2021年12月31日金曜日

大晦日

年の暮れと言っても今年は特別なことは一切行わなかった。
連綿と続けてきた年末の大掃除もやめた。
と言うより、体力的に、やれなかった。
家の外回りは、夏にやった外壁塗装のお陰で汚れはない。
窓拭きは、水をぶっかけてゴム製スクレーバーで拭き取るやり方だから、
ここんところの寒波で、やる気が失せた。
掃除片付けは普段どおりであり、特別なことは無し。

昨日、早々とおせち料理が博多から届いた。
去年はおせちを高島屋の通販で買ったが、
それよりもリーズナブルに見える。
息子の勧めにより、全国各地のおせちのなかから選んだ。
東京にいる息子からのプレゼントである。
帰省しないことにしたので、手土産代わりだという。
嫁と二人で帰省する費用よりもなんぼか安いから、
貰う方も気が楽だ。
老老ふたりの我が家、もう、おせちを作ることはなくなるかも知れない。
寂しくもあり、寂しくもなし。これも時代の流れ。

この1年、サルコペニアが一気に進んだ気がする。
コロナのせいばかりでなく、体力低下も確実に散歩を減らした。
散歩にが減ればそれだけ自然と触れ合う機会が減り、
結果として、ブログに張り付ける写真も減った。
我ながら寂しいブログになったなぁと思う。
ご覧いただいた皆さん、どうかご容赦ください。
1年間、お付き合いいただきありがとうございました。

2021年12月23日木曜日

前野屋敷とJA職員

豊臣秀吉に仕えた一人に前野将右衛門という戦国武将がいる。
但馬国11万石の大名になったが、
後に秀次の不祥事で守役としての責を負わされ、悲運に没した。
将右衛門はわが町の隣の町の出身であり、現在は前野町の地名になり、
前野屋敷なる記念物が残されている。

遠藤周作が「男の一生」という小説を日経新聞に載せたのが、
確か昭和58年頃だったろうか?その主人公が前野将右衛門。
後に、単行本になってベストセラーになった。

遠藤周作が歴史小説を書くようになったのは、
「武功夜話」という古文書との出会いがあったから、
と言うのが定説のようだ。
将右衛門の実の娘が書き残した伝記ものだといわれている。
その古文書は伊勢湾台風で壊れた蔵を整理していて偶然見つかった。
その蔵こそ、前野屋敷にある蔵だった。
ボクは現役の頃、仕事の都合で、そのお宅を訪問した事がある。
そこの奥方から「我が家の蔵のことです」と直にお聞きした。

一昨日、昨日と続けて、我が家にJAの担当者がやってきた。
定期預金を生命保険に切り替えるためである。
雑談をしていたら、自宅の隣が前野屋敷のようだ。
それにも拘らず前野将右衛門の名前は勿論、前野屋敷の名前も知らないという。
これにはびっくり。

翌日、彼から報告があった。
60歳代の父親に訊ねたら、「男の一生」の本も自宅にあり、
我が家も将右衛門につながる一族だったらしいことが分かりました、と言う。
JA職員25才。これから勉強しますと言いながら帰っていった。
親父さんと息子との会話が少し進んだようで、嬉しくなった。

2021年12月21日火曜日

コロナワクチン接種証明書アプリをインストールできない

コロナワクチン接種証明書のアプリが運用開始になった。
早速 アプリを インストール しようと思ったら このスマホは 対応してません と出た 。
調べてみたら ボクのスマホには NFC 機能が ないことが分かった。
高齢者向けに作られた京セラの BASIO 4 。
それまで の機種についていた NFC を わざわざ 削除してある。
なんてこった!

テレビでは こういうことがあることを一切言わない。
国からの 情報にもなかったのだろう。
新しいシステムをやること自体には決して反対ではないが、
こうした問題があることを最初にはっきり言っておくべきである。
アナウンスをしない国が悪いのか?メーカーが悪いのか?
弱者を斬り捨て御免とばかりに、国はマイナンバーカードの普及に邁進中。

2021年12月18日土曜日

パンドラの箱を開けてしまったのか?


ここ数日、顔を挙げられないほど首筋を痛めている。
パソコンに向かうのも億劫になって日記が遅れた。

一昨日のこと。
転院したK病院で2回目の受診。
採血と胸部レントゲンだから、異常なしで簡単に終わるだろうと思いきや、
どっこい、そうは簡単ではなかった。

レントゲン写真では問題なし。
血中酸素濃度を測定したら低値が出たから、
もしかして在宅酸素申請ができるかも知れないと先生が言い出したが、
これはもうしばらく様子を見ましょうとなった。
問題はその次。
がんマーカーのCEAが今までになく高い25と出たのだ。
過去に2度、CEAが高くなって厄介な細胞診までやったことがあるが、
その時でさえCEAは20を切っていたから、
これは異常事態かも知れない。
CEAの基準値としては、悪性腫瘍を強く疑い、リンパ節、
他臓器への転移が疑われる高度上昇のランクである。

先生はパソコン画面を眺めながらどうしようかと考えたうえ、
2ヶ月後にCTと採血をすることにしてして、様子を見ましょうと言った。
そうだろう、CEAが下がればガンではないことになる、とボクも納得。

元はと言えば 変な動きをする ボクの CEA 。
どういうわけか 最近先生方は これには触れないようになった 。
それなのに、 敢えて頼み込んだ検査 項目である。
それがこの結果だ。
ひょっとしてボクは パンドラの箱を 開けてしまったのかもしれない。

