2012年5月26日土曜日

常滑やきもの散歩道の散策


昨日、家内が行ってみたいというので常滑のやきもの散歩道を散策した。
愛知県の出身者として、県内の瀬戸と常滑が夫々古窯の一つだということは認識していたが、その他に古窯は何処に幾つ有るのかさえ知らなかったという、やきもの音痴の散歩である。

社会人になるまでの22年間、名鉄常滑線の線路際で生まれ育ちながら、一度も常滑へ行ったことがなかった。常滑の手前、新舞子や大野町までは海水浴に行ったのだが、その先に行く用事がなかったからだ。
その後今日まで、1度だけ行った記憶があるが、遠い記憶のこととて、何の用事であったのかとんと思い出せない。
そして現在は、7年前の愛知万博に合わせて開港した中部国際空港まで延伸したので、単なる通過駅になってしまった。
その常滑駅まで、我が家の最寄り駅から電車でまっすぐ1時間の近場である。

改札口を出て直ぐのところにある観光案内所で、まずはコースマップをもらい、ついでに併設のギャラリーで個展を開いていた若手陶芸家のお兄さんにコースの要所を教えてもらった。

散歩コースはほとんど駅前と云うくらいの近場にある。
散歩道の途中には、石垣の石の代わりに土管を組み上げて垣を巡らせた土管坂という名の坂道に名残があるように、常滑では昭和の初期から戦後にかけて盛んに土管が作られて来たのだが、その後、土管の需要がなくなり、急速に焼きもの産業は衰退していったようだ。
そうして廃業した窯跡の幾つかを巡るのがこのコース。

昭和56年、当時の市長が狭い地域に点在している古い窯主に呼びかけ、観光コースに整備してきて今日に至った、と或るギャラリーの店主が語ってくれた。
コースの途中には小さなギャラリーが点在し、ロクロ回しを体験させてくれるところや、陶芸家自身の店であったり、新進作家の作品を展示販売する店であったりする。
その多くは自分の窯を持っているのではなく、多くは、焼き専門の業者に頼むということらしい。コース内に残っている窯で現役のものは一つもなく、残っているのは単なる遺跡だったり、ギャラリーとしての入れ物になっていたりする。
ギャラリーの多くが、よくぞここまで残っていたものだと思うくらい古い昭和初期からの建物を使っている。

国内に名前の知られた焼きもの産地は多々あるが、六古窯と言われるのは瀬戸焼、常滑焼、信楽焼、越前焼、備前焼、丹波立杭焼だそうな。これらは中世から現在まで続く陶磁器窯であり、渡来人の技術によって近世以降に始まった窯とは区別されるという。
その古窯の常滑だが、子供の頃の印象は土管の常滑であって、食器類は赤い急須の類ぐらいだろうと思っていたが、あるある、他にも常滑焼きと言われるものがいっぱいあった。

その中で、真っ先に挙げなければならないのが、招き猫。
招き猫の発祥は常滑とは知らなかった。
今では全国の約8割を生産している由。
その猫だが、左手を上げているのが「人を招く」、右手を上げているのが「金を招く」のだということも教わった。
何事によらず、現場まで足を運んで確認することが大切なようである。

一周1.6キロ㍍の散歩コースは終わってみると、陶器音痴のボクにも結構面白かった。それは、最初に見所を教えて呉れた個展のお兄さんのお陰と言えるだろうか。
教えられた所では陶芸家本人と会話出来たからである。
2年前に訪れた瀬戸ではこういう機会がなかった。
観光で訪れるなら瀬戸より常滑である。

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