2013年8月31日土曜日

ちょっと待った 厚労省!

薬が効いて、4日目の朝から排尿痛もなくなり、おしっこもそれなりに出るようになった。
薬の副作用で食欲が落ちたり微熱が出たりしたのは予想外、しかも今日を含めて未だ3日間飲まなきゃならない。

そんなところへ、昨日、嫌なニュースが流れた。
「厚労省は紹介状を持たずに大病院に来る人に、定額負担金(特定療養費)の大幅値上げを求める方針を固めたらしい。実施めどは2016年度から。」と言う。
そんなに先の話ではない。その意図は理解できるし納得もする。
しかし、問題は金額だ。
金額は1万円が有力だというから、おお!そりゃちょっと勘弁してくれと言いたくなる!

先日受診した泌尿器科はK病院。初診料の他に初診時選定療養費(特定療養費)として2100円徴収された。これには後期高齢者保険が効かないからもろに患者負担になった。
厚労省はこれを10,000円に値上げしようと言うのである。その差は7900円。

今回はK病院へ行く前に開業医を探したが、生憎見つからなかった。
だから、そこに行くしか無かったのだ。
大都会ならいざしらず、田舎ならこんなことは当たり前の事情というやつだ。

それがだ、7900円も値上がるんじゃ、直にK病院へ行くなということだよ。
そうなったら、仕方がないから、泌尿器科を診療科目に入れていないかかりつけ(と言っても年1回行く程度)の内科医に紹介状を貰って、大病院に行くということになるのだろうなぁ?
先生、機嫌よく書いてくれるかなぁ?
そこで、オレの見立てで大丈夫だから、紹介状は書かないよ、と先生に言われたら、困るよなぁ・・・。

後期高齢者から高い保険料を徴収した上に、大病院から締め出そうとする厚労省。
後期高齢者いじめも程々にせいや!

2013年8月29日木曜日

男の病気

診察室に入ってまず挨拶。
先生、どうしました?と訊く。
ボク
一昨日、風呂で体を洗った時、尿道に石鹸が入ったようです。痛みを感じましたから。
昨日から尿が出にくくなって、排尿痛があります。
頻尿ですが、全部出きらないからかも知れません。
体が怠いです。
先生、熱はどれくらいありましたか?
ボク
体温は今朝37.3℃でした。平熱は36℃前後ですから少し熱があるようです。
先生、検尿で細菌が見つかっています。ベッドに横になって下さい。
先生、(エコー検査をしながら)前立腺に腫れがあります。膀胱炎、前立腺炎ですね。
    抗菌剤を7日分出しておきます。1週間後、未だ調子が悪ければ来てください。
調子が良ければ来る必要はありません。

それにしても女性ならいざ知らず、男が膀胱炎になるとは・・・。
しかも、前立腺まで感染するとは・・・・。
排尿時に、疼痛を伴い、チョロチョロしか出ないなんて、
この感覚は女性にはわからないだろうなぁ?

昨日の午後から薬をのみ、38.6℃まで上がった熱にうなされはしたが、今朝になったら平熱近くまで下がった。薬が効いている。
排尿時疼痛とチョロチョロおしっこは未だ続いているが、やがて正常に戻るだろう。
1ヶ月前の胸腺腫瘍摘出手術の時、尿管カテーテルを挿入されたが、細菌的に影響はないとしても、物理的な影響を与えたか?と思ったりして。我がホースも老化により弾力性が落ちたかもしれない。


2013年8月27日火曜日

ホームページの誤記

先日来、終戦記念日に因んで日本の歴史を調べていたら、簡明で面白いホームページを見つけた。「歴史年代ゴロ合わせ暗記」というHPである。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/index.html
その中で日露戦争に関する記述の中に誤記を1つ見つけた。
秋山真之の読み仮名を(あきやまよしふる)としている。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/nitiro-2.html
正しくは(あきやまさねゆき)でなければならない

ここで作者に連絡したいという老爺心が動いた。
だが、HPには作者のプロフィールも連絡先も書かれていない。
仕方がないので、サーバー側のプララのサポートセンターにメールした。
プララから丁寧なレスポンスが有った。
曰く、プララのユーザーのHPに明らかな誤りがあっても、一切連絡しないことになっている由。
なるほど、もっともな返事だと思った。

作者が記述に絶対誤らないという自信があるならいざ知らず、
書き手と読み手の双方向で情報を交換できる手段は記載すべきだろうと思った。
折角の面白いHPに少し汚点が付いた感じがした。


2013年8月24日土曜日

緊張の一瞬 胸腺癌を免れた!

昨日は呼吸器外科の受診日。
8月1日に切除した組織の病理結果報告書を聞くのは緊張の一瞬である。
主治医の先生が報告書を画面に呼び込んで、ボクと家内に見せながら説明しだしたが、
途中で、首を傾げながら説明を止めた。
先生も報告書を初めて見るらしいが、内容に納得がいかないのである。

ボクが文書にさっと目を通した限りでは、
腫瘍が2㌢の大きさで肺に浸潤していたこと、
細胞を染色した検査では3年前に手術して切除した肺腺癌と同じであること、
胸腺癌の染色テストでマイナスであること、
などから肺腺癌の再発であると結論する、
と書いてあった。

先生が納得出来ないのはどうやら「再発である」との結論にあるらしい。
先生の説明はこうだ。
まず、今までに肺腺がんが肺の内部の上下で同時に見つかるという例はあっても、肺と胸腺に同時に出来きたという例を経験したことがない。
更に、今回の胸腺腫瘍は3年前に既に兆候をPET検査で見つけており、観察を続けてきたものであるから再発という訳ではない。
というもの。