CEAが高い場合、肺がんの再発のほかに大腸がんが疑われるらしい。
例年やっている町の大腸がん検診の検便は3日前に提出したところだ。
この結果も参考になるだろう。
何れにしても新たな問題を来年に持ち越すことになった。

2021年12月8日水曜日

サプリメント (その2 ビフィズス菌錠剤)

先に快便と書いたが、その後また気持ちの良い排便の日が少なくなって、
10日に5日は浣腸のお世話になる状態に戻ってしまった。
便も屁も匂いがきつくなった。
こうなるとスカシッ屁もはばかれるだけでなく、
不快感が体に残ってしまって、なんとも気分が悪い。

そういう訳で、熟慮の上、BB536錠剤を試すことにした。
Nさん一家が使っていて、よく効くというご意見が参考になった。
BB536はM社の通販で入手した。
値段は1ヶ月分で3300円、気軽に使えるという品物ではない。
但し、D社の競合品より1000円ほど安い。

飲んでから今日で10日過ぎた。
2日目に便と屁の匂いが普通に戻って、それ以後も継続中。
浣腸の世話になったのが1回。
快便は意外に少なくて、3回。
もともと酸化マグネシウムの便秘薬を飲んでいるが、
便の硬さは見かけ上は変化なし。
という次第でこのサプリ、有効なのかどうか?
微妙!
どうやら、ボクは毎日排便はあるから便秘ではなかったということらしい。
排便のスイッチを押すこととは別の問題か?

BB536はビフィズス菌を胃酸で死滅させないように加工して、
大腸まで届けるようにしたとされているが、
ボクの場合は、匂いが改善されたから、
どうやらビフィズス菌は死なずに大腸まで届いているようだ。
今しばらく飲み続けてみよう。

家内は頑固な便秘症である。
まだ顕著な効果は現れていないようだ。
こちらもしばらく様子見である。
もし、今後も続けるとラクトフェリンを含めて月12500円掛かる。
こちらのほうが問題だぁぁぁぁ・・・!

2021年12月7日火曜日

サプリメト (その1 ラクトフェリン)

世の中にはいろいろなサプリメントがあるが、ボクはそういう類のものの多くを疑問を持って眺めてきた。
本当に効くのかどうか分からないし、それにも拘わらず、
値段が高いというのがその理由。
そんな中で唯一の例外がラクトフェリン。

8年前に胸腺に転移した肺がんの手術の後に、
これ以上の肺がんの再発転移を抑えてほしいという願いを込めて飲み始めた。
ところが皮肉にも、その1年後にまた肺がんに罹った。転移でなく原発性だった。
それにも拘わらずラクトフェリンを飲み続けた。
一年くらい飲んだだけでは免疫の強化にはならなかったのだろうと、
自分勝手な言い訳を付けて・・。
そして完治宣言の5年が近づいて来た頃、主治医の先生から、
「免疫が強いですね」と言われた。
お世辞で言われたのかどうかはわからないが、
言葉の裏を推察すれば、多分に再再発の心配をされていたのだろう。
その時、ボクはラクトフェリンを飲んでいることを言わなかった。
ラクトフェリンにそんな効能があるというエビデンスはないから、
大先生にそんなことを言ったら笑われるだけだろうと思ったからだ。

ラクトフェリンは牛乳中にあり、微量の鉄と結合した糖タンパク質。
免疫に関わる生理活性を持っていることを知る者として、
今更止めるという選択肢はない。
これからも飲み続けるつもり。
でも、毎月6000円の出費は痛い。

2021年12月1日水曜日

自動車起終点調査

 この度、我が家の車が、国交省道路局による自動車起終点調査調査の対象車に選ばれてしまった。全国8000万台の自動車の中から、地域や車種のバランスを考慮した無作為抽出の結果だと案内書には書いてある。

調査日は11月28日と11月30日の2日間。
調査項目は出発時間と到着時間、運転者と同乗者の有無及びほかの交通機関への乗り換えの有無、高速道路の利用の有無、目的地、目的、距離など微に入り細に入り。
調査書には住所氏名がすでに打ち出されており、無記名調査ではない。
完全な個人の行動調査である。
勿論、調査に応じなくても罰則があるわけではないから強制調査ではないが、
プライバシーに関わる事柄も含まれる訳であり、
国交省は個人データの秘匿を厳守するというものの、把握されるのは気持ちの良いことではない。

回答方法は文書とネットから選択できる。
ボクは文書回答をするつもりだったが、記入ミスが重なってしまったのでネットで回答することにした。
国交省は30分で記入できると謳ったが、そんな簡単なものではない。
さぞかし、記入ミスが多いデータが集まるのではなかろうか?

これも善良なる国民の務めかと思いながら、面倒くさい作業を終えた。

2021年11月27日土曜日

寒い日が続く

キンモクセイの剪定を終えた。
剪定の時期については、花の終わった今の時期とする説と2月頃とする説があるが、
我が家のキンモクセイは、結果的に、どちらの時期でも花つきに差がなかったと思っている。
自分の体力を考え、来年のためにできるだけ小さく仕立てて置きたいから、
思いっきりの強剪定にした。
ゴミとなったきり枝をまとめて、昨日、町役場が指定する木曽川河川敷の廃棄場に運んだ。

廃棄場は伊吹おろしがお待ちかねだった。
今週は例年になく早い寒波の襲来で、
11月23日には伊吹山に初冠雪があったという。
伊吹おろしも一段と寒く感じる。

そんな時に弥富の中学生殺人事件。
寒いニュースに、テレビにくぎ付け。

CテレビとC新聞は包丁で刺した3年生を「別のクラスの同級生」と、
テロップや記事に書いた。今もそれを変えていない。
そればかりか「別のクラスの」の文字がなくなって、ただ「同級生」とだけ書いている。
これでは正しい情報にはなり得ない。
一方、NHKテレビは「同学年の生徒」とて誤解のないように表現しているのは
さすがだと思う。

