2014年9月4日木曜日

3度目の肺ガン手術 (3)手術当日

8月18日(月)手術の当日。
家内は前日から病室に泊まり、息子が8時に病室に東京から駆けつけた。
この二人が手術中は指定の待機室に待機し、術後に切除して取り出した肺の一部を見ながら主治医のM先生から説明を受けることになる。

8時50分 スッポンポンの裸になり、手術着だけ羽織って4階の手術室へ。
エレベーターホールは付き添いの看護師や家族でラッシュアワー並みの混雑ぶり。
その中から、患者を取り間違えないように担当看護師が慎重に呼び込み、本人確認し、手術室室へ。
ジャスト9時。 再度、患者に氏名と生年月日を言わせて本人確認。
手術台に上って横になったら、直ちに麻酔のマスクが被せられ、
数秒もしないで意識がストンと無くなった。

あとで家族から聞いた話。
待機中の家族に手渡されていたPHSケータイに手術終了のコールが掛かってきたのが12時25分、次いで、K先生を従えたM先生から家族に説明があったのが12時35分。
手術時間は3時間半だったと計算できた。
取り出した肺の切片を家族は見た。
M先生は、切り開いて結節のある部分を見せながら、外観的に肺腺がんで間違いありませんと告げたそうだ。

実は、入院以来、この時点でもボクはまだ主治医のM先生の顔を見ていなかった。
初めて見たのはICUのベットの上。
麻酔が切れて意識が朦朧とする中で、名前を呼ぶ先生の顔が見えた。
ボクはつかさず「先生、また命を助けて頂き、ありがとうございました。」と。
M先生、「上手くいきましたから、そんなに心配要りませんよ」と。

13時10分 家族の面会が許された。「ありがとう」と言ったと思うが、記憶は定かではない。
息子がこの後東京に帰るといったのは覚えている。
18時30分 家内が再度面会に来て、これから家に帰ると告げた。患者本人がいない病室には家族は泊まれないのだ。

ICUは2つあるという個室の一つのようだ。
顔に酸素マスク、左胸下方に胸腔ドレンホース、陰茎に排尿カテーテル、腕に点滴注射針、背中に鎮痛剤のカテーテルが繋げられている。
痛みは左程とも思わなかったが、意識は半分眠っていて、
1時間毎に体を動かして少し寝返りをさせてくれるが、看護師のなすまま。
テレビモニターで監視されているが、モニターに映しだされているのは隣の患者のようだ。
モニターとは別にテレビが天井からぶらさがっており、見たければどうぞと、看護師がリモコンを手元においてくれたが、とてもとてもそんな気分になれない。
何しろ吐き気が激しく、数回嘔吐して、こらえきれずに吐き気止の薬を貰って服用した。

ICU在室の24時間は眠くても眠れない状態で、何とも辛いものだった。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

手術当日の状況がよくわかります。2年半前、家内が手術したときもこのような雰囲気でしたね。ただ病院も違うし、呼吸器外科と脳神経外科の違いもあるから一概に比較できないが、総じて貴兄の病院のほうが患者へのフォローはよいように思う。今度ボクが呼吸器系に問題が生じたら、貴兄の主治医M先生に診てもらおう。
50年前、ボクが県がんセンターで手術した時を思い出す。主治医はとても親切だった。何しろ病院設立して2年目で、この病院で肺手術をするのはボクが3例目。先生も必死であった。手術前日、先生が一緒にフロに入ろうと誘われた。病気と戦うためには先生と患者の人間関係、信頼関係が重要と考えてのことだろう。すぐ近くに看護師寮がまだ建設中で、病院のワンフロアー全部を仮住まいとして使っていた。夜になると看護婦さんが練習している琴の音が聞こえてきた。ボクは3ヵ月ほど入院していたが、2ヶ月ほどして寮が完成、全員がそこに移り、そのフロアーが全部病棟に様変わりした。今は懐かしい思い出です。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 奥方の病院と同じ系統だから大差はないと思いますが、2010年に建て替えられたばかりだから設備的には整っていると思います。診療科によって得手不得手があるようですから、病気によって病院を選ばなければなりませんね。良い先生に巡り会えるのが一番大事、貴兄も良い先生にめぐり会えたようですね。