2013年4月26日金曜日

曼陀羅寺の藤まつり 菜めし田楽を食ってはいけない


隣市の江南市にある曼陀羅寺の藤が6分咲きになったというので、今日見てきた。
マイカーのバッテリーが上がって、急遽アクサダイレクトの無料サービスを受けたのが一昨日。
ガソリン高騰の折からめっきりマイカーに乗らなくなって、1週間放置したのがこたえたらしい。
そのバッテリー充電を助けるために少々ドライブしようという目的もあった。

江南市には曼陀羅寺の藤くらいしか観光客を呼べるようなものはないから、宣伝に力が入っている。お陰で、毎年、シーズンになると遠くからもバスを連ねてお客がやって来る。
明日からのゴールデンウィークに入れば大混雑は免れないから、行くなら今日という訳である。
訪れたのは数年ぶり位だろうか?


お寺の境内にまとまって何種類もの藤が咲き誇っているから、それはそれで美しい。
大輪の花を開いたボタンも見頃とあって、これも結構であった。

いけないのは菜めし田楽。
腹が減ったので境内にある店に入って菜めし田楽を食べた。
あんなに不味い食事を食わせて1000円も取るとは、酷いものだ。
未だかってあんなに不味いものを食べたことがないと言っても、決して大袈裟ではない。
大体、豆腐田楽が生臭い。
ウナギかナマズかでも焼いた竹串を使ったのではないかと思うほど生臭かった。
菜めしの飯も蒸しが十分でない上に、冷えたご飯だ。
澄ましはだし汁を水で薄めたか?これも酷い薄味で、冷えきっていた。
境内には菜めし田楽を食べさせるところがもう1店、それに寺院で食べさせるところもあったが、
どうやら最低の店に入ってしまったようだ。
それにしても、同じ境内にこんな店があったのでは曼陀羅寺の藤が泣こうというもの。
後醍醐天皇勅願寺という名刹も台無しだ。

門前の駐車場も酷い。歩行者の迷惑そっちのけで車の呼び込みに血眼になっている。
地元の人は近くのショッピングモールに入れる。

食べ物屋にしても駐車場にしても、年に一度の商売だから、その気持ちが分からないわけではないが、尾張の田舎丸出しの商売根性は頂けない。

曼陀羅寺に行って藤を見ても、菜めし田楽を食うな。
マイカー駐車はショッピングモールへどうぞ。


2013年4月23日火曜日

バーゲンで買ったウォーキングシューズ


ショッピングモールの靴屋がリニューアルオープンして、新聞にチラシが入った。
ウォーキングシューズが通常価格の半額以下で限定15足と来た日にゃぁ、買わざぁなるまい。
明るい淡い黄土色系だ。ベージュより少し黄色っぽい。
これからのシーズン用に白いスニーカーしか持ち合わせてないから、ちょうどよい。
それっとばかりに開店直後に飛び込んだ。
先客はあったが目指すサイズが残っていた。
帰宅したら、家内が訝しげに「その色で大丈夫?」と言った。
普段、ボクが選択しない色調である。
「かまうものか!年寄りは少し明るいものを履かなきゃ!」と爺さんの弁。
以上は先日のこと。

足慣らしに500㍍当たり630の歩幅で4300㍍を歩いた。歩幅約79㌢相当。
ボクの164㌢という低い身長と、それに加えて胴長で短足という体格体型では、
ほぼmaximumの歩行スピードでといえる。
それでも問題なく歩けた。
この靴は合格!