同級生=クラスメイトというのが本来の使い方だから、
別のクラスなら同級生とは言わないのではないかな?
CテレビC新聞は「同級生=同学年生」とし、
「同級生≠クラスメイト」だと言っていることになる。
本来の言葉の使い方を崩して来ている犯人は、案外、マスコミ自身かも知れない。
チック機能が働かないなんて、少々、お寒い話ではないか。




2021年11月20日土曜日

2021.11.19の月蝕

昨夜の月蝕は薄雲がかかることはあったがほぼ良く観えた。
写真を撮ったが、露出が難しく、やっぱり失敗作ばかり。
その中からかろうじて観られるものを2枚、証拠写真として載せておこう。
Max.5倍のレンズのカメラだからこれ以上の写真は無理というもの。
月蝕のピーク時間の18:03は電柱の影に隠れた。カメラの位置取りも失敗だった。
その後、カメラはそのままにして、人間だけが位置を移し、双眼鏡で覗いた。

2021年11月16日火曜日

親友の訃報

一昨日、高校時代の同級生H君の訃報が届いた。
堪えられないほどの寂寥感に襲われた。

奥方の話によれば、
死亡の前日、自ら食べたいと言って寿司屋へ出向いて昼食を食べ、
家に帰ってからしばらくして不調を訴え、
救急車を呼べというので救急車を呼んだ。
コロナの折から、病院での付き添いを断られたので自宅に戻ったが、
その時まで会話が出来ていた。
それなのに、日付が替わった午前2時に病院から電話で悲報を知らされた。
葬式は要らないと生前に言われていたが、
そんな訳にも行かないので家族葬を執り行ったよし。

本人は勿論のこと家族や事情を知る周りの人たちは、
この時の来ることを覚悟していながらも、
もっと長く生きてほしいと願っていたはずである。
心臓弁膜症のために人工弁を入れていたが、
10年過ぎたところでもう1回入れ替えたらどうかと医者に勧められたものの、
それを断って14年生き続けた。
覚悟の死と言えなくもない。
自分なりのライフスタイルを持ち、頑固で意志の強い彼にピンコロはふさわしい。

訃報を聞き、アルバムを広げてしばし追想に耽った。
1987年 八幡平 田沢湖
1988年 三陸海岸 十和田湖 八甲田
1989年 秋保温泉 平泉 須川温泉
2000年 美ヶ原 霧ヶ峰
2001年 上高地
2001年 立山黒部
2002年 新穂高 飛騨古川
2003年 乗鞍高原 安曇野
2004年 妙高 戸隠 小布施
2005年 万座 草津 別所
2007年 野沢温泉 飯山
2008年 平湯 上高地
気の置けない旅仲間は2002年から1人増えて4人になったが、
それまでは3人だけの1~2泊の旅だった。
思い出を一杯残してくれた親友の冥福を祈ろう。(合掌)

2021年11月12日金曜日

快便


今朝の排便で少量の浣腸にお世話になったことで、
昨日まで12日間続いた快便の記録が途絶えた。

浣腸を使うのはボクの常套手段であり、1回の注入量は数ミリリットルである。
数年前に便秘気味になったとき、かかりつけ医でマグミット(330mg)
を処方され、それ以来ずっと飲み続けているから、便は硬くなく柔らかくもない、
ごく普通の便である。それにも拘らず便意を催して力めども、
便が肛門に下がる気配がないことがしばしば起きる。
こんな時、数ミリリットルの浣腸液を注入するのだが、
そうすればたちまちお腹がグルっときて、簡単に排便できるのである。
こうした浣腸頼りの排便は、おそらく習慣づいて、体に良くないと思う。
できることなら止めたいのだが・・・・。

そんな状況の中で快便が12日間も続いたのだからこれは快記録である。
便意はいつもほぼ定刻にやってきて、便器に座れば排泄はほぼスムース。
便は水に浮かばない。これが浮かぶようなら満点なのだが、
なかなかそこまでは行かないから、満足度は、
総じて、70~80点というところか?

快便が始まって屁のニオイも変わった。
屁は時を問わずよく出るのは以前と同じ。
ニオイは明らかに軽くなった。
以前は家内のいる室内ではスカシッ屁を遠慮していたが、
今はスカシッ屁で問題ない。

そうした生理的変化の原因は腸内細菌叢の変化にあるのだろう。
そのきっかけになったのは指定医薬部外品のB錠。
有効成分には3種類の乳酸菌が配合されていて、
フェーカリス菌と耐酸性アシドフィルス菌は小腸に定着、
ビフィダス菌は大腸に定着すると謳っている。
真面目に飲みだしたのは2~3週間前からだから時系列的に合致する。

その他には、気候がよくなって体をよく動かすようになったことや、
果物のシーズンになってミカン、柿、リンゴをよく食べるるようになったこと
なども好影響を与えたのかも知れない。

今日で快便記録は途絶えたが、屁のニオイはまだ良好。
快調&快便の期待はまだ続く。

2021年11月5日金曜日

熟(う)んだら柿

このところ柿泥棒に柿が盗まれたというニュースが続いた。
誠に腹立たしいことである。
一方で、たったの2個で70万円という柿が、
名古屋の老舗デパートの果物屋の店頭に飾られたとか。
こちらは庶民に縁のない馬鹿馬鹿しい話である。

