2012年12月31日月曜日

我が家のおせち


正月間近に控え、陽だまりの中でおふくろと二人で荒巻を巻く。
芯に焼きハゼを巻くのが我が家の流儀。
そのハゼはおやじが釣ってきたハゼを七輪で素焼きにして天日干しにしてあったものの時もあるし、それがない年はとなり町まで行って買って来ることもあった。
6人家族が食べる分の荒巻の数は半端じゃないから、おふくろは幼いわが子まで動員したのである。
家族のために一生懸命おせちをつくるそんなおふくろの姿はボクの小学6年の時で終わった。



今年は喪中だからと言いながら家内はいつもの正月料理のアイテムの幾つかをつくった。
きんとん、手作り、肉団子、角煮、野菜の煮物、酢蓮、ナマス、等など。
料理をしながら、ボクの口にも味見をさせる。
だから、味付けは、家内が親から譲り受けたものに、自分のアイディアと亭主の好みを加えた我が家伝統の味になっている。
その味を楽しみに息子たちが帰って来る。

おせちと云えば、昨今はセットものを買ってきて済ませる家庭が増えたようである。
家内の友だちの中には「スーパーの冷蔵庫に仕舞ってあるから、欲しい時ちょっと行って買ってくるだけ」とうそぶき 、自分では一切作らないひともいるようだ。
家内と同年輩の婆さんがそれだから、その子や嫁が果たしてどこまでおせちを自分で作っているやら?
時代とともに、ものが豊かになる一方で、心の豊かさは徐々に失われて行くような気がする。

そんなことで、今年も多少のボヤキも入れながらおせちをつくってくれた家内に感謝の念を込めながら、今年の日記を終えるとしよう。

この1年、つまらない暇爺さんの日記をご覧いただいき有難うございました。
皆様には、良いお年をお迎え下さい。

注)あらめ(荒布)巻きを我が家では荒巻と呼んでいました。この呼び方は一般的でないようですね。

2012年12月27日木曜日

寒空のもと、行列に並ぶ

クリスマス前後から続いた寒波が昨日はピークに達し、北海道、東北では猛烈な寒波が襲ったらしい。我が家でも今朝は今冬一番の冷え込みで、庭のバケツの真ん中で1㌢の氷を観測した。昨日は良く晴れて、気温が7℃を越えなかったし、風もあったし、夜中に放射冷却もあっただろう。岐阜市で最低気温-2.7℃だというから、我が家の庭先で-2.0℃位だっただろうか?


そんな寒空のもと、昨日は灯油買いで30分近くも行列に並んだ。
毎週水曜日は近くのホームセンターで安く売るので、いつも行列が出来る。
昨日は今年最後の水曜日とあって、行列がいつもより長かった。
近くのガソリンスタンドは1㍑当たり90円だが、写真のホームセンターでは85円である。
大方の人はポリタンク2つ以上買うから、約200円以上の節約になる。
そして並ぶのは高齢者が大半である。ボクも同類という訳だ。

今年最後の車の給油も昨日済ませた。
つい先日まで141円だったのが、昨日は143円に値上がりしていた。
輸入重油は2週連続で値上がりしているし、このところの円安は重油の値上がり要因だし、
今年の冬は寒いし、年の瀬で需要も多いし、等々、年内にガソリン価格は下がらないだろうと読での昨日の給油となった。

そうそう、昨日は安倍政権が誕生したんだった。これも記録として書き残しておこう。
いろいろ期待するところは多いし大きいのだが、唯一、残念なのが後期高齢者保健制度の廃止の目がなくなったこと。
先日、11月分保険料未納の督促状が来て家内がボヤいた。
年間24万円以上の後期高齢者保険料のほか家内の国保分を払い、更に、介護保険料も年金から天引されているのだから、家内ならずともボヤキたくなる。
寒空と同様、家計にも寒風が吹く。





2012年12月25日火曜日

テレビに映ったS さん

昨夜20:00からのNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」にSさんが映った。

ボクが現役時代にY部長であった彼には新製品開発で随分お世話になったし、
ボクの家内のいとこが大学の同級生だったということを、彼から聞かさたという因縁もある。

今回の番組は鶴瓶と佐野史郎が能登の羽咋を訪れたときの録画放映。
例によって鶴瓶がぶらりと訪れたのはタコ釣り名人の家。
鶴瓶がタコ釣り名人たちと面白おかしく会話しているところに、ひょっこりSさんが現れた。
Sさんは同級生であるタコ釣り名人宅をちょうど訪れたところで、鶴瓶にばったり出くわしたという訳である。

はじめ、画面に現れた彼の顔を見て、「はて、どこかで見た人だが?」と思ったが、
やがて彼のフルネームが画面で紹介されるに及んで、思わずボクは大声を発してしまった。
偶然と云うにはあまりにも偶然、世の中にはこんな偶然もあるんだぁ~!