ん?? 先日来の腰痛はどうなった?
どこかへ吹っ飛んでしまったようだ。

2013年4月22日月曜日

テレビドラマ 「空飛ぶ広報室」が面白い

昨夜のテレビドラマ「空飛ぶ広報室」の視聴率が関東で14%だったという。
視聴率に関心がないからこの評価が高いのか低いのかボクは知らない。
でも、面白いドラマに仕上がっているのは確か。
有川浩原作の同名小説よりもドラマの方が、主人公二人の距離を濃密に描いているから、わかりやすくて面白いかも知れない。
特に、柴田恭兵のひょうきんな演技がいい。

数カ月前のこと、ネットで面白そうな本を探していたら、たまたまこの本の名前が出て来た。
それじゃあ・・という訳で、図書館に予約したら、何ヶ月間と言うほど順番待ちを食わされた。
今までにこれほど待たされた本はない。
ボクが作者の名前を知ったのも初めてだが、それほど人気作家だとは知らなかった。
待ちの間に、どんな小説家か?探るために「阪急電車」を読んでみた。
あとで知ったことだが、これもとっくに映画化されていた。
どうやら知らなかったのはボクだけらしい。

ボクの読書はもっぱら暇つぶしのため。
好きな小説家のものを集中して読むほか、エンターテイメントものを求めて漁ることもある。
そんな中に、今年の本屋大賞作品があった。
百田尚樹の「海賊とよばれた男」である。
これはIさんのお薦めがあったので早々と読んだ。
確かにドキュメンタリー小説として面白かった。
その勢いで彼の代表作「永遠の〇(ゼロ)」を読んだ。
ボクにはこの方がもっと面白かった。
現在本屋の店頭に170万部のベストセラー本として、大陳されている。
実は、「永遠の〇」の主人公の名前が「海賊とよばれた男」の中に1箇所だけ出てくるところがある。作者はそれだけ「永遠の〇」に思い入れがあるのだろう。
こちらは映画化され今年12月に公開されることが決まっている。
多分、話題を呼ぶだろう。

時には、面白くなくて途中で放り投げたくなる本もある。
けれども、このような面白い本に出会えるから、読書は止められない。

2013年4月21日日曜日

わが町の貴重な雑木林


わが町は木曽川が濃尾平野に流れ出たところにあり、町の北辺を木曽川が流れる。
地勢的には町内全体が平地であり、起伏のある山林(地目でいうところの山林の意味ではない)は皆無である。
雑木林も木曽川沿いを除けば、たったの1箇所だけしかない。
それが我が家の南300㍍のところにある。
誰の提案か?あるいは圧力があったのか?きっかけはどうであれ、この林の貴重さに町当局がやっと気付いた。

昼なお暗かった林の中を適度に間伐し、下草も刈られた。
駐車場と休憩場を確保し、トイレも新設された。
トイレ脇には綺麗な花壇も設けられた。
今まで昼間でもなお暗く、気味の悪いほどだった道が明るくなって、
公園らしくなった。
大きなクヌギの木の下は落ちたクヌギの花序がびっくりするほど積もっていた。
こういう光景を観察する子供達がやがて増えて来ればいいのだが・・・。



2013年4月20日土曜日

弘法さまの日


今日は当地方の各所で弘法さまが行われた。
弘法さまとは、弘法大師の命日(旧暦3月21日)に因んで、古くから伝承されている大師像を拝んで頂き、参拝者にお菓子を差し上げるという行事。
お菓子を配るというのは、所謂、四国八十八ヶ所巡りで行われているお接待と同じ意味合いだそうだ。
当地では、大師像の多くがあちこちの公民館の内部に鎮座していて、それを自治会が管理している。当自治会に限れば、地域の大きなお寺に預けてあるから、参拝者はお寺に出向く。
参拝した人には賽銭の有無、多寡を問わず、駄菓子程度の袋菓子が一つ渡される。

近くの保育園からは先生に引率された園児が団体で来る。
小学生は大体が友達同士でやってきて、終われば他所の弘法さまめがけて自転車を走らせる。
彼らは集めた菓子袋の多さを競い合うのだ。
なかには、2度お参りに来て、またお菓子を貰う子供もいるが、誰も咎めない。
そういう子供にもやましい心が無いわけではなかろうから、仏のお慈悲でもって咎めないのである。
中学生になるとさすがに来るのは低学年くらいまでか?
高学年になるとは弘法さま参りを恥ずかしく感じる年頃になる。
なかには、子どもと同様に自転車で各地の弘法さま巡りをする婆さんもいるが、
こういう強欲婆さんが弘法さまをいくら拝んでもご利益は少ないだろうなぁ~と思う。