柿といえば何と言ってもボクには熟んだら柿だ。
標準語では熟し柿という。
そろそろ熟んだら柿が食べられそうだと、
数日前に、近くの八百屋に久しぶりに出掛けて、覗いた。

有った!
ひと盛り100円で、5盛り並んでいた。
その中から一番良さそうなのを選んだ。
7個入っていた。
大きいのはこぶしより大きい。
富有柿だから甘さは保証付きのようなもの。

家内と二人でおやつ代わりに食べたら3日で無くなった。
急いで買い足しに走ったら、まだ残っていた。
写真は買い足した7つの柿。
八百屋のじいさんが言った。
「食べちゃいかんと医者から言われたひともいるでねぇ。
それほど甘いから糖尿病のひとには売れんのだわ」
こちらには幸いその心配はない。
子供の頃食べた味と同じである。
食べている間は童心に戻れる。




2021年11月3日水曜日

金木犀満開

庭にある2本の金木犀がやっと満開になった。
東京より1ヶ月くらい遅いか?

金木犀は気温に敏感で暖かい地方は遅くなると言われているが、
東京とこちらで、そんなに気温差があるのだろうか?

我が家の金木犀は2度咲く。
前触れは3週間ほど前に、チラッと咲いて、
ほんの少しだけ鼻をくすぐった。
2度目の今度は、お隣さんから「咲きましたね」と言われるくらい、
辺りに芳香を放った。

我が家の金木犀はいつのころからか2度咲くようになった。
地球温暖化の影響だという説もある。
金木犀の芳香に包まれながら、菜園に、お隣さんから貰った摘み菜の苗を7本植えた。
来年の収穫期になると、これだけで、これでもかこれでもかというほど、
摘み菜に攻められるだろう。

2021年10月29日金曜日

転院


昨日、名古屋市内のN病院から隣市のK病院の呼吸器内科に転院した。
11年前、町民がん検診で胸部X線検診で疑わしい陰影が見つかり、
精密検査のCT検査を受けたのがこの病院である。
その時の担当医が今いる4人の部長先生のうちの1人として残っている。
この先生には冷たい言葉であしらわれて嫌な思いがあるから、
担当医に当たらないようにしなければならない。
そういう訳で、その先生が外来診察に出ていない日を選んだ。
昨日の外来担当医は代表部長先生と非常勤医師の二人。
非常勤医師は名前からして中国人であるらしい。

外来受付で紹介状とCDを差し出しながら、担当医の指名はできないかと訊いてみたら、
ダメだとあっさり言われた。
紹介状の宛名に名前が書いてないものは新患として扱い、非常勤医師が担当になるという。
代表部長先生に当たってほしいと思うボクの目論見は見事に外れた。
病院のHPに呼吸器内科の医師は代表部長1人、部長3人、医長1人、医員1人、顧問1人、非常勤医師の順に記載されている、そのリストの最後に載っている先生だ。
ちょっとガッカリ、というのが率直な思いである。
新患を若手の先生に回すのはどこの病院でも同じなのかも知れない。

診察に呼び込まれて診察室に入り、
「はじめまして、どうかよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
パソコン画面を眺めていた先生が首を回して、チラッとこちらを見て「こんにちは」と返事をし、すぐ顔をパソコンに向けた。
言葉には少したどたどしさがある。
この先生も「患者を診ずして病気を診る」タイプらしい。
患者と目線を合わせずにほとんどパソコン画面を見ながら喋っていた。
それでも聴診器を胸に当て、パルスオキシメーターを指に装脱着するときは正面を向いてくれた。
紹介状に添付されたCDのデータは膨大だったはずだが、短時間で治療経過を把握してもらえたようで、在宅酸素の件で受診したことも正しく伝わっていた。

診察ではパルスオキシメーター値が93%と出た。
これでは在宅酸素の申請はできない。結局、経過観察することになった。
念の為に訊ねたら、90%以下が在宅酸素申請の条件だそうだ。
N病院で測定したときはたまたま90%前後だったからこういう話になったのだが、自宅で測ると96%の時もあれば90%を切る時もあるから、
内心では申請は無理だろうと思っていた。判定結果には納得である。
但し、息苦しさには変わりがないので、今後どうなるか?様子見ということになった。
次回は2ヶ月後。単純胸部X線と血液検査あり。
内容的には何ら新しいことではないが、いざというときの拠り所が自宅近くにできたという意味で、ホッとした気分になった。

2021年10月23日土曜日

一気に冬支度

東京ほどではないが、このところ朝晩だけでなく日中も冷えるようになった。
衣替えはそれなりにボチボチやってきたのだが、
家の内外で夏仕様を冬仕様に切り替えなければならない。
息切れでフーフー言いながら作業を進めた。

昨日の作業。
扇風機3台をダスキンで拭いて段ボール箱に入れ、押し入れに収納。
エアコンのフィルターを掃除機で掃除。
灯油ストーブを押入れから出し、昨冬の残りの灯油を倉庫から1缶出した。
給油は後回しだ。
次は、窓に吊るした日除けを撤収。
2階の2枚は巻き上げた姿のママ取り外して、洗面所の脇の隙間に立て掛けて収納。
1階の2枚は脚立に登らないと外せない。
慎重に登り降りして取り外した。
後は、畳んで倉庫に収めた。
昨日はそこまでで日が暮れた。

今朝起きたら両足のふくらはぎが少し痛かったから、
良い運動になったようだ。
このくらいの運動を毎日続けられれば、
筋肉も増えて肺活量増加に効果があるのかもしれないが、
それは無理というもの。

