2018年6月22日金曜日

キュウーリの思い出


庭の菜園に植えた3本のキューリが収穫期に入って、食べるのに忙しい。
昨日は、遂に自家消費出来なくなって、お隣さんに3本お裾分けし、食べてもらった。

ところが、目残しがあって、今朝、大きなお化けキューリが1本見つかった。
収穫が2日遅れたようだ。


大きなキューリを見ると思い出すことがある。
戦後のボクが幼かった頃のこと。
夕食前にお袋が「畑からキューリを採って来て」とボク言った。
ボクが採ってきたキューリは大きかった。勿論、現代のキューリとは品種が違うのだろう。
そのキューリ1本を家族8人が分け合った。
貧しい夕食に一品でも多くと、お袋は苦心したのだろう。

当時は食糧難の時代であったから、お袋はさぞかし大変だっただろう。
自分の食べる分を控えてでも家族に食べさせようと、必死だったと思う。
やがて栄養不足でやせ細った体に結核が取り憑いた。
ストレプトマイシンが間に合わなかった。昭和24年没。

我が菜園では、ブルーベリー、ナス、ピーマンが収穫期に入っている。
その後、ゴーヤが加わるだろう。
ブルーベリーはジャムにする。
採れ過ぎたらナス、ピーマンはお裾分け出来る。
しかし、ゴーヤは引き取り手がなかろう。
だからもうすぐゴーヤに攻められる。
ゴーヤが怖い!

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

毎年家庭菜園で新鮮な様々な収穫物を賞味できるなんてうらやましい。ここまで軌道に乗せるには、大変な努力と試行錯誤があったことでしょう。
以前ブログで紹介したが、10年ほど前、実家を訪れたとき家庭菜園で採れた完熟したキューリを2本もらった。とても美味しかった!! 塩を振りかけたただけで1本完食できる。スーパーで買う青臭いキューリとはまるで違う。昔食料難のとき食べたキューリがとても美味しかったのもこんなキューリだったのだろう。
同じようなことが桃、トマトに感じる。昔食べた美味しいモノになかなか出会わない。あながち舌が贅沢になったせいばかりではなさそうだ。
ボクは時々昼食は部屋で自炊する。その際サラダにミニトマトを添えるようにしている。ミニパックを買うが、ずいぶん味に差がありますね。土質、施肥管理の影響だろうか。
そういえば貴兄の菜園でトマトを収穫したという話しは聞いたことがない。トマトの栽培はむつかしい? 戦後まもなく実家でもいろいろな作物を栽培したが、トマトだけはどうしてもうまく作れなかった。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 食糧難のときは何を食べても美味しかったよね。腹がへれば何でも美味しく食べられる道理と同じで。
トマトは同じように見えても味が全然違うようです。我が家は安いものしか買わないから美味しいものに出会わないけど、値段が高いものはそれ相応に美味しいようですよ。今度お試しあれ。
我が家も毎年ミニトマトを3本植えています。連作を避ければ育てるのは簡単です。トマトも採れすぎるので、家内がジャムにしています。トマト攻めに会うのももうすぐです。