2017年12月31日日曜日

1年の回顧

1年を振り返ってみると、病気がちだったかな?と思う。
正月明けに膀胱炎に見舞われた。
男はかかりにくい病気だそうだから、爺さんにしてもちょっと恥ずかしかった。
膀胱炎と同時に酷く腰が痛みだした。
熱が下がってから痛みが和らいだが、痛みが気にかからなくなるまで、
整形外科に9月初めまで通った。

今年はそれ以外にも何度か微熱が出て体中が痛むことがあった。原因は不明だった。
そういう時は、まず肺がんの再発が頭を過ぎるのだが、幸いにも11月の検診まで異常なしで来られた。
11月の検診では先生から「免疫力が強いですね」と言われたことが印象に残っている。
この言葉の裏を深読みすれば、「再発の可能性」ということだろうと思う。
そんな危険を乗り越えて来たと思えば、ボクは未だ見捨てられてはいない。

体力の衰えも感じることが多くなった。
先ず、散歩の回数と歩数が随分と減った。
今年の天候不順だったということを差し引いても、歩く機会が随分少なかったとおもう。
散歩機会が減れば写真も減るのが道理。ブログに貼る写真が少なくなった。

散歩が減れば、パソコンに向かう時間が増えるのも道理。
増えた時間の多くをwindows 10のupgrade のトラブルシューティングに取られた印象がある。microsoftに振り回されたと言わざるをえない。

次姉が逝って5人いた兄姉が二人になった。
92才の姉が1番元気でピンピンしている。
6つ上の兄は、さすがに一人で電車にのるのも覚束なくなった。
ボクも老い先がどんどん短くなる感じがする。

家内の体調も思わしくない。
ステロイド剤を増やせば症状も和らぐけれど、減らすと直ぐに症状が出る。
肺のCT 画像陰影は年明け早々に診断を受ける。
さて、どうなるか?


傘寿(80才)、何がめでたい! という1年だった。

2017年12月30日土曜日

来るものは来る

喪中だからと云っても来るものは来る。
来るのは正月だ。正月を祝わないというだけのこと。
おせち料理を作らなくてもいいので、家内はホッとしている。

亭主の役割は例年と左程変わりない。
縁起をかつぐ訳ではないが、苦餅を避ける意味で28日に餅をつき、昨日の29日に切り餅に切り分けた。今日の昼食は、チーズを挟み海苔を巻いた焼き餅が昼食代わりになった。
あとは大掃除。
体力が衰えているから、若い頃のように勢いよく一気に掃除する訳に行かない。
ボチボチである。
只、脚立を使って高いところのホコリを拭うのが、普段の掃除と違うところ。
脚立の昇り降りが結構大変になって来た。
年内に終えなければならないことではないので、休み休み、気儘にやっている。

息子夫婦は、正月休みを利用してヨーロッパツアーに出かけるので、こちらに帰省せず。
代わりに娘が孫二人を連れてやってくる。
娘一家は、例年、年末から旦那の里の仙台へ行くのだが、今年は、上の孫娘が元日に地元の神社で神楽を舞う役を仰せつかったので、仙台に行く訳にいかなくなった。
従って、舞終わってからこちらに来るというのである。
家内は、無理して来なくてもいいよ、と娘に言ってやったのだが、
娘と孫はこちらに来たいのである。
これも来るものは来るという類だが、こちらは押しかけて来るというやつ。

掃除の合間に以上一筆!

2017年12月27日水曜日

何だ、こりゃ! 迷惑メール


23日に届いたメールにこんな迷惑メールが混じっていた。

ググてみると、発信者Samantha Hillはカナダの女優にしてシンガーでもあるというが、
文面からみて、当人からでないことは明らかだ。

仮にボクが何かの商売をしているとしても、
たかがこんな一通のメールで、返事することはあり得ない。
相手は何を意図しているのやら、さっぱりわからない!

何かウイルスでもついているかと思えども、何も添付されていない。
兎に角、開かずに削除した。


英文で、しかも訳の分からないメールだから、敢えてここに記して残した。

2017年12月25日月曜日

突然の嘔吐

昨夜嘔吐したので今朝かかりつけ医へ行ってきた。
念のためにやってもらったインフルエンザ検査では、A、Bともに陰性だった。
若先生は問診と聴診器を当てただけで、「単なる胃腸風邪でしょう。このあと下痢するかもしれないから整腸剤を出しておきましょう」と言って、ビオスリー(ビオフェルミンと同等品)を処方してくれた。

帰宅して10時にいつもの朝食(トースト、ヨーグルト、バナナ、牛乳+コーヒー)を摂り、14時にカップ麺だけの昼食を食べて様子を見ているが、17時半現在、体調に異常なし。
どうやら若先生の見立てのとおりかな?

