがにこれは名目から外した。
家内がこの機にこうした計画を思い立ったのは、亭主が1年後も元気でいられるかどうか心配下からなのだが、そのことを言っても家内は否定する。

来年から相続税が改定されるという話になって、早速家内は我が家の遺産を計算していた。
ボクにしてみれば、「そんなことを心配するような遺産なんて、無い!無い!」、と言っているのだが、我が家の財政担当相にしてみればきちんと把握しておきたいのだろう。
家内は、相続無税という財政内容に多少の安心をしたのか?、少し無駄遣いをしてみようという気になったのかも知れない。

家内はスポンサーは私だと亭主に向かって宣言している。
これも少し変だが、これは家内名義の貯金から出したということである。
家内は自分名義の貯えを亭主に明かしているからヘソクリという言葉は当たらないが、多少の貯えを持ていることは亭主のボクも承知をしている。
家内は自分の年金を優先的に自分名義の貯蓄に回し、亭主の年金で生活費が不足するときに補充するというやり方をしているようだ。
そういうことを亭主は知っている。
だから、亭主は「ハイ!ハイ!わかりました。ありがとう。」と言うだけでのこと。
温泉付きの部屋3つに8人で1泊したホテル代は1週間のヨーロッパツアーの一人分相当。
二人で海外旅行したと思えば安いものだと我が家の財政担当相は宣った。

元気だったらまた計画しようと言いながら別れてきたのだが、これが最初で最後なのかどうか?生きてみなけりゃ分からない。

2014年11月24日月曜日

防犯灯の電気代はいくら?

我が家のすぐ前の防犯灯が老朽化して、先日、ポールごと新品に取り替えてられた。
照明器具は蛍光灯からLEDになった。
防犯灯には電気メータが付けられていないから電気料金はどうなっているだろう?
、とかねがね疑問に思っていたので、そのことを工事人に訊ねた。
答えは単純明快、1灯につき幾らと計算されている、とのこと。
なるほど、そういう契約があるのかと納得した。
調べてみると、電柱などに取り付けられているごくふつうの防犯灯は、電力会社の定める料金カテゴリーでは公衆街路灯Aに該当するらしい。
そして料金は固定部分の「需要家料金」に使用電力に相当する「電灯料金」を加えた合計になる。現在、中部電力では需要家料金が48.6円/月 電灯料金が10Wまでは82.19円/月、20Wまでは128.74円/月、40Wまでが221.83円。
従来使われている防犯灯の多くは20Wの蛍光灯だが、高力率型の30Wのものもあるようだ。
LEDだと10W未満。
20W蛍光灯から10WLEDに切り替えると46.55円/月のコストダウン(26.2%)になる計算だ。
我が町の今月号公報によれば、面積約11㌔平方㍍の町の面積の中に防犯灯が2300基あるようだ。
単純に全部が20W蛍光灯だと仮定すると、電力会社に40.7万円/月支払う計算になる。
これを町民34000人で割ると12円/月/人ちょうど。
早い話、これが住民の負担する防犯灯の電気代と言うことになる。
今後は防犯灯の更新の都度、蛍光灯からLEDに切り替わるとしても、蛍光灯よりLEDの方が器具代が高いので、トータルでは左程のコストダウンにはならないだろう。

そんなことを考えながら、今日も暇つぶしをした。

2014年11月20日木曜日

ウンダラ柿を食す

以前にも書いたが、完熟して今にも皮が破れそうになった柿のことを、我が家ではウンダラ柿と呼んでいる。この呼び方は尾張や三河地方では通用するようだが全国的ではない。
しかし、熟(う)んで中身がダラダラになった状態の柿のことを言うのだから、言い得て妙である。


この柿は近くの八百屋が店頭に並べておいても買い手が付かず、捨てる寸前になって、一山100円とかの値段を付けるのを待ち構えていて、買ってくる。

食べ方は、冷蔵庫でよく冷えたものを、ヘタを上にして置き、ヘタの周りにナイフを入れてヘタを取り除き、あとはメロンスプーンでほじくりながら食べるのである。
場合によってはまだ熟し足りないような柿もあるが、それらはテーブルに並べて置いておき、完熟を待てばいい。

1シーズンに10個くらいは食べているかも知れない。
一番よく食べる果物はリンゴなのだが、ウンダラ柿の美味さには勝てない。リンゴを二の次にしてウンダラ柿を優先して食べる。何しろ、ウンダラ柿のシーズンは短いのだから。

近所の畑で残り柿を小鳥が啄んでいる姿を時々見かけるが、鳥達は柿の一番美味しい食べ方を知っている。人間様も小鳥たちを見習うべし、見習うべし。

2014年11月16日日曜日

互換バッテリーを買った

久しく使っていなかった眼デジを近々使おうと思って、保管箱から取り出した。
やはりバッテリーがヘタっている。
仕方がないから互換バッテリーの2個セットをAmazonで買った。 

もうお蔵入り同然の古ぼけたEOS Digital Xに、1個数千円もする純正バッテリーを買う気は毛頭ないから、互換バッテリーを探した。
過去には中国製の輸入販売品であるJTTやROWAを買ったことがあるが、最初から使えないものが有ったり、寿命が短いものが有ったりしたから、互換バッテリーは信頼していない。
そう思いながらも値段の安さには勝てない。
 
少しでも信頼できそうなものはないか?と探すうち、Amazonの掲載リストにCanon専用バッテリーチャージャーに適応と書いた品を見つけた。更に、価格ドットコムのクチコミを調べてみると、酷評もなく、そこそこ使えるという評価が多いようだ。
これで決まった。2個セットで2190円なり。
他にもっと安い、1個600円台というようなものもあるが、ここは信頼性を買ってみようという判断である。

 今朝届いたのは例のAmazonの段ボール箱。
郵便封筒でも送れそうな小さなものを送るのに何と大袈裟な!、といつも思うのだが、
Amazonの流通システムではこれより小さい物体を扱うには技術的に無理なんだろうなぁ?
それより便利さに感謝しなけりゃならんだろう。
近くのコンビニへ出かけて支払う手間はかかるけど、こんな少額商品を送料無料でクロネコが玄関先まで届けてくれるのは、誠にありがたい。 

箱から取り出したバッテリーには、岡山市内の販売会社の名前は表示してあるけれどもメーカー名は一切書いてない。原産国表示がない場合は国内産と解釈するの日本流のはずなんだが・・??? そんなことあり得ないだろうなぁ?
保証期間6ヶ月、問題があった場合は不良内容/注文番号をメールせよ、と書いてある。
2個ともチャージし終わったところだが、どうやら問題なく使えそうだ。

 

2014年11月11日火曜日

あったかインナーを試す

あったかインナーなるものを初めて着たのは約5年前のこと。
真冬に、なばなの里の夜のイルミネーションを息子夫婦と一緒に見に行った時に、
防寒対策にと、嫁が義父にもといって買ってきてくれた。
薄手で、伸縮性に富んでいたが、暖かさは左程にも感じなかった。
むしろ、嫁の思い遣りが暖かかった。

それ以前も、それ以降も、インナーといえば、ボクはもっぱら昔ながらの綿製品ばかり。
何故、そうなったかといえば、体に慣れているということと、値段が安いということに尽きる。

今週はそろそろ寒波がやって来るというので、急いでインナーの在庫を点検した。
そしたら、古ぼけてしまったものばかり。そういえば去年はブリーフ以外は1枚も買わなかったようだ。これじゃいけない。
病後の体調のこともあり、最近運動量が格段に落ち、逆に、体を動かさない時間が増えた。
そう考えたら、あったかインナーに興味が向いた。

一般的にあったかインナーと言えば、吸湿発熱機能を備えた繊維を使ったものの総称らしい。
体から出た水分蒸気が繊維に吸収され、それが水に凝縮するときに凝縮熱を出す。それで繊維が発熱するという理屈のようだ。そのため、繊維を細かくして表面積を増やしている云々・・・・。
何となく分かったが、期待するほどのものか?使ってみなけりゃわからない。
それじゃ、どれを買えばいいのか?