今日は、居間兼応接間のカーペットの夏冬用の交換作業。
ムートンカーペットを庭の布団干しに掛け、日光を浴びさせた。
その間に絨毯の掃除。
重いソファーも位置をずらして掃除機掛け。
絨毯の上にアルミシートを敷き、更に電気カーペットを敷き、
その上にムートンを敷き込んだ。

以上、冬の準備はひとまず完了。
明日は剥がした夏のカーペットを干してから、収納する作業が待っている。

2021年10月19日火曜日

N病院への最後の通院

今日はN病院の通院日。
家内が付き添って名古屋駅近くの病院までマイカーで乗り付けた。

2ヶ月前に気管支拡張剤の吸入を始めたが、
喉の乾きとピリピリ感が強くなったので、
2週間前に中止した。
そのことを主治医に申告したら、
止めてもいいですよ、とあっさり言われた。
そもそもあまり期待した処方ではなかったから、
双方が納得というところ。

では、今の息苦しさをどうするのかという問題だが、
今日、肺活量などの肺機能を調べたところでは、
肺の能力を十分使い切れていないので、
筋肉量を増やして、呼吸を深くする必要がある、
という診断になった。
具体的には、運動して筋肉を付け、体重を増やしなさい、
という。
結局、普段から自分が感じている通りの診断になった訳だが、
これは、言うは易く行いは難し。

今日の通院をもって自宅近くのK病院に転院したいと申し出た。
体力的に電車を使って通院するのが難しくなったからである。
主治医は快く紹介状を書きましょうと言ってくれた。
ただし、書くのに時間が掛かるから、
後日ボクの自宅へ郵送してくれることになった。
11年間の治療記録がCDに収められて来るのかもしれない。
3度の肺がん手術でボクの命を救ってくれた呼吸器外科のM先生へ、
ご挨拶できないのが心残りだと言ったら、
「ボクからM先生にその旨、伝えましょう」とも。
優しい先生である。
N病院には11年間お世話になった。誠にありがとうございました。

帰りは、雨が降ったりやんだりのなかを走った。
今夜の十三夜の月はダメかと思った。
ところが、夕食後に気になって外の面を見れば、雲の切れ間に十三夜の月が。
終わりよければ全て良し。
今日はいい一日だった。


2021年10月14日木曜日

撮れたてのブルーインパルス

昨日上空が騒がしかった。
もしかしてブルーインパルスか?
そして今朝、ジェット機の騒音で上空を見上げた。
やっぱり、ブルーインパルスだった。 


例年、岐阜基地の航空祭にはブルーインパルスが飛ぶというので、
関西方面からバスツアーを組んでやってくるひとたちがいるくらい人気がある。
しかし、コロナ騒ぎのなか航空祭が開催されるとも思えない。

飛行が終わった1時間後に岐阜基地のHPをチェックしたら、
やっぱり今年は中止になっていた。
代わりに、昨日と今日の二日間だけ訓練飛行が行われた、
と過去形で書いてあった。
さすが自衛隊、やることが早い。

添付した写真は、1時間半前に撮った、撮れ撮れの飛影。
抜けるような雲ひとつない青空に飛ぶブルーインパルスは何度見ても美しい。




2021年10月10日日曜日

三日月

昨日、戸締まりしていたら、きれいな三日月が目に止まった。
三日月の近くには宵の明星(金星=ヴィーナス)。
写真で拡大したら金星の少し離れた左奥にもう一つの星。
スピカか?水星(マーキュリー)か?
あいにく、ボクにはその方面の知識はない。


三日月は上弦の月か?下弦の月か?見るたびに迷うが、
この月はもうすぐ半月に至り、
月没のときに弓の弦に相当する部分が上になるから、
上弦の月。

今年の十三夜(後の月)は10月18日。
中秋の名月は雲に隠れて見られなかったから、
一層、十三夜に期待が高まる。

2021年10月7日木曜日

Win11の適用外という判定

10/6からWindows 11への更新が始められると言われていたが、
我が家の2台のPCにもそれらしい案内が来た。
しかし、内容は、どちらのPCもWIN11のすべてのシステム要件を満たしていない、
というものだった。
表示に従い、正常性をチェックしたところ、
PCのプロセッサがWin11にサポートされていないのだそうだ。

何だか持って回った言い方だから一瞬理解できなかったが、
要するに、PCに使われているCPUが今回のグレードアップの適用外ということらしい。
今まで、当然適合するものとばかり思っていたから、
この結果にはガッカリ。

今後、MicrosoftはWin11が適用できるCPUの範囲を広げるのかどうかわからない。
広げて欲しいけれども、さもなければ、Win10のまま使い続けることになる。

そのWin10も4年後にサポートを終了させる予定。
その後は、新しくPCを買い換えろ!とMicrosoftは云う。
でもね、ボクにはその必要もないだろう。
こちらの寿命が先に尽きるだろうから。

2021年10月2日土曜日

侮れないmade in Chinaのキーボード

ノートPC用のキーボードを買った。
数ある商品の中から選ぶに当たり、
考慮した条件は次の通り。

出来るだけ薄い(場どらない)
パンタグラフキーのもの(打鍵の許容方向が広い)
テンキー付きで幅が狭い(ノートPCの幅以内)
無線接続
3000円以内
ブランドもの

絞り込んでいくと候補は意外に少なく、結局、
エレコムとiCleverの2つになった。
エレコムは耐久性で評価が低い。
一方、iCleverはボクには無名である。
どうしたものか迷ったが、
両者を比較してiCleverに軍配を上げる記事を見つけた。
世の中には同類がいるものだ。

iCleverは極薄とリチウムイオン電池を使っているところ売り。
会社は中国の深センにあるサウザンドショアス社。
馴染みがないのは日本だけで、アメリカあたりではよく知られているらしい。
値段は予定より150円程オーバーしたが問題ない。
これで決まった。