昨夜19時に夕食を終えたところで胸部(鳩尾から食道のあたり)にむかつきと鈍痛が襲った。
風呂に入ったあと早めに就寝したのが21時半、30分も経たないうちに吐き気が来た。
それから4時間で6回も吐いた。
若い頃は嘔吐と言えば精々2~3回も吐けば終わったが、齢を取ったらこんなことにまで老化が来たのか?と思った。
嘔吐物は記憶のある酸っぱさがなかった。
若先生によれば、逆流性食道炎の薬であるキネシュウム(プロトンポンプ抑制剤)が効いて、胃酸を抑えている証拠だそうだ。


夏ならまだしも冬の嘔吐に心当たりなし。自分でも何が何だかさっぱりわからない。

2017年12月22日金曜日

この歯科医 少し偏屈かな?

右上の第1大臼歯が痛みだしたので、13日から、近くの歯医者に通っている。
歯の神経はとっくの昔に取ってしまったので、痛みの原因は歯根とその先の歯茎内にあるらしい。炎症だから微生物汚染ということになる。

この歯は昔から因縁の歯である。
最初に痛みだしたのが2002年3月。少し離れたところにある歯医者で2度治療を受けた。
その時、「また痛くなったらその時は抜きます」と言われた。
その1年後の2003年3月にまた痛みだし、抜かれては困るので、車で通わなければならない程の遠くにある歯医者に替え、事情を話して、抜かずに治療してもらった。
その2年後の2005年5月にまた痛みだしたので、今度は歯茎を切開して膿疱を取り出してもらった。それから12年、痛まずに来たのだから、治療は成功したと言えるだろう。

そしてまた痛みだしたというわけだ。
歯医者は、遠くまで何度も通うのが面倒になって、我が家から200㍍先にある歯科医に替えてある。
1回目の治療で痛みがなくなった。
経過が良さそうなので、3回目の処置が終わったところで、ボクが「あと何回くらい通うことになりそうですか?」と訊ねた。
すると先生、「そんなことは質問しないで下さい!」とピシャリ。
ボクとすれば「えっ!何で!俺、先生のご機嫌を損ねたのかなぁ?」と頭をひねった。

最初の治療方針の説明では「手をつくしてもダメなら最後は抜きますよ」と言われている。
ボクはそのことは了解しているのだが、その先のことは素人だから分からない。
先生の方は、「この治療は難しい」と患者に説明したつもりであるらしい。
だから患者はつべこべ言うな!ということかな?
兎に角、今の段階では先が読めないということらしい。
そんならそうと云ってくれればいいのに。
先生が苦労して一所懸命やってくれていることはよく分かるので、ボクとしては「ハイわかりましたというしかない」。

という訳で、この先生は、丁寧だけど少し偏屈なところがあるようだ。
もう少し商売気があればもっと患者で賑わうだろうにと思うが、ボクにはスイスイ予約が取れてありがたい。これからは余分なことは言わないで、默まっておまかせしよう。


2017年12月20日水曜日

Windows 10 PCのバクアップ

win10 ver.1709へupgrade してからoffice XPのexcelが機能不全に陥った。
新しいシートでも古いシートでも、データをセルにキーインするとシートそのものが消えるのである。即ち、古いシートの閲覧しかできなくなったということ。
office XP を再インストールしても結果は同じ。

仕方がないので急遽、Libre Officeをダウンロードした。幸い、Libre Officeの表計算であるCalがExcelとかなりの部分で互換性があり、相互にコピペを駆使すればExcelシートにも新しいデータを追加できることが分かって一安心した。

Microsoftから、こうしたひどい仕打ちを受けると、Windows への信頼はガタ落ちだ。
早い話、クラウドストレージを使ったアプリを盛んに推奨するけれども、いつ何時使えなくなったり、折角保存したデータが消失するとも限らないという不安に駆られることになる。

そんなことで、Win 10のリカバリーを真剣に取り組んでみた。
リカバリーをググルにグルっていろいろ調べてみると、何とややこしいことか?
 再セットアップメディア
 再セットアップディスク
 リカバリーディスク
 回復ドライブ
 システム修復ディスク
 初期化
 バックアップと復元(windows 7)
 システムイメージ
 ファイル履歴
と言葉の氾濫である。これらを正確に理解しするのに随分時間が取られた。

結局のところ、USBメモリに回復ドライブをコピーし、外付けHDDにシステムイメージとファイル履歴(File History)を自動でコピーするように設定した。
これら3つの機能は元々Win10が備えているので、それを使えばいいだけのことであった。
分かってみれば、何~んだこんなことか!手間を取らせやがって!と、ホザイた。ホザイた相手はWin10に違いない。自分の馬鹿さ加減を棚に上げて。
爺さんの自己流パソコン術、まあこんなもんだろう。

ボケ防止になるかどうか?

