2018年7月8日日曜日

注連縄(シメナワ)を綯(ナ)う


昨日、自治会の伝統行事の一つである津島神社の祭礼が公民館で執り行われた。
祭礼と言っても大したことをやる訳ではない。
公民館に班長以上の役員を集め、建速須佐之男命の掛け軸に向かって祝詞を上げる神主と一緒に拝礼するだけのこと。
この祭礼のあと、別のところに祀ってある小さな祠に、順次、戸別に提灯をぶら下げてお詣りすることになる。今年1年間は班長だから、今昨日はその祭礼に駆出されたという次第。

問題は、注連縄づくり。
辻立てに使う50本の注連縄を班長連中が手分けして綯わなければならなかった。
縄など綯ったことのない連中ばかりだから、ベテランのやり方を見よう見まねでやることになった。しかも、右利きには不利な左縄綯い(時計回りに綯う)。
出来上がった注連縄は当然のことながら見てくれが悪かった。
これをまとめてお祓いをしてもらったあと、丸めて、御神札と一緒にポリ袋に入れて、棒の先に括り付けて、地区の結界に立てる訳だ。だから、見てくれの悪さは全然問題なし。

注連縄にも流儀があるようだ。
津島神社の場合は、左綯いに綯ったものが、左本、右末(社殿に向かい、注連縄の根本を左側にし、先端側を右側に持ってくる吊るし方)になっている。(これは出雲大社と同じ)

蛇足ながら、縄の右巻き、左巻きを理解するのに苦労した。
右回り、左回りは迷うことなく理解できるが、左巻き、右巻となると見る位置や始点の捉え方によって、真逆になる場合が多々ある訳で、今回のように、縄を時計回りに綯うのが左綯いだ言われても、何をどう時計回りに回すのか判らずに困ってしまった。
例えば、アサガオ。昔は、外国ではアサガオは左巻きだと言っていたそうだ。
台風だって時計と反対回りだとごく当たり前に言われているけれども、宇宙からじゃなく地表から台風を見上げたら、時計回りに見えるはず、というが如しである。

今回疑問に思っていろいろ調べていたら、螺旋状の物体に付いては、ZとSで巻や撚りを表現する方法が ISO 2 として標準化されていることを知った。これなら迷うことはない。
こういう考え方はもっと普及してもらいたいと思う。

ところで、蚊取り線香は右巻か左巻か どっちかな?

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

こうした伝統行事が伝承されて各地区で続けられていることは、とても意義のあることだと思います。子供の頃訳も分からず参加したことがよき思い出となる。
高蔵寺の実家では、毎年(おまんとうまつり)と称したお祭り行事がお盆前後に2日間あった。
隣組の小、中学生が組長家に集まり祭事をこなす。ボクは小3,4,5年生の3年間参加した。祭りを盛り立てるため節目ごと30㎝切った竹筒に穴を一つあけ口をつけ、ほら貝のごとく鳴らす。鳴らすのにコツがあり年長者から教わった。行事の半ばには地区全体の子供が集まり地区内を練り歩く。軒先には差し入れの供物が並ぶ。貧しい時代だったので梅干しが多かった。途中校庭をグルグル駆け回る。最終日には地区の各隣組代表3人が東谷山(東谷山フルーツパーク)頂上の神社に奉納して祭りは終わる。小5のときたまたま拙宅が組長になった関連で年少であったが代表者に選ばれボクも東谷山に登った。奉納が終わってから誰かが「霊が出たあ!!」と叫んだのを合図にみんな脱兎のごとく山を駆け降りる。ボクはついて行くのがやっとだった。小6以降はなぜか行事は廃止になった。
調べたら「おまとうまつり」は「お万燈祭」のことだったようだ。刈谷市秋葉社のお万燈祭が有名だ。由来はそんなところからかもしれない。
小6以降なぜかこの行事はおこなわれなくなった。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん それはいい思い出ですね。似たような行事は、昔は、各地区で行われていました。それが廃れていったのは、地域の絆が弱くなっていったからなのでしょうか?田舎ほど、そういう伝統行事が残っているところから考えると、そう思うのが妥当なような気がします。
それともうひとつ、子供が熱中できる行事ではなくなったという考え方もできますね。子供の育った環境が変わったのか、親の教育方法が変わったのか、少子化の影響もあるのか、それらが相互に影響を及ぼしているのでしょう。行事そのものは、やることが昔から変わっていないのだから、原因は人間側にあるわけですよね。
こちらでは、まだまだ伝統行事がしっかり残っています。ボクは、出来れば敬遠したいですけどね。