2015年8月25日火曜日

72 才の中学校教員

昨日、元の会社の後輩であったTさんの来訪があった。
彼は年に1度程度、顔を見せに夫婦でやってくる律義者である。
我が夫婦でふたりの仲人をやったというご縁もある。

Tさんはサラリーマンを満了したあと、大学受験を経て堂々たる大学生になったのが4年前。
60才代の爺さんが若者に混じって大学生になったというので驚き、そのことを以前にも書いた。
その彼が今年3月に無事卒業し、4月から地元の中学校の先生に採用されて、補助教員として勤めていることを報告しに来たという訳である。

教員資格を取るための教育実習先は近くの中学校の校長に自前で交渉して引き受けた貰ったという。自前で交渉しなければならなかったのは高齢者というハンディがあったからで、黙っていたら引受先がなかったそうだ。自分のふたりの子供の出身校であり、ついでに親も面倒見てくださいと言って頼んだと言って笑っていたが、苦労ぶりを窺える話である。
その校長のアドバイスもあって、市の教員採用試験の補助教員枠で受けたら幸い合格した。
倍率は2倍あったという。高齢の彼には数字以上の競争ではなかっただろうか。

Tさんの今の年齢は72才。
1日5時間を受持ち、月20日として、時給1200円の報酬。
夏休みなどもあるから年間収入を想像すると、定年再雇用の平均的レベルだろうか?
授業はと問えば、国語の免許はあるが英語、数学、理科も教えるという。
要するに、正規の教諭が進める授業の教室で、教諭の補助をする役目だから科目は何でもありということになるという。どの教室にも落ちこぼれがいるから、そういう連中に教えるのが仕事ということのようだ。

そうした日常を過ごしているからか、年齢の割に見かけは若い。60歳代前半に見えた。
しかし、橋本病で手術、頸動脈のプラーク除去手術、大腸がん手術、ステント挿入手術と、たて続けに治療を受けたという。体は歳相応ということか?

定時制高校卒というハンディが彼をしてここまで奮い立たせてきた根源だと睨んでいるが、その目的を達した今はこれからの人生のことも考えたほうがいいだろうと思う。
その意味で、「これから先は長くないよ」と言って上げたのだが、通じたかどうか?
生きがいは人それぞれだから。

3 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

この人は、すごい頑張りやさんだなあ・・・。ボクの身近にも、貧しい生活環境のなか苦労して高校、大学を出て企業に入り、有能な人材として活躍した人は何人かいる。そういう人は、リタイヤーしてからも自己実現のため何らかの目標を立て、努力するようだ。しかしこの人のレベルまで到達するのは至難の業だ。
貴兄は小学6年頃 佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて」という児童小説を読んだ記憶はないですか。ボクは感動して読んだことを今でも覚えている。 細かいストーリーは忘れたが内容は、
小学時代、主人公と親友が首席を争った。友人は裕福な家庭で育ち、浦和中学に進んだが、主人公は中学にも行けず赤貧に泣き、逆境に苦しみながらも夜学に通うことを許される。感謝して一心不乱勉強し、旧制第1高校をめざす。その間友人は暖かく見守り、友好を深める・・・・・。
ボクは文中の友人のように裕福でもなくアタマもよくないが、友人になりきった気持ちで、この主人公を応援しながら何回も読んだ。
いまどき、赤貧にあえぎながら苦学して立身出世する話しは古いが、「ああ玉杯・・」の寮歌を聞くとこの小説がいつもアタマをよぎる。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん そのような児童小説があったことは全然知らなかったですよ。貴兄はそういう本が読める環境で育てられて幸せでしたね。
中退したり退職後に自分の好きな道に進む人の話はよく聞くところですが、このTさんという人は目的があって大学に入ったのではなく、とにかく大学卒の資格が欲しかったのではないか?と、ボクはそう見ています。それにしてもそれを成し遂げたことは賞賛に値します。
ボクなんか退職と同時に燃え尽きちゃった。人生いろいろですね。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」は青空文庫にありました。これから読んでみます。