どうやら先生にとっても予想外の結果だったようだ。
先生は、「関係部門と相談した上で今後の治療方針を決めるのでしばらく時間を下さい」と言われた。「カンファレンスに掛けていただくのですか?」と訊ねると、「それも含めて」とも。
どうやらボクは名医を悩ませるほどの難物患者らしい。
10日後の次回診察までお預けとなった。

ボクは少し胸をなでおろした。
今回の手術直後、取り出した腫瘍は硬いから胸腺腫ではないだろうと、先生は家内に説明している。それを聞いたボクは胸腺腫でなければ胸腺癌だということか?と恐れて来た。何しろ胸腺癌は悪性度が高いと言われているのだから。
念の為に、先生にボクのがん組織の悪性度を訊ねたところ、病理検査結果を確認した上で、普通程度のものだと教えてくれた。胸腺癌はずっと悪性だそうだ。

肺腺癌なら前の手術で3年間再発なしの実績がある。
同じ肺腺癌、それも既に切除したのだから、体内に今、悪いものは残っていない。
だから、今後3年間再発なしの期待が出来そうだ・・、と自分でそう慰めた。
3年前肺腺癌で右上葉を切除した時、胸腺腫瘍も切除出来ればよかったのにと思うけれども、
胸腺腫瘍は良性である場合が多く、病変部の変化を観察し続けるのが通例だそうだから、
今更それを言っても詮無いこと。
再発を予防するためにレントゲン照射は必須として、更に、1クール程度の抗ガン剤治療が加えられるかもしれない。先生を悩ませた結果の治療方針なら、それも率直に受けようと思う。


2013年8月17日土曜日

1枚の家族写真

手元に古ぼけた1枚の写真がある。
ボクが子供の頃の家族全員が写っている写真。
この写真を撮った時のことは今でも覚えている。
長兄に赤紙が来て、急いで家族全員で写真を撮っておこうということになり、
写真屋に来てもらって撮った。
薄暗い松林を背景になぜ選んだのかと疑問に思うが、これはという場所が無かったので、咄嗟に決めたのだろう。後に空襲が激しくなってから、この場所におやじが防空壕を掘った。
ボクはといえば手にハンカチを持っている。
はやり目を患っていたから、ハンカチを手放せないのだ。

長兄の入営前に、お袋が熱田神宮に出かけて千人針を縫って貰った。
そのことも記憶している。

長兄は徴兵されたけれども海外へ出征することもなく終戦を迎えた。
終戦の1週間前の8月7日に豊川海軍工廠が空襲を受け、2485人が命を落としたとされている。
長兄はそこに徴用工として働いていたから、徴兵されて命拾いしたということになるのかも知れない。
そんなことを思い出して見ると、この写真は昭和19年の夏に撮ったことが分かる。
ボクは国民学校1年生だった。

1959年の伊勢湾台風でそれまで残っていた写真の一切合財をなくした。
後年になって、姉の手元に残っていた写真を兄姉の誰かが複製してくれた。
この写真を見るにつけ終戦前後の情景が今も鮮明に蘇る。
そんな貴重な1枚である。

2013年8月8日木曜日

縦隔腫瘍摘出術 

7月31日に入院、翌8月1日午前中に手術、そして昨日(8/7)退院した。
入院日数8日間、退院は手術日の7日後ということになる。
入院診療計画書には病名「縦隔腫瘍」、手術内容「縦隔腫瘍摘出術」とあるから、これが正式名らしい。
要は、前縦隔にある胸腺腫瘍を取り除く手術のこと。
胸骨正中切開しての手術は、予定通り3時間程度で終わった。
腫瘍をはらんだ胸腺の一部が右肺に食い込んでいたので、肺の一部も胸腺と一緒に切除した。

術後の経過は極めて順調だった。
手術当日の夕方には立ち上がることが出来、夕食も普通食。これはさすがに半分食べるのがやっとだった。翌日朝のレントゲン撮影には、普通は車椅子で向かうのだそうだが、それには乗らずに自力で歩いて行った。その姿を見たナースステーションでは感嘆の声が上がったという。
それくらい痛みのコントロールが上手く言ったということだろう。
今日に至るまで激痛らしい激痛は一度も感じなかった。
今も消炎鎮痛剤を飲み続けているので、そのお陰だろうけど、軽くラジオ体操しても痛みは走らない。
本当に胸骨を切開したの?と疑うくらいある。

写真を載せておこう。
切開跡は長さ14センチ、幅6ミリほどのテープでジッパー状に傷口をシールしてある。
糸で縫合してあるのは一番下の一箇所だけだそうだ。2週間後に抜糸するのはこれ1本だけ。
切開部の下方6センチの箇所にドレンパイプが入っていた跡があるが、ここもシールで塞いだだけ。糸で縫合していない。
胸骨は数本のチタン合金の針金で縫合されている。何事もなければ体内に埋め込まれたままで一生を終えることになる。

 さて、手術を終わって万々歳! と言いたいところだが、気分はブルーである。
主治医先生から家族への説明によれば、取り出された腫瘍は、硬いもので大きさは2センチ。
柔らければ腫なのだが、硬いからガンかも知れないというのだ。
肺の一部切除というのも微妙。腫瘍が浸潤したのか?胸腺のただの癒着なのか?
キレイに切除出来たとは言われているが、浸潤であれば病期判定でランクが悪い方に上がるのではないか?
3年前の肺腺がんと関連があるのか?ないのか?
等など、連想はどうしても悪い方に走る。
全ては、手術後3週間かかる病理検査の結果待ちである。

 結局、黒白の決着はつかず、黒に近い灰色ということになったが、
現段階では、体内から悪いものがなくなったということだけを喜ぶべきだろう。