2015年4月12日日曜日

レンゲ畑

散歩に出かけたらレンゲ畑に出会った。
高校のグランドの南側一面に開けた田圃の中で、この一区画だけがレンゲ畑になっていた。
最近よく歩いている散歩コースであり、数日前に気が付かなかったから、この2、3日で一気に花が開いたようだ。
毎年この季節になると、レンゲ畑はないものかと田圃を眺め回して何十年、最後に見てから20年位は経ったであろうか?
だから、レンゲ畑に出会えた瞬間は感激ものである。
田圃の所有者がどんな意図でレンゲ畑にしたのか知らないが、粋なことをしてくれてありがとう!


早速、一輪摘んで、鼻先に。
紛れもないあの頃のレンゲの香りである。
レンゲ畑に踏み入れて手いっぱいに摘んだ子供の頃の、懐かしい記憶が蘇った。

高校生の一団がランニングしながら、「今日は!」と大きな声で挨拶して通り過ぎた。
マネージャーらしい可愛い女の子がその後を自転車で追った。
ふと思った、今頃の女の子は芳しいレンゲの花の香りを知っているのだろうか?と。

3 件のコメント :

匿名 さんのコメント...

レンゲ畑の写真をみて、「春の小川」の歌を思い出し,インターネットで歌詞を調べたら自分の記憶と違っていた。小生の記憶はいささか口語調である

春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。

これは尋常小学校唱歌の「春の小川」の歌詞だそうだが、我々の時(’44)は

春の小川はさらさら行くよ。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささきながら。

私の記憶の間違いでしょうか?

忠ちゃん さんのコメント...

近年、レンゲ畑はほんとうに見なくなったなあ・・・・。レンゲ草を何年も実物を見ていない。ボクも子供の頃、仲間と一緒にレンゲ草で遊んだ記憶がある。女の子は花輪など作っていたが、男は茎の丈夫そうなのを選び、お互いからませて引っ張り、どちらが早く切れるか切れないか勝負して遊んだ。
レンゲソウの正式名は「ゲンゲ」。レンゲ、レンゲソウ、ゲンゲンは別名だそうだが、当地ではゲンゲとは言わないですね。故事に「やはり野に置け蓮華草」と言うのがあるようにレンゲソウが一般的な名前と思う。
中日新聞の日曜版に「里山を歩く」と言う連載記事が載る。野草研究家と画家のイラスト
入りで関連する故事、俳句など交えて興味ある説明をしている。ボクが野草に関して全く
知識がない。機会あれば実物と照合しようと
H25,11~27、3まで切り抜き保存している。
ボクは、まだまだ知識欲旺盛でしょう笑)。本年3月で連載は終わった。
レンゲソウは、昨年4/13に掲載された。
文中、引用された正岡子規の俳句を紹介しましょう。
「野道ゆけば げんげんの束すててある」の句を読んだ。
子どもらが野で摘み、遊んだゲンゲに飽きて処分し、家に帰ったのかもしれない。
情景が目に浮かぶ。ボクの記憶もよみがえる。

匿名さんへ
15年ほど前、名古屋高島屋で原田泰治が描く
「日本の童謡・唱歌100選展」という特別展があった。その時、図録をボクは購入した。
その中で「春の小川」」の文句は、
貴兄の検索したとおりの文句の下に、かっこして 流る→「行くよ」 においめでたく→すがたやさしく 咲けよ咲けよと→咲いているねと ささやく如く→ささやきながら  
と付記してあった。
実際に歌われたのは貴兄の記憶どおりでしょう。すばらしい記憶力です!!。

ター さんのコメント...

>匿名さん>忠ちゃん ご両人とも子供の頃を思い出されたようですね。忠ちゃんが茎で引っ張り合った遊びをボクもやりましたね。全国共通だったんでしょうか?春の小川の歌詞は昭和17年と昭和22年の2回改編されたようですね。ボクが今、口ずさんで出て来る歌詞は1回目に換えられたもので、匿名さんの仰る最後の部分だけ、咲いているねと...になっています。匿名さんのは2回目すなわち昭和22年に換わった歌詞ということになりますね。忠ちゃん、好奇心旺盛は若さの証拠です。いつまでもその調子でやって下さい。