手元に届いた実物は期待通りのものだった。
使わないときはPCに挟んでおけるので場所を取らない。
打鍵感もよい。質感も良い。
これでは日本メーカーが負けるのはもごもっとも。
made in Chainaは粗悪品というイメージが強いが、
決して侮ってはいけない。
そう思った。



2021年9月28日火曜日

ノートPCの延命

キー入力がままにならないノートPCを処分するか?だましだまし使うか?
ここんところず~っと悩んで来たが、やっと、延命させることに決めた。

4年前に家内用にと思って買ったPCだが、
家内がスマホを持つようになったらほとんど使わなくなって、
代わりに、もっぱらボクが使っている。
食堂のテーブルの上に置いて、気が向くまま使える。
今回の不調で、このPCの便利さを改めて思い知った。

4年前に3万円で買った中古である。
買い替えという手もあるが、この歳で今更と思うと、
使えるものなら使いたいし、
捨てるにしても、もう限界だということを納得した上で捨てたいと・・・、
そう思った。

そこで、徹底的に不調の原因を探すことにした。
いろいろやってみたが治らず、最後に、OSを購入時の状態にまで戻してみた。
その結果、それでも「6」と「b」と「n」のキーインが不安定な状態は治らなかった。
ここまでやれば、もう、キーボードが原因だと判断してもいいだろう。
やっぱり処分するか、と決めかかったところで、思いがけなく延命策が見つかった。

別のキーボードをUSBポートに繋いだら問題なくPCが使えた。
な~ァんだ!そうだったのか。そんなことなら悩むことなかったじゃん!
斯くしてノートPCの延命が決まった。

そうだと知っていたら、OSを真っさらに入れ替える必要もなかったのに。
とんだ回り道をしたもんだ。
ボケた頭に、喝(かつ)!

2021年9月24日金曜日

心筋の刺激伝導系に異常あり

 一昨日のこと。
住民検診の心電図で心筋の刺激伝導系に異常が見つかった。
去年の検査では不整脈が見つかったが、今回は現れなかった。
その代わりというわけではないが、新たな異常の宣告である。
心臓の電気刺激系は3本あるが、そのうちの2本の信号が途絶えていて、
まだ1本が残っているが、
これが途絶えたらペースメーカーを入れることになりますよ、と。



先生がメモに書いてくれた。

これだけでは何のことかチンプンカンプン。

右脚、左脚って何だ?

家に帰って早速ネット検索。

それでようやく納得した。

3本の伝導系をそれぞれ脚といい、右側は1本だけ、左側が途中で2本に別れて、

計3本になっているのだ。

そのうち2本の伝導がブロックされているから、二枝ブロックということ。

老化現象がいよいよ心臓にまで現れたか!

というのが、率直な思いである。

今後のことは1週間後に健診結果を聞きに行ったときに相談することになる。


参考図をはこちらから拝借した。→http://kenshin.w-app.jp/houdou/guide/index/01/02.html


2021年9月17日金曜日

体調について

少しブログを休んだら、昨日、おふたりからお見舞いのメールと電話を頂いた。
CさんはLINEメールを下さったので、レスメールのあとすぐ電話で折り返した。
久しぶりだから長電話になった。
そこへ、Yさんから固定電話が掛かったので、Cさんに詫びて、Yさんに切り替えた。
こちらも久しぶりだから長電話になった。
お二人の心遣いが嬉しかった。
ありがとう!

ボクの体調について、データを記しておきます。
電話の後、久しぶりに、少し長めの散歩。
距離 1620m
歩数 2430歩
時間 26分
この程度の散歩が今のボクには限界といったところ。
歩く速さは 1.03m/秒 だから、フレイルの判定基準の1.0にギリギリ。
ちなみに歩幅は67cm 。ヨチヨチ歩きである。
3度目の肺がん手術前の7年前は71cm以上あった。
その頃の歩幅が懐かしい。

体重は46.0kg
BMIは17.3 と計算される。
健康と言われる下限の18を下回って、骨皮状態。

こうしたフレイル状態に近い体になったのは、
極度の食欲不振にあることは分かっている。
食欲不振はもう数年前から始まって、今に始まったことでないが、
特にひどくなったのは去年の6月からで、体重が3kg減った。
現在、治療しているのは逆流性食道炎だけ。
不整脈はあってもそのまま放置。
かかりつけ医はその他については何も言わず、
「肺を切っていますからねぇ・・・」といって、
息苦しさは仕方がないんだ、という診立て。
という次第で、いまのところ打つ手なし。

参考までに、フレイルの概念図を添付しておきます。
(こちらからコピペしました。→https://www.kaigonohonne.com/guide/medical/frailty)


2021年9月6日月曜日

気力減退

日記に2週間の穴を開けてしまった .
日記に書くようなネタが無かったせいだが、
 気力の 衰えのせいでもある。

 ノートパソコンは 狂ったキーボードはまだ直らない。

これを治そうといじればいじるほど原因不明の深淵へ。

 解決からほど遠くなってしまった。

 OS のアップデートをやってみたら 、

マイクロソフトオフィス が 削除されてしまい 、

元に戻せなくなった。

アジャパー!


もう一つ、壊れかけたものが出てきた。

テレビだ。

画像と音声 が 、ときどき途切れるように なった。

パラリンピックを見すぎたせいでもあるまいに。


気管支拡張薬の吸入を初めて2週間経ったところだが、

少し効いている感じはあるけれど、

喉の奥がやけに乾いた感覚の症状が出てきた。

だから、吸入を止めようか続けようか思案中。

さらに、5日前から逆流性食道炎 の 症状が現れて、

終日不快感に襲われている。

これが気力減退の原因だ。

こちらは治るかどうか?