2017年12月18日月曜日

喪中ハガキの返信を3人から頂いた。偶然にも3人とも50年前に郡山で一緒に働いた仲間だった。彼らはボクと同様に、その後あちこち転勤を重ねた。
ボクが勤めた他の事業所で一緒だった人からの返信はなかったから、
3人からの返信は当時の郡山の仲間たちの絆の固さを如実に語るものだろう。

北海道にいるNさんの返信はある程度儀礼的な感じがするけれども、それでもボクには心温まるものだった。
郡山にいるOさんとKさんはあちこち転勤を重ねたあと、現役引退とともに郡山に戻られた。
それ以来、年賀状だけのお付き合いになっていた。
今年の年賀状でぼくが肺がんだったことを告白したから、お二人とも随分心配してくれていたようだ。返信の文面から容易にそのことが読み取れた。

早速お二人に電話を入れた。
先ずKさんのこと。
ご本人はご健康なようだが奥方が間質性肺炎を患われていて、気丈にお話はされたものの、声の調子から体調が勝れない様子が窺い知れた。お大事にと申し上げるほかはなかった。盛岡駅で見送って頂いてから28年ぶりの会話であった。

一方、Oさんは元気そのもの。
88才になった今年も磐梯山周辺の4つのスキー場共通の年間パスを買って、スキー三昧の予定だと聞いて恐れ入った。奥方の元気な声も聞けた。Oさんが秋田大館在勤のとき会って以来29年ぶりの会話になった。奥方とは50年ぶりになるか?

郡山の事業所が閉鎖され、すっかり無くなっても、人の絆は今も脈々と生きている。
つくづくそう思う。

2017年12月15日金曜日

肺がんはfifty-fifty という診断

先月15日に、家内の胸部レントゲン診断で異常が見つかったことは既に書いた。
以下はその続きである。

かかりつけ医からフィルムを借り受けて、リュウマチ性多発筋痛症の治療を受けているM大病院総合診療科に相談したのが9日後の先月24日の予約診療日だった。
直ちにCT検査を受けたら、明らかに右下葉に異常陰影が認められた。
主治医の指示で呼吸器科内科の予約を入れたら、取れたのが21日後の今日12月15日の受診である。最初にレントゲン撮影で異常が見つかってから1ヶ月経過することになる。
この間、こんなに待たされていいんかい!、と気が気でなかった。というのが、正直なところ。

さて、今日の診断である。
呼吸器内科の診察は問診と聴音と11月24日に撮影したCT画像診断のみ。
異常箇所の陰影の部位、大きさ、形状から診て、肺がんか肺炎か?可能性はfifty-fiftyと言われた。
そして、現状では診断がつかないから、様子見としましょう、となった。
1週間後の12月22日に1ヶ月後のCTを撮って、陰影が消えたり小さくなっていれば肺炎、さもなければ肺がんの可能性を考えようということである。
診断日は1月5日を予約した。

ボクも以前書いたようにCT検査で肺炎が見つかり、1ヶ月後に小さくなって、やがて影が消えたという経験がある。家内の場合も多分その例だろう。そちらに期待を掛けた。
そう思ったら、気分が軽くなり、一気に空腹感が襲った。
二人で院内の食堂に飛び込んで温かいとろろ山菜そばを啜った。


2017年12月9日土曜日

忘年会 クラス会から同年会に変質

例によって忘年会のことをメモッて置く。
昨夜は恒例の高校同期有志の忘年会。ボクにとっては唯一の忘年会。
会場はいつものホテルのレストランで、料理もいつものビュッフェスタイル。
値段は去年から値上げされて、飲み放題付き、10%のシニア割引つきで5220円也。
若いシニアの時代は結構割安感があったが、80歳にもなると食が細リ、飲む量も減ったから、割高感が芽生えた。

幹事の独断と偏見で、初めて7、8名の女性群と新顔の男性1名を加わえたから、総勢20名位になった。ここまで増えると、正確に人数を数える気もしない。
新顔のほぼ全員が、高校の現役時代も、その後も、一度も会ったこともなくければ、勿論話したこともないよそのクラスのメンバーだった。

3つのテーブルが縦長にズラッと並んだ席が指定された。
当然のことながら、仲良し同士が固まって席を占めたから、他の人との会話の広がりが減ったことは否めない。
おまけに、みんな耳が遠くなったから、大声で話さないと会話が成り立たない。
それこそ、喧噪の中での食事になった。

