2022年6月22日水曜日

高齢者講習

昨日、最寄りの自動車教習所で免許証更新のための講習を受け、
講習修了証を貰い受けてきた。
酸素吸入の助けはあるけれども、2時間の講習に耐えられるか?
それを随分心配したが、それも杞憂だった。
残るは警察署での視力検査と免許証の更新のみ。
約1ヶ月後になる。

今回の講習会では従来から変更になった点がいくつかあった。
まず、車に乗るのは受講者と指導員の二人だけ。
それに、クランクと車庫入れが省かれた。
お陰で多少リラックスできるようになり、指導員と私的な会話もできた。
指導員がボクが酸素吸入をしているのを見て、
「実は私も肺が悪くてねぇ、間質性肺炎なんです」と話しかけてきたりした。
講習終了のご挨拶で「お大事に」と声を掛けたら、
「またお会いしましょう」と返された。
流石にもうそれは、ない!ない!と心でつぶやき、
バイバイと手を振った。

新しくなった我が家の車。
名義は家内の名前であり、お金も家内の貯金から出ている。
任意保険もボクから家内の名義に切り替えた。
これでボクは家内の車に乗らせて貰うかたちになった。
実際に、乗るのはボクより家内のほうが多くなった。
でも、ボクはまだ乗れるものは乗りたいし、
乗る必要もある。
乗れなくなる日が何時来るのかわからないが、
事故らないように、違反しないように、
最後は生涯無事故無違反で車を降りられるように、
一層の安全運転を心がけたい。

2022年6月15日水曜日

後追い日記 (その5)病名:肺気腫

気象庁の昨日の発表では、当地も平年より8日遅れで梅雨入りしたようだ。
昨日の朝から雨が降り続いている。
涼しいから、長袖のシャツの上にウィンドブレーカーを羽織っている。

気温的にはこれくらいのほうが体に優しいから助かる。
そのせいもあって日記を少し書く気になった。
パソコンに向かってキーを叩く姿勢は、自然と前かがみになるから、
呼吸が苦しくなるのだが、今日は少し楽な気がした。
今日は後追い日記の最後のページを書いて入院シリーズを終わらせたい。

退院してから1週間過ぎて体力が少し回復した5月26日に新車の納車があった。
17年間乗り続けた車は、代わりに引き取られて行った。
同日、身障者手帳申請に必要な書類が出来たので取りに来るようにと、
病院の相談センターから連絡があった。
翌27日、新車を駆って、書類を貰い受けに行ってきた。
これが初乗りだった。
酸素濃縮装置からの酸素を吸いながらの運転でも何ら問題なし。

貰い受けた書類は診断書など3枚。
傷病名の欄には「肺気腫」と書かれていた。
帰宅途中にスーパーの軒先にある写真スタンドで、申請に必要な写真を撮った。
週明けの5月30日、役場の福祉課に出向き、
診断書等と写真を添えて身障者手帳交付の申請を終えた。
なお、診断書の署名医師はボクの主治医ではない。
呼吸器内科のトップの医師で主治医の上司に当たるのだろう。
この医師が県の認定医師だろうと思われる。
ボクは一度も診察を受けていない。
申請の等級は3級が妥当と診断書に書かれているが、
どうやら4級に下げられることもあるらしい。
吏員からそのように告げられた。
交付まで1~2ヶ月かかるらしい。

2022年6月6日月曜日

後追い日記 (その4) 正しい呼吸法

入院してすぐに、ボクのためにリハビリが組まれていることが判った。
呼吸器系疾患のリハビリなんていうのは聞いたことがない。
何をやるのだろうか?

