2013年7月25日木曜日

I君の死亡は誤報でした


1ヶ月前のこと。
H君が高校の同級生I君の死を伝えてくれた。
I君の年賀状は数年前から途絶え、ボクが幹事を務める毎年の忘年会にも出たり出なかったり。
そもそもI君は、7年ほど前に胆管がんの難手術を受けて、生き延びた男である。
半年前の忘年会には出て来た。元気そのものだった。
だから彼の死亡説は信じられない思いだった。

そして昨日のこと。
H君から「あれは誤報だった」と、電話がかかって来た。
H君が言うには、I君の弟と知り合いだというH君の知人が、
I君の弟に会った時に「兄さんが亡くなったんだって」と言ったら、
弟は「兄は健在だよ」と応えた、ということだそうだ。

死亡説の流れはこうだ。
大学進学コースに2クラスあって、ぼく等はD組、隣がC組。
そのC組のK君が叙勲されたのでC組有志13人が祝いの会を持った。
その中に、死んだはずのI 君とは別人のI君という人物がいて、
その彼が「I 君が亡くなったそうだ」と言った。
それを聞いた出席者のJ君が、中学で同じクラスだったH君に電話して来た、という訳だ。

話はすべて伝聞である。
本来、誰かが遺族に問い合わせるか、お悔やみを言うか、するところなのだろうが、
それほどの付き合い方をしている者がいなかった。

何はともあれ、死んだはずのI君が生き返った訳で、
時々は、生存の証の情報を仲間内に伝えておかないと、
「I君のように殺されることもあるよ」と、
電話の向こうのH君とふたりで大笑いした。

住所録と電話帳、消したI君のデータを慌てて復活させた。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

まさに、「♪♪死んだ筈だよお富さん 生きていたとは・・・・」というヤツですね。近年、年末になると「年賀のご挨拶を失礼・・」という葉書を身内の方からもらい、亡くなったことを知る。そんな知らせの中で心に残る文面でいまも保存してあるのは、10年前金子先生の娘さんからの便りです(奥方はすでに亡くなり先生は独り生活)。彼女からは亡くなる1年前の入院生活状況と年賀のご挨拶の失礼をかねた死亡の連絡をもらった。在りし日の父の姿を彷彿とした父を思う気持ちが細かい文字で葉書いっぱいに書き連ねてあった。
ボクが先立ってもボクの息子たちでは、とてもマネができる才能はない。

b.nasbee さんのコメント...

>忠ちゃん いいですね、そういう話は。
現代は子供が大きくなれば別世帯が当たり前ですから、片親が残ったら老人ホームに送り込むんで親の生き様なんか知らない人が多いのじゃないでしょうか。我が家も、そういう口だと思いますよ。