宣伝がよく効いて名前だけはよく耳にするユニクロのヒートテック。
去年はアクリルとレーヨン主体だったが、今年はポリエスルも加えてレーヨンを減らした。
レーヨンは吸水性が高く、そのために登山者には適さないという評価があるのと関係あるのだろうか?着た時ひんやり感あり。その割に値段が高い。評価はあまり良くないようだ。

イオンは名前をヒートファクトからピースフィットに変えた。
素材もアクリルと綿が主体だったのを、綿をなくしてレーヨンとウレタンを加えたものに変えた。
ユニクロがポリエステルを加えたがイオンは加えてないから、素材的には去年のイオンと今年のユニクロの中間的存在か?値段はユニクロに近く、ボクの狙いより高い。

庶民の味方、GUはどうか?
こちらはアクリルを含まず去年はポリエステルと綿とウレタンだったが、今年は綿がゼロになって、レーヨンが加わった。アクリルを使わない分、安いということか?ユニクロ、イオンより3割以上安い。

これでテストはGUの「あったかスタイル」に決まった。
昨日Tシャツとレギンスを買ってきて、今朝から試着。
着るときのヒヤット感なし。軽い。伸縮性あり。フィット感よし。
問題の保温性だが、薄いから期待しないほうがいいだろう。

爺さんには昔ながらの厚手の綿シャツが一番かも知れないが、その結論はまだ先の話。

2014年11月6日木曜日

散歩の寄り道 生臭住職の噂話

散歩の途中で寺の山門脇の看板が目に止まった。
九年前に国有形文化財の指定を受けて、教育委員会が建てたもの。
今まで何度もこの前を通りながら見逃して来た。

後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の企てが露見し、隠岐島に流された年の前年(1330年)に天台宗の寺として建立、その後、織田信長の生まれる23年前(1510年)に妙心寺派の臨済宗に宗旨変え。本堂や庫裏、鐘楼など5つの建造物が国有形文化財に指定されたというから、随分由緒ある寺なんだ。

尤も、一番古い本堂でも200年前の建立だというから、古さで言うならさほどのことでもないだろう。それでも古くなれば修理も必要。
10年位前に、庫裏を修理するというので、檀家に寄付を仰いだ。
と言うより、割り当てたと言ったほうが早いかもしれない。
最高で350万円、普通の檀家でも30万円とか。
だから、貧乏人ではとても檀家にはなれない。

庫裏の修理が済んでからのこと、住職に跡継ぎがいないというので、本山の妙心寺が跡継ぎを送り込んだ。
その跡継ぎが2号さんを囲った。
これがバレて、妙心寺はこの跡継ぎを首にした。
という噂話を、数年前にある檀家筋から聞いた。
僧侶も人間、中には生臭坊主もいるだろう。

そんなことを思い出しながら、絶好の散歩日和を楽しんだ。

2014年11月4日火曜日

見えていても見えなかった


見えるものが見えないのは、見ようとして見ないからだ。
そのことを実感した実例がこの写真。
我が家の2階の小窓から覗き見たもの。
そう、我が家からも御嶽山が見えたんだ!
我が家を建てて34年、ほとんど毎日、この窓から北の空を眺めて来たのに、
今まで気付かなかったなんて、何てドジなことかよ!
御嶽山が噴火して、御嶽山はどこらにあるやら?
と気にして覗かなければ、未だ気づかなかったことだろう。
田舎のわが町には高い建物がない。
あっても精々7階建てのマンションくらいだが、部外者は立ち入れない。
さて、今日の御嶽山をどこで撮ろうか?
思いついて、名鉄電車の駅舎に出向いた。
2階の改札階脇の窓から北の方向を覗いた。
見えた! 邪魔のはいらない御嶽山が見えた。
だが残念!分厚いガラス窓越しとあっては、写真にならない。
やっぱり例の撮影スポットまで出かけないといい絵の御嶽山は撮せない。
だが、体調と相談して今日は止めた。
ロキソニンを飲まない日は足の運びが悪い。

夕陽に染まった噴煙の写真を追加しておこう。

2014年10月31日金曜日

遅ればせながらウイルスバスター


パソコンを初めて買って以来14年間、セキュリティ対策はフリーソフトでしのいで来た。
これまで被害らしい被害に合わなかったのは、それなりに用心してきたお陰だろうと思う。
ところが、最近はどうやら回線業者がウイルスバスターを無料で提供するのが当たり前になっているらしい。昨日配信されたプロバイダーのメールマガジンで知った。
トレンドマイクロ株式会社「ウイルスバスター マルチデバイス 月額版(1台版)」というもの。
今使っているプロバイダーが今年の2月にサービスを開始したようだ。
慌てて調べたら、ボクにもちゃんとトレンドマクロのシリアル番号が割り当てられていた。どうやらボクの情報チェックが甘かったようだ。

それなら、ウイルスバスターに切り替えようか!
ということで、即座にインストールした。
1日使っただけだが、重さは感じられない。
ウイルスバスターは脅威情報をクラウド化しているというが、それにより個人のパソコンの負荷が軽くなったお陰なのだろうか?
クラウド化する前を知らないから、自分で勝手に想像した。

PC2台目からは有料になるので、家内がもっぱら使っているもう1台のPCは今まで通りフリーソフトのままにした。フリーソフトはポップアップ広告を頻繁に表示したがるが、無視すればいいだけのこと。変なサイトを覗き見ることもないだろう。


2014年10月29日水曜日

セレコックスとロキソニン

このところ体温が36℃台後半を示すことが多く、、平熱より少し高目に推移している。
こういう場合は腰回りや肩周辺を中心に全身に倦怠感があり、
ああ、熱があるな! と直ぐ分かる。
散歩に出るのも億劫だ。
術後2ヶ月以上経っても、未だ完全に体調が戻っていない証拠なのだろう。

手術跡(胸部内部)の痛みを感じなくなったのは2週間前頃。
その頃からセレコックスの服用をやめているが、未だ薬が必要なのかもしれない。
そう思って、2日前の昼にロキソニンを服用してみた。
結果、午後から倦怠感が和らいだ。
更に、昨日の朝、セレコックスを服用してみたら一日中倦怠感がなく、体温も36℃台前半に落ち着いていた。
そして今日の朝、ロキソニンを半錠服用してみた。
体温は36℃台前半、倦怠感もなし。

よし!木曾川まで歩くか!と10時過ぎに家を出た。
往復8000歩。ペースはゆっくりだが途中で休むことなく歩けた。
御嶽山の噴煙が少し減ったように見えた。
霞んでいるので例の撮影スポットまで足を延ばすのは止めた。

セレコックスもロキソニンも同じ消炎鎮痛剤。
作用機序が少し違うようだが、即効性のあるロキソニンの方がボクの体に合う感じがする。
どちらも主治医から処方してもらっていている。
セレコックスは新薬でジェネリックはなし、ロキソニンは古くからある薬でジェネリックは有りだから、値段は後者が格段に安い。
飲む飲まないは自分で判断してよいと言われている。便利な薬である。

2014年10月24日金曜日

キンモクセイの剪定

キンモクセイの剪定を花が終わった直後に行うことにしているが、去年だけは、敷地内の北東の角の木は10月に、東南の角の木は3月に、という具合に剪定時期をずらせて行い、花のつき具合を観てみた。
結果といえば、大差なしだった。もっとも両方共に花の付き具合が良かったとはいえない。
素人がやることだから、いい加減な剪定だし、例年枝が伸びすぎるのを嫌って、強剪定になっているからだろうと思っている。
そうと知れば、冬の間、貴重な陽射しを少しでも入れたいと思うから、これからも10月剪定ということにしよう。
剪定枝はブルーシートに包んでマイカーに載せ、町指定の廃棄場に捨てて来た。
先客の多くも、キンモクセイの剪定枝だった。
廃棄するには毎回役場に行き、申請書を書いて、担当者に依る現物確認を受けなければならない。廃棄は無料、月3回が限度で、月替りでリセット出来る。
田舎だからこそ出来るシステムだろう。

それにしてもと思う。
断捨離を進める上で、出来れば庭木も整理したいものだと。
良かれと思って植えた木であるが、これからはお荷物になって来るだろう。

さっぱりしたキンモクセイを眺めていたら、隣のユズに女郎蜘蛛が数匹、巣を掛けているのに気が付いた。
そういえば、みんな揃って頭を下にしているワィ! 何故?
ネット上には、尻から糸を出し、それにぶら下がって移動し、素早く獲物を捕るためには、頭が下でなければならない、という重力説が出ている。
成る程そうか!
別種の蜘蛛にも当てはまるだろうか?

