2015年10月14日水曜日

幼なじみのS君との交友

去る今年の2月のこと、後縦隔への転移再発を疑われ、体調にも色々自覚症状が現れて絶望感に襲われていた頃、幼なじみのS君が見舞いに来てくれたことがあった。その後、体調が少し回復し、転移再発の疑いから開放されたのだが、そのことをS君は自分のことのように喜んでくれたのであった。
そんなこともあって、墓参の折に元気な姿を見せると約束してあったのだが、昨日、やっとその約束を果たした。但し、墓参りは今回も見送った。お墓は逃げはしないから、後回してよかろうという訳だ。それよりも生きている人間の方が大切であるという、身勝手な理由をつけて。

お宅には学生時代に何度も訪れ、仲間と徹夜マージャンしたこともある。十分手入れされていて、建物の外も内も昔のイメージと変わっていない。懐かしさがこみ上げた。
S君は奥方と一緒に、S君の母親が大事に遺して呉れた大量の写真を整理した中から、ボクが写っている写真だけを抜き出して置いて呉れた。
一番古いのは小学校5年生の集合写真、中学校時代は同じクラスになったことがないので写真はなし、高校時代は修学旅行や体育祭の集合写真などなど。どれもこれも、こんな写真があったのかと驚くばかり。ボクは大学4年生の時の伊勢湾台風ですべての写真を失った。それから56年になる。懐かしい!
S君は必要ならコピーしようか?と言ってくれたが、ボクは「写真がS君のところにあることが判ったから、必要なときにお願いします。その時はよろしくね」と応えた。自分以外に必要だと思う者は家族にいないだろうなぁ・・・・。

トムソーヤの冒険、ロビンフッドの冒険、三銃士、ああ無情(ラ・ミゼラブル)など、小学校5年生、6年生の時にS君から借りて読んだ本の題名である。彼の一家は引揚家族で、裕福ではなかったはずだが、S君が長男だったこともあって本はよく買ってもらっていたようだ。本などとても買ってもらえない末っ子の四男のボクには彼から借りる本が新鮮でり、ありがたかった。
S 君とは、
6年生の時、珠算塾も一緒に通って3級を取ったところで止めた。
中学3年生では一緒に体操部で体を鍛えた。
高校は毎日自転車を並べて通学した。
大学では2年生まで一緒に通学することが多かった。
そしてS君は地元企業へ就職、ボクは転勤族になった。
2時間で引き上げるつもりが3時間にもなった。それでも話が尽きなかったが、次の再会を約し
ておいとました。

ボクが55歳で地元に戻り、それ以来22年間、S君を含めて高校時代の仲良しグループと毎年忘年会で会う。今年の忘年会は2ヶ月後、S君にまた会える。


2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

今でも竹馬の友と交流が続いているのはいいですね。お見舞いにわざわざ貴兄宅を訪れるとは、気のあった親友なのでしょう。ボクは、小、中学校時代の友人との交流は、ほとんど大学卒業まで。お互い年賀状に「いつか会いましょう」との添え書きでするのが恒例であったが、いつしか年賀状交換もなくなった友人も多い。
そのなかで先月、50年ぶりに小6年のときの友人から突然電話があった。彼はリタイアー後実家付近の高蔵寺に居をかまえた。彼の奥方とボクの兄嫁がたまたま何かの会合でボクの消息を知ったとのこと。彼とは学芸会でクラスメンバー5人で古代史を紙芝居風に見せた。紙芝居の絵もみんなで作成し、苦労を分かち合った間柄。その時記念に撮った小さなスナップ写真を保存している。多分先生が撮ったのだろう。彼にそのことを話したらその写真は持っていないと言う。その写真を持参して再会し、談笑することを約束した。昔の思い出を語り合うのは
何ものにも変えがたい楽しみですね。
貴兄が小5,6年頃の読書は、トムソーヤ、ロビンフッドなど比較的メジャーな本が多かった?
ボクは怪人二十面相、敵中横断3百里、緑の無人島、トム君・サム君、先に紹介した「ああ玉杯に花うけて」など少年倶楽部に連載された本が多い。隣に3年先輩の仲間の家にあったものを借りて読んだ。
ボクンちもあまり本は買ってもらえなかたので、読んだ本はこの家にあった本がほとんど。
怪人二十面相は熱中して読んだなあ・・。文中突然「読者諸君!お分かりかなあ~」と合いの手が入り、読者に考えさせる記述があったことを覚えている。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 心の通った竹馬の友といえるのは二人くらいしかいませんけど、今も友達でいてくれるというだけで感謝しています。50年ぶりの会えるというお友達が出てきてよかったですね。大事に交友を続けてください。
「ああ玉杯に花受けて」を青空文庫で読みましたよ。随分難しい言葉も出て来たけど、昔の子供はあれを読めたのかと思って感心してしまいました。
ぼくら田舎の子供は外で遊んでばかりだから、本を読む習慣がなかったような気がします。その点貴兄はよく本を読んでいましたね。それは今に生きている。そうじゃありませんか(W)