彼と最後に会ったのは15年前。
その時に比べれば多少老けているものの、髪は黒くフサフサして、まだまだ若い。
ボクより6歳年下のハズ。
現役引退後、食品会社のL社に勤めていると聞いたことがあるが、
テレビに映った風体はまだ現役に見えた。

この番組、ぶっつけ本番が売りで、鶴瓶のキャラクターと偶然性で、面白く見せて呉れる。

2012年12月23日日曜日

年末の掃除

年末の大掃除ならぬ小掃除を連日行なっている。

台所出窓のガラス戸とブラインドを外して洗剤で洗った。
レンジフードと換気扇とガスコンロも出来るだけ分解して脂汚れを落とした。
食堂のテレビ台周辺に置いてある小物類が乱雑に収まっているから、
不用品は捨て、残すものは、別な部屋からカラーボックスを持ってきて、これに収めた。
但し、カラーボックスのサイズが大きすぎたので3㌢ほどカットしたが、
簡単だと思ったリサイズに予想外に手間取ったのが誤算。
以上で4日間を費やした。

いつも感じることだが、掃除というのは、先ずは不要品を分別して捨てることが肝心。
これがなかなか難しい。それは、簡単に言ってしまえば、「モッタイナイ」という気持ちが働くからだ。思い出のあるもの以外は、3年間一度も使うことがなかったものは捨てることと、昔ある上司が言ったことがある。残りの人生が少ない年寄りこそ、それを実践すべきなのだ。
あとは決断力あるのみ。現役の頃は決断力も結構有ったと思うが、今はそれも衰えた。

掃除は良い洗剤や道具の出現で昔よりは楽になった。
以前にも書いたことがあるが、洗剤ではオレンジ成分が入ったものが油汚れにもよく効く。
値段は高いが楽に作業するのにもってこいだ。これに加えてジェットスチームを使ったら、レンジフードのメッシュの脂も簡単に落ちた。
ガラス拭きにはスポンジとゴムヘラの付いたT字のステイックを使って、水だけで綺麗になった。
脚立も使わずに高いところもOKだ。ガラス拭きスプレーなど使わないほうがいい。
最近では、車の洗浄もこれを使っている。水をぶっかけながらスポンジ側で汚れを落とし、ゴムヘラ側で水を拭きとってお仕舞い。必要なら、ワックスをかければ良い。
要領がよくなったのは年の功かも知れない。経験がモノを言う。
だが、集中力と持続性が衰えたのは否めない。
今年もあと1週間、この調子で掃除に明け暮れすることになりそうである。

2012年12月17日月曜日

総選挙雑感



政治のことは日記にそぐわないのだが、これだけ記録的な結果が出たのではそうはいかない。
以下、感じたまま。

先ずは、自民党の圧倒的勝利ということ。
衆議院定数の過半数は勿論、連立を組む公明党と合わせて改憲も可能な2/3以上の議席を占めた。まあ、改憲となれば公明党が素直にウンといわないから簡単には行かないだろうが、その時はその時で、是々非々で維新と組むと考えれば、改憲の可能性は大いに出てくる。
しかし、国民の多くは改憲を是として自民党に票を投じた訳ではない。民主党政治に怒りを覚えた人たちが、しっぺ返した結果に過ぎない。3年前に自民党がコケて民主が政権を取った、そのことの裏返しである。ここで自民が奢れば次回に自民がコケることは明白であろう。

そもそも、今回の総選挙は1票の重さが不均衡であるという憲法違反判決が出ている中で行われた。そんな選挙もまた記録的と言わなければならない。こんなことをしたのは誰か。再選を果たした連中が真っ先にこの問題を取り上げ、自ら身を質す覚悟で望んでもらいたいものである。