2014年10月17日金曜日

高齢者肺炎球菌予防接種

かかりつけ医で肺炎球菌予防接種をして来た。
ボクは今年の10月1日から始まった肺炎球菌予防定期接種の対象年齢に該当しないから、
定期接種を受けられない。
だから同じ注射を打って貰うにしても、料金の高いほうの任意接種になった。

定期接種と任意接種どう違うか?
わが町では自己負担額が定期接種だと2000円、任意接種だと4000円。
正直、2000円ならまあいいかと思っても、4000円は高いと思う。
今まで4000円の接種しかなかったが、それを高いと思ったから受けずにを我慢してきたのだ。
それが2000円となれば安い!
しかし、残念ながらボクは対象年齢から外れた。

3回の肺ガン手術で肺機能が低下している。
それに、先週のNHKためしてガッテンで体温のことをやっていたが、その中で、あまり熱が出ない肺炎もあって手遅れになるケースも多いと言った。
やはり肺炎は怖い。
2000円の差額は安心代と思えば安いものかもしれない。ものは考えようだ。

余談。
調べてみると、肺炎球菌予防接種は定期接種が任意接種より概ね安く設定されているようだが、国の定めた方針だから負担金が全国一律だなんて思ったら大間違いで、自治体によって千差万別のようだ。定期接種だけを見ると、概ね2000円から4000円のバラつきがある。一体どうして?という疑問がわく。
また、自治体によっては任意接種のことを公表していなかったり、公表していてもいつまで継続するかはっきりさせていないところもあり、バラツキが見られる。
今日のかかりつけ医が、「日本はワクチン後進国」だと言っていた。調べてみると、それはもう常識になっているようだ。自分の認識が遅れていただけのことらしい。

2014年10月15日水曜日

ヤマトシジミの交尾

庭の里芋の葉っぱの上にいるヤマトシジミのつがいを発見。
今までアゲハの交尾は見たことだあるけれども、ヤマトシジミでは初めて見た。
翅の表面の色で雌雄が見分けられるというけれど、翅をたたんで裏側しか見せないから雌雄の見分けが付かない。
他のネット写真を参考にしてお尻の接合部分を観察すると、下になっている右側がオス、上になっている左側がメスということになるようだ。
発見してから1時間以上も離れず、近くに飛ぶのもくっついたままだった。
昆虫類の交尾というのはそういう長い時間掛けているのだろうか?

やがてカタバミに卵を産み付けるのだろう。
カタバミを見つけては引っこ抜いていたが、これからは少し遠慮しておいてやろう。

2014年10月14日火曜日

台風が体調に影響したか?

天気が悪くなると膝が痛むという老人の話をよく聞いたものだ。
いざ自分がそういう歳になってみると、成る程とうなずけるところがある。

昨夜は台風19号が接近するにつれて、去年今年の胸部の手術跡が存在感を増してきて、時には軽い疼痛を覚えるようになった。
21時過ぎに岸和田に再上陸した頃には、左の耳奥が少し痛みだして、「中耳炎?」と思ったし、体が怠くなるし、睡魔は来るし・・・。
風呂上がりのせいもあるかと思ったが、こうなったら寝るに如かずとベッドイン。
今度の台風は間違いなくこちらにやって来ると思ったので、24時ころまで用心の為に起きているつもりだったが、どうしても睡魔に勝てなかったという次第。
それでも風に雨戸が揺すられる音に目がさめたのが23時半。
しばらくして風の音がピタリと止んだ。
家内が寝る体制に入りながら、「もう甲府に抜けたよ」と言ったのが23時45分。

今朝、雨戸のない階段の窓から射す陽の光に目を覚まし、起きてテレビを観た。
台風は紀伊半島を真東に進んで、伊勢湾に出る直前に北に進路を変え、
鈴鹿山脈沿いに北上し、名古屋や愛知県西部を避けるように岐阜に抜けた、
と知った。
何事も無かったように走る電車の音も聞こえて来た。
庭で2度咲きの金木犀が香っている。

耳の痛みもなく、体調も回復していた。
よく寝たお陰だろうと思うが、気象条件と無縁と言い切れない思いが残った。

2014年10月11日土曜日

名大のロゴマークの思い出

昨日、ノーベル物理学賞の赤崎名城大学教授と天野名古屋大学教授の共同会見が名古屋大学で行われた。
映像はテレビに何度も流されたのに気付かなかったのだが、
会見する二人の後ろのパネルに両大学のロゴが入っている。
そのことを今朝の新聞で初めて知った。
大学から注文を受けた近藤産という会社が徹夜で作ったものらしい。
間違いなければこの会社は、何でもレンタルします、ということを看板にしている地元の会社だったと思う。
天野教授の単独会見の時は名古屋大学のロゴだけがが入ったパネルで済ませ、二人の会見の時は両大学のロゴが入ったパネルに入れ替えたそうだ。
裏方の気遣いがよく伺える話である。



実は、名古屋大学のロゴマークはボクが学部に移ってから制定されたものである。
学内で公募があって、同級生のM君のデザインが採用されたと、当人から聞いた記憶がある。
それまでは襟章に無骨な名大という2文字入の丸バッジを付けていたが、早速、新しいバッジに取り替えたのを覚えている。
学生と言えば当時は全て詰め襟の学生服の時代であった。
卒業後も長らくその新しいバッジを残してあったのだが、転勤の引っ越しを繰り返している間に紛失した。

今朝は、そんなことを思い出した。

2014年10月8日水曜日

皆既月食


月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月(詠み人知らず)

今夜は皆既月食だったから多くの人たちが夜空を見上げたことだろう。
隣家からは小学生と年少組の男の双子兄弟が父親と眺めているらしい賑やかな声が聞こえてきた。

今年は、中秋の名月は見たけれど一昨日の十三夜の月を見逃したから、片見月になってしまった。
そのせいで縁起が悪いことになったかどうか?
今夜の皆既月食は住民健診で受けた眼科で散瞳された目で見る羽目になてしまった。
瞳孔が開いたままではカメラを操作もままならない。
写真もうまく撮れない。
挙句に、月食の終盤には月が雲に隠れた。

皆既月食の証拠写真を貼り付けておこう。 

今日は寒露。24節気のうちの17番目の節。
晩秋から初冬に向かう節目というけれど、冷え込みはもう少し先のようだ。

2014年10月7日火曜日

噴火10日後の御嶽山

18号台風が駆け抜けたあとの昨日は晴天が戻ったが御嶽山は雲の中だった。
今日は雲ひとつない快晴。
朝食を終え、家内に「ちょっとそこまで行って御嶽山の写真を撮ってくる、と言い置いて家を出たのはいいけれど、町内のメインストリートの延長線上に雄姿を見せる御嶽山は電線、看板、標識、信号が邪魔して絵にならない。
仕方がないから2.5km先の犬山河川敷公園まで自転車を漕いだ。
家内に言わせれば「写真撮り今日はどこまで行ったやら」ということになった。


真冬のように空気が澄んでいるわけではないから霞んでいるのは仕方がないが、噴煙が上がる様子は見えた。当地から噴火後初めて見る御嶽山の姿である。
あの噴煙の峰の向こう側で51名が命を落とし12名がなお行方不明という。
何とも痛ましい。心のなかで冥福を祈った。

2014年10月4日土曜日

中国人買い物客のマナー

昨日、呼吸器外科の外来受診に行ってきた。
術後の入院が2週間、その2週間後に採血とレントゲン撮影して経過観察、
そして更に3週間後の昨日、単純レントゲン撮影だけの経過観察で、「経過は順調なり」の診断あり。
実際のところ胸部の痛みはほとんど無くなり、微熱が出なくなって2週間以上になるから、自分でも順調に来ていると思う。
しかし、駅の階段の登りや早足歩行では途端に息切れがする。
そのことを訴えても先生は何も言わない。そうなるのは当然と言うことなのだろう。
消炎鎮痛薬を飲むのを止めてもいいか聞き漏らしたが、飲むか減らすかは体調により自分できめてもよいと3週間前に言われているので、明日からでも中止してみよう。
薬をやめたら、未だ完全でない食欲も元に戻るだろうか?