治ってもらわないと困るのだが・・・・


2021年8月25日水曜日

1年振りの呼吸器科受診

 昨日は1年ぶりのN病院の呼吸器内科の受診。
愛知県内のコロナ感染者が連日千人を超えるようになって、
いくらワクチン接種済みといえどもデルタ株が怖いから、
電車に乗るのは避けて、高速道路をマイカーで。
電車で行けば4000歩くらいは歩かなければならないが、
今のボクでは体力にきついから、マイカーのほうが楽だ。

主治医は1年前に初めて診てもらったときと同じ先生。

レントゲンとCT検査の主眼である縦隔のリンパ節は一段と小さくなり、

ガンの心配なしの判定。

最近の胸苦しさ、息苦しさから間質性肺炎の懸念を質したところ、

その心配はないとの診断。

以上でさしあたって重篤な病気の心配はなくなった。

体重の減少と息切れについては、もしかして気胸肺気腫の疑いがあるかもしれないとのこと。

これには治療方法がないので、気管支を拡張する薬を処方しましょう、

ということになって、吸入薬「スピリーバ」を処方してくれた。

効果のほどを2か月後に診断されることになった。


今回、マイカーで通院することにしたら、家内が「付き添う」といい出し、

同行してくれた。

院内では膝リウマチの痛みをこらえながらも、

杖なしで歩けるようになったから、何かと助かった。

有難かった。


2021年8月21日土曜日

難問に四苦八苦

 3日前にノートPCで特定のキーが機能していないことに気がついた。
Bキー、Nキー、漢字キーなど、押して反応しない。
例えば、「ボクの・・・」とローマ字でキーインしても、
「おくお・・・」としか表示しない。
これには参った!

それから丸2日間を原因究明と解決に費やし、
やっと、もとに戻った。
だから今、この日記も書けている。
しかし、原因が何で、どの対策が効いたのか?分からない。
最後に試した対策はBIOSの設定をdefaultに戻したことだが、
多分、これも的外れだろう。

このような難問はクイズを解くことに似ている。
そして解くヒントは、多くの場合、ネット上に出ているものだが、
今回は適切なヒントがなかなか見つけられなかった。
おかげで、2日間もこれで遊ばせてもらった。
大体においてクイズは暇なときに遊ぶものだとすれば、
ボクにふさわしい遊びだった。


キーの分解掃除方法の習得。
スクリーンキーボードなるWIN10の小道具の存在を知った。
BIOS画面の開き方が分かった。(通常のF2キーを押して入る方法では開けられない場合)
 忘れないためにメモる。
(スタート→設定→更新とセキュリティ→回復→
 PCの起動をカスタマイズする→今すぐ再起動=起動しだしたら直ちにF2キーを押す→
 BIOS画面が現れる)
これらは遊びの余録である。

2021年8月15日日曜日

布団クリーナー

先日、寝室の壁や床をダスキンで拭いていて、ふと、
布団のダストのことが気になりだした。
壁や床は週一回は拭くから、それなりにきれいになっているはずだが、
ベッドの布団は、気が向いたら干す程度で、普段は敷きっぱなしだし、
ベッドカバーはしていないから、
ダストまみれじゃないか?
今まで自分は埃にまみれて寝てたのか!と。

善は急げと布団クリーナーを買った。
選んだのはレイコップのエントリータイプ。
排日運動の彼の国の製品だから、
チビット抵抗感はあったが、
使ってみたら、なかなか調子が良さそう。
布団を叩いて、出てきたダストを吸い上げるという仕組みが、
原始的で理にかなっている。

布団の吸い込みがないから、クリーナーを動かすのもスムースだ。
取れたダストの量にはびっくりする。
ここ4日間、連日使ったところだが、
毎日ダストボックスを掃除しなければないほど、
ダストが取れる。
見た目にはダストの大部分が綿埃がであり、
粉状のダストも混じっている。
この中にダニがいるのだと思うが、
布団のダニが少しは減ったと思えば、
気休めにはなる。
排気はHEPAフィルターで濾過されるので、
室内の再汚染はない。

遅ればせながら、これでボクもホコリ高き男ではなくなった。
なんだか安眠できるようになった気がする。

2021年8月13日金曜日

日記の穴埋め

8/8  TOKYO2020オリンピックが閉幕した。十分楽しませたもらった。
開催に対する評価に諸説はあると思うが、終わってしまえば何とやら。

8/10 外装塗装工事の足場撤去。

閉門蟄居のような感覚の3週間からやっと開放。

幸いなことに期間中は雨らしい雨も降らずに工事も順調だった。

今どきのペイントは水性塗料だから雨に弱い。

塀を塗ったあとに夕立が来たことがあったが、

乾燥時間が間に合ったせいか?被害はなかった。


8/11 午後から雲が出て、猛暑が和らいだので、

南面の窓に日除けを吊るした。

たかが3面張っただけだが、脚立の上り下りには体力を使ったので、

これが精一杯。残りは後日へまわす。


8/12 8/13(今日)終日雨。

この時期これだけの雨が降るのは珍しい。

気温が下がったので呼吸が少し楽になった。

パルスオキシメーターでチェックすると、

今までより少し高い値が出る気がする。


線状降水帯が九州から広島県辺りに警報が出っぱなし。

被害の少なからんことを祈る。


2021年8月6日金曜日

蟄居

 連日猛暑が続き、クーラーに助けられている。
気温が高いと息苦しくなるから、
最近は、気温が上昇する午前中からクーラーを点けるようになった。
寝室も寝るときから起きるときまで点けっ放し。
そんな状態だから、昨日の練馬区と埼玉県の一部で、
14時台に12分間の停電があったと聞くと、
「そりゃえらいこっちゃ」と、敏感に反応。
もし、こちらが停電したらパニクること間違いなし。
それほどに、ボクの呼吸器官はギリギリのところで動いている。
だから、やむを得ないとき以外は外出せず、蟄居が続く。