もう一つの記録が、投票率の低さ。全国平均で60%を切った。戦後最低だそうだ。
この原因をマスコミはこぞって、多党が乱立のなかでこれはという政党が見つからずに投票を諦たことと分析している。
ボクにも小選挙区の投票ではこれといって投票したい候補者が見当たらなかった。
しかし、棄権は権利放棄になると考えたから、消去法で候補者を決めた。
現役時代に我が町民を愚弄したことがある候補である。今回は目をつぶった。

民主が惨敗して野党第一党の座を維新に脅かされたのも特徴的である。
現役や元、前の閣僚経験者の多くが落選したのもむべなるかな。
余談だが、ボクの実姉の孫娘は妊娠3ヶ月だという、その旦那が秘書を務める大物も小選挙区で落ち、比例で救われた。秘書も路頭に迷わずに済みそうである。

小沢一郎の傀儡だと言われた未来も惨敗した。日和見を決め込んで未来に擦り寄った河村名古屋市長率いる減税一派も全滅した。夢のまた夢。もやや哀れと言う言葉が相応しい。

これからの政治では、国内外に問題山積のなか、政権をと取った自民党が国民の期待に応えられるどうか?期待半分、危うさ半分。失望に変わらなければいいのだが?



2012年12月15日土曜日

障子の張替え



昨日は穏やかな天気に誘われ、我が家に1間だけある和室の、黄ばんできた障子を張り替えた。
障子や襖の張替えは町のシルバーセンターで時々講習会を開いているようだが参加したことはない。子供の頃おふくろがやっていたのを覚えていて、見よう見まねの自己流である。
おふくろの弟、即ちボクの叔父さんは表具師だったから、おふくろの技はそれなりのものだったであろうと想像している。もう60年以上も昔のことだ。

一番のコツは刷毛とノリ。
刷毛は幅広のもので、ノリは相当に薄くなけれなばらない。
もう一つのコツは、よく切れるカッターナイフ。
余分なハミ出しをカットするためはこれも欠かせない。
今回はノリが少し濃過ぎたようではじめは手間取ったが、少し薄めたらスイスイと張れた。
今朝、乾いた障子紙に霧吹きを掛けてお仕舞い。

今年の正月は喪中につき手抜きが出来ることもあるが、年末にかけての大掃除を手抜きするわけにもいかない。今年も残り2週間、精々気張ってがんばろう。
ついでにガラクタの整理が少しでも進めばいいのだが?

2012年12月12日水曜日

扶桑の冬景色


久しぶりに木曽川の遊歩道まで散歩に出た。
2週間、のど鼻風邪で微熱が続いたので外出を控えていたが、
この間に、今年は綺麗だと言われた紅葉を見逃し、
やっと外出可能になったら記録的な大雪に見舞われた。


今日は風もなく穏やかな好天に恵まれてやっと木曽川べりに出ることができた。
エノキ、ムクノキもすっかり葉を落とし枯木立になっていた。
お陰でシジュウカラ、ヤマガラ、コゲラの一団にも遭遇できた。
が、相手は動きが早いからコンデジの20倍では追いきれなかった。
河川敷内にある守口大根畑の残雪が消えると、収穫が始まり年明けまで続く。
扶桑の風物詩の一つが始まる。


収穫される守口大根は塩漬けの後、酒粕に漬けること3回ほどを繰り返し、
2年ほどして風味豊かなアメ色の守口漬に仕上げられる。
守口漬の開発者が、我がふるさとの聚楽園に、昭和天皇ご成婚記念に高さ18㍍のコンクリート製大仏を建立した山田才吉であることは以前書いた。
守口漬から聚楽園大仏を連想するひとはごく稀だろう。

2012年12月10日月曜日

記録的大雪の日に はんこ店へ



中日新聞によれば昨夜から今朝にかけて名古屋で積雪3センチを観測し、
12月上旬での積雪は16年ぶりだと報じた。
我が家の庭先の積雪が7時で10センチ、それから僅か1時間少々で13センチになった。
9時半には雪も止み、陽射しも出て道路の雪は見る見る融けたから、やはり12月上旬の雪らしさがある。
今年の冬は寒いという印象だったが、今日の雪はそれを実証したようなもの。
今日の積雪を見越して、昨日早々とマイカーもスタッドレスに履き替えたが、こんなに早く車の冬支度をしたのは当地に落ち着いてからは初めてのこと。
ボクは雪となると、郡山や盛岡在住時代を思い出すせいか、何となくソワソワし、なんだか子供じみたところがある、と自分でも思う。雪に関しては悪い印象を持っていないからなのだろう。