お菓子は町内の商店や有志からお供えとして提供されるし、任意の寄付も寄せられるから、こと運営費ということでは自治会からの出費はない。
逆に、お賽銭を含めてお金が余ったら自治会へ寄付金として収まる仕組みになっている。
ボクは、自治会の元会計担当だったからその辺については詳しい。

こうして弘法さまは子供の頃の楽しい思い出のひとつになり、子供が親になったら自分の子供の手を引いてまた来るのである。
自治会の会員(住民)の中には弘法さまは宗教行事だからけしからんと云う人もいるが、そう目くじらを立てるというほどのものではない。
いい伝統行事ではないか!

2013年4月19日金曜日

選挙雑考


名古屋圏外で長年生活した経験から言うと、
愛知県外で誰かに「ご出身は?」と聞かれた時、「名古屋です」と答えても「愛知県です」とは答えないのが普通のこと。
こういう感覚は名古屋圏外で生活したことのない名古屋市民は理解できないかもしれない。
名古屋圏人にしてみれば名古屋市長は名古屋圏の看板を背負った人物なのである。
そして、ボク個人の感覚だが、名古屋市は相変わらず偉大なる田舎だと他県人から密かに蔑まれているのではないか?何故なら今の市長に品格が感じられないからだ。

例によってマスコミが選挙公示前にアンケート調査をして発表した。
わずか1000人の解答だけで或る一定の方向付けをしようとしている。
しかも、アンケートを拒否した人が相当数いるということは、回答してもいいというある種の偏る考え方をしている人たちだけを選別した結果であって、この段階で既に偏った考えが集まる可能性を秘めていることになる。
ぼくに言わせれば、こんなアンケートはマスコミの煽り行為に他ならない。
2日後に名古屋市長選挙がある。
名古屋市民には看板に相応しい人を是非とも選んで貰いたい。

選挙ついでにもう一つ。
昨日、衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会で1票の格差是正法案の審議に入った。0増5減の自公案に反対する野党は欠席。
裁判所の違憲判決が出たから急いで何とかしなければならないということのようだが、
野党抜きで審議し、あとは強行採決で・・・なんてやるのだろうか?

そもそもボクは裁判所の判断にクエッションマーク(?)を付けたい。
極論を云えば格差が2.0を越えてもいい。有権者の頭数で票の重みを比較することがそもそもの間違い。
自然や環境、伝統や文化、食糧生産など、そうしたものは人口の少ない地方こそが濃厚である。
そういうことが1票の重さの中に考慮されなければならない。
その点、連邦制のアメリカは下院が州の有権者比例割り、上院が州毎に議員数が同数割りで決められているそうだ。
これを見習うなら、参院は都道県別完全同数割り当て制でもいいか?と思う。

更にボクは考えた。
政治への関心度というか投票の義務感というか、そういうものが都会と田舎では随分違う。
都会は薄く田舎は濃い。
その様に義務感に濃淡があるにも拘わらず、1票の重みが同じということにも疑問がある。
であれば、いっその事、1票の重みに投票率を乗じて、軽重を加味したらどうだろうか?
使用する投票率は前回選挙のときの実績値を使うとか・・・。
そうすると投票率を上げるなどの副次的効果も出るかもしれない。

以上、考えるだけなら罪にならない。

2013年4月17日水曜日

教え子に教えられ

Mさんの趣味は写真。彼は写真クラブに所属していて、仲間とお互いの作品を評価し合いあって腕を磨いている。
その彼から時々、フォトレターが届く。
どうやら自慢の作品らしいいのだが、写真が小さくて迫力に欠けていた。
そのことを彼に伝えるのをためらっていたが、前回の返信のとき、思い切って指摘した。
そして今日、フォトレターが届いた。
写真は大きくなっており、今までより随分見栄えがするようになっていた。