外装塗装工事は8/4の午前中に終了した。
職人の仕上げ後に、営業担当者が炎天下のなか屋根に登って、
修理個所をスマホで撮り、報告してくれた。
印象として、信用のおける業者だったと思う。
足場の撤去は8/10の予定。


家の外観がきれいになったところで、
庭の隅に寄せてある不用品の撤去を進めなければならないが、
蟄居が解ける気温になる頃まで、お預けになる。
まだ1ヶ月は我慢が続くだろうか?

2021年8月2日月曜日

フェンシングの思い出

TOKYO 2020 オリンピックも今日は11日目。
日本の獲得金メダルが過去最高を超えたとか。
その中でフェンシングの男子エペで団体優勝が、
物珍しさもあって注目されたのではないかな?

フルーレ、エペ、サーベルの3種目があって、その区別が素人にはわからない。

テレビでミヤネヤが体のどこを突いたらポイントになるのかわからなくて、

テレビスタッフに確認している場面があった。


ボクは入社してからっフェンシングを始め、結婚してから止めた。

仙台で行われた実業団全国大会で男子団体エペの3位が最高の戦績。

競技人口が少ないから参加団体は6つくらいだったか?

実業団チームは自衛隊体育学校、皇宮警察、警視庁、NHK、

三菱商事などの名前は覚えているが、

大会に参加したのはどのチームか?覚えていない。


エペで、ボクの対戦相手は自衛隊体育学校の選手だった。

確か、5対4ポイントの僅差で相手に勝った。

試合が終わってベンチに返った相手選手が、

首をたれて監督らしい人に何か言われている姿が目に入った。

どこの馬の骨だかわからない相手に、いわばプロのような選手が負けたのだから、

相当ショックだったに違いない。


同時に行われたフルーレでは、ボクは実力が発揮できなくて、

NHKの選手に1対5で負けたことは覚えている。


外壁の塗替え工事は明日で終わるようだが足場を解体するのは1週間後。

冷房の効いた部屋でのオリンピック観戦もまだ続く。


2021年7月26日月曜日

記憶の中のオリンピック

開催が揉めに揉めたTOKYO 2020オリンピックも今日が4日目。
柔道男女、水泳女子、スケボー男女で金メダルを獲得する選手が出てくると、
今後の競技に興趣が増そうというもの。
オリンピック開催に反対の人達も、きっと日本選手を応援していることだろう。

オリンピックと言えばボクには唯一の思い出がある。

1964年(昭和39年)10月10日、独身寮の窓から見上げた空に飛行機が描いた5輪のマークの雲を見た。

大会入場券は一枚も入手していなかったから、競技を見られる機会は全く無かった。

ところが、突然、Bさんから電話があって、体操女子の入場券が1枚余ったという。

その日の夜、渋谷のガード下の焼き鳥屋で落ち合って入場券を貰った。

高校の同級生のBさんは地元の高校で体育の先生をしている関係で、

入場券の入手が容易だったらしい。

余り入場券だからタダでくれると言ったから、喜んで受け取った。

その前年か?前年々か?に、白馬岳の大雪渓で生徒を引率して登山中の彼に偶然出会った。

そんなことがあったから、ボクのことをすぐ思いついたようだ。


体操女子の競技見物は印象深い。

チェコのチャスラフスカが最後の演技である平均台で、決まれば総合優勝という直前、

館内に突然歓声が上がった。

ちょうどその時、別の競技場で行われていた女子バレーで大松監督が率いる東洋の魔女と言われた日本女子がソ連チームを破ったのだ。

おそらく、大勢の観客がラジオの実況を聴いていたのだろう。

チャスラフスカはその後無事演技を決めて優勝した。


以上、独身時代の思い出の1ページである。


2021年7月23日金曜日

工事進捗

後日のために今日までの経過をメモる。

7/16(金) 飛び込みで業者が玄関ホーンを鳴らしてやってきた。

      次いで上司が合流 その場で見積。81万円なり。

      相見積もりを取ると宣言した。

      しかし、見積もりは取らず、13年前の工事の見積もりと比較した。

7/19(月) 発注するむね電話で連絡。

      16時半、業者が来宅、契約書に署名押印。

7/20(火) 工事着手金30万円を振り込む。

7/21(水) 足場組み上げとネット張り。

      専門業者が3人来て、午前中で完了。

      彼らのパワーに感心した。

7/22(木) 塗装職人一人で一日がかりで高圧洗浄。

      これとは別に業者担当責任者が屋根に上り、屋根、樋の痛みをチェック。

      樋交換の追加と鬼瓦漆喰の補修に限定して追加発注。

      20万円なり。これで合計101万円。

7/23(金) 別の塗装職人が一日がかりで塗装のための養生をした。

      すべての窓が開けられなくなり、クーラーは必須。


以上、追加工事が出てきたのは想定内のこと。

梅雨明け後の猛暑のなかで働く職人たちの集中力と体力に圧倒された。

足場組は専門業者だが、その他の職人はすべて自社社員だとか。

ガレージを工事用の車が使うので、マイカーを200m先に路駐させなければならない。

これが少々厄介なり。