入院当日と翌日の午前中は適切な酸素供給量を探ることと
携行用酸素ボンベの使い方に費やされ、リハビリはなし。
2日目の午後になって、院内のリハビリセンターからトレーナーがやって来て、
「今からリハビリをやりましょう」と言って、ボクを病室から廊下に連れ出した。
SpO2無線通信機と酸素ボンベをトレーナーが持ってくれた。
「SpO2が下がらないような歩き方を覚えてもらいます」と言い、
「吸気1:呼気2 の呼吸を繰り返しながら、
自分に合った速さで歩いてください」と言って歩き出した。

出だしでは数メートルも歩けば苦しくなったが、
途中で椅子に腰掛け一息入れてからまた歩く稽古を繰り返したら、
数10メートルくらい歩けるようになった。
正しい歩き方をしていればSpO2計に出る酸素量は減らない。
呼吸と歩行がマッチしないと酸素量はすぐ減り、息苦しくなった。

入院中、このリハビリを3日間で4回行った。毎回30分以内。
それ以上はボクの体が耐えられない。
トレーナーの説明によれば、肺に酸素が残っていると新しい酸素が取り込めないから、
肺に残った空気を出来るだけ吐き出すことが肝心であると。

極端な話、走ったあとで息苦しくなったら、大きく息を吸うのは間違いだという。
しっかり息を吐くのが先で、その後に息を吸うこと。
そういう人は息を整えているときに肩は上下動しない。

ボクの場合、血中酸素は1:2呼吸法(複式呼吸法)のときだけではなく、
1:1で深い呼吸のときでも増える。
ボクの歩行では1:1で適度な深さの呼吸のほうが楽に歩ける。
トレーナーも、自分が楽な呼吸法で歩けるならそれでいい、と言ってくれた。

退院してからもずっと続けて練習をやっているが、
歩きながらのこの1:2呼吸法はなかなか難しい。
SpO2計でチェックしているとその難しさは分かるが、
SpO2計がないと分からないかもしれない。

1:2の口すぼめ呼吸と腹式呼吸はCOPD(肺気腫)の
患者に勧められることを後で知った。
呼気のとき口をすぼめて息を吐くと、
気管支が潰れるのを防ぐから息がしやすいという。
それに合わせて肺に残った空気をしっかり吐き出すこと。
そのために1:2呼吸をするのだということを、リハビリが教えてくれた。
まだ間に合うかも知れない。
呼吸筋を鍛えるために頑張ってみよう。

2022年6月4日土曜日

後追い日記 (その3) 入院生活

入院期間は1週間と聞いていたのに、終わってみれば9日間だった。
病室は当初一般病室でよしとしたが、考え直して個室にしたのは正解だった。
4人の相部屋では何かと気を使わなければならない。
たった2日間といえども入院が長引けばそれだけストレスが溜まろうというもの。
個室ならテレビの視聴にイヤホンをつける必要もなく、
スマホも電話も自由に使える。
トイレ付き、シャワーなしの部屋が指定された。
差額ベット料は4950円/日。
ボクは農協の準会員だから農協系のこの病院では割引が使えた。

コロナ騒ぎの折から院内は警戒レベル3。
入院時と退院時だけ付添が病室への入室が許されるが、
それ以外は一切面接できなかった。
病室は涼しかった。
エアコンの端境期で暖房は使えないそうだ。
そのために羽織るものが要るので入院翌日に家内に届けさせた。
ついでに下着の追加をして貰って置いたが、
入院期間延長に備えられて、幸いだった。

食事のお粗末さは先に書いた。
昔の一汁一菜は斯くの如しかと思えるほどの粗食。
ご飯は朝昼晩、入院中、全て丼でのお粥。
食事制限なしだから、別の階にある院内のスーパーで何かを買ってくればいいのだが、
酸素ボンベに支えられていても一人で行ける体力はなし。
せめて温かい缶コーヒーでも飲もうと同じ階の自販機に行けども、
ホットはなくて冷たいものばかり。
結局入院期間中は病院食だけで我慢した。
ひもじさから、つい、戦後の食糧難時代を思い出してしまった。

入院前から、自立歩行ができない程に体力が落ちていた。
なんとか病室から出て、酸素ボンベキャリーを引きながら廊下を歩こうとすると、
すぐSpO2が85%を切り、息苦しくなるから、これも出来ない。
結局、病室のベッドの上に寝転び、SpO2計をただじっと眺める。
その間に回診やリハビリが入るが、それも指定の午前午後各3時間だけで、且つ不定時刻。
短時間で終わるから、後は寝るしかない。

こんな入院生活、カラダにいいわけないさ!
体力は一段と落ち、排泄の調子も乱れた。
なんとかもとの調子に戻るのに退院後2週間も掛かったようだ。