ここでボクは、彼がメールをリッチテキスト形式で書いていることに、やっと気が付いた。
そうか、写真を見せるにはリッチテキスト形式の方がいいかも知れない・・・と。
自分は写真も原則的にテキスト形式で見てもらうことにしているので、リッチテキストの使い勝手をよく知らない。
そこで早速、自分で写真入りのメールをリッチテキスト形式で書いて、自分宛に送信してみた。

そして分かったことは・・・
写真を付ける時、テキスト形式では添付になるが、リッチテキスト形式では挿入になる。
挿入する写真は縦横自由に、如何ようにも、簡単にリサイズできるが、逆に云えば、縦横比率を保つのが難しいということ。
大きなサイズの写真をリサイズするのは少し面倒だから、大きくてもディスプレーサイズ以下に、予めリサイズして置いたほうがよいこと。さもないと、パソコンに負荷がかかったままだから、文字入力が極端に遅くなること。
など・・・。

写真を予めリサイズしておくという煩わしさはテキスト形式でもリッチテキスト形式でも同じ。
だが、リッチテキスト形式では自分が意図したままのレイアウトで受信者に見てもらえるというメリットがある。
このことにボクはもっと早く気が付くべきだった。
教えた子に教えられ。
Mさんに感謝である。




2013年4月16日火曜日

腰痛再発

庭の草取りをしていたら腰にチクッ!と来た。
しゃがんで草を抜いていた位だから、勿論、力を入れている訳でもない。
この程度のことで腰に痛みが来るのは、もう老化現象としか言い様がない。
もともと脊柱管狭窄症を抱えているから、その再発であろう。
発症は2年振りだが、前回の時は治すのに1年くらい掛かっていたから、実質、1年振りということになる。
程度の差はあっても、チクッ!であろうが、ギクッ!であろうが、一度痛みが走ったらもう後の祭り。
しばらくは散歩にも出られない状態になる。
今回は軽めの痛みだったから、ぎこちないけど少し歩けるだけましというもの。
普通に前屈はできるが後屈がほとんどダメ。


腰痛は精神的なものが多いとは、以前見たNHKのためしてガッテンの話しだったが、
ボクの腰痛については、発症のときの体の姿勢と動作が明確で、且つ、突発性なんだから、
とてもそんなお説は信じられない。
脊柱管狭窄症と言われていているものの、正直なところ、本当にそうかな~?と思っている。
この病気に典型的にな跛行性歩行の症状はボクには全くないからである。
老化現象というだけでは沽券に関わると思ったお医者さまが、
当たらずと言えども遠からずというところで、この病名をつけてくれたのだろう。

寒いからという理由で、冬の間、就寝前のベッドの上で行う腰痛体操をサボったのがいけなかったかな?
鍛えた腹筋が元に戻ってしまったかも知れない。
痛みが遠のいたら、又始めよう。

2013年4月13日土曜日

年寄りの会話


昨日は10年振りにクラスメートのI君と名古屋駅で落ち合い、駅ビルのレストラン街で昼食を摂りながら旧交を温めた。

彼は昨年12月に見つかった胃癌を2月に手術したばかり。
30センチほど開腹して胃を3分の2切除したが、ステージ1の初期癌だったそうだ。
それだけ胃が小さくなっても、飲食に制限なく、以前と同様もりもり食べられ、酒量も変わらないという。
どうやら、肺の一部を取ったけれども息切れすることもない、と言うボクと状況が似ている。
そんなことで、同じステージ1だったガン患者同士、話が弾んだ。