病院の帰りがけにビッグカメラに寄って、当日が新発売の60倍ズームネオ一眼の現物に触ってきた。仲々良さそうだから5万円を切るようになったらポチって見ようかな?
更に、高島屋のなかの東急ハンズにも寄って、田舎では売ってないボールペンの替芯をゲット。

ビッグカメラでは、中国語が喧しく飛び交うのにはびっくり。中国人はどうしてこんなに大声でまくし立てるような話し方をするのだろうか?
高島屋の混雑するエレベーターの中では、中国人の娘がスマホを夢中でいじりながら、入り口を塞いだ。乗り降りする客に迷惑を掛けていても知らん顔。
立ち寄ったのは2ヶ所だけだが、中国人買い物客のマナーの悪さが際立った。

夕方のラッシュアワーの混みあった電車。
列の後方に並んでいたから座席は無理だろうと思いながら乗り込んだ。
そしたらどうだ。ボクと目が合った30代と思しき男性が席をサッと譲ってくれた。
流石はジャパニーズ!

2014年9月28日日曜日

御嶽山が噴火

昨日(9/27)11時53分頃、御嶽山が7年ぶりに噴火した。どうやら水蒸気爆発らしい。
多くの死者、負傷者、行方不明者が出ている模様でだが詳細は未だわからない。
岐阜長野両県警や自衛隊などによる懸命の救助活動が続いけられているが、降灰に阻まれて難渋しているらしい。

今日は朝から快晴で雲がないから、80㌖先の御嶽山の噴煙が見えるだろうと思い、犬山の木曾川河川敷公園堤防の上まで自転車を漕いで走った。
しかし、残念!生憎の真夏日並みの暑い日とあっては、空気中の湿度が邪魔して御嶽山の姿は見えなかった。
じっと見を凝らすと、かろうじて噴煙らしいものが見えるが、これでは写真を撮っても証拠写真にもならない。
今年の5月17日の空気の澄んだ日に撮った写真を改めて眺めてみると、噴煙らしいものが写っているようだ。今回の噴火もこの辺りの南斜面らしい。

空気の澄んだ日に撮影に再挑戦してみよう。その時には、噴煙は収まっているだろうけど降灰で白くなった頂上付近が見えるかもしれない。

2014年9月23日火曜日

XPパソコンの廃棄準備 HDDデータ消去で手間取る

WinXPパソコンをLAN経由でWin7と繋いでデータストレージとして使ってきたが、WinXPを
起動させるごとに無用なwin update が動き出して、誠に鬱陶しい。
元々は捨てるにモッタイナイと思ったから残したのだが、どうも使い勝手が悪いし、大して役に立たないとあっては、最早断捨離すべきと思い立った。

問題は捨てる前にHDDのデータを消去しなければならないこと。
いざ作業を始めたら、これが結構難物だった。
方法はネットで探して簡単に見つかった。
フリーソフトもダウンロードした。
必要になるフロッピーディスクドライブ(FDD)もUSB接続のものを既に所有している。
(フロッピーでなくCDから読み込ませる方法もあるようだ)
フロッピーディスクでMS-DOSの起動ディスクを作成し、更にそのディスクにフリーソフトのDESTROYを書き込んだ。
これで準備完了。

ところがどっこい!BIOSの設定変更で手こずった。
DESTROYというフリーソフトはMS-DOSで走らせる。
そのため、パソコンのBootの優先順序はMS-DOSが入っているフロッピーディスクドライブが一番でなければならない。BIOSでそのように変更したいのだが、BIOSはめったにいじるものではないから、やり方がわからないのだ。
何日も掛けてやっとのことでやり方が解ったのだが、解ってみればどうってことはない。
何~んだ!そんなことか!である。
当然のことだがマザーボードごとにBIOSの記述は異なっている。機種が違えば記述も違う。
しかも英語で書いてある。だから解読に手間取った、という訳だ。

かくして、めでたく250GのHDDの全てのクラスターに数字を上書きし終わった。
1回の書き込みが1時間半、これを3回繰りしたから合計4時間半掛かった。
性能の良いCPUならもっと速かったかもしれないが、なんたってこちらは10年前のPentium4 3.2GHzという古強者だ。動きが速かろうはずがない。
以上で廃棄準備完了なり。


DESTROYの操作はこちらに詳しく紹介されている→(http://tomo-home.mimoza.jp/anna/paso/DESTROY.htm)


2014年9月20日土曜日

スコットランドに気を取られていたら冷蔵庫が故障していた

英国からのスコットランド独立の住民投票が否決されて、正直なところボクもホッとしている。
特別な理由はないが、強いていうなら長年親しんで来たイギリスという国のイメージが今更変わってほしくないというだけのこと。
人口僅か650万人、面積が北海道と同じくらい、経済規模がイギリスの10%程度という国が出来ても、やがて枯渇するであろう北海油田を頼りにして将来的にやっていけるの?という疑問が湧く。多くの諸外国はそう見ていたんじゃないだろうか。
もっとも中国だけは、中国政府報道官が「イギリスの内政問題だからコメントする立場にない」なんて鼻をくくったようなことを公式見解として述べたが、相変わらず食えない国だこと。
イギリスが元の鞘におさまって呉れることになって、めでたしめでたし。
ボクはといえば、独立するとポンドが下落するかも知れないというので、持っていた僅かばかりのポンドを事前に円に変えたが、どうやら目論見が外れたようだ。

そんな騒ぎを気にしている間に我が家の冷蔵庫が故障した。
アイスクリームが柔らかいと家内が言い出したのが4日前。
冷蔵庫に物を詰め過ぎたせいじゃないかと疑って、庫内整理したのが3日前。
それでもアイスクリームが固くならないと分かったのが2日前。
やっとボクが本腰を入れて点検したのが今日。やっぱり冷えていない。
M社のサポセンに電話したら、電源を抜いて15分以上放置してから再度電源を入れてみて、ダメなら更に2~3回同じことを繰り返し、それでもダメなら修理対象になるという。
その通りやってみたがコンプレッサーが動く様子はなし。
M社の冷蔵庫で9年目。先代が同じM社製で7年目にダメになった。
修理より更新するほうがベターと判断し、電器量販店に走った。
チラシの特売製品でP社製。13万円少々の出費になった。
明日には届くから、家にある同じP社製の小型冷蔵庫でなんとか凌げるだろう。
我が家では家電はP社製という神話が出来つつある。

イギリスとP社、老舗だから信頼出来るというボクの思い込みかも知れない?

2014年9月17日水曜日

曼珠沙華は律儀な花だ

あちこちで曼珠沙華が咲いたと聞こえてくるから、
そうか咲いたか!と気を急く人がいるかもしれないが、
でも、この花の真っ盛りはお彼岸の頃と決まっているから、慌てて見に行くことはない。
どんな天候不順の年であろうとも時期がズレることはない。
誠に律儀な花といえよう。

食欲が依然出ず、微熱も時として出て体がだるかったり、体調がイマイチな日々が続いている。
が、今日は何となく良さそうなので、自転車で木曽川緑地まで出かけた。
木曽川緑地は何十日ぶりだろうか?暑さが来た頃にはもう散歩に出なかったから、2ヶ月以上もご無沙汰したようだ。
予想通り、曼珠沙華は満開まで今少しというところ。まだ寂しい咲き方をしている。
何故か1本だけ白い曼珠沙華が咲いていた。毎年観ている場所だが、今まで見かけたことがない。
萩が真っ盛り。芙蓉もまだ結構咲いている。
哀れなのはオニグルミ。沢山ある木のほとんどが葉を虫に食われてしまっている。
8月の日照不足が害虫の大発生に繋がたかも知れない。
今年のクルミ拾いはあまり期待できないだろう。

歩いても自転車を漕いでも、体力の衰えは歴然!
歩くスピードは術前の半分くらい、自転車も6段チェンジの2段くらい下げることが多くなった。
それ以上だと胸が圧迫されて息苦しくなる。
まだ術後1ヶ月だ!と慰めていいのか?もう戻れないと諦めるしかないのか?
我が体力もいよいよ秋を迎えたようだ。


2014年9月13日土曜日

肺腺ガン病理検査結果 原発性を喜ぶ

昨日の術後初外来受診で、切除した肺ガンの病理検査結果を知らされた。
肺腺ガン、しかも転移でなく原発性だと。
先生曰く、「転移でなく原発性で良かったですね」と。
聴く方のボクと家内は一瞬、「良かったって、どういうこと?」。

先生の説明はこうだ。
再転移だったら、次々に転移しているということになるけど、原発性ということは同じ肺腺ガンと言っても別種のガン。しかもそのガンを12㍉の小さいうちに早期発見、早期切除したのだから、これが再発する可能性は小さいと考えたい。
今後の治療は一切なし。経過観察だけでいいですよ。

これを聴いて、ボク等夫婦、緊張が解けて、一気に破顔!
ああ、良かった!

先生は更に、
「原発性肺腺ガンが再発するケースは稀ではありません。よくあることです。」
「初発から5年経ってから出来る人もあります。」
「あまり心配しないで長生きして下さい。」
「貴方の場合は、ガンが出来やすい体質だということですね。昔、タバコを吸っていたということも大いに影響していると思います。」と。
機会があるごとに昔のタバコの話が出るが、先生のタバコ有害説は徹底している。
ついでのことだが、肺腺ガンによく効くという分子標的薬のイレッサ、これはタバコを喫したことのある人には効かないそうだから、ボクにはこの道は絶たれている。
また、ボクの両親兄姉の8人家族うち既に他界した4人は全て肺の病気を患ったことがあるから、ボクを含めれば5人。肺が弱い系統だろうと思う。
先生の仰ることは思い当たることばかりだ。

受診前に行った採血とレントゲン撮影の結果では、
「血中のCRP値が高いがグッと下がってきているので、炎症は問題なし」、
「術前術後のレントゲン写真の比較では、左肺全体の縮小があるが問題なし」、
「空気漏れ(気胸)の心配もなし」、
と診断された。
左腋の下の6㌢の切開跡を診ながら、「綺麗にいっています」と言って、抜糸もしない。
どうやら自動縫合器で縫ったものか?(治療明細には自動縫合器を4回使ったような記載がある)
ここは切除した肺を取り出した開口部と言うことになる。
ドレーン管が入っていたもう一つの開口跡は3針縫ってあった。
消毒せず、ピンセットで糸をスイッ!と引き抜き、「今日から風呂もOKですよ!」。

そして明けて今日、いい結果が出ると精神的緊張から開放されるせいか、体調も一段と回復したように思う。セレコックスも一日4錠から2錠に半減することにした。
これで食欲不振が改善されればなお一層の回復が期待される。
順調な回復で一安心!

2014年9月8日月曜日

3度目の肺ガン手術 (7)退院とその後

退院の足止めをた8月25日からの3日間は、一日3回、血圧、体温、血中酸素の測定と、聴診器による聴音を看護師が行うのみ。
退屈しのぎのに窓外を眺めた。
時として、普段お目にかかれないような光景にも見せる。そんな時慌ててカメラを向けた。

8月29日(金)
前日の早朝の採血で、炎症の値が良くなり、午前中に退院の許可が出た。
午後にでも退院しても構いませんよと言われたが、ここまで来れば急ぐこともないので、
今日の午前中に退院すると決めた。手術後11日目である。
肺ガンの手術といっても、いろいろのケースがあると思うが、早期の肺腺ガンを肺の一部ごと切除する場合は、おおよそこれくらいの入院で治療してもらえると考えていいのだろう。
尤も、早期肺腺ガンといってもボクの場合は、右上葉、胸腺、左下葉の一部というように、回数が重なった。

家内が車で迎えに来て、11時には精算が終わった。
14日間の入院で総額295,940円(税込み)、そのうち224,000円(税別)が個室料。
余り負担に感じないのはガン保険の入院給付金が当てに出来るから。

看護師さんは、新人とおぼしい人からベテランまで、指折り数えて7人にお世話になった。
皆、患者に一生懸命尽くそうとする姿勢で貫かれていて、優しかった。
K先生にはもう会える機会はない。女性は女性らしく、しかし、医師らしくテキパキした先生だった。将来立派な呼吸器外科医になるだろう。
M先生にはこれからも外来診察でお会いできる。
お世話になった皆さんには心から感謝。有難うございました。

今日は9月8日(月)、退院してから9日経った。
追加で出された抗菌剤の服用は4日前に終わった。微熱もその頃から取れたようだ。
手術で切開した跡の傷口の痛みはないが、乳房の下から胸骨にかけた辺りの軽い痛みが依然として消えない。消炎鎮痛剤は今週金曜日まで飲み続けるよう処方されている。
食欲不振が依然として続いているが、原因はこの消炎鎮痛剤かも知れない。
あと数日で薬が終われば食欲も戻るだろうか?
問題は息切れが激しくなったことだ。
徐々に、肺活量も回復するだろうと思うが、もう元の体にはもう戻れない。そんなことを実感している。
抜糸は4日後、外来診察で。
病理検査結果と以後の治療方針がそこで示される予定。
3回目の肺ガン手術の日記はこれでお終いにすることにしよう。


2014年9月7日日曜日

3度目の肺ガン手術 (6)退院の足止め

8月21日(木)手術後3日目
前夜飲んだ下剤が効いてスムースに排便出来た。
その前に、手術した肺から空気漏れしてのではないか?と勝手に思い込んで、
家内と二人でシュンとした一件が有ったのは前述のとおり。

17時45分にK先生が回診してきて、栄養剤の点滴を外し、胸腔ドレンホースホースを抜管して、胸の穴を塞いでくれた。術後3日目でのドレーン管の抜管は当初の予定通り。
一気に身軽になった。
残るは、背中に入っている鎮痛剤のカテーテルだけとなった。
この夜も熱が37.8℃まで上がったのでロキソニンを服用し、氷枕を用意してもらった。
家内は自宅に帰った。

8月22日(金)
相変わらず朝から37℃近くの微熱が続き、食欲も出ない。
それでも回復は順調と思われ、午後5時すぎにK先生が回診してきて背中の鎮痛剤カテーテルを抜管してくれた。
これで全ての管が外れ、体は束縛から開放された。
消灯前、体温は37.5℃と微熱が続く。
ロキソニンを飲んで寝た。
家内は自宅待機。

8月23日(土)
8時40分M先生回診、9時K先生回診。
患者の看護データを全て把握してから回診するので、患者の容体はわかっているが、念のため患者の顔を見に来るということのようだ。
微熱や食欲不振のことは意に介していないらしい。
週明けの8月25日の朝に採血し、結果が良ければ、その翌日の26日(火)に退院の予定と告げられた。当初の予定通りだ。
この日、家内は着替えなどを届けて、自宅に戻った。
18時に37.6℃だったのでロキソニン服用した。

8月24日(日)
微熱が続いたので朝食と夕食後にロキソニン服用。
この日は先生の回診なし。
家内が来て、そのまま泊まった。

8月25日(月)
6時半に採血。
14時30分 K先生が来て、退院を先延ばしする旨宣告。ガガーン!
炎症を示す値が悪いからとの理由。
あとで看護師にどんな値なの?と尋ねたら、CRP値だと教えてくれた。
新たに抗菌剤(クラビット)が追加され、今夜から1日1回服用することになった。
次回採血は3日後の8月28日(木)。
値が良ければ、その翌日8月29日(金)に退院が可能と予定された。
顔を合わせた看護師長(婦長)は「退院の足止めは、それも想定内のことですよ」とあっさり。

順調と思われた回復も、どっこいそうは問屋が卸さなかった。

2014年9月6日土曜日

3度目の肺ガン手術 (5)回復

8月19日(火)手術の翌日
昼近くにICUから病室に戻ると、直ぐに昼食が出された。
4年前は、最初から普通のご飯が出されて食べるのに往生したから、2度目の入院と今回の入院では、3食分くらいはおかゆにしてくれと注文しておいた。
それでも、さすがに食欲は湧かない。やっと半分ほど食べたか。
18時の夕食は7分目くらい食べた。
食欲のないところを無理やり押し込んだという感じになった。

15時には、看護師の付き添いで歩行訓練をした。
全部の管を体に繋げたまま、立ち上がって病室入り口まで往復。
血圧、血中酸素量を測定し、問題なし。

夜は眠りが浅く、ほとんどうつらうつら状態。喉が乾燥して痛いほど。
手術中気管支へ人工呼吸器を挿入していた後遺症のようだ。
この夜は家内が病室に泊まって付き添って呉れたから心強かった。

8月20日(水)手術後翌々日
早朝の検温で37.2℃と、微熱あり。
8時半にM先生の回診で、鼻の酸素吸入ホースを外してもらえた。
11時15分 看護師が尿管カテーテルを抜管。また一つ身軽になった。
13時10分にはトイレまで歩いて排尿。その旨あとで看護師に報告した。以降、トイレはご自由にということになった。
続いて、車いすに乗せられ、看護師に押されて1階のレントゲン室へ。
自分で歩けると言ったが、看護師はこれが決まりですからと。要するにマニュアル通りにしないといけないということであり、ボクも大人しくそれに従った。
レントゲン撮影は術後の異常の有無を確認するためのようだ。

18時の夕食は何とか完食した。
21時消灯前の体温が37.8℃だったので、 ロキソニンを服用し、氷枕を準備してもらった。
この夜も家内が付き添った。
23時、明日に備えて下剤を飲んだ。

この翌日の排便の折に空気漏れかと心配した一件は既に(1)で書いた通り。

2014年9月5日金曜日

3度目の肺ガン手術 (4)ICUから病室へ


8月19日(火) ICUから病室に戻る日
9時頃、M先生ほか4人の呼吸器外科の先生方がお揃いで回診。
K先生がテストさせて下さいと言いながら、左乳房の左右をチクリチクリと何かで刺して、左右どちらが痛いか?と質問して来た。
その都度ボクは答えたのだが、はっきりした傾向が出なかったようだ。
そこでボクが「針の押し方によって違うのじゃないですか?」と言ったら、先生方がどっと笑った。
M先生が「こりゃぁ、効果がないということらしい」と言ったから、どうやら薬効をチェックしたものらしい。
会話も普通に出来るようになったが、まだ何となく吐き気がする。

10時過ぎに、レントゲン撮影機を持ち込んで、胸の下にフィルムを敷き、1枚撮影。
これが済んで、いよいよ病室への移動の準備。

先ず、蒸しタオルでカラダ全体を拭いてくれた。
手術着のままだから、これをはがせばスッポンポン。
股間も陰茎も、人肌くらいのお湯を掛けたあとタオルで手際よく拭いてくれた。
4年前は、看護師が丁寧に拭いてくれたお陰で、爺さんでもそれなりに反応が出かかったが、
今回はその余裕を与えなかった。良かったのか?悪かったのか?
看護師の腕がよかったのだろう。

この後持参したパンツと寝間着に着替えさて呉れて準備完了。
しかし、カラダを散々動かされたから、また吐き気が来た。
ICUから病室まで運ばれる時、ベッドがの方向を変える度に吐き気が来るとヤバイ!
そう思って、また、吐き気ドメを貰って服用した。

11時15分、病室に無事帰還。

2014年9月4日木曜日

3度目の肺ガン手術 (3)手術当日

8月18日(月)手術の当日。
家内は前日から病室に泊まり、息子が8時に病室に東京から駆けつけた。
この二人が手術中は指定の待機室に待機し、術後に切除して取り出した肺の一部を見ながら主治医のM先生から説明を受けることになる。

8時50分 スッポンポンの裸になり、手術着だけ羽織って4階の手術室へ。
エレベーターホールは付き添いの看護師や家族でラッシュアワー並みの混雑ぶり。
その中から、患者を取り間違えないように担当看護師が慎重に呼び込み、本人確認し、手術室室へ。
ジャスト9時。 再度、患者に氏名と生年月日を言わせて本人確認。
手術台に上って横になったら、直ちに麻酔のマスクが被せられ、
数秒もしないで意識がストンと無くなった。

あとで家族から聞いた話。
待機中の家族に手渡されていたPHSケータイに手術終了のコールが掛かってきたのが12時25分、次いで、K先生を従えたM先生から家族に説明があったのが12時35分。
手術時間は3時間半だったと計算できた。
取り出した肺の切片を家族は見た。
M先生は、切り開いて結節のある部分を見せながら、外観的に肺腺がんで間違いありませんと告げたそうだ。

実は、入院以来、この時点でもボクはまだ主治医のM先生の顔を見ていなかった。
初めて見たのはICUのベットの上。
麻酔が切れて意識が朦朧とする中で、名前を呼ぶ先生の顔が見えた。
ボクはつかさず「先生、また命を助けて頂き、ありがとうございました。」と。
M先生、「上手くいきましたから、そんなに心配要りませんよ」と。

13時10分 家族の面会が許された。「ありがとう」と言ったと思うが、記憶は定かではない。
息子がこの後東京に帰るといったのは覚えている。
18時30分 家内が再度面会に来て、これから家に帰ると告げた。患者本人がいない病室には家族は泊まれないのだ。

ICUは2つあるという個室の一つのようだ。
顔に酸素マスク、左胸下方に胸腔ドレンホース、陰茎に排尿カテーテル、腕に点滴注射針、背中に鎮痛剤のカテーテルが繋げられている。
痛みは左程とも思わなかったが、意識は半分眠っていて、
1時間毎に体を動かして少し寝返りをさせてくれるが、看護師のなすまま。
テレビモニターで監視されているが、モニターに映しだされているのは隣の患者のようだ。
モニターとは別にテレビが天井からぶらさがっており、見たければどうぞと、看護師がリモコンを手元においてくれたが、とてもとてもそんな気分になれない。
何しろ吐き気が激しく、数回嘔吐して、こらえきれずに吐き気止の薬を貰って服用した。

ICU在室の24時間は眠くても眠れない状態で、何とも辛いものだった。

2014年9月3日水曜日

3度目の肺ガン手術 (2)切除したのはS6区域

8月15日に午後入院。
入室したら直ぐに、主治医M先生の補助を務める若い女医さんのK先生が来て、
手術同意書にサインを求められた。
おおよその内容は既に説明を受けているから、即サイン。
同意書にはどんな手術をするか?術後どんな経過をたどるか?
などが書いてある。


ガン結節は左肺下葉の中にあり、PET画像からリンパ節転移なし、遠隔転移なしと診断されているが、原発巣か?転移したものか?は不明とされた。これは術後の病理検査で確定される。

結節の部位はS6区域にあり、気管支の一つが繋がっている。
正常なひとの気管支は全部で18に枝分かれしているが、そのうちの一つがS6区域の気管支ということ。
ボクは4年前に右上葉を切除したから、残っていた気管支は15。その内の一つを今回切除したから術後は14になった。
肺活量は肺活量に気管支の数比例配分する形で計算された。
術前の肺活量は標準の108%と測定されていたから、これに14/15を掛けて術後は100%となる。
因みに、4年前の手術以前の肺活量は4000mlだったから、今回の手術後に標準肺活量の3000mlになったことになる。若い時に運動で体を鍛えてきたお陰か、肺活量が標準より多かったのが、こんな時に幸いしているようだ。
尤も、実際には今現在、以前に比べて相当息切れを感じているから、肺活量はもっと低いかも知れない。

同意書にサインが終わったところで、K先生はボクを仰臥させ、パンツの裾を押しやって、鼠径部大腿動脈から採血した。
これも経験済みだから、これを予測して、入院前にワキ毛、胸毛は勿論、股間及びその周辺も剃毛してある。患者としての第一印象は多分良かったはず。
この後、造影剤を注射しての胸部CT。結節部位を確認するための撮影なのだろう。
ヨード系造影剤で吐き気を催したことがあると訴えたから、K先生が付き添ってくれた。


病棟看護師は胸帯、前開き寝間着、タオル、ティシュペパー、など手術に必要な持ち物を点検、
血栓予防に弾性靴下を履くため、足のサイズも測った。手持ちの古い弾性靴下は使わせないことになったようだ。腹式呼吸法も実際に訓練させた。
この後、手術室看護師、麻酔医が来て、いろいろな説明をしては同意書にサイン。
薬剤師も来て、使用薬剤の説明をしてくれた。
これで手術当日への準備完了。

翌日(8/16)、翌々日(8/17)は土曜と日曜日。
この2日間は血圧、体温を定期的に測定する以外にやることはほとんどなし。
手術日が月曜日でなければ前日の入院で事足りるはずだが、月曜日の手術だと入院が金曜日になるということが理解できた。土曜日曜は病院も手薄なのだろう。

個室料が2日分余計にかかる勘定だが、どうせガン保険で入院給付金を貰うつもりだから、持ち出しは1日あたり2000円少々で済む。避暑に来たと思えば安いものだ。

2014年9月2日火曜日

3度目の肺ガン手術 (1)空気漏れのこと

4日前の金曜日に退院したものの、微熱が続いたり、食欲が無かったり、時として胸が締め付けられるような息苦しさが来たりして、退院当日を含めて3日間はベッドに寝起きしていた。
パソコンに向かう元気も出なかった。
昨日は一日中雨の降る天気で、気温も27℃止まり。そのせいで、体への負担が減ったのか?連日続いていた微熱が出なくなった。お陰で、日中ベッドに横たわることも無く、入院中の記録を整理してパソコンに入力出来た。

今日は退院日から数えて5日目、朝から陽が射して暑さが戻った。
庭に出て、30分ばかり枯れたトマトを撤去したり、雑草を抜いたり。
ハアハアと荒い呼吸をしながらだったが、体力も少し回復したようだ。
体に自信がついてきたので、そろそろブログを再開することにしよう!

気の赴くまま書くので話題は前後する。
先ずは手術日から数えて4日目の(8/21木曜)朝のこと。
7時10分 トイレに入って排便しようと力み始めたら、主治医のM先生の回診だ!
今日は忙しいので回診時間が早いのだと先生。
県内で肺ガン手術の多さで1、2という名医のM先生にしてこの熱意。感謝に耐えない。
ボクはドアを開けて便器に座ったまま、ご挨拶。
「空気漏れはありませんね?」と先生。
「おはようございます。ありません。ありがとうございます」とボク。
先生が退出して、本気で排便に力を入れた。
が、便は出ない。昨夜下剤を服用したから出るはずなのだが?
代わりに出たのは胸腔ドレンホースからの空気漏れ。ドレン溜めでブクブク。
ヤバイ!


今回の手術で先生が一番注目しているのがこの空気漏れ。
4年前の最初の手術(右上葉肺切除)では、空気漏れして、胸膜癒着術(手術で傷ついた肺からの空気漏れがあり、これを止める為、薬剤を胸腔内に投入、肺を胸膜に癒着させた)をせざるを得なかった。
今回は、左下葉からS6域と言われる部分だけを切り取ったので、切口がそれなりに大きく、空気漏れの危険性は前回より大きい。
そんなこともあって、「今回は、慎重に、丁寧に、切り口をフィブリンシートで覆いいました」と、
術後直後の家族への説明で先生は強調されていたそうだ。
それを聞いているから、ボクと家内はブクブクと漏れるのを見て大ショック!という訳。
家内から「下剤が効くまで待てばいいのに。アナタは力み過ぎよ!」と非難される有り様。
「そうは言ったって、出ると思うから力んだまでのこと」とボク。

数分後、ブクブクは消えた。
どうやら一過性のものだったらしい。ヤレヤレ・・・・。
朝食を摂り、30分もしないうちに便意。今度は楽に排便。
これを待てばよかったのに、と家内。ボクは「そうだね」とい言うしかない。

この日の夕方まで空気の漏れることは無かった。
18時近くになって、助手医のK先生(女医)が胸腔ドレンホースの抜管処置をしてくれた。
これで体に繋げられた管は背中に入っている鎮痛剤の細いカテーテルだけになった。
自由に病院内を歩き回れる。
ここまでの経過は順調そのものの。ただ、微熱が続き、依然として食欲が出ない。

2014年8月14日木曜日

重光公電122通の特ダネ 中日新聞をたまには褒めてあげたい 

今日は太平洋戦争が終わった日である。
何?そりゃぁ明日でしょう!と言われるかもしれない。
最近読んだ半藤一利著「昭和史」に、そのように書いてある。
読んだら、なるほどそうか!と納得した。

日本は8月14日にポツダム宣言の受諾を通告し、翌15日に玉音放送によって日本の降伏が国民に知らされた。これが日本の終戦記念日である。
ウィキペディアによれば、ポツダム宣言の調印した日の9月2日を終戦記念日とするのはアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアであり、中国は翌日の3日を抗日戦争勝利の日とし、韓国は15日を光復節として日本からの開放記念日にしている。


その今日、中日新聞の1面トップ記事に出たのが「重光 公電122通を発見」の記事。
続いて3面、4面、5面に詳報をデカデカと載せた。
情報の出どころをググって調べてみると、
当時モスクワの大使館の佐藤尚武大使に当てた公電を、
終戦当時モスクワ大使館の書記官で、後に駐米大使を務めた武内龍次が大事に預かり、
戦後の焼却処分を免れて日本に持ち帰ったものを、
姪が引き継いできた、
ということらしい。
このたび、その姪から中日新聞系の東京新聞社に連絡があって、今日の特ダネになったようだ。

今日の特ダネは一般受けするものではない。
読者のほとんどは無関心だろう。
人生の半分以上を昭和で生きた人にとっても、どうでもいいような記事かもしれない。
しかし、ボクは中日新聞を褒めてあげたい。
終戦の日によくぞこの記事をぶつけてきたことを。

公電の内容は、重光が終戦の1年3ヶ月前に、何とか日中戦争を終わらせたいと当時のソ連に仲介役を頼みたいと思っていた、というもの。
後の昭和20年、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まったヤルタ会談で、ソ連が参戦することをアメリカ、イギリスは了承したという密約があったことを、日本は戦後知らされた。
当時既にソ連にはさらさらその気が無かったのである。
その意味で、見つかった公電は日本外交の愚かさを証明するものでもある。

ついでのことだが、「昭和史」を書いた半藤一利も新聞第3面で解説を加えている。
この人の話は分かり易い。

2014年8月8日金曜日

慌てて歯科医へ

入院案内の冊子に、入院前には歯科医院を受診しましょう!と書いてある。
感染予防のための一つの方法が口腔の衛生管理であると。
 特に悪い歯はないのでその必要もないだろうと思っていたら、昨晩、左上の一番奥の歯の一部がポロリと欠けた。
 もしかして虫歯になっていて、入院中に痛み出したらヤバイ!
 そう思って、ためらわずに今日歯科医に駆け込んだ。

 開口一番、来週に入るとお盆休みだし、週末には入院しなければならないので、今日一日で何とかして下さい!と先生に。
 口の中を覗いて先生、「欠けたところを埋めるだけで大丈夫ですよ」。
 欠けたところを埋めて、削って、噛み合わせを確認して、ハイ!お終い。
 1年後に、点検にいらっしゃい!と言われて送り出された。

 歯は全部虫歯治療してあり、銀色に光る歯も数本ある。
 神経を抜いた歯がほとんどだから、白には程遠い黄色掛かった歯ばかりで、挙句に歯並が悪い。 それでも入れ歯無しでこの歳までガンバレたのは、職業柄、長年、牛乳を毎日欠かさず飲んで来たお陰だろうと思う。
 以前、ここの先生から、80歳まで入れ歯なしで行けるでしょう、と言われたことがある。
このまま行けば、8020は勿論クリヤー出来るはず。
尤も、80歳まで生きられたらの話だが・・・。

2014年8月6日水曜日

入院まえ

去年の日本人の平均寿命が男では初めて80歳を越えたと先日報道された。
自分はそれを越えられるだろうか?
次の予定されている手術を含めて3度の手術が可能だったのは不幸中の幸いだったが、
そのあとの保証は何もなく、再発の危機はつきまとう。
術後1年間は多分大丈夫だろうからあとの2年間なのだが、そのハードルは高そう・・・。

そんなことを思っていた矢先に、STAP細胞で一躍有名になった理研の笹井副センター長が昨日自殺した。
どんな理由にせよまだ若い命を自ら絶たなくてもいいものを、と思わざるを得ない。
一時は批判めいたことを書き立てて来たマスコミも、一転、モッタイナイ人材を失くした、と横並びに伝えた。
我が県の出身の秀才だっただけになおさら残念に思う。

慣れないと入院の準備はなかなか大変だが、3回目であり前回が1年前とあっては慣れたものである。
必需品のT字帯、胸帯、弾性ストキングは前回の物が揃っている。
衣類や身の回り用品や小道具は普段使っているものを寄せ集めればいい。
意外に必要な物が暇つぶし用品。イヤホン、カメラ、充電器も必需品。
パソコンは使えないからスマホがほしいところだが、生憎ボクはまだガラケーだ。
病院の地下にはコンビニがあって、本や雑誌もあるから、それらを活用することになる。


準備と言えば一番大切なことは体調を整えること。
猛暑が続くからと言ってクーラーの当たり過ぎで風邪など引いてはおられない。
暑い折から食欲もわかないが、かと言って、体力は付けておかねばならない。
日除けに植えたゴーヤが出来過ぎて、ゴーヤ攻めにあっている感があるが、
そのせいかどうか?お腹の具合は快腸である。


2014年7月31日木曜日

新たな肺ガン結節出現

昨日のこと。朝9時に電話が鳴った。
女性の声で「N病院です。M先生に替わります」と言ったから、
ボクにはこれが何があるか十分理解できた。
ガーン!と頭を叩かれた気分で、頭に血が上った。
先週やったPET検査の結果を今週の金曜日に訊きに行くことになっているのに、
それに先駆け、主治医自らの電話である。良い話である訳がない。
電話にでたM先生、「PET検査で異常が見つかりました。詳しい説明をしますので今日来れますか?」。
先生は今日なら時間が取れるとも。
ボクに否応はない。年貢の収め時が来たか?と思いながら、家内と一緒に重い足を病院に運んだ。

呼吸器外科外来の診察が無い日である。だから、待合には他の患者はいない。
ボクだけのために貴重な時間を裂いて下さったこと分かった。
それだけにことの重大さが予想された。
挨拶もそこそこに本題へ。
ボクにPET画像を見せながら「左下葉に1センチの結節が見つかりました。幸い手術出来る部位だから手術しましょう」と即決。
「部分切除ですから肺活量も確保できます」と説明し、「次々と転移ガンが見つかり、それを切除して問題なく過ごしている人は多いですよ。珍しいことではありません」と患者を安心させることを忘れない。
直ちに脳MRI検査に割り込ませて貰い、直ぐ異常なしの結果を確認。
MRIを待つ間に行った肺機能と心電図にも異常が無いことを確認。
手術が決まった。今回は細胞を採っての細胞診は無し。
手術はお盆明け、入院は7~10日の予定。
先生の段取りは誠に素早い。患者にはありがたい。

それにしてもと思う。
6ヶ月前のCTでは異常が見つからなかったのに、それを見つけたPET検査は凄い。
最大でも僅か1年の間に、ガンが0センチから1センチになったその速さは怖い。
肺ガン未経験者は毎年CT検査を受けたほうがいいと言われる理由もここにあるようだ。

診察前には昼飯がのどを通らない程だったが、夕食はすんなり通った。
また助かったという安堵感がそうさせた。
モグラ叩きがいつまで出来るかわからないが、所詮はまな板の鯉、先生のメスに頼るしかない。

2014年7月29日火曜日

スリッパを履かない若者達

先週金曜日に骨接ぎ師に離縁を告げ、昨日の月曜日に整形へ行くつもりだったのだが、土日曜日の2日間が過ぎてみると腰の調子がかなり良くなって来たので、昨日は整形へ行かずに様子見。
今朝になったら更に快方に向かい、上体反らしも少し出来るようになった。
よしよし、これなら骨接ぎ師にあとひと押ししてもらえば治りそうだ、と判断、
厚かましくも午前中に骨接ぎへ。

骨接ぎ師、ボクの顔を見るなり、おや?という顔をしたが、事情が解れば気分もいいことだろう。
事情を話して、電気治療とマッサージをして貰った。
今週末もう1回通えば完治したということになるだろう。
午後から、網戸を4枚張り替えたが、腰に少し疲労が出た程度で済んだ。

さて、通った3日間、骨接ぎ院の待合で待っている間に違和感を覚えたことがある。
それは患者の若者の多くがフローリング床を靴下も履かないで素足でペタペタと歩いていたこと。
目にした学生や生徒、それに成人した若者達10人くらいのうち、半数くらいがそうだった。
院内は明るく、床が綺麗に磨かれているから、スリッパはいらないと思ったのか?
自宅でもスリッパを履かずに素足なのだろうか?
不特定多数が歩く土足禁止の床を歩くときは、スリッパが用意されていればそれを履くのが当たり前だと思うし、自宅でも畳の部屋以外はスリッパを履くだろうと思っているいるのだが・・・。
中高年は全員スリッパを履いていたから、やっぱりマナーの問題だと思うけどなぁ?・・・

2014年7月26日土曜日

連日の猛暑

昨日の記録
全国的に猛暑が襲った。
多治見が39.3℃で全国1位、名古屋市と岐阜市が38.2℃。
そんな中、胸腺転移肺ガン手術後の1年目の検査であるPET検査のため、名古屋市内の病院へ。
2日前の骨接ぎ師のマッサージが逆効果になって、それまで痛くなかった鼠径部から内腿にかけた筋肉までもが痛み出したが、それでも何とか病院へたどり着いたのは幸いというべきか。

9時の予約だから、時間的に暑さはさほどでもなく、むしろ痛みの方が大変だった。
立っていれば腰掛けたくなるほどだが、通勤電車とあっては空席もなし。
病院に着いてやっと腰掛けられたが、少しの時間でさえ座ったら座ったで、今度は体が固まってしまい、
立ち上がるときに余程うまく体を持ち上げないと激痛が走る始末。
それでも無事検査を終えた。
結果は1週間後の受診日に訊くことになる。

病院から自宅最寄りの駅までは地下道と電車でつながっているから暑さ知らずに済んだ。
更に駅から自宅まで家内の運転の車でお迎え。
正午前に家に着いて、早々にクーラーを点けながら横になって体を伸ばした。
普段、クーラーを点けない部屋は窓を開放しておくのだが、33℃台の室温を確認し、
急いで閉めきった。

午後から、家内は定期受診のため、ボクと交代で名古屋市内の病院へ出かけた。
午後1時台だから猛暑、炎暑を通り越した酷暑の中。とんでもない日になっと嘆きつつ。

17時すぎに家内が帰ってきたので、今度はボクは近所の骨接ぎへ自転車で。
骨接ぎ師にはマッサージにより悪化した旨を正確に伝えた。事実をありのままに。
治療は電気と軽いマッサージにとどめて貰った。
持病の腰痛がぶり返したかもしれないので整形外科に替えることも告げた。
同じ病名では保険は二股を掛けられないと、3年前に教えてくれたのはこの骨接ぎ師である。
転院を快く了解してくれた。

今日の記録
名古屋の最高気温36.4℃
朝方の涼しい間に室内温度を下げようと窓を全開するのだが、昨日の暑さが室内に残っていたので効果が薄い。
一日中開放しておいた2階のパソコン部屋は39℃まで上がった。
今日は午前中からエアコンを点けてた食堂に閉じこもって、テレビを観るだけで終わってしまった。
22時現在、パソコン部屋の机の上の温度計は31℃を示す。でも窓から涼しい風が吹き込んでいるから、明日は少し過ごしやすくなるだろう。(期待を込めて)