2014年10月11日土曜日

名大のロゴマークの思い出

昨日、ノーベル物理学賞の赤崎名城大学教授と天野名古屋大学教授の共同会見が名古屋大学で行われた。
映像はテレビに何度も流されたのに気付かなかったのだが、
会見する二人の後ろのパネルに両大学のロゴが入っている。
そのことを今朝の新聞で初めて知った。
大学から注文を受けた近藤産という会社が徹夜で作ったものらしい。
間違いなければこの会社は、何でもレンタルします、ということを看板にしている地元の会社だったと思う。
天野教授の単独会見の時は名古屋大学のロゴだけがが入ったパネルで済ませ、二人の会見の時は両大学のロゴが入ったパネルに入れ替えたそうだ。
裏方の気遣いがよく伺える話である。



実は、名古屋大学のロゴマークはボクが学部に移ってから制定されたものである。
学内で公募があって、同級生のM君のデザインが採用されたと、当人から聞いた記憶がある。
それまでは襟章に無骨な名大という2文字入の丸バッジを付けていたが、早速、新しいバッジに取り替えたのを覚えている。
学生と言えば当時は全て詰め襟の学生服の時代であった。
卒業後も長らくその新しいバッジを残してあったのだが、転勤の引っ越しを繰り返している間に紛失した。

今朝は、そんなことを思い出した。

2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

そう言えば途中で新ロゴマークに代わったことの記憶がよみがえった。当時自分の好みで新、旧どちらかを付けていた?
ボクの「発酵教室」卒業写真を見たら、よく判別できないが旧ロゴを付けているようだ。買う費用を節約したのかも知れない。
ちなみに「植物栄養及び肥料学教室」写真を見ると、貴兄だけカッターにジャンパー姿で学生服を着ていない。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 教室毎に写真をとったのは伊勢湾台風のあとなんですよ。自宅が水に浸かって、学生服が着られなくって、支援物資で貰ったジャンパーを着ていたのです。卒業式には学生服を着ていたから洗ってから着られるようになったのかなぁ?定かじゃありません。