こうして恒例の忘年会はクラス会から同年会へと大きく変質した。
されど、皆和気藹々と楽しいいっときを過ごせたのだから、これもこれで良しとしよう。

散会してから気がついたのだが、常連の内、同じクラスの3名が欠席した。
一人は脳梗塞で入院したと聞いていたが、あとの二人はどうしたのだろう。
幹事から報告もなかった。無事なことを祈りたい。

2017年12月6日水曜日

クヌギとアベマキ

この1ヶ月いろいろあって、散歩らしい散歩が出来なかったが、やっと落ち着きを取り戻したので、久方ぶりにご近所を歩いてみた。
紅葉はすでにシーズンの終盤を迎え、綺麗な紅葉に巡り会えなかった。

近年、荒れるに任せていた私有地の雑木林を町が買い取って整備した、小さな自然公園。
常緑広葉高木が殆んどだが、その中に落葉高木が混じっている。
ず~っと以前から、その木はクヌギだとばかりに思っていた。


今日気がついてみたら、いつの間にか樹木名を書いた表示板が掛けてあった。
念のため、クヌギと思っていた木に近づいてよくよく見たら、アベマキと書いてあった。
クヌギと思っていた別の木の方を見たら、こちらはちゃんとクヌギと書いてあった。

この2つの木は外観的に非常によく似ているし、どんぐりも同じに見えるし、どんぐりはどちらも2年成(ナリ)だから、その気になってよくよく見ないと区別がつかない。町は子供の教育目的で名板を付けたのだろうが、80歳の爺さんにも良い勉強になった。
これは、犬も歩けば棒に当たる・・・ていうこと、・・か?
来年は戌年だ。精々、歩くように心がけよう。


2017年12月5日火曜日

次姉逝く

11月30日 午前10時40分 次姉が永眠した。12月8日の誕生日を前にした88歳だった。
通夜、告別式に臨席したあと、急いで喪中の挨拶状を作成し、本日午前中に投函したので、
年賀状を予定してくださる殆どの方々には、ご迷惑をお掛けせずに済んだかな?・・・と思っている。

次姉が末期の胃がんで入院したのが生前の41日前。
25日前に見舞った時は、未だベッドに起き上がることが出来て、耳が遠いので大声で会話した。食事は殆んど摂れず、薬を飲む水さえ飲むのがやっとだった。
18日前に転院先に見舞った時は、ベッドに自分では起き上がれなかったが、会話が出来た。意識の混濁はなかった。ただ、早く逝きたいと漏らした
2日前に見舞った時は、その前日から意識がなくなったと看護師から聞いた。
ぶら下げてあった点滴薬はBFLUIDという点滴薬。アミノ酸類が主成分。
これだけで人間の命を1ヶ月保たせた訳だが、それで良かったのか?悪かったのか?
安楽死ということを思わないでもなかった。

これで5人いた兄と姉が3人欠けた。
はらからが居なくなるのは、やはり、さびしいものである。


2017年12月3日日曜日

古いExcelが機能不全に陥った

win10の1709バージョンアップに成功したと思いきや、気がつけばとんでもない事態に。
Excelファイルに新しくデータを入力できない!
Enterキーを押すとデスクトップからExcelが消え、もう一度Enterを押すと表示が戻る。
新規にExcelファイルを開いても現象は同じ。
なんとかしようと、officeXPのCDを使って修復や再インストールを試みたが、回復出来なかった。
念のため、Excelデータをoffice 2013が入っているノートPCコピーすれば、問題なくデータ入力が出来たから、Excelファイルが悪いわけではない。

使っているのはoffice XP(2003年)の古いバージョンだが、OSがver.1703まではちゃんと使えたのだから、こうなった原因と考えられるのは、ver.1709のアップデートしかない。
ウイルスバスタークラウドのupdateの影響も考えられないわけじゃないけど、可能性は低いだろう。

とっくにサポートが終了しているofficeXPだが、だからといって気持ちよく使っているものを勝手に使えなくするなんて、許せん!
有料のofficeへ誘導しようとする姿勢がありありと見えて、microsoft社に怒りを感じる。

こうなっても、高いお金を払ってmicrosoft社のfficeを使う気はない。
互換ソフトを使うことにする。
互換性ではKingsoft Officeのほうが使い勝手がいいという声もあるが、こちらは有料になった。
こうなったら無料のLibre Officeを使ってみるか?
Open Org時代のOfficeがしっかり改良されていることを期待しよう。

(未だ十分検証できてないがofficeXPのWordにも異常な作動が見られる)