午後から歯科医院へ行き、ついでに足を伸ばして孫の1歳の誕生日祝い用に印鑑を注文しに行ってきた。スタッドレスが役立つ場面がなく、肩透かしを食らった感じになったが、安全であればそれに越したことはない。

ついでに印鑑のこと。
注文したのは女の子の守護印で、水牛13ミリに今どき珍しいオール手彫り、印相まで見て、締めて1万5千円也。
ほかの店では印相判断だけで1万円が相場であり、しかもほとんどが機械彫りなのだから、
今どき珍しい良心的な店だと思った。
5年前に上の孫にもプレゼントしたが、このはんこ屋をどのようにして探し出したか記憶が無い。



2012年12月6日木曜日

読経の声に聞き惚れた


直ぐ上の兄が3日に亡くなり昨日葬儀と初七日まで済ませた。
胸部レントゲンで影が見つかったのが自分と同じ2年半前、その1年後に中皮腫と診断され、余数カ月と告げられたが、1年数ヶ月生きられた。
職業病だと自ら納得し、家業を継ぐ息子にすべてを引き継だから思い残すこともないと言っていた兄も、終に息を引き取った。

葬儀は跡継ぎ息子の「親父を自宅から送りたい」という強い希望により自宅で執り行った。
通夜も告別式も、来たお寺さんはひとりだけ。
50歳前後に見受けられ、整った顔や手などはから一見尼さんか?とおもわれるほどだが、
発する読経の声は紛れもないお坊さんであり、美声の持ち主であった。


初七日を済ませた会食の席がたまたまお坊さんと隣合わせになった。
信仰を持たないボクには苦手な人種に入るのだが、
先方から故人との関係を問われたところで話の緒が見つかった。
話柄が途切れたところで、話題を替え、ボクからも読経の声に聞き惚れたことを伝えた。

以下は僧侶から聞いた話。
発声法をフランスの声楽家に学んだと云う。
声楽と読経はもとより発声法が異なるのだが、
その声楽家は、50㍍先の5円硬貨の穴に糸を通すほどの気持ちを込めて声を出すように教え、その次は更に50㍍先の針の穴に糸を通すつもりで発声しなさいと教えた、そうだ。
「私など5円硬貨までがやっとのことだった」、と謙遜された。
今は創価学会系のお寺の住職だが、4年間パリに居て、
北はフィンランド、デンマークから南はジブラルタル海峡の港町まで、
広くヨーロッパ全土をひとりでカバーしたという。
当然フランス語に通じ、英語もそこそこ出来るとのこと。

偶然とはいえ、このお坊さんに引きあわせたのは兄のはからいだったかな?という想いが、
あとでチラット頭の中をよぎった。
なかなか良いお坊さんだった。

2012年12月1日土曜日

32年後に見つけたドアサッシ工事の瑕疵


10日くらい前に、玄関ドアのドアチェッカー(ドアクローザー)の油漏れに気付いた。
直ぐ、交換用の互換ドアチェッカーをネットで検索し、見つけた該当品の互換性に間違いないことをメーカーに問い合わせたうえで、別のネット業者から取り寄せた。
そして昨日交換した。

交換はドライバー1本とモンキースパナだけで簡単に済むはずだったが、
アームレバーの穴の加工が悪く、上手く嵌らないので、ヤスリで削らなければならなかった。
問い合わせに対しては迅速で適切な返事をくれたメーカーではあるが、肝心の加工精度が悪くては褒められない。
でも、取り付け後のドアチェカーの機能に問題はなく、調子は上々である。
ここで、外した古いドアチェカーを見て気が付いた。
アームレバーを固定するビスが嵌められていなかったのである。
そのビスは用もない反対側に嵌っていた。
これはおかしい?と思い、古いドアチェッカーをもう一度取り付け、固定ネジを正規のところに入れてみたら、ネジの頭がドア枠に当たることが判った。
これで納得できた。
32年前からメーカーの加工精度が悪く、サッシ業者も少しの手間を惜しんで手抜き工事をしたのである。

この瑕疵がドアチェッカーの寿命を早めたかどうかは判らないが、我が家を建てた建築屋の評価を又下げることなったことは間違いない。