2014年3月8日土曜日

同級生の父親の記事


今日の中日新聞の近郊ページに連載の「あいち賢人」欄は、メダカ博士として有名だった山本時男、元名大教授の話。


メダカ博士はボクの同級山本君の父親だった。
そのことはボクが大学に入ってから、クラスの誰かから聞いた。
メダカ博士のことはそれまで何度も新聞に載ったから、名前を知る人は知る。
だから、その息子と同級になった奇遇に驚いた。
同級には他にもう一人、名大教授の息子もいた。
ふたりとも頭が良かったから、やっぱり血筋だなぁ~、と感心したことを覚えている。

同級生の山本君は数年前に肺ガンで亡くなっている。
メダカ博士が定年後自宅につくったという研究室が今も残っているようだが、当時の彼の住所はそこと同じ。
彼も、また、その遺族も、メダカ博士の遺したものを大事にしてきたようだ。
新聞記事からそんな感じを受けた。

付き合いがなかったから、彼が卒業後どんな歩みをしてきたのか?ボクはよく知らない。
彼がガンを手術したあとに始まったML(メーリングリスト)で、僅かに交流を始めたが、
その矢先に彼はガンが再発し、情報が途絶えた。
彼の死を知ったのはその後まもなくであった。

その後ボクに肺ガンが見つかり、彼の病院とは別の病院を選んのも、彼の死が心理的に影響したことは否めない。
しかし、結果的には、ボクの主治医は彼がかかった病院で、しっかり腕を磨いたという先生であった。
その先生が時系列的に彼と出会った可能性があったのかどうか?は知らない。
また、知る必要もないことである。

些細な新聞記事で、今日はここまで想像を巡らせた。
あらためて山本君の冥福を祈る。

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