平日でもレストラン街はどこも行列が出来るほどの賑わいだから、我々も相席同様状態。
お互い少々耳が遠くなっているから、自然と話し声も大きくなった。
隣の客にはすべて丸聞こえだったことだろう。
でもね、ええ~ぃ構うもんか!耳が遠くて声が大きいのは年寄りの特権だよ。
早期にガンが見つかり、いい先生に手術をしてもらって、命拾いした・・・という話だ。
隣の席のビジネスマンさんよ、いい参考になっただろう。
・・なぁ~んて、勝手に理屈を付けて、年寄り二人の会話は遠慮がない。
だがしかし、店の前で行列が出来ている状態では、さすがに長居が出来ないと判断するだけの常識は備えている。
食事が終わって直ぐ、近くのスタバに場所替えした。

スタバのテーブルは小さい。向い合って腰掛けたらお互いの顔と顔とが直ぐ近くに。
耳の遠くなった年寄り二人には好都合。
お陰で、周囲に遠慮することなくたっぷり喋りこんだ。

彼は3月末に現役を引退した。
クラスメートで現役はあとひとりか?
そろそろクラス会を開こうかという話が出てくるかもしれない。

2013年4月12日金曜日

高遠のさくら見物

昨日はバスツアーで高遠さくら見物。
中央道に乗って直ぐ、芽吹きの緑とミツバツツジの紫がかったピンクの色が出迎えた。
山笑う如し。
恵那山トンネルを抜け伊那谷に入りしばらくすると、昨夜の新しい雪でお化粧した仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳などの峰々が青空のもとに輝くのが見えた。
更に進めば左手奥に鋸岳、甲斐駒ヶ岳が見え、右手奥に目を転ずれば荒川岳も。
進行向かって左側の中央アルプスにはガスが掛かり、宝剣岳の千畳敷カールは雲の中。

心配された道路混雑もなく、12時過ぎにバスは高遠城址公園グランドゲートの駐車場に入った。
満開の翌日なれども、平日とあって花見客が比較的少ない、とはバスガイドの話。
桜の種類はタカトオコヒガンサクラ。
ソメイヨシノに比べれば花つきが少なく、ややピンクが濃い。
左程広くもない城址公園内は満開のさくらが天を覆う。
写真でよく見る高遠さくらは上空から撮ったものだが、なるほど、上空から見なければ高遠さくらの良さがわからないかもしれない。10分4000円のヘリコプター遊覧もあるが、上空に爆音を聞かなかった。
地表は酒より団子とばかりに弁当などを広げる人、そぞろ歩きの人、カメラを構える人が公園の内外を埋め尽くすが、ブルーシートを敷いて円陣を組み、飲めや歌えと騒ぐ連中はいない。
ほとんどが遠来の客とあって時間に限りがあるから、程々に楽しんで帰る。
我々も2時間半の滞留時間を持て余ました。


率直な感想を云えば、話の種に一度観ておけばいい、という程度の観光名所ということ。
大渋滞の中を遠路駆けつける程のさくらでもない。
帰りの伊那路は時折吹きつける横殴りの雪のなか。
尾張路に入ったら、雲間に夕日が見えた。
真冬に戻ったような冷え込みの中の花見だった。

このバスツアー、足、顎つきで、しかも知識の豊富なベテランバスガイドが付いたから、5,680円は安い。参加者はほぼ満席の45人というのが人気の証。
初めての日帰りバスツアーだったが、こういう行楽も、たまには良いかも知れない。



2013年4月10日水曜日

蝶と レンゲと


時は10時半頃、先ほど着いた電車から降りたのだろう、コロコロを引いた30前後の若者が、歩道を歩いて来て突然立ち止まり、交通安全の立て看板の足元をジット見た。
通り掛かったボクも、何事か?とつられて覗いた。
アゲハだった。
羽はどこも痛んでいないから今朝羽化したばかりかも知れない。
若者は「何と言う蝶ですか」と訊ねたから、「アゲハの一種でしょうね」とボクは応えた。
「蝶に興味があるのですか?」と問うと、「いや、珍しいから」と。
ボクがその場を離れてからもしばらく見ていたから、かなり関心があるのだろう。
夜の仕事だったのだろうか?それとも出張の帰りだろうか?
一匹の蝶に目に止めてジット見る、唯それだけのことだが、若者に心の余裕を感じ取った。
普段そっけない若者に接する方が圧倒的に多い中で、こうした若者に出会えると心が和む。
後で調べたらどうやらキアゲハのメスらしいと解った。
毎年庭先のユズの木に寄ってくるナミアゲハとは違う。

田んぼの脇を通り掛かったら、ピンクの花が目に止まった。
レンゲの花だ。
田んぼとコンクリートの土留の間の僅かの場所に咲いていたから、
耕運機が耕せない僅かの空地に生き残って来たのかも知れない。

蝶とレンゲを見たから、あとはメダカか?そうなりゃ「春の小川」だと想ったが、
ボクの住む田舎でも、もうメダカは望むべくもない。

2013年4月6日土曜日

1枚の写真で暇つぶし


低気圧の日本列島縦断で午後から雨が降りだし、今夜遅くには強風も吹くという。
暇つぶしに写真の整理。
ボクは、何事によらず自分が手がけたものはなかなか捨てられないというモッタイナイがり屋である。
ましてや写真の場合は、ボクにそのセンスがないから、ああでもない、こうでもないと考えるから、とゴミ箱にドロップするまでに時間が掛かる。
そんな例が今日の1枚。

水面に浮かんだ桜の花筏が気になって捨てるのを躊躇した。
GIMP2ソフトの遠近法を使って写真の上下で花びらの大きさが異なるのを修正し、
JTrimソフトで切り取り、
縮専ソフトでシャープネスと彩度を少し上げながらリサイズしてみた。
そして写真を上下反転させた。


結果はどうだ、あたかも桜の木に2度目の花を咲かせたみたいに見えるではないか。
う~ん、やっぱり捨てるのはモッタイナイな!
という訳で、残った残った、である。

2013年4月5日金曜日

落花しきり

昨日今日は最高気温が23℃を越えて、夏日を想わせる程のバカ陽気。
ウォーキングも日陰の多いコースを選んだが、それでもしっかり汗をかいた。
もうお終いかと思ったさくらも結構残っていた。
川面はさくらの花びらで埋め尽くされるほど。


入学式を終えた中学1年生が両親と一緒に落花しきりの桜のなかを歩く姿が微笑ましい。
思えば、昨今、入学式と言えば高校、大学はおろか入社式にまで両親が付き添うひともいるという嘆かわしいご時世である。
自分は小学校入学の時母親に伴われて行ったことは覚えているが、
お袋が亡くなってからも親父が学校の行事に来た記憶はない。
また、自分も子供達の学校に出かけた記憶が殆ど無いから、これは親譲りか?
子供達の学校のことは、すべて家内に任せきりだった。
仕事が優先だったし、単身赴任していたという事情もある。
そんな自分の過去とダブらせながら、親子連れを眺めた。
ボクの気持ち的に、付き添いも中学生までは許される。



保育園脇では園児たちが花見の宴たけなわ。
どうやら昼食かおやつタイムらしい。
挨拶を交わした園長さんが、「これは恒例です」と。
そういえば花見のピークを過ぎた頃、毎年見かける光景である。



一陣の風が吹くたびに、園児たちの上で花吹雪が舞った。

2013年4月3日水曜日

花散らしの雨




夜の間に低気圧が東に抜け、朝には夜来の雨が上がった。
曇天とやや強い風の中、五条川の花筏を期待して出かけてみたが、綺麗な筏は見られなかった。
太陽と風と川の流れの条件が上手く整わないと出来ないようだ。
雨上がりの濡れた歩道はさくらの花の絨毯が敷き詰められた。これぞ花道。
人の絶えた花道は侘しさが漂う。

気がつけば、あたりの種々の樹木が芽吹きだした。
木曽川のオニグルミの木も芽吹いていた。
葉が繁ると鳥見シーズンも終わる。
それを告げるかの如く、シメが距離3㍍に大接近。
これでシメ~だよ、